第42話 芽生えて
小葉紅は自身の懐の寂しさを感じながら、目の前でスイーツを頬張るコシキを呆然と見ていた。
からくりには基本的に給与は支給されないため、小葉紅の手持ちは穂泉にもらった僅かなお小遣いだけ。今回はそれでは明らかに足りないので、本人をここへ呼び出す羽目になっている。彼も仕事中だと言うのに、難儀なものだ……と他人事のように呟いてみる。
「……そろそろ橘調査員が到着する頃だ。君も腹が膨れたろうし、悩みも軽くなっていると良いのだが」
さりげなく、そろそろ食べるのを止めないか、と促す。穂泉はいつも小葉紅が五皿食べたところで苦い顔をし始めるが、コシキの前に並ぶ皿は十を超える。
「うーん。あとちょっとたべたいきもしますが、ぼくもそろそろかえらないと。ごちそうさまでした!」
後にここへ来るであろう穂泉の気も知らずに、コシキは無邪気な笑顔で礼を言う。
小葉紅はふっと笑みを浮かべ、穂泉の姿を探そうと窓の外に目を向ける。
すると──意外な人物と目が合った。
「おォ、コハクちゃんじゃん!」
その人物はスイーツのサンプルが並んだショーケースを眺めていたが、小葉紅に気付くとずかずかと店内へ足を踏み入れ、小葉紅たちが座るテーブルに腰かけた。
「……な、なぜ貴様がここにいる!」
真っ白な髪をわしゃわしゃと掻き乱し、真っ白な目でこちらを見つめてきたその青年は、つい先日拳を交えたばかりの彼岸花だった。
「いやァ、人間の食いもんってやっぱ美味そうだな。俺にも何か食わせてくれよ♪」
足を組み行儀悪く椅子に腰かけ、小葉紅の前まで顔を近付けてくる。小葉紅はずいっとその顔を押しのけ、コシキを庇うようにして青年を睨みつけた。
「そンな怖い目で見んなって……ってオイ、花春じゃねェか? なんか小さくねえ?」
「誰だそれは。この子はコシキだ」
意味の分からない言葉に反論しながら、小葉紅は考える。
この青年が気分屋だというのは、少し言葉を交わしただけだが知っている。今は上機嫌なようだが、前回町に現れた時のように、人間に対する殺意をむき出しにされてはどうなるか分かったものではない。こんな狭い店内では小葉紅も派手に動くことはできないし、周りの人間を巻き込むわけにはいかない。
そもそもこの真っ白な髪の毛を堂々と晒しておきながら、周囲に騒がれていないのは何故だろうか。彼岸花の特殊な血の能力の一つなのかもしれないが、彼は固形種だったはず。となると、もう一人の霧形種の彼岸花の女性が手を貸しているのだろう。下手に動くと彼女に加勢され、またもや彼岸花を逃がしてしまうどころか今度は再起不能にされてしまうかもしれない。
かと言って華紅夜の応援を呼んでしまえば、コシキが顔を見られて危険にさらされる可能性がある。熾鬼一族を庇うわけではないが……コシキの処遇については簡単に決定できるものではない。
今はただ彼の気分が変わらないように、このまま彼の用が済むのを大人しく待つしかない。
「なぜ…………貴様ら彼岸花は我々を敵視するんだ?」
気付けば、小葉紅の口からそんな言葉がこぼれていた。
「あ?」
期限を損ねてはいけないのは分かっていても、聞かずにはいられないことだった。
「お前らじゃねェ、『人間を』だ。人間は欲深くて汚ぇ生き物なンだよ。そんな奴らに、俺らの人生めちゃくちゃにされたかねえ」
青年は珍しく真面目に答えた。曖昧で抽象的な回答だったが、それでも彼なりに真剣に答えていることが分かる。
思えば小葉紅とこの青年が初めて対面したとき、小葉紅のことを人間だと勘違いして彼は襲ってきたわけだが、小葉紅がからくりと分かると途端に友好的になった。彼岸花はこの社会、もしくは天草社という組織を目の敵にしているわけではなく、人間という生き物に嫌悪感を抱いていると言うことだ。一体彼らと人間の間に、何があったというのだろう。
「君の人生をめちゃくちゃにした、というのは、『人間が』か?」
青年は僅かに瞼を落とし目を伏せた。そして記憶をまさぐるようにしてその内容を挙げながら、片手の指を折っていった。
「ンー、まず、母さんを殺した。それから父さんを陥れた。化物の弁明なんざ聞く気もねえって、俺らを生かす気なんてなかった」
これまた曖昧な表現だった。しかし人型の彼岸花が最初に現れたのは五年前という記録があるが、その時に彼が言ったようなことが起こったという記録はない。彼岸花の口から親という言葉が出て来たのも意味がわからない。
「…………母親と父親というのは、彼岸花なのか?」
「いんや、人間の母さんと機械の父さんだ」
「戯言を。貴様は人間を憎んでいるではないか」
一体何のために、そのような筋の通っていない出鱈目な答えをするのだろうか。甘く見られて揶揄われているようで不快だ。
そもそも、怪物の親が人間であるはずがない。
「母さん以外の人間は全員クソなんだよ」
彼が何を言っているのかは分からない。が、これ以上深堀りするのは、再び彼の人間に対する憎しみを増幅させるだけだ。小葉紅は真面目に取り合おうとせず、最悪の事態に備えて青年の動向に集中するのみだった。
青年は小葉紅の後ろで震えているコシキと目が合うと、パチンと指を鳴らした。
「そーだ、俺、花春の顔のやつを探しに来たんだった。でもなァ、こんなちっこいのじゃないんだよな多分」
コシキの顔をじっくりと覗き込むが、首を傾げている。
どうやらこの青年は人を探しているらしい。コシキと同じ顔の人物を探している、ということは……と、小葉紅にも何となくその人物が分かった。
誰というのが分かったのではない。コシキと同じ顔といえば、熾鬼一族の誰かであろう、と容易に推測できる。
しかしなぜ彼岸花の青年が、熾鬼一族を探しているのか。
ふと、小葉紅はあることを思いついた。
「おい」
「あん?」
「貴様の探し人は、ワタシが探している奴と同じだ。ここは一つ、協力関係を結ばないか?」
彼岸花と手を組むのは気が進まないが、彼が暴れて一般人に被害が出る前に彼を抑制出来れば良い。
そのために、協力という名目で彼を手元に置いておき、熾鬼一族も見つけ出す。その後で彼岸花もろとも消してしまえば良いのだ。
彼が提案を受け入れるかは五分五分といったところだが、これまで小葉紅に対しては友好的に接してきたことを考えると、この策は無謀ではなかったと思いたいところだ。
「いいぜ。この店の美味いもん食わせてくれンならな♪」
青年はニカっと笑った。
そこに誰かに対する憎しみなんて存在しなくていいのに、と願わずにはいられないくらいには、眩しかった。
「……なンだよ」
にしても素直に返事が返ってくるとは思わなかった小葉紅が唖然としていると、青年は少し不満そうにする。
「い……いや、やけに協力的だと思ってな」
「だから、人間以外は嫌いじゃねェって。それに緋雨にもらった通信機? っつうの失くしちまったから、花春を探せなくて困ってたンだよ」
緋雨、というのはもう一人の女性の彼岸花だろうか。彼らが何の目的で熾鬼一族を探しているのか詳しく問いただしたいところだが、その質問は飲み込んでおく。今は他にやるべきことがあるからだ。
「そういえば名前を聞いてなかったな。彼岸花の……」
「チッ、その呼び方はやめろ。俺は朱兎だ」
種族名で呼ばれるのが余程癪に障るらしく、青年は眉をひそめながら名乗った。
「ふむ。朱兎、ワタシといる間は誰も傷つけないと約束しろ。そうでなければ、貴様を有害生物として然るべきところに差し出す羽目になるからな」
「興味ねェよそんなもん。今はコハクちゃんとデートできるだけで十分だしな」
「なっ……そういうことは堂々と言うものじゃない! そもそもその、デート…………ではない!」
何を言っているんだこいつは、と頬を真っ赤にしているのも気付かずに、小葉紅は席を立ち上がった。
と、どのようにしてこの店を出るか──と考えた時に、出てくる答えは簡単で、一般的な飲食店であれば食べた分の金額を支払うべきである。
目の前には、スイーツの乗っていた跡がある皿が積み上がっている。それを食べた張本人は満足そうに目を細めており、自分も何か食べたいという欲望を掻き立てられる。
そうではなく、小葉紅は先ほど自分で、コシキが食べた分を支払うには手持ちでは足りないからと穂泉を呼んだことを思い出した。もうそろそろ彼がここへきてもおかしくない。噂の彼岸花と一緒にいるところを見られるだけでなく、手を組もうとしていることが知られたら大変面倒なことになる。
かと言って姿を隠すため逃げようにも、金がない限りこの店から出られない。あまりにも情けない。
「ワタシとしたことが、なんと格好がつかない……」
「ん? どうした?」
単に金がない、と説明するのも格好が悪い。
小葉紅が何を言おうか口をモゴモゴとさせていると、不意に後ろから声がかかる。
「なーにやってんすか、小葉紅さん。普段から言ってますよね、食べすぎだって。俺はあんたの財布じゃないんですから……」
上司を相手に一ミリの尊敬も感じさせない言動のこの男は、まさに小葉紅が呼び出してしまった橘穂泉だった。
小葉紅の前には朱兎が、後ろにはコシキがいる。穂泉がコシキの顔を知らない可能性はあるが、彼岸花の特徴である真っ白な髪と目を持つ朱兎に反応しないわけがない。
万事休すか、と覚悟した小葉紅だったが、穂泉は少し首をかしげるだけで、彼岸花だなんだと騒ぎ立てることはなかった。
「……お知り合いですか? 面立てて奢ろうとしたのは良いですけど、それがこのザマだったらダサいっすよ」
ダサい、という言葉が胸に刺さりつつ、穂泉がこの状況を認識していないことへの安堵が真っ先におとずれる。
おそらく彼は熾鬼一族の件も知らない研究員だったはずだからコシキの顔を見ても何の反応もないことは良いとして、朱兎に対してもまるでそこらを歩いている一般人でも見ているような反応なのはなぜだろうか。もう一人の彼岸花──緋雨の能力が関係しているのかもしれない。
ならば好都合。本当に財布扱いしているようで悪いが、このまま彼に伝票を押し付けて店を出てしまうのも悪くない。
「……コハクちゃん。誰だよコイツ?」
しかし簡単にはそうさせてはもらえなかった。
やって来た穂泉をじっと睨みつけていた朱兎が口を開いたのだ。
「初対面の人間にこいつとは、あんた行儀がなってな…………ん?」
まともに朱兎のことを認識した穂泉は、すぐに訝しんだ。
「あんた、その髪色珍しいな。なんでか分からんが気付かなかった。何かのコスプレか?」
このレベルならまだ誤魔化せるか。と胸を撫で下ろしたのも束の間、穂泉の表情はさらに険しくなっていった。
「いや……どっかで見たことあるぞ。こないだの会議で話題に上がってた。白い髪に白い瞳……」
穂泉は一つひとつ思い出すようにぶつぶつと口に出し始めた。彼の中で何かが理解できてしまいそうだ。
「小葉紅さん、こいつ彼岸花じゃ…………」
その後の言葉を聞く前に、小葉紅は動いた。コシキと抱きかかえ、朱兎の腕を鷲掴みにして地面を蹴った。穂泉の横を風の如く通り抜けて、店の扉をがらんと鳴らしながら飛び出してしまった。
自分でも何をやっているのか分からなかった。どうして彼岸花の正体が暴かれるのを恐れなければいけないのか。捕らえたと言って朱兎だけ差し出して、熾鬼一族のことはまた探せば良い。
なのになぜ、彼を他の誰かの手に渡したくないと思ってしまうのだろう。
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「どういうことだよ……本当にあいつが彼岸花なら、上にどう報告すりゃいい?」
残された穂泉は、小葉紅と朱兎の関係性を推測しかねて困惑していた。
彼岸花を追う側の立場である小葉紅が、彼岸花を連れて逃げ出すなど。何か事情があるに違いないが、この状況をどう整理すればよいのか見当もつかない。
「せんぱぁい……何で置いて行っちゃうんですかぁ……」
息を切らした後輩の琥桜が、いつのまにか店内に入って来て穂泉の背後にいた。成人男性とは思えないくらい虚弱な体だな、と穂泉は舌打ちをする。これまでどれだけ甘やかされて育ったのだろうかと言いたくなってしまう、
「クソ……とりあえず追うぞ。っとと…………」
突然の眩暈に、穂泉は立ちくらみを覚える。
「えっ、大丈夫ですか先輩。貧血ですか?」
「イヤ、何でもない。昔からよくあるんだ……」
「ちゃんと寝てます? 夢見が悪いとか?」
「俺はガキの頃から夢は見ないんだよ」
「ええっ、そんな人間いるんですか?」
そんなことを言い合いながら、小葉紅たちの残したスイーツの支払いを終える。しかし店を出た時には、人ごみで彼女がどこへ行ったのかなんて分かりもしない。
ここは一旦本部に戻って小葉紅の居場所を追跡してもらうのが最善かと思われるが、如何せん彼岸花と一緒に行動していたことが気になる。変な誤解を生んで、事態が複雑なことにならないといいのだが。




