第43話 捜索
息を飲むほど冷たい空気が流れる、広々とした無機質な部屋。
天草研究所の中枢センターの、五十メートル四方のワンフロアを堂々と位置取るのは、大型冷蔵庫並の大きさのラックが何百代も並んだ集合のスーパーコンピュータだ。
研究所はこれを『HIDE』と呼ぶ。
HIDEは研究所の膨大なデータと処理能力、高度なAIを搭載している天草社独自のコンピュータで、研究開発の統括、生産・物流の管理、からくり群の管理、経営判断、etc。
ほぼ全ての決定権はHIDEにあると言っても過言ではなく、社長でさえもお飾りでしかない。
「(どうして『コレ』にそこまでの力があるのかしら)」
華紅夜はラックの列を見つめながら考えていた。
華紅夜は小葉紅と同じ特殊からくりであるが、彼女と違って身体を張った作業に向いていない。華紅夜の仕事は天草社の中枢管理、即ちHIDEの演算をサポートすることだった。
中央にある直方体型のポッドに身体を預け、髪をかき分けてうなじのポートにいくつかのケーブルを挿入する。
これで華紅夜の頭に膨大なデータが流れ込んで演算を開始する……というわけではなく、華紅夜はただ演算のための回路を提供するだけで、その内容までは読み取ることができない。言葉通りサポートをするだけなのだ。
しかし華紅夜はHIDEに秘密があることを知っている。
HIDEが持っているのは研究所のデータだけではない。なぜなら、研究所だけでは知りえない情報を、彼は知っているからだ。
例えば彼岸花について。
人型の彼岸花は自らの血を自由に操ることができ、得意とする血液の形状から固形種と霧形種という二種類に分けられる、という情報。
これは彼岸花の欠片の研究を委託していた丹波製薬にも知りえなかったことで、HIDEの演算結果が突然提示してきたものだった。
知っていたとて、初めて実際に対峙するとなると適切な対処が出来なかったのは悔やまれるが。
華紅夜は小さく舌打ちするが、柔和な表情は崩さない。
問題はなぜHIDEが、知り得ない情報を持っているのかだ。
彼がいつから重要な中枢となっていたかといえば、少なくとも十数年以上であることは知っている。華紅夜が造られた時にはもう存在していた。
華紅夜が自身の演算回路を提供してから、HIDEが引き出す情報と演算の精度は格段に成長した。
つまり、HIDEには学習させた膨大な情報とは別の奥深くに、隠された情報が眠っているのではないか、というのが華紅夜の推測だ。
「……まあ、ただの勘なんだけど」
機械が『勘』など、笑えるくらいにおかしな話だ。
三体の特殊からくりにはそれぞれに教育者が付くが、華紅夜の教育者が特に変わり者だったせいか。技術者のくせに、ことある事に直感に頼ろうとするのだ。その悪癖が次第に伝染ってしまったようだ。
「これじゃあ、ヒトのこと言えないわね」
『人間らしい』部分を出せば、天草社に消されてしまう。
●
ピクリ。
子供のように騒ぐ奏羽と狼狽えるマコトが騒がしくする部屋で、ヒイロは顔を上げた。
「……朱兎が現れたかもしれない」
そう一言。突然のことで、奏羽もマコトも手と口を止めてヒイロを見つめる。
「あやと…って、あのガラの悪い彼岸花だっけ。そんなこと分かるの? 彼岸花の習性?」
同じ種族どうし、近付くと気配が分かるとか、そんなものなのだろうか。
どちらにせよ本当だとしたら、あの彼岸花がまた街で暴れているかもしれない。
「俺、行かないと」
ヒイロは立ち上がって出て行こうとする。
「ちょ、待って待って! 危ないよ」
マコトは反射的に、ヒイロの上着の裾を掴んだ。ヒイロの動きはピタリと止まる。
「俺を探しているのかもしれない。早くしないと以前のようなことになるかも」
「……なんでそんな勇気あるのさ。あんなことしてた奴だよ、怖くないの?」
ヒイロは物怖じひとつしている様子はない。前に朱兎が街で暴れていた時の映像を思い出す。自らの血を操って人間を蹂躙する姿は、まさに怪物と言って良かった。あれの前に姿をさらすなど、マコトには到底できない。
「でもきっと、俺なら止められるよ。華紅夜さんに頼るようなことはなるべくしたくないし、彼に……聞きたいこともあるから」
「聞きたいことって……?」
同族であるヒイロになら、朱兎も抑えられるかもしれない。だがそれを、ヒイロに全てを任せる言い訳にはしたくない。
「俺自身のこと。彼はきっと俺の過去を知っているし、俺がどうして怪物と呼ばれるようになったのか、分かるかもしれない」
初めから──マコトと出会った時から、ヒイロの目的は記憶を取り戻すことであった。それは理解していたはずだ。
だが、マコトはヒイロのことを彼岸花だと言い続けるばかりで、彼の言い分をまともに聞いてはいなかった。
ヒイロは自分が人間であると信じながら、人間では無い部分を抱えてきたのだろう。
彼は人間なのか彼岸花なのか、今こそ彼の謎を解き明かすチャンスなのかもしれない。
「待って……僕も行く」
「えっ?」
ヒイロは驚きで目を見開いた。
「な、何だよ、その顔!」
「だって……マコトは研究所から逃げて来た身だし、それに怖がりだし」
失礼な。
確かに研究所の人間に見つかることは避けたい。だがここで動かなかったら、胸の奥で何かがつっかえている感覚が消えないと思ったのだ。
「僕だって君の役に立ちたいの! それに、僕にだって目的はあるし……」
「ああ……はじめんに言われたやつだね。俺の知っている限りの『愛』を教えてあげてもいいよ」
「なんでそんな上からなのさ!」
最初は何も知らないヒイロにマコトが全部教える立場だったのが、これに関してはなぜか逆転してしまったようだ。
「アンタたち本当に行くの? ボクは止めないよ」
奏羽はどこからか取り出した知恵の輪をいじくりながら言った。
彼のことだから、さっさと出ていって欲しい、くらいには思われているだろう。
「ったく……こうなるなら最初から怖がらずに出歩けば良かったのに。コソコソ動き回る必要がどこにあったんだよ?」
「うっ…………」
奏羽の言う通りだった。マコトは一応、研究所から逃げ出した身。堂々と外を歩けば、もしかしたら天草社の追手に見つかってしまうかもしれない。そんな恐怖を抱えながら、地上とシキヤシキを行き来するにはコシキの助けを借りて来たのにも関わらず、今になってヒイロのことがもっと知りたいからと、自身の身の危険もいとわずに外へ出る気になったというのは、奏羽からしてみれば何と都合の良いことだろう。
「まあボクは邪魔者がいなくなってくれて喜ばしいけどね。姉さんという邪魔者が増えたけど!」
何もない場所に向かって吠える奏羽は無視して、マコトはすぐにでも部屋を出ていこうとするヒイロの上着の裾を離す。ヒイロはおあずけされた犬のように扉の外へ走り出した。
なぜ今になって、堂々と地上に顔を出す気になったか。そんなのは、これまで何も出来なかったことが悔しいからに決まっている。
その時、どこかからポップな電子音が響いた。
●
考えるよりも先に身体が動いていた。
朱兎とコシキの腕を掴んで、喫茶店を飛び出した。
無いはずの心臓が強く鼓動しているようだった。
「いやァ、走った走った。小せェ花春は大丈夫か?」
「ぼく、しょくぶつなのでつかれません!」
「あ? 植物? 何言ってンだお前」
小葉紅が連れて来た二人は、息切れひとつ起こしていない。数百メートルは走ってきたはずなのに、散歩にでも来たような出で立ちだ。
むしろ息を吐いているのは小葉紅の方である。これまでどんな激しい動きをしたって、こんなに息が荒くなることはなかった。いつかから──自分の中の何かを認識した瞬間から、胸が締め付けられるような感覚、顔が熱くなるような感覚を覚えてしまった。
これは明らかにおかしい。からくりとして、いかなる時も冷静に、命令通りに任務をこなすだけ。そんなことも出来なくなってしまったなんて、きっとどこかが壊れてしまったに違いない。研究所で治してもらわなければならない。
それでも──この感覚を大事にしたいと思ってしまうのは、おかしいだろうか。
「そ……そういえば。君は固形種だろう? 外を歩く時、君の正体が誰にも分からないのは……霧形種の仲間がいるからか?」
小葉紅は息を整えて、これ以上自問自答出来ないように話題を変える。
朱兎は眉をひそめた。
「そり……みすと? 何だそりゃ」
「……君は自らの血液を自在に操って戦っていただろう。あれは固形種に分類される彼岸花の力だ」
「あ〜…… 弾鉅と纏鉅のことか。ありゃあ俺にもよく分かんねェ。やってみろって言われたからやったら出来ただけだ」
朱兎はぽりぽりと頭を掻く。現実離れした彼岸花の力は、当の本人にもよく分かっていないらしい。
「それで、霧に隠れて君を連れて行ったり他人からの認識を阻害したりしていたのは、霧形種の彼岸花なんだろう? 彼女も近くにいるのか?」
「さァな。俺が緋雨の奴から離れても俺を縛れるみてェだし、近くにいようがいまいが関係ねェよ」
あの女性の彼岸花の名は緋雨というのか……と、そんなことは置いておいて。
そもそも彼岸花とはなんなのか、人間に憧れて人の形を得た唯の植物なのか、何らかの実験によって生まれた産物なのか。何も分からない。
彼が彼岸花でなければ──こんな形でなければ、もっと早く彼のことを知りたかった。
「ンなことより、早く花春を見つけてコシキを押し付けて、も一回デートしようぜ?」
「こ、こんなときに何を言っているんだ貴様は……! だが、熾鬼一族を探すという点については同意だ。君は何か手がかりを持っていたのではないのか?」
「緋雨に探してこいって言われて通信機ってのを持たされたンだが、どっかで落としちまったんだよ。だから何もねェ」
「何をしているんだ君は……。天草社がこれまでに絞り込んだ、熾鬼一族が潜伏していると思われる場所の情報があるから……ワタシが洗い出す」
小葉紅は自身のメモリに刻まれた情報、それから以前HIDEから読み込んだ情報を整理していく。
目の前の景色をシャットアウトし、記憶回路と演算回路に集中する。華紅夜ほどの精度ではないが、特殊からくりとして備えるべき性能は網羅してある。
「リーダーたちのばしょなら、ぼくしってますよ」
そこでコシキがひょっこりと口を出した。
そうだった。コシキによれば彼は熾鬼一族に創られた植物。見た目は子供でも、知能は研究員並みにある──とてもそうは見えないが──はずのコシキが、自分を創った人間の居場所を知らないはずがない。小葉紅は呆気に取られて瞼を開く。
「しかし……君は何というか、家出のような状態だと思っていたが。ワタシが聞いても、一人でいた理由だけは教えてくれなかったではないか」
コシキを見つけた時、彼はうずくまって寂しそうにしていたのを覚えている。熾鬼一族かと聞いた時にはコシキという植物の話を初めからしてくれたのに、なぜ何もない場所で一人でいたのかを聞いても何も話さなかったのだ。
このくらいの年頃の子供の行動にコシキが当てはまるかは分からないが、回答を拒む様子は親と喧嘩をして拗ねている子供のようにも思えた。
「そ、それはそうですけど。でも……ぼく、なくなるまえに、かえらなきゃいけないんです」
コシキは消え入りそうな笑顔でそう言った。
なくなる、とは一体何がなくなるというのだろう。
そう単純ではなさそうな事情を察した小葉紅は、何も言わずにコシキに案内だけをさせようと考えた。その方が確実で効率的だろう。
小葉紅と朱兎の目的は熾鬼一族を見つけること。それさえ叶えば、コシキの心残りも晴れるかもしれない。
「そうか……なら、君に任せようと思う。ワタシたちを彼らの所まで連れて行ってくれるか?」
「まかせてください! ぼく、おんみつこうどうはとくいなんです」
いつも通りの朗らかさを取り戻したコシキは胸を叩き、小葉紅と朱兎の手を引いて歩き出す。小葉紅はほっと胸を撫で下ろし、小さくて強い背中を見つめながらその歩幅に合わせた。
「────朱兎」
するとふと、背中に声がかかる。
呼ばれているのは小葉紅ではなく朱兎だ。声の主にはどこかで聞き覚えがあった。
その声を聞いてしまった朱兎は、先程とは打って変わった、鬼のような形相で振り返った。地獄の底から這い上がって来たような怒り乗せて、その人物に怒号を浴びせる。
「テメェ…………秀呂か!!」
なぜ彼がここにいるのか、小葉紅には分からない。彼はただ、休日を謳歌する小葉紅と偶然知り合っただけの人間だったはずだ。
ただし、黒かったはずの髪は真っ白だった。それも、隣にいる彼岸花の青年と同じ色。
「ど、どういうことだ? ヒイロ……君はまさか、」
彼岸花なのか?




