クソゲー世界、最初のバグは神様の胸でした
「あー、クソゲーだな」
――世界が反転する。
人々の悲鳴が、壊れた街に響き渡っていた。
気付いたら、俺――黒羽律は、崩落音と怒号のど真ん中に立っていた。
目の前では、天変地異が起きている。
文字通り、世界が逆さまになるのを、俺は初めて見たかもしれない。
「日本じゃないな」
どう考えても日本とは思えない街並み。
見慣れない石造りの建物。妙に広い通り。空に浮かぶ、意味のわからない紋章。
本来ならじっくり観光でもしたいところだが、どうやらそんな時間はなさそうだった。
なにせ、その見たこともない街並みが、奥からめくれ上がって、反転していく。
地面が裏返り、建物が根元から剥がれ、空へと落ちていく。
逃げ惑う人々とすれ違いながら、俺は一歩、前に進んだ。
「あんた! 何してるの!」
すれ違ったおばちゃんが、俺の手を引いた。
おばちゃんというのは、どんな場所でもお節介なものらしい。
そして、どうやら言語は通じるのか。
「これ、どういう状況?」
俺は反転が起きている側を指差して、呑気に質問した。
「だるまさんがころんだの神様の呪いだよ!」
だるまさんがころんだ。
聞き慣れた単語に、俺は眉をひそめる。
だるまさんがころんだって、昔、遊んだあれだよな?
おばちゃんは説明してくれたつもりなのだろうが、全然説明になっていない。
「なるほど。何もわからん」
俺はそう呟いてから、大丈夫だと告げ、おばちゃんに逃げるよう促した。
逃げたほうがいい。
それは、わかっている。
だが、なぜか。
呼ばれている気がした。
俺はめくれ上がっていく世界に向けて、歩みを進めていく。
――そして、気付いた。
めくれ上がる大地。
倒壊していく建物。
悲鳴を上げるように軋む空間。
そのあちこちに、何らかの記号が浮かんでいる。
文字の羅列。
意味不明な構文。
規則性のない断片。
その形が、うんざりするほど見飽きたプログラミングのコードに見えて、俺は心底うんざりした。
ついに、コードの幻覚まで見えるようになってきたか。
デバッガー。
それが、俺の仕事だった。
ありとあらゆるバグを探すために、日夜身を削りながら戦う仕事。
そういえば、バグ報告だけで百科事典が編める規模のプロジェクトに放り込まれていた気がする。
あれ、どうなったんだっけ。
まあいい。
自慢じゃないが、俺にはデバッガーとしての才能があると自負している。
大量の情報の中から、バグという違和感を察知する才能。
それは、こんな世界でも活きるらしい。
さっきから、違和感で体がぞくぞくしっぱなしだった。
なんだ、このバグだらけのコードは。
周囲に浮かぶコードは読めない。
意味もわからない。
使われている言語も、構造も、何ひとつ理解できない。
だが、今までのデバッガーとしての経験値が、否応なしに違和感だけをあぶり出していた。
そこじゃない。
その条件分岐はおかしい。
その処理順、逆だろ。
その参照先、壊れてるだろ。
直せんのか、これ。
俺は試しに、近くに流れているコードの羅列に手を伸ばした。
指先が、文字列に触れる。
――瞬間。
世界が、ビクッと震えた。
「っ……!」
指先に焼けるような痛みが走る。
まるで神経に直接、電流を流されたみたいだった。
だが、触れたコードの一部が白く光る。
違和感の中心。
そこだけが、他の文字列よりもはっきりと見えた。
俺は歯を食いしばりながら、そこを書き換えるように指を動かした。
文字が、別の記号へと変換される。
同時に、めくれ上がっていた大地が、ぎぎ、と不自然な音を立てて止まった。
空へ落ちていくはずだった建物の瓦礫が、宙で静止する。
逃げ惑う人々が、呆然とこちらを見た。
俺は、自分の指先を見る。
少し焦げていた。
痛い。
かなり痛い。
だが、それ以上に。
「……マジか」
目の前で起きている事象と、コードの関係性。
そのふたつが、俺の中で一本の線につながった。
コードを直したから、世界の異常が止まった。
いや、正確には。
この世界の異常は、コードとして見えている。
俺は、思わず笑みを浮かべた。
ここがどこかは知らない。
どうして俺がここにいるのかも知らない。
だが、ひとつだけわかった。
この世界は、バグっている。
なら、俺の仕事だ。
「……なるほど。クソゲーだけど、デバッグはできるわけか」
デバッガーの血が騒いだ俺は、次の違和感を探して、崩壊する世界の奥へと歩き出した。
ーーーーーーーーーー
ゆらゆら、と。
ゆりかごに揺られているような。
優しさに包まれているような。
そんな感覚の中に、私はいた。
「緋毬様! お気をたしかに!」
聞こえるのは、私に付き従う従者の声。
朦朧とする意識の中、瞳に映るのは倒壊していく屋敷の室内。
畳がめくれ、柱が軋み、調度品が荒れ狂うように転げ回る。
世界が、ひっくり返っていく。
――ああ、いけない。止めないと。
これは、私が起こしているものだ。
その認識だけは、はっきりとあった。
だるまさんがころんだの神である、この私が。
けれど、止めようにも身体が動かない。
指一本動かすことすらできず、意識は遠のくばかり。
そこでようやく気付いた。
私の身体そのものが、巨大なだるまに成り代わっていっているのだ。
――だめ。みんな、逃げて。
私を慕い、ついてきてくれた者たちがいる。
みんな屋敷に残り、私を助けようとしてくれている。
けれど、誰も私に触れることができない。
近づくことさえ、許されない。
これは、だるまさんがころんだの神として生まれ落ちた私が背負う業。
触れられることは、だるまさんがころんだにおける最大の禁忌。
誰も、私に触れることはできない。
慕ってくれる者たちと触れ合うことも。
温もりを感じることも。
手を取ることさえできない。
そんな最悪の呪いに、私はずっと耐えてきた。
それなのに。
今度は、それでも私についてきてくれた人たちすら奪おうというのか。
――もう、それならいっそ。
私の思考が、最悪のシナリオを選ぼうとした、その時だった。
「なんだこりゃ」
間の抜けた声が、屋敷の中に響いた。
朦朧とした意識のまま視線を向けると、そこには見知らぬ少年が立っていた。
少し目が死んでいるのが気になった。
気になったが、それ以上に、彼は何かをぶつぶつと呟いている。
いや、それよりも――。
反転が、止まった?
自分ではどうしても制御できなかった反転の力が、いつの間にか収まっている。
従者たちも床に尻餅をついたまま、唖然としていた。
「ふむ。なるほどね。だいたい仕組みはわかってきた」
少年はひとり納得したように頷くと、巨大なだるまと化した私を見上げた。
「それにしても、でかいだるまだな」
ふむふむ、と言いながら、少年はまっすぐこちらへ近づいてくる。
「これが一番ひどいバグだな」
そう言って、少年が私に手を伸ばした。
――だめ。危ない!
だるまさんがころんだの呪いは、私に触れる者を許さない。
触れようとした手を弾き、切断し、ねじ曲げる。
それは私の意思では止められない、神としての絶対のルール。
けれど、私にはそれを伝える手段がない。
従者の何人かが少年を止めようと立ち上がる。
だが、間に合わない。
ぴと。
少年の指先が、私に触れた。
次の瞬間。
私を取り込んでいた巨大なだるまが、内側から弾け飛んだ。
「え?」
何が起きたのか、まったくわからなかった。
ただ、私を苦しめていた忌まわしい力が、この少年によって吹き飛ばされたのだと、なぜか理解できた。
あまりの出来事に言葉を失っていると、目の前の少年も同じように目を丸くしていた。
その理由は、すぐにわかった。
ふに。
今まで感じたことのない感触。
おそるおそる視線を下げる。
すると、剥き出しになった私の胸元に、少年の手が触れていた。
「待った! わざとじゃ――!」
パシーン、と。
屋敷の中に、乾いた音が響き渡った。
なぜ、私に触ることができたのか。
この少年は何者なのか。
どうして、私の呪いを壊せたのか。
色々な考えが、頭の中を駆け巡る。
ただ。
初めて感じた誰かの温もりは、思っていたよりも悪いものではなかった。
場所は、ともかく。
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