第10章12節: リリアとの対話、それは日常の中のヒント
翌日、まだ少し夜空の現象の興奮と、深い思索の余韻が残る中、リリアが訪ねてきた。手には、彼女が焼いたらしい、以前よりいくらかふっくらとしたパンが握られている。
「ハルカさん、昨日の夜、空が光ってたの見た? すごく綺麗だったね!」
どうやら、あの現象は私だけでなく、村の他の人々も目撃したらしい。
「ああ、見た。興味深い現象だったな。原因はまだ不明だが」
「原因? 何か悪いことの前触れじゃなきゃいいんだけど……」
不安げなリリアに、私は「おそらくただの自然現象だろう。心配はいらない」と根拠は薄弱だが、安心させるように言った。
リリアはパンを差し出しながら、村での他愛のない出来事を話し始めた。カイが新しい遊びを覚えたこと、ジェイドが狩りで大きな獲物を仕留めたこと、ボルガンが若者たちに稽古をつけていること。
その話を聞いているうちに、私の頭の中に、ふと新たな視点が浮かんだ。
私が追求しているのは、普遍的な法則や根源的な問いだ。
だが、世界とは、そのようなマクロな視点だけで成り立っているわけではない。目の前にある日常、人々のささやかな営み、その一つ一つにも、世界を理解するためのヒントが隠されているのではないか?
例えば、村人たちが料理に工夫を凝らすプロセス。
それは、試行錯誤と経験則による、ミクロなレベルでの「法則発見」と言えるのではないか? ボルガンが若者に伝える戦闘技術。それは、身体の動かし方や状況判断における、実践的な「合理性」の追求ではないか? カイが新しい遊びを覚える過程。それは、学習と適応という、生命の基本的な「原理」の現れではないか?
「リリア、君は、なぜ料理をするのだ?」
私は唐突に尋ねてみた。リリアはきょとんとした顔をしたが、すぐに笑顔で答えた。
「え? だって、美味しいものを作ってみんなで食べたら、《《嬉しいし、楽しいから》》!」
嬉しい、楽しい。
なんとシンプルで、そして根源的な答えだろうか。
私の探求心とは異なる、しかし同じくらい強い動機。
そこにもまた、生命の在り方の一つの側面があるのかもしれない。




