表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
12/37

1-12

 父王に呼ばれたのは、夕刻だった。


 謁見の間ではなく、王城西棟の小さな執務室。

 公式の場ではない、家族と重臣のあいだに位置する、あの部屋だ。


 レオンハントとエリオスは並んで立っていた。

 距離は近いが、立ち方は対照的だった。


 レオンハントは背筋を伸ばし、視線を正面に据えている。

 いつものように、状況を受け止める準備ができている顔だ。


 一方のエリオスは、ほんのわずか肩の力を抜いていた。

 緊張していないわけではない。ただ、構えすぎないことを選んでいる。


「楽にしなさい」


 父王はそう言ってから、書類の束を机に置いた。

 声は低く、穏やかだった。


「叱責のために呼んだわけではない」


 エリオスは小さく息を吐いた。

 レオンハントは一礼する。


「先日の件について、だな」


 父王の視線が、二人を順にとらえる。


「隣国の船団をめぐる判断。

 あれは、王国として"介入しない"という結論に落ち着いた」


「はい」


 答えたのはレオンハントだった。

 短く、しかし曖昧さのない声。


「異論はないか?」


 一瞬の沈黙。


 エリオスは、答えるべきか迷った末、口を開いた。


「判断としては、合理的だったと思います」


 言葉を選びながら、続ける。


「介入すれば、我が国が内紛に引きずり込まれる可能性が高かった。

 それは、事実です」


 父王は頷いた。


「だが」


 エリオスは、そこで言葉を切った。


「……それでも、救えた命があったかもしれない、と考えてしまいます」


 レオンハントが、ちらりと弟を見る。

 止めもしなければ、促しもしない。


 父王は、すぐには答えなかった。

 代わりに、椅子に深く腰掛ける。


「正しい問いだ」


 しばらくして、そう言った。


「そして、答えの出ない問いでもある」


「では、父上は……」


 今度はレオンハントが尋ねた。


「後悔なさっていませんか?」


 父王は、少しだけ笑った。


「後悔はする。常にだ」


 意外でも何でもないように、そう言う。


「だがな、レオンハント。

 後悔と、判断の是非は、必ずしも同じではない」


 言葉が、部屋に静かに落ちた。


「王の仕事は、"最善"を選ぶことではない。

 "最悪を避ける"ことだ」


 レオンハントは、ゆっくりと頷いた。


 エリオスは、視線を伏せる。


「エリオス」


 名を呼ばれ、顔を上げる。


「お前は、よく見ていた。

 あのとき、最初に異変に気づいたのは、お前だな」


「はい」


「そのことで、より思うこともあろう」


 父王の声には、優しさと強さが混在していた。


「見ることと、背負うことは違う。

 その違いを、これから学べ」


 エリオスは、唇を噛みしめた。


 レオンハントが、静かに言う。


「父上。弟は、自分を責めすぎているように見えます」


「知っている」


 父王は即答した。


「だからこそ、私は口を出しすぎない」


 二人を交互に見る。


「失敗も、迷いも、

 王になる前に、存分に経験しておけ」


 その言葉は、命令ではなかった。

 祈りに近かった。


---


 執務室を出ると、廊下には人の気配がなかった。

 夕刻の城は静かで、遠くから聞こえるのは、衛兵の靴音だけだ。


「……思ったより、優しかったな」


 先に口を開いたのは、エリオスだった。

 半分は冗談めかしているが、半分は本音だ。


「父上は、ああいう方だよ」


 レオンハントは苦笑する。


「厳しいことを言うときほど、

 本当は、こちらの覚悟を信じている」


「兄上は、最初からそう思えていた?」


 エリオスが横を見る。


「いや」


 即答だった。


「思えなかった時期のほうが、長い」


 エリオスは少し驚いた顔をした。


「兄上でも?」


「むしろ、私だからだ」


 レオンハントは立ち止まり、窓の外を見た。

 城下には、いつもの暮らしが広がっている。


「判断する立場に近いほど、

 間違えたときの重さが、先に見えてしまう」


 エリオスは、黙って聞いていた。


「だから、父上の言葉は」


 レオンハントは言葉を探し、少し考えてから続ける。


「"今は迷っていい"という許可だと思っている」


 エリオスは、ふっと笑った。


「兄上らしい解釈だ」


「そうか?」


「うん。

 でも、少し羨ましい」


「何が?」


「兄上は、迷いながらでも前に進もうとする」


 エリオスは、手すりに軽く肘をついた。


「僕は……

 見てしまったことばかりが、頭に残る」


 沈黙が落ちる。


 だが、それは重たいものではなかった。


「それでいい」


 レオンハントは、静かに言った。


「お前が見たものは、

 私が判断するときの、支えになる」


 エリオスは目を見開き、兄を見る。


「負担にならない?」


「なるさ」


 レオンハントは、あっさりと答えた。


「だが、王とはそういうものだ」


 少し間を置いて、続ける。


「だから私は、

 お前が隣にいてくれて助かっている」


 エリオスは、しばらく何も言えなかった。


「兄上はずるい」


「そうか?」


「そうやって、簡単に責任を引き受ける」


「簡単ではない」


 レオンハントは笑った。


「ただ、逃げるのが下手なだけだ」


 エリオスも、つられて笑う。


「じゃあ僕は、逃げる役をやろうかな」


「それも必要だ」


 真面目な声だった。


「逃げ道を知っている者がいない王国は、

 いつか必ず、行き止まりに突き当たる」


 エリオスは、肩の力が抜けるのを感じた。


「……僕は、王に向いていないよ」


 ぽつりと、言う。


「そう思ってるかもしれないと思ったよ」


 レオンハントは、即答した。


「だが、王の資質は多面的なんじゃないかな」


 双子は、再び歩き出す。


「兄上自身は向いてると思う?」


「私は、向いていないと思いながら、

 引き受けてしまう人間だ」


 エリオスは、くすりと笑った。


「双子なのに、考え方がいろいろ違う」


「だから、ちょうどいい」


 夕暮れが、廊下を橙色に染めていく。


 二人は並んで歩きながら、

 まだ答えの出ない未来を、それぞれの形で抱えていた。


 だが、少なくとも今は――

 同じ歩幅で、同じ方向へ進んでいる。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ