第十話:生贄令嬢は黒竜の隠された能力を知る
「アルク様! こちら! こちらも召し上がってみて?」
『ちょ……す、少し落ち着け、フラン! 我はまだこの紅茶の菓子が……!』
「あっ! わ、私の分の紅茶ドーナツが……!! そちらも楽しみにしておりましたのに……!!」
瞬く間に食べてしまったハニーレモンドーナツがあまりに美味しくて、美味しくて……思わず新しいドーナツを手に取ると、紙箱に頭を突っ込んでドーナツを貪る竜の首をぺちぺちと叩いてしまった。
少しひやりとする竜の鱗は、とても硬くて…………でも、決して私の手を傷つけるものではなかった。
ちょっとはしたない言動でしたけど、この感動を共有したかったんですの。まぁ、その気持ちも、空になった紅茶ドーナツの箱を見た時に霧散してしまいましたけど……。
ショックのあまり悲鳴じみた声をあげてしまった私の気迫に押されたのか、紙箱から頭を出した竜が困ったように首を傾げる。
『む……すまぬ…………』
「…………いいえ。よく考えれば、これはアルク様への捧げものですし、何も問題はありませんでしたわね……。ご無礼を致しました……誠に申し訳ございません」
『……………………お前にそうしおらしくされると、何故か拍子抜けするな。面を上げよ、フラン。汝の謝罪を受けよう。そら、その手に持ったはにーれもんとやらも我に捧げよ』
「は、はい……幸甚の極みですわ……」
半ば困惑しつつも素直に頭を垂れた竜の言葉に、すぅっと頭の芯が冷えた。
そもそもこの菓子類は、私の助命の対価として竜に捧げるものだった……!
慌てて謝罪をしたけれど、ゆらゆらと首を揺らすアルク様が怒っている様子はない、ような……?
むしろ、何処となく笑いをこらえているような、面白がられているような気がしますわ……。
改めてハニーレモンドーナツを竜の口に放り込めば、一口で飲み込んだ後に不満気に鼻が鳴らされた。
『……しかし、こう小さい菓子だとこの身体では少々食べにくいな』
「ああ……こちらのお菓子だと、アルク様のお手にもお口にも、少々小さすぎますわね……もう少し大きいものをご用意いたしましょうか?」
『大きい菓子も気になるところではあるが、どのみち我の体躯には合わぬ大きさであろう。それならば……』
今、私が手にしているドーナツは、竜の巨体からすれば爪の先で摘まむようなサイズ感なのでしょうね。
もう少し大きいものを……と思って色々なお菓子が載ったページを眺めてみるけれど、大きなドーナツ……は……ちょっと見当たりませんわね……。
形が似ているお菓子というと、このホールのシフォンケーキ……かしら? もしくは、こちらのロールケーキも美味しそうですけど……。
そう思って画面を見せて提案をしてみたけれど、目の前の竜はゆるりと首を振るばかり……。
……確かに、こちらのお菓子も大きな竜の体躯の前には子供だましかしら……と、私がそっと息を吐いたその時。
スフィンクスのように大理石の床に体を横たえていた黒竜が、その身体をブルリと震わせた。
黒曜石の鱗に反射した青白い光が、一瞬、私の目を灼く。
次に目を開けた時、私の目の前にはまったく見知らぬ男性が、ご機嫌な様子でハニーレモンドーナツを頬張っていた。
「…………………………え……?」
「ふむ。やはりこの姿の方が、菓子を喰うには適しているか。……ん?」
「……その、こえ…………アルク様、ですの……?」
黒曜石のように艶やかな黒髪と、満月のような金色の瞳。
私よりも頭一つ半分はゆうに高い、がっしりとした体つきのその男性は、つい先ほどまで目の前にいたはずの竜と同じ色合いを持ち、同じ声で私に話しかけてきた。
私より年かさに見える精悍な顔つきではあるものの、不思議そうに首を傾げるその表情にはどことなく幼ささえ感じられる。
「……ああ、そうだが。どうした、フラン? そのような嵐の中のアヒルのような顔をして」
「あ……ひ、人間の姿にもなれる、とは……思ってもいなかったものでして……呆けてしまいまして申し訳ありません……」
「うむ。こういった菓子を喰うのであれば、竜の姿では不便だったのでな。我が眠りにつく前の人間どもの姿を真似てみたのだ」
よほど変な顔をしていたのだろう。
不思議そうな顔で首を傾げた声をかけてきた男性――その言葉を信じるのであれば、人間の姿になった黒竜様本人ということになる――の言葉に、我に返って頭を下げる。
「嵐の中のアヒルのような顔」……貞蓮の言葉で言い換えるなら、「鳩が豆鉄砲を食ったような顔」という意味合いかしら。
……思えば、ぽかんと口を開きっぱなしにして不躾に見つめていたような気もしますわ……!
淑女にあるまじき失態ですわね!!
でも、目の前の男性からは、私の無作法を気にする様子は微塵も感じられない。それどころか、「凄いだろう」と得意げな顔で胸を張っているような感さえある。
……それに、幻覚かしら……? 「褒めろ褒めろ」とブンブン振られている尻尾が見えるような気が…………。
「――――っっっ!!」
「む、すまぬ。どうもまだ制御が利かぬな」
「い、いえ……怪我はありませんでしたので……。それにしても、人間の姿にもなれるなんて……凄い能力をお持ちでしたのね」
「今まで使ったことはなかったが、存外に便利なものなのだな。この人間の姿というものは」
目を見開きかけた私の頬スレスレを、ブンブン振り回されて勢い余った尻尾が掠めていく。
どうやら、幻覚では……なかったようね……。
尻尾の暴走に気が付いたアルク様がすぐさま謝ってくれたけれど、私はもう目の前のその姿を観察するので精一杯だった。
落ち着いてもう一度目の前の男性の姿をよく見れば、その腰のあたりから鱗に覆われた太長い尻尾が生えていた。それに、背中には一対の漆黒の翼も残されたまま。
先程のアルク様の言葉を鑑みれば、サイズと造形のベースに人間の姿を利用した……という感じ……ですかしら……?
それにしても、アルク様が眠りについた時の人間の姿ということは……かなり昔、ですわよね……? どうりで服装が大時代的なものだと思いましたわ。
ケープの付いた足元までを覆うゆったりとしたローブをベルトで留めており、裾を引くほど長いマントを片方の肩から下げて……という格好は、私の感覚からすれば歴史の本でしか見たことのない古い時代の物だったもので……。
それでも、なんだかそんな服装が、アルク様の雰囲気にはよく合っている気がしますわ。
尻尾をビタビタと揺らすアルク様は、竜の時より動かしやすいのであろう手を使って、にこにこと嬉し気にドーナツを頬張っている。その姿からは、あまり威厳も何も感じられないのですけれど……。
考えようによっては、私がお取り寄せしたお菓子は姿形を変えてまで食べたいものになっていた……ということかしら?
「うむ。やはり、人間の身体は細かい動きをするには向いているとみえる」
……でもまさか、人間の身体なのにあの量のドーナツのほぼすべてを食べてしまうなんて……! お腹を壊さなければいいのですけど……。
最後のショコラドーナツを満足そうに飲み込むアルク様を見守りつつ、内心の心配を悟られまいと、私は表情筋を駆使しながらにこやかに口角を持ち上げた。




