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王城の朝は、静かな確認作業から始まる。
鐘の音、回廊を行き交う足音、報告書の束。
そして――王子たちの様子。
侍従長ベレンドールは、今日も少し離れた位置から双子を見ていた。
近づきすぎない。
声をかけすぎない。
それが、父王から与えられた明確な指示だった。
――過保護にするな。
――失敗は、王になる者の糧だ。
命令というより、覚悟の共有に近かった。
まず、レオンハント。
第一王子。兄。
彼は中庭で、若い官吏と話している。
身振りは控えめだが、相手の言葉を遮らない。
時折、短くうなずき、要点を繰り返す。
「つまり、手続きが煩雑なのではなく、伝達が遅れている、と」
官吏が驚いたように顔を上げる。
理解された、と分かる表情だ。
ベレンドールは、内心で小さく息を吐いた。
(失敗のあと、人に向かう)
港での一件以来、レオンハントは明らかに変わっていた。
言葉を慎重に選び、結論を急がない。
それでいて、逃げない。
次に、エリオス。
第二王子、弟。
彼は北塔の方向から戻ってくるところだった。
手には本。
高所で読む癖は、相変わらずだ。
「エリオス殿下」
声をかけると、彼はすぐに足を止めた。
「侍従長。何か?」
「いえ。ただ、お顔色が少し」
「……考え事をしていました」
それ以上は語らない。
だが、視線はどこか遠い。
(王の決断の重さが、こたえているか)
それは祝福でも、罰でもない。
ただの事実だ。
二人が揃う機会は、意外と少ない。
意図して避けているわけではない。
自然と、歩く方向が違っていく。
この日、昼前の回廊で偶然、二人は鉢合わせた。
「兄上」
「エリオス」
短い挨拶。
それだけで終わるかと思ったが、レオンハントが足を止めた。
「最近、眠れているか?」
唐突な問いだった。
「まあ、それなりに」
エリオスは曖昧に答える。
「無理はするな。考えすぎると、視野が狭くなる」
「兄上は、考えなさすぎでは?」
思わず、といった調子で返した言葉に、
レオンハントは少しだけ笑った。
「そうかもしれない。だから、人に聞く」
ベレンドールは、そのやり取りを黙って聞いていた。
兄は、人の中に答えを探す。
弟は、自分の中に沈み込む。
どちらも、間違いではない。
だが、王に必要なのは――。
「午後の講義は?」
レオンハントが話題を変える。
「出ます。……逃げる理由が、見当たりませんから」
その言葉に、兄は一瞬、真剣な顔をした。
「それでいい」
それ以上、何も言わなかった。
二人は別々の方向へ歩き出す。
背中が、少しずつ離れていく。
ベレンドールは、その光景を胸に刻む。
(王は、選び続けねばならない)
そして、失敗を恐れずに立ち続ける者だけが、
その重さに耐えられる。
父王の言葉が、静かに蘇った。
――見守れ。
――手を出すな。
――王は、育てるものではない。
ベレンドールは、今日も何も言わない。
それが、彼に与えられた最も重い役目だった。
午後、王城の執務棟は静まり返っていた。
書類の擦れる音と、羽根ペンの走る音だけが、時間を刻んでいる。
ベレンドールは机に向かいながらも、
意識の一部を、常に王子たちに残していた。
それは職務というより、習慣に近い。
彼は長く、この城に仕えてきた。
王を見てきた。
王になれなかった者も、見てきた。
そして今、二人の王子を見ている。
(手を出せば、楽になる)
教えることも、導くこともできる。
失敗の芽を摘み、遠回りをさせずに済ませることもできる。
だが、それをしてはならない。
――失敗は、成長の糧だ。
父王の言葉は、冷たい命令ではなかった。
それは、王という役割を知る者の、祈りに近かった。
ベレンドールは、静かに立ち上がり、回廊へ向かった。
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中庭では、レオンハントが剣の稽古をしていた。
動きは派手ではないが、無駄がない。
打ち込むたびに、わずかに修正を加えている。
「……今のは、踏み込みが浅いな」
自分に言い聞かせるような独り言。
誰かに褒められるためではない。
ただ、昨日より今日、今日より明日を良くするため。
(努力を、疑わない者)
ベレンドールは、胸の奥が少し温かくなるのを感じた。
一方、北塔ではエリオスが書を閉じ、空を見上げていた。
風に髪を揺らしながら、しばらく何もせずに立っている。
(考え続ける者)
恐れを知り、重さを知り、
それでも逃げ切れない誠実さを持っている。
(だからこそ、苦しい)
ベレンドールは、その背に声をかけなかった。
励ましも、慰めも、今は不要だと分かっていた。
彼らは、それぞれの速度で、
それぞれの問いに向き合っている。
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夕刻、報告を終えたベレンドールは、王城の窓辺に立った。
西の空が、ゆっくりと朱に染まっていく。
(私は、何を成すべきか)
答えは、昔から変わらない。
選ばないこと。
導かないこと。
それでも、見捨てないこと。
王にならぬ者の役割は、
王になろうとする者が折れぬよう、
ただ、立ち続けることだ。
失敗を糧に変えるか、
重さに潰されるか――
それを決めるのは、王子自身。
ベレンドールは、深く息を吸い、吐いた。
(どちらが王になるとしても)
(この国は、簡単には倒れない)
なぜなら、
努力する者と、恐れる者、
その両方が、ここにいる。
それを見守れることを、
彼は誇りに思っていた。
やがて鐘が鳴り、夜が訪れる。
ベレンドールは、いつもの位置へ戻る。
一歩引いた場所から、
今日も変わらず、双子を見守るために。
それが彼の忠誠であり、
一生をかけて果たすと決めた、ただ一つの役目だった。




