第81話 アクティの行方
領館の大広間の扉が、急に開け放たれた。
夕陽に照らされて、血まみれの姿で駆け込んできたのは――セリカだった。
髪は乱れ、衣服は泥と血で汚れ切っている。頭から滴る血が床に点々と落ち、彼女の息は荒く、目は涙でぐしゃぐしゃに濡れていた。
「ア、アクティ様が……! アクティ様がっ……!」
叫び声とともに、彼女はその場に崩れ落ちるように膝をついた。
ヴェゼルが即座に駆け寄り、セリカの肩を支える。
「落ち着いて、セリカさん! 一体何があった!?」
問いかけるが、セリカは嗚咽で声にならない。
オデッセイが水差しを持ってきて、口元に当てると、ようやくセリカは震える唇で途切れ途切れに語り出した。
――その日、アクティが「村のモールに買い物に行きたい」とせがんだこと。
普段は必ず従者がつくが、その時間に限って手が足りず、セリカ一人に任せられたこと。
セリカ自身、かつてカムリと冒険者をしていた経験から、「自分なら護れる」と思い、引き受けたこと。
「……ルークスさんとも途中で会いました。少し話して、別れたんです。でも……その後でした。雑貨屋を出て、横道に入った途端に――」
セリカの声は震え、拳をぎゅっと握る。
「いきなり……五人以上の男たちに囲まれて……頭を殴られて……私は気を失って……目を覚ましたら……アクティ様が、いなかったんです!」
そこまで言うと、セリカは声を張り上げて泣き崩れた。
「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさいっ! 私が、私が一緒にいたのに……!」
床に額を押し付け、血まみれのまま謝罪を繰り返す。
オデッセイの顔は真っ青になり、震える手で口元を押さえる。フリードは拳を握り、怒りを抑えきれないように肩を震わせている。その場にいたみんなが、言葉を失った。
ヴェゼルはセリカを抱き上げ、医務室へ運ぶよう指示を出す。
「医者を呼んで! 出血がひどい!」
従者たちが慌てて動き出し、カムリもすぐに駆け寄って彼女の手を握った。
「大丈夫だ、セリカ。今はもう喋るな」
セリカはなおも泣き叫び謝り続けたが、やがて血の気が引き、意識を失ってしまった。
――残された者たちは、ただ呆然とその場に立ち尽くしていた。
静まり返った大広間に、ヴェゼルの低い声が響く。
「……アクティを、さらわれた」
その言葉の重さに、皆が沈黙した。
怒りと絶望、そして恐怖が、一度に押し寄せてくる。
セリカが医務室へ運ばれ、場の空気が重く沈んでいたその時――。
大広間の扉が再び勢いよく開いた。
「大変だ!」
駆け込んできたのは、ルークスだった。顔には焦燥があり、汗と埃にまみれている。
「一度アクティ等に会ったあとに、再度セリカさんに会ったら、アクティがいなくなったと聞いて、アクティの情報を集めていたんだ!」
言葉に皆の視線が集中する。
ルークスは大きく息を整え、矢継ぎ早に報告した。
「街の商人や村民の話を総合すると――セリカが襲われたその直後だと思うけど、普段は見かけない男たちが“ずた袋”を抱えて西門に向かったらしい。五、六人の集団だ。急ぎ足で馬車に乗り込み、そのまま西門を出ていった」
「西門……」とオデッセイが息を呑む。
フリードの目が鋭く光り、低く呟いた。
「西門を出れば、サマーセット領に直通する……」
ルークスは頷き、さらに続けた。
「見回りの従者も気づいていた。奴らは、領館や貯蔵庫を下見していた形跡がある。しかも、その連中から“クリッパー”の名を耳にした者がいる」
その名が出た瞬間、場の空気がざわめいた。
ヴェゼルの脳裏に、かつての因縁がよぎる。あの侮蔑、あの憎悪――。
ルークスは力強く言い切った。
「状況証拠は十分だ。アクティはサマーセット方面に連れ去られた可能性が高い!」
その言葉に、フリードの怒りは臨界点に達しかけていた。拳を握り締めすぎて血が滲み、目には憤怒の炎が宿る。
オデッセイもまた、涙をこらえきれず机にすがりつく。
そんな中、まだ幼さを残した声が響いた。
「……僕も行きます!」
皆が振り向くと、そこに立っていたのはトレノだった。ヴェゼルの従者であり、まだ若い。だが、その瞳には決意が宿っていた。
「母上のせいにしたくない。母上の憔悴した顔を見て……僕も、少しでも役に立ちたいんです!」
必死の訴えに、場は一瞬の沈黙に包まれた。
やがて、フリードが重々しく頷いた。
「……よし。ルークスと共に行け。お前の覚悟、無駄にはさせん」
ルークスもトレノの肩を叩き、力強く言った。
「若いが勇気は本物だ。一緒に行こう」
二人は即座に出立の準備に入った。
オデッセイは母としての直感で「私も行くわ!」と叫んだ。
しかし、その時。
新たに届けられた一通の書簡が、場を凍り付かせた。
従者が読み上げる。
「……サマーセット伯爵家より、ビック領に対し――宣戦布告」
――誰もが息を呑んだ。




