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1-11

 王城の朝は、静かな確認作業から始まる。

 鐘の音、回廊を行き交う足音、報告書の束。

 そして――王子たちの様子。


 侍従長ベレンドールは、今日も少し離れた位置から双子を見ていた。

 近づきすぎない。

 声をかけすぎない。

 それが、父王から与えられた明確な指示だった。


 ――過保護にするな。

 ――失敗は、王になる者の糧だ。


 命令というより、覚悟の共有に近かった。


 まず、レオンハント。

 第一王子。兄。


 彼は中庭で、若い官吏と話している。

 身振りは控えめだが、相手の言葉を遮らない。

 時折、短くうなずき、要点を繰り返す。


「つまり、手続きが煩雑なのではなく、伝達が遅れている、と」


 官吏が驚いたように顔を上げる。

 理解された、と分かる表情だ。


 ベレンドールは、内心で小さく息を吐いた。


(失敗のあと、人に向かう)


 港での一件以来、レオンハントは明らかに変わっていた。

 言葉を慎重に選び、結論を急がない。

 それでいて、逃げない。


 次に、エリオス。

 第二王子、弟。


 彼は北塔の方向から戻ってくるところだった。

 手には本。

 高所で読む癖は、相変わらずだ。


「エリオス殿下」


 声をかけると、彼はすぐに足を止めた。


「侍従長。何か?」


「いえ。ただ、お顔色が少し」


「……考え事をしていました」


 それ以上は語らない。

 だが、視線はどこか遠い。


(王の決断の重さが、こたえているか)


 それは祝福でも、罰でもない。

 ただの事実だ。


 二人が揃う機会は、意外と少ない。

 意図して避けているわけではない。

 自然と、歩く方向が違っていく。


 この日、昼前の回廊で偶然、二人は鉢合わせた。


「兄上」


「エリオス」


 短い挨拶。

 それだけで終わるかと思ったが、レオンハントが足を止めた。


「最近、眠れているか?」


 唐突な問いだった。


「まあ、それなりに」


 エリオスは曖昧に答える。


「無理はするな。考えすぎると、視野が狭くなる」


「兄上は、考えなさすぎでは?」


 思わず、といった調子で返した言葉に、

 レオンハントは少しだけ笑った。


「そうかもしれない。だから、人に聞く」


 ベレンドールは、そのやり取りを黙って聞いていた。


 兄は、人の中に答えを探す。

 弟は、自分の中に沈み込む。


 どちらも、間違いではない。

 だが、王に必要なのは――。


「午後の講義は?」


 レオンハントが話題を変える。


「出ます。……逃げる理由が、見当たりませんから」


 その言葉に、兄は一瞬、真剣な顔をした。


「それでいい」


 それ以上、何も言わなかった。


 二人は別々の方向へ歩き出す。

 背中が、少しずつ離れていく。


 ベレンドールは、その光景を胸に刻む。


(王は、選び続けねばならない)


 そして、失敗を恐れずに立ち続ける者だけが、

 その重さに耐えられる。


 父王の言葉が、静かに蘇った。


 ――見守れ。

 ――手を出すな。

 ――王は、育てるものではない。


 ベレンドールは、今日も何も言わない。

 それが、彼に与えられた最も重い役目だった。


 午後、王城の執務棟は静まり返っていた。

 書類の擦れる音と、羽根ペンの走る音だけが、時間を刻んでいる。


 ベレンドールは机に向かいながらも、

 意識の一部を、常に王子たちに残していた。


 それは職務というより、習慣に近い。

 彼は長く、この城に仕えてきた。

 王を見てきた。

 王になれなかった者も、見てきた。


 そして今、二人の王子を見ている。


(手を出せば、楽になる)


 教えることも、導くこともできる。

 失敗の芽を摘み、遠回りをさせずに済ませることもできる。


 だが、それをしてはならない。


 ――失敗は、成長の糧だ。


 父王の言葉は、冷たい命令ではなかった。

 それは、王という役割を知る者の、祈りに近かった。


 ベレンドールは、静かに立ち上がり、回廊へ向かった。


---


 中庭では、レオンハントが剣の稽古をしていた。

 動きは派手ではないが、無駄がない。

 打ち込むたびに、わずかに修正を加えている。


「……今のは、踏み込みが浅いな」


 自分に言い聞かせるような独り言。


 誰かに褒められるためではない。

 ただ、昨日より今日、今日より明日を良くするため。


(努力を、疑わない者)


 ベレンドールは、胸の奥が少し温かくなるのを感じた。


 一方、北塔ではエリオスが書を閉じ、空を見上げていた。

 風に髪を揺らしながら、しばらく何もせずに立っている。


(考え続ける者)


 恐れを知り、重さを知り、

 それでも逃げ切れない誠実さを持っている。


(だからこそ、苦しい)


 ベレンドールは、その背に声をかけなかった。

 励ましも、慰めも、今は不要だと分かっていた。


 彼らは、それぞれの速度で、

 それぞれの問いに向き合っている。


---


 夕刻、報告を終えたベレンドールは、王城の窓辺に立った。

 西の空が、ゆっくりと朱に染まっていく。


(私は、何を成すべきか)


 答えは、昔から変わらない。


 選ばないこと。

 導かないこと。

 それでも、見捨てないこと。


 王にならぬ者の役割は、

 王になろうとする者が折れぬよう、

 ただ、立ち続けることだ。


 失敗を糧に変えるか、

 重さに潰されるか――

 それを決めるのは、王子自身。


 ベレンドールは、深く息を吸い、吐いた。


(どちらが王になるとしても)


(この国は、簡単には倒れない)


 なぜなら、

 努力する者と、恐れる者、

 その両方が、ここにいる。


 それを見守れることを、

 彼は誇りに思っていた。


 やがて鐘が鳴り、夜が訪れる。


 ベレンドールは、いつもの位置へ戻る。

 一歩引いた場所から、

 今日も変わらず、双子を見守るために。


 それが彼の忠誠であり、

 一生をかけて果たすと決めた、ただ一つの役目だった。



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