第80話 楽しいあとは……
バーグマン家の夕餉は、豪勢でありながらもどこか家庭的だった。大きな暖炉の前、並べられた肉料理と香草の香りが食欲をそそる。
……のだが、その席に着いたヴェゼルは、心臓を握られた小鳥のような顔をしていた。
理由は一つ。
「第二夫人」 という単語が、侍女たちの報告によってバーグマンの耳に届いてしまったからだ。
「……ほぅ」
豪快に肉を切り分けていたバーグマンが、ゆっくりと顔を上げる。そのギロリとした視線がヴェゼルを射抜く。
(ぎゃああああ! 目が完全に処刑モードだ!!)
「婿殿」
低い声が響く。ヴェゼルは背筋を凍らせた。
「……アビーが第一夫人というのが確約されるなら、問題はない」
「えっ……?」
「逆にだ!」
バーグマンは椅子をギシリと鳴らして立ち上がり、大声で笑った。
「帝国魔法省第五席のヴァリー殿が年齢が離れているとは言え、第二夫人だと!? ははははは! 婿殿の名声はうなぎ登りになるだろう! ひいてはアビーの地位も安泰! 身の回りの安全度も爆上がりだ! 良いこと尽くめではないか!」
(え、ええぇぇぇ!? なんでそんなポジティブ解釈なの!?)
ヴェゼルは思わず首を傾げたが、バーグマンはもう上機嫌で笑い転げていた。
さらに輪をかけるように、テンプター夫人がニコリと笑う。
……その笑顔が、怖い。
「ヴェゼルさん?」
「は、はいっ!」
「貴族だからね? 複数の妻がいても別に問題ないのよ?」
「は、はぁ……」
「ただし!」
その声色が一段と低くなる。
「アビーを第一にね!」
「ひぃっ……!」
その「怖い笑い」と共に、ヴェゼルは無意識に首を縦に振っていた。
もはや抵抗する気力もなかった。
(……俺、完全に詰んでない? 六歳でハーレムルート確定って……何その無理ゲー?)
ポケットの中でサクラが「私が一番なのにー!」とモゴモゴ言っていたが、さすがに今それを口にしたら場が爆発する。
ヴェゼルは必死に無視を決め込んだ。
そのやり取りを眺めながら、バーグマンは再びどっかりと椅子に腰を下ろし、豪快に肉を頬張った。骨を噛み砕くような音を立てて咀嚼した後、酒杯を掲げる。
「そもそもだな」
一同の視線が集まる中、彼は実にあっさりと言い放った。
「将来どちらの子が家を継ぐかなど、わしはどうでもいい」
「……え?」
ヴェゼルだけでなく、侍女たちまでが一瞬言葉を失う。
「アビーが幸せで、無事に歳を重ねられるなら、それで十分だ。家名だの継承だのは、後からどうにでもなる。命と心より大事なものなど、この家にはないからな!」
どん、と自分の胸を叩き、バーグマンは豪快に笑った。
「婿殿! だから好きにやれ! ただし――」
その笑顔のまま、目だけが鋭く光る。
「アビーを泣かせたら、その時は本気で殺す。覚悟しておけよ?」
(あ、これ冗談じゃないやつだ……)ヴェゼルは、凍りついた笑みのまま全力で頷いた。
「は、はいっ! 一生かけて大切にします!」
その様子を見て、テンプター夫人とアビーが、まったく同時に小さく息をつく。
とはいえ、食卓自体は豪快で楽しいものだった。
肉の旨味に舌鼓を打ち、果実酒(子供は果実ジュース)に喉を潤す。
アビーは隣で笑い、ヴァリーは何やら計算顔で「第二でも……」とブツブツ言っている。
(……俺の未来、ほんと大丈夫なのかな)
不安は尽きなかったが、ひとまず温かい食事と賑やかな笑い声に包まれ、その夜は更けていった。
翌朝。
ヴェゼルたちはバーグマン家を辞すことになった。
門前ではアビーとしばしの別れを惜しむ。
「……また、来てね。あと手紙は一月に一通以上!」
「……うん。必ず」
短い言葉ながら、アビーの瞳は真剣だった。
ヴェゼルも胸がちくりと痛む。
(アビー……やっぱり第一夫人っていうのは、決定事項なんだな……)
そこへ、ヴァリーが泣きついてきた。
「ヴェゼル様ぁぁぁぁ! 私を捨てないでくださいぃぃぃ!」
「うわわっ!? ちょ、落ち着いて!」
「もうこの歳では! これ以上の良縁なんて無いんですぅぅぅ! だからお願い、見捨てないで!」
(切実ぅぅぅぅ!)
目を真っ赤にしたヴァリーの訴えに、ヴェゼルは言葉を詰まらせる。
「……ま、前向きに検討します」
「本当ですか!? やったぁぁぁ!」
「いやいやいや! まだ決定じゃないから!」
必死の否定も虚しく、ヴァリーは歓喜に小躍りしていた。
横でアビーが「第一は私ですけどね!」と凄みを利かせているのも怖かった。
こうして、名残惜しい別れを済ませ、ヴェゼル一行は馬車でホーネット村へ帰ることに。
数時間、車輪がガタゴトと揺れる道を進む。
途中、サクラが退屈そうに顔を出しては「ねぇねぇ、アビーちゃんと仲良くなれたのはいいけど、ヴァリーさんはどうするの?」と突っついてきた。
「うるさい、今はその話を蒸し返さないで……」
「だって気になるんだもん!」
「うるさいうるさい! ポケット閉じるぞ!」
「むぐぅぅぅ!」
馬車の中にちょっとしたドタバタが起きつつも、村が近づくにつれ、空気が変わっていった。
「……なんだか、慌ただしいな」
窓の外を眺めたヴェゼルが首を傾げる。
いつもなら穏やかな村に、人の走り回る姿、あわただしく荷を運ぶ人影、顔を曇らせた農夫たちが見えた。
(これは……ただ事じゃないぞ?)
馬車を止めると同時に、ヴェゼルは急ぎ足で屋敷に戻る。
胸騒ぎが止まらない。
屋敷の門をくぐるや否や、フリードとオデッセイ飛び出してきた。
「大変よ(だ)!」
息を切らした二人の顔は蒼白だった。ヴェゼルの心臓が、ドクンと大きく鳴る。
「な、なにがあったの!?」
「アクティが……!」
「アクティが帰ってこない!!」
その叫びが、屋敷中に響き渡った。




