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父王に呼ばれたのは、夕刻だった。
謁見の間ではなく、王城西棟の小さな執務室。
公式の場ではない、家族と重臣のあいだに位置する、あの部屋だ。
レオンハントとエリオスは並んで立っていた。
距離は近いが、立ち方は対照的だった。
レオンハントは背筋を伸ばし、視線を正面に据えている。
いつものように、状況を受け止める準備ができている顔だ。
一方のエリオスは、ほんのわずか肩の力を抜いていた。
緊張していないわけではない。ただ、構えすぎないことを選んでいる。
「楽にしなさい」
父王はそう言ってから、書類の束を机に置いた。
声は低く、穏やかだった。
「叱責のために呼んだわけではない」
エリオスは小さく息を吐いた。
レオンハントは一礼する。
「先日の件について、だな」
父王の視線が、二人を順にとらえる。
「隣国の船団をめぐる判断。
あれは、王国として"介入しない"という結論に落ち着いた」
「はい」
答えたのはレオンハントだった。
短く、しかし曖昧さのない声。
「異論はないか?」
一瞬の沈黙。
エリオスは、答えるべきか迷った末、口を開いた。
「判断としては、合理的だったと思います」
言葉を選びながら、続ける。
「介入すれば、我が国が内紛に引きずり込まれる可能性が高かった。
それは、事実です」
父王は頷いた。
「だが」
エリオスは、そこで言葉を切った。
「……それでも、救えた命があったかもしれない、と考えてしまいます」
レオンハントが、ちらりと弟を見る。
止めもしなければ、促しもしない。
父王は、すぐには答えなかった。
代わりに、椅子に深く腰掛ける。
「正しい問いだ」
しばらくして、そう言った。
「そして、答えの出ない問いでもある」
「では、父上は……」
今度はレオンハントが尋ねた。
「後悔なさっていませんか?」
父王は、少しだけ笑った。
「後悔はする。常にだ」
意外でも何でもないように、そう言う。
「だがな、レオンハント。
後悔と、判断の是非は、必ずしも同じではない」
言葉が、部屋に静かに落ちた。
「王の仕事は、"最善"を選ぶことではない。
"最悪を避ける"ことだ」
レオンハントは、ゆっくりと頷いた。
エリオスは、視線を伏せる。
「エリオス」
名を呼ばれ、顔を上げる。
「お前は、よく見ていた。
あのとき、最初に異変に気づいたのは、お前だな」
「はい」
「そのことで、より思うこともあろう」
父王の声には、優しさと強さが混在していた。
「見ることと、背負うことは違う。
その違いを、これから学べ」
エリオスは、唇を噛みしめた。
レオンハントが、静かに言う。
「父上。弟は、自分を責めすぎているように見えます」
「知っている」
父王は即答した。
「だからこそ、私は口を出しすぎない」
二人を交互に見る。
「失敗も、迷いも、
王になる前に、存分に経験しておけ」
その言葉は、命令ではなかった。
祈りに近かった。
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執務室を出ると、廊下には人の気配がなかった。
夕刻の城は静かで、遠くから聞こえるのは、衛兵の靴音だけだ。
「……思ったより、優しかったな」
先に口を開いたのは、エリオスだった。
半分は冗談めかしているが、半分は本音だ。
「父上は、ああいう方だよ」
レオンハントは苦笑する。
「厳しいことを言うときほど、
本当は、こちらの覚悟を信じている」
「兄上は、最初からそう思えていた?」
エリオスが横を見る。
「いや」
即答だった。
「思えなかった時期のほうが、長い」
エリオスは少し驚いた顔をした。
「兄上でも?」
「むしろ、私だからだ」
レオンハントは立ち止まり、窓の外を見た。
城下には、いつもの暮らしが広がっている。
「判断する立場に近いほど、
間違えたときの重さが、先に見えてしまう」
エリオスは、黙って聞いていた。
「だから、父上の言葉は」
レオンハントは言葉を探し、少し考えてから続ける。
「"今は迷っていい"という許可だと思っている」
エリオスは、ふっと笑った。
「兄上らしい解釈だ」
「そうか?」
「うん。
でも、少し羨ましい」
「何が?」
「兄上は、迷いながらでも前に進もうとする」
エリオスは、手すりに軽く肘をついた。
「僕は……
見てしまったことばかりが、頭に残る」
沈黙が落ちる。
だが、それは重たいものではなかった。
「それでいい」
レオンハントは、静かに言った。
「お前が見たものは、
私が判断するときの、支えになる」
エリオスは目を見開き、兄を見る。
「負担にならない?」
「なるさ」
レオンハントは、あっさりと答えた。
「だが、王とはそういうものだ」
少し間を置いて、続ける。
「だから私は、
お前が隣にいてくれて助かっている」
エリオスは、しばらく何も言えなかった。
「兄上はずるい」
「そうか?」
「そうやって、簡単に責任を引き受ける」
「簡単ではない」
レオンハントは笑った。
「ただ、逃げるのが下手なだけだ」
エリオスも、つられて笑う。
「じゃあ僕は、逃げる役をやろうかな」
「それも必要だ」
真面目な声だった。
「逃げ道を知っている者がいない王国は、
いつか必ず、行き止まりに突き当たる」
エリオスは、肩の力が抜けるのを感じた。
「……僕は、王に向いていないよ」
ぽつりと、言う。
「そう思ってるかもしれないと思ったよ」
レオンハントは、即答した。
「だが、王の資質は多面的なんじゃないかな」
双子は、再び歩き出す。
「兄上自身は向いてると思う?」
「私は、向いていないと思いながら、
引き受けてしまう人間だ」
エリオスは、くすりと笑った。
「双子なのに、考え方がいろいろ違う」
「だから、ちょうどいい」
夕暮れが、廊下を橙色に染めていく。
二人は並んで歩きながら、
まだ答えの出ない未来を、それぞれの形で抱えていた。
だが、少なくとも今は――
同じ歩幅で、同じ方向へ進んでいる。




