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魔王さまが、人間ぽいのを拾ったみたいです。  作者: 冬野ゆすら
魔王が逃げて、何が悪い?
9/25

8 ああ、妖魔でも殺れるだろうな、やり方次第で

妖魔っていうのは、不老だけど不死じゃないんです。

「まあ、とりあえず行こうか」

 イーリスは立ち上がり、アーヴェントを促した。手を借りたアーヴェントだったが、周囲を見て呟く。


「ちょっと暗いな。イーリスは見えてんの?」

「ああ、別に問題ない。……ああ、それなら」

 一瞬だけ考えて、イーリスは何事かを呟いた。訝しげに自分を見る彼ににやりと笑い、一言。


「光よ」

 火球が落ちたかと思うような眩しさの光が、二人の前に現れる。アーヴェントは反射的に目を覆ったが、実は防光幕のようなものが彼の前に出来ているので、必要は無い。もちろん、それもイーリスの仕業だ。


「なにこれ?」

「お前な…熱持ってたら火傷するぞ?」

「や、熱くないし」

「なんだ、気づいていたか」

 いきなり手を伸ばしたアーヴェントには呆れたが、熱を持たない魔法の灯りであるので、別に触っても問題は無い。というか、触れない。ただし、同じようなものに見えて火球を作り出す魔法もあるので、普通はいきなり触ろうとはしないものである。熱がないことに、本当に気づいていたなら問題はないのだが――まあ怪我をしても治るし、自業自得か。


「で、だ。これが本来は、手元や足元を照らす程度の魔法だと言ったら、信じるか?」

「え、うそ? こんなん眩しすぎるだろ?」

 こんなものを手元やらに置いても、使い物になるとはとても思えない。アーヴェントはそう考えた。当然である、本来はこれほどのまばゆさなど持ち合わせていないのだから。


「”魔法”というのはな、『魔力を効率的に運用するための法則』を言葉にしたものなんだ」

 魔力とは、人間が魔素を練り上げたもの。妖魔が同じことをしてもそれは妖力となる、そういうものである。実質、同じものだと見て問題はない。ただし、とイーリスは先を続けた。


「人間が魔力を練ると効率が悪くてね。10の魔素を使って、3かそこら、せいぜいが5程度にしかならない。しかも、運用の際にも漏れ(ロス)が出る。だから少ない魔力を効率的に運用するために、“魔法”が発達したそうだ。その理論には、なかなかと学ぶところは多いぞ」

 懐かしそうに、イーリスは微笑った。

 各地を放浪していたころ知り合った中には、当然のように魔法使いもいたのである。その彼らから話を聞き、実践した結果としていまの話が出来るのだ。

 ちなみに妖魔の場合は、1の魔素を1の妖力に練成出来るし、漏れ(ロス)もないから効率を考える者は珍しい。本来の妖力が使えなくなったイーリスだからこそ、重用するのである。

 ふむふむと聞いていたアーヴェントだったが、ふと疑問を覚えた。「少ない魔力を効率的に」、という理念であれば、……先のあれは?


「さっきの魔法は、『少ない魔力で如何にして最大限の効果を出すか』という理念に基づくらしい」

「攻撃魔法かよ!?」

 あはは、とイーリスが笑う。実際、その話を聞いたときは自身も噛み付いたのだ。教えた当人も苦笑していたが、その後の一言で引き下がるしかなかったのである。ずいぶんと懐かしい話だよ、と。


「流派がいろいろあるそうだ。私に魔法を教えた人間は、「そういう方面の教育で育ったからそれ以外が身につかなかった」とか言ってたな」

 ただそれが本当かどうか、当時も疑ったものである。何しろ豪快な性格だったから、……単にそれ以外、馴染めなかったのではないかと。まあそんな相手から学んだ魔法はほかにもあって、何れは披露したいなとか呑気な魔王さまである。

 アーヴェントはどこまでそれを読み取ったものか、ため息を吐かずに口を閉じた。もちろん、…それを見たイーリスが軽く舌打ちをしたことは聞き逃さない。アーヴェントの予想勝ちである。


「人間が使う中には、”魔術”というものもある。これは妖魔にも使えないし、人間の中でも使えるものは少ない――天性の才能がいるそうだ。こちらで才能を発揮する人間は、妖魔とも対等に渡り合える。複数相手だと、面倒ではあるな」

「経験あるのかよ?」

「昔ちょっとな」

 アーヴェントは頭を押さえた。もしかして彼の配下になるというのは、荒事に巻き込まれるということなのだろうか?

 そんな彼の様子は無視し、イーリスは言葉を続けた。ついでなので纏めて聞かせてしまおうという魂胆である。


「”魔術”はな、魔素を直接、現象に変えるんだ」

「…現象に変える?」

 流石にそれだけで意味が通じるとは、イーリスも思ってはいない。だがどうやって説明するかとなると――再現するのが早い。


「この珠が妖魔で、光が魔素だと思え」

 透明な珠が、その言葉で宙に浮く。周囲に光の粒子が漂うが、これが魔素を表すのかとアーヴェントは頷いた。


「”術”も”魔法”も、この魔素をいったん取り込んで、扱える形に変換する」

 光る粒子が珠に吸い込まれて、その中でくるくると回るうちに、色を変える。


「変換出来たら、後はそれを燃料に、術――或いは魔法を発動させる」

 珠から光が消え、代わりに一輪の花を咲かせた。

 花弁が五枚あるだけのそれが何なのか、アーヴェントには分からなかったが、とりあえず差し出されたので受け取った。とはいえ男からの贈り物、主からの贈り物、しかも花。どうしろと、と困惑の表情が隠れない。

 しかしイーリスは気にすることなく、説明を続けた。


「”魔術”は、”魔素”を現象に変える」

 飛び交う光が消えて、氷が地に落ちる。それはまさしく一瞬で、アーヴェントの目には何が起きたのか、見えなかったほどだ。

 だが、なんとなくわかったような気はするらしい。


「妖力とか、練らなくていいんだ?」

「そういうことだな。あ、食べると面白いぞ、それ」

「え、食べ物!?」

「いや、緊急時の妖力補給用だ」

 驚きながらもアーヴェントは花弁を一枚、口にした。イーリスは笑う。ぼふっ、と彼が口から空気を吐き出すその様を見る前に、してやったりと。


「な、なにこれ!?」

「吸収するつもりで食べないと、そうなるんだよ」

 大した衝撃ではないと知っているからか、イーリスは楽しげである。しかもその一枚を食べて、衝撃がないことを示して見せたので嘘はないらしい。悔しげに、アーヴェントがもう一枚を食べてみて――ぼふっ。


「え」

「……」

 イーリスが固まった。アーヴェントはジト目で彼を見ている。


「……」

「……」

 アーヴェントがジト目で彼を見ている。イーリスは動かない。


「え?」

「え、じゃねぇよ!?」

 信じられないものを見る目で、イーリスは彼を見ている。


「お前、”妖力生成型”か。そうか、そうだよな。私の身体を保全して余裕とか、有り得ないよな」

「…は? なにそれ?」

 少年を置き去りに、気づくのが遅すぎると、イーリスは自分に歯噛みした。

 話は戻るが、妖力を注ぎ込むことで存在を――身体を保護する方法は有効である。しかし、それに必要となる妖力は膨大なのだ。妖力の練成効率は、あくまで一対一、これは誰がやってもそうなので、才能の問題ではない。つまりは妖力と同じだけ魔素を消費するということである。そんなことをすれば、周囲一帯――おそらくは領地全域の魔素が食い尽くされるはずだ。時間を置けば自然回復するとは言え、これほど早く回復するはずがない。それに気づきもせず、術は見せたし結界の張り直しは考えるし、まったく迂闊にもほどがある。…そう、それだけの魔素が残っているというその意味に気付かなかったとは。


「”妖力生成型”と言ってな。魔素なしで妖力を生み出せる妖魔もいるんだよ」

「へぇ?」

「魔素を必要としないから、ほぼ無限に妖力を生成できる。代わりに、魔素を取り込めないんだが」

 ああ、とアーヴェントは納得した。だからさっきの花が爆発して、イーリスは驚いたのか。でもそれは、それほど驚くことなのだろうか?


「ただな?」

 大きくわざとらしくため息をついて、イーリスは真剣な目でアーヴェントを見た。


「際限なく妖力を生成し続けると、早晩に死ぬ」

「は!?」

「人間でいうなら、心臓が暴走しているようなものだからな。疲弊してそのまま消滅する。そういう話だ」

 アーヴェントが青褪める。さすがに死ぬと聞かされて、平静ではいられないか。くす、とイーリスは笑った。実際には、消滅までいった妖魔はいないから。


「まあ実際には、生成を止めて、他人の妖力なりを取り込んでしまえばいい話なんだが。まあ、これでも食べてみろ。…大丈夫だ、今度は爆発しないから」

 保証されても非常に疑わしい。いましがた聞いた内容とも相まって手を出せずにいたアーヴェントだが、イーリスが自分の首元を指したことで納得したらしい。恐る恐る受け取ったそれ――金平糖とも違う、小さな丸い宝石のようなそれを、口の中で転がした。


「噛み砕いてみろ、それで分かるから」

「んっ!?」

 かしり、と口の中で音がした。金平糖を噛み砕いたときと、ほぼ変わらない食感だったけれど、それだけに、内部から何かがとろりと流れ出したそれに驚いたのだ。それは口の中に広がって、飲み込むより先に溶けていく。

 アーヴェントの目が、とろんと落ちた。


「……酔ったか」

「ん~?」

 ちょっとだけ、ほんわかとしているようなアーヴェントに、酔ったというほどでもないか、と思いつつも、もうひとつを渡すのはやめたイーリスである。

 まあ、これはたぶん、慣れだろう。自分ですら、他者の妖力を初めて取り込んだときは、かなり大変だったのだし。そもそも応急処置であって、妖力の生成をやめさせなければならない。

 とりあえずは、そういう方法があるとだけ覚えておいてもらおう。…問題は、あくまで妖力しか取り込めないことだが、まあ何とかするしかあるまい。

 渡したそれの正体は、表面だけを術で作りあげ、内部には流体化した妖力を封じ込めたものである。その原点はシュガーボンボンなのだが、彼は気づくだろうか。チョコレートボンボンも作れなくはないのだが、味の再現が出来なくてあの食感だけとなると、非常に微妙なものになるので、いつかそのうち食べてさせてみようと考えるに留めておいた。



「ん~…あれ? なあ、自分の妖力食べるんじゃだめなのか?」

「駄目じゃないが、無意味だろう、それは」

「いやー、最悪の場合はありかな、とか」

「身食いはやめておけ」

 呆れたと言わんばかりの溜息をつきながら、イーリスは手を差し出した。正しくは、そこに載せたチョーカーを、だが。


「とりあえず制御命令(ロック)はしたが、すぐに解けるからな。これでもつけてろ。生成した妖力をこれに集めるようにしたから」

 大きめの石がついた首輪(チョーカー)である。戸惑っているアーヴェントにさっさとつけてやり、笑う。即席で作ったにしては、充分似合うではないか、と。もっともただの間に合わせなので、強度が期待出来ない。彼の妖力をどこまで吸えるかは、不明である。というかそもそも、そんなものを作ったことはないのだ、如何に術が自由自在とは言え、完璧には程遠くて当たり前である。と、割り切っている。


「あー…ありがとう?」

「――どういたしまして?」

 微妙な温度差のやり取りの後、二人はまた歩き出した。


「さっきの、「光」だっけ。あれさ」

 アーヴェントの言葉に、足は止めないままでイーリスが振り返る。


「なんで、あれ教えてもらったの?」

「ああ、一番被害がなさそうな魔法を頼んだら、あれだったんだ」

 一瞬の沈黙の後、アーヴェントがまっすぐな瞳でイーリスを見て。


「やり方次第で、人間なら死ぬと思う」

「ああ、妖魔でも殺れるだろうな、やり方次第で」

 二人の間に沈黙が訪れた。というか、少年よ。そんなことを考えていたのかと、イーリスは内心で頭を抱えている。


「……閑話休題(アホな話はこの辺で)…って、わっ」

「っと。転ぶか、こんなところで?」

「見えねえんだから仕方ないだろっ」

 ああ、とイーリスは今更そのことに気づいたようだ。そういえば先ほど、術の説明をするために光を消したままだ。自分は慣れているから歩けるが、星明りというには少々頼りない空である。


「もう一つ、術を見せようか」

 足元を照らす明かりを生み出して、イーリスが示す。いつの間にか、レンガを敷き詰めた通路に立っていたようだ。


「”術”? さっきの…光じゃないんだ?」

「似たようなものにして見たんだよ。まあ普段なら」

 言葉の端から光球が消えて、明るさのみが広がった。通路の両側は花壇に仕立てられているようで、それもまた、はっきりと映し出されている。ただ、影がないせいか不思議な感覚でもあった。


「こっちだな。正直、術を使っているという感覚もないんだ。『明るくしたい』としか考えてないし、『暗くしたい』で暗くなる」

 彼の言に釣られたかのように、明るさが変化する。


「……人間て奴は、不思議でね」

 苦笑したような、疲れたようか顔でイーリスが呟いた。


「こういった術は、人間のためにこそ使うべきだという奴らが、少なくない」

「あー。……いるだろうなぁ」

「喧嘩を売られたこともあるぞ?」

「は!?」

 もちろんその結果は、数倍返しである。まあ面倒になって、放置したこともなくはないが。…そのまま交渉も一切を放置したため、最終的にはその国とエレーミアの国交が断絶した気もするが、罪悪感はない。


「…俺さ、いま、なんて思ったか言っていい?」

「ん?」

「人間じゃなくてよかったな、って」

 ふ、とイーリスが笑う。まさかこんな話で実感するとは、誰が思うか。


「いや、だってそうだろ!? 感覚だけで自由自在な”術”を使う相手に喧嘩を売るとかさあ、あり得ないだろ、それ!?」

「まあなあ。大半の人間はそうだから、あまり嫌ってやるなよ? ああ、それと――”魔術師”という輩がいてな。彼らは賢いからそうそう喧嘩は売ってこないが、対峙すると厄介だぞ?」

「……へえ、魔王さまでも?」

「私くらいだろうな、相手が出来るのは。術と同じくらいに何でも出来るんだ、戦闘慣れしてない魔王なんて、いい餌食だぞ」

 結局のところ、”術”は経験がものをいうのである。何をすればいいか、何をするべきか。そういった辺りは安楽椅子生活では身に付かない。というか彼自身、けっこうな思いをして身につけてきたのである。実体験である。


「ああ、厄介と言えば勇者さまだな」

「ユーシャサマ?」

「うん、二代目妖皇陛下が食客として招いた上に、勇者の称号を授けててな。なんというか、……面倒な奴なんだ。あ、食客ってわかるか?」

「――”食客”。才能ある人物を客として遇すること。主人に危難があればそれを助けるが、契約関係などはないため、好きなときに立ち去ることが出来る」

 その答えを聞いて、心底面倒そうにイーリスは頷いた。そのとおりにいなくなることもあるのだが、ある日ふと戻ってくるたび、何かをやらかす。まあ、概ね退屈なこの国ではちょうどいい暇つぶしになるので、特にお咎めもない。というか、それを目当てに呼び込んだのではないかと、当時から噂されている。

 実は当時、魔王の一員として妖皇陛下に問いかけたことがある。追い出さないその理由を聞いたら納得してしまったから、もう今更である。


「なに、その答えって?」

「「自覚なしの間諜役」だそうだ」

「えー……」

「あと、ピエロ?」

「――”ピエロ”。ピエロット。サーカスや喜劇などの役柄の一つで、無言でありながら滑稽さを表現する役者のこと。感情を表現することを是としない高位貴族に付き従い、変わって感情を表現する者を指す事もある。転じて、笑いものになる人間を指す。他者からの賛辞である場合、自らピエロを演じるのでなければ、相当な悪評と言える」

 うん、とイーリスが真面目な顔で頷いた。そのとおりだよ、と。


「違うよな、勇者ってそういうものじゃないよな!?」

「勇者なぁ。…どういう意味なんだ?」

「――”勇者”。勇ましきもの。勇気あるもの。物語中では悪役を倒すものと定義されるが、作中で死ぬと「情けない」と嘆かれる哀れな存在である」

 ふ、とイーリスが吹き出す。違う、絶対に違うとアーヴェントの胸中を否定の嵐が吹き荒れるが、それ以上の語彙は出てこなかった。かなり無念である。


「ま、他の国は知らんが、エレーミアではそういう扱いだよ。興味があるなら見に行くか?」

 なにやら見世物を見に行くかのような口調である。念のため、アーヴェントは問いかける。


「会いに行く、の間違いだよな?」

「正面切って顔を合わせると面倒だぞ、あれ」

「”あれ”って、そんなものにみたいに」

「……」

 返事は返らず、ただ遠い目をしたイーリスがそこにいた。何があったのかはわからないが、触れないほうがいいことだろうと思わせる程度に。

 その沈黙はさほど続かず、イーリスは煉瓦造りの塔の前で足を止めた。なかなかの高さがあって、天辺は夜の闇に溶けているようだ。


「これは?」

「本来は貯蔵庫兼結界発生装置置き場だな。装置は野晒しでも問題はないんだが。ま、気分的にな」

「気分かよ」

「気分屋だからな」

 彼の言う『気分屋』は、妖魔全体のことなのか、それともイーリス個人のことなのか、悩むところである。

 招かれるままにアーヴェントは真っ暗な塔の中へと入り、しかし足を止めた。


「どうした、怖いか?」

「いやその前に何も見えないんですけど?」

 上から振ってきた声を探して見上げるが、何も見えない。見事なまでの暗闇で、自分の手すらそこにあるのか、不安になるくらいだ。

 ああ、と納得したような声が聞こえて、周囲が明るくなった。まるで、昼間に屋根のない建物へ入ったかのような明るさだ。


「これでいいかな」

「あー……いや、これはなんか、…雰囲気微妙じゃね?」

 そう言ったアヴィの周囲が薄暗くなり、全体の明るさがそれに合わせたかのように落ちていく。そして代わりに、階段の両端に置かれた蝋燭が揺らめき、彼らの影を映しだした。


「うん、こんな感じで」

「……覚えが早いのはけっこうだが、抜けているな」

 イーリスの一言で、壁に炎が並ぶ。彼の言うとおり、燭台である。アーヴェントが点したそれはあくまで移動用の蝋燭立てであって、階段を照らすためのものではなかったらしい。

 まったく、とイーリスは苦笑した。


(好みで不便な方を選ぶとは、いい趣味だ)

 自分と同様の趣味であると知り、けっこうご満悦の苦笑である。しかし、詰めが甘いようなので、少し教育がいるかもしれない、そんなことを考えたがまあ、それは後日でいいさと塔を上った。

 内部は三階立てになっていて、地上階には肥料や収穫用の道具、二階には収穫した香草を干したものが収めてある。


「……道具?」

 面白げにそれらを見ていたアーヴェントが、ふと呟いた。彼の話を聞く限り、この手の道具は不要なのではないかと。


「ああ、訓練用だ。お前はずいぶん早く馴染んだが、そうも行かない奴もいるからな」

 訓練て何だ、というか背中に目でもついてるのか、とアーヴェントは後ずさる。


「いや、誰でも思うから。現界したての奴は、意外と身体が動かせないんだよ。魔力で周囲を関知すれば済むからな」

「あー…そういや俺もやったんだっけ?」

「そう、あれだ。単純作業で覚えさせた方が飲み込みが早いから、そういう時に使うだけだな。普段は飾りだよ」

 やっぱり飾りなんだ、と何故だか安堵したアーヴェントである。


「さて、ここが目当ての場所だ。上に行って外を見てるといい、なかなかの見物だぞ」

 促されるままにアーヴェントは更に上へ向かった。天井に上げ板があって、それを押し上げて顔を出すと、まるで展望台であるかのように四方が開けていた。上げ板はイーリスが来るだろうとそのままにして、その一角に身を乗り出す。

 風もなく、静かな夜だが――残念なことに月は出ていないので、地上の様子はわからない。首を戻そうとしたそのときに、足下――塔全体が光っていることに気が付いた。その光が周囲へと広がって、離れたところで柱のように立ち上がる光景を目の当たりにして、アーヴェントが息を呑む。


「朝顔から逃げるときに、けっこう強引に結界へ飛び込んだからな。あれをやると結界全体が脆くなるから、張り直したんだよ」

 あがってきたイーリスがこともなげにそれだけ告げた。

 光は敷地全体に広がっていて、それはフェネクスの紋章そのものを描いているらしい。流石に広すぎて見せられないがな、とイーリスは笑って言った。


「この塔は敷地の中央にあるんだ。周りの花壇は薬草や香草の類だな。ああ、少し奥には四阿(あずまや)も作ってあるから、明るくなったら行ってみるか?」

 この館は初代妖皇から譲り受けたもので、でも放置されていた庭を整えたのは自分なのだとか、四阿も自分が作ったのだとか、楽しげにイーリスが語る。

 旧世界に興味を持ち、世界を旅していたころはそういった遺跡などを巡り歩いていたことを唐突に語ったり。

 外遊官という役職で国に帰ることがほとんどなくて、だから逆に妖皇宮に部屋がないのだと笑ってみたり。

 世界巡りするなら知己に会いたいけれどと寂しげに笑ってみたところで、ふっと会話が止まった。


(いやまあ会話っていうか、うん、聞いてただけなんだけどさ)

 目を閉じたイーリスに、アーヴェントが苦笑した。脈絡がない上に早口だと思ったが、どうやら眠かったらしい。


「ご主人様ー?」

 今しかない、とわざとそんなふうに呼びかけてみる。


「……ん……?」

 がくりと首が揺れた後、イーリスが目を開く。さて呼びかけは聞こえたのか、聞こえなかったのか。


「疲れてるだろ、実は?」

 その問いかけに、ご主人さまはふわぁと欠伸をもらす。


「……もう少し、保つつもりだったんだが……」

 その呟きには、アーヴェントの欠伸が返された。


「寝なくてすむ術とか、ないのかよ」

 別に大したことをした覚えは無いのに、自分も眠い。がくりと落ちそうになる頭を気力で支えつつ、アーヴェントがこぼす。


「なくはない…寝たほうが早いけどな」

「んじゃ、降りようか」

「んー」

 何なら支えようかと立ち上がったアーヴェントの耳に、「面倒だ」と声が聞こえた。

 疑問を浮かべる暇もなく、二人で見覚えのある部屋に戻っていることに気づき、アーヴェントが目を見開く。


「…なに、これ瞬間移動!?」

「まぁ、移動”術”の一種だな…」

 驚く彼に説明する余力もないのか、イーリスは寝台に転がった。毛布にもぐりこむと同時に、アーヴェントの着流しが寝巻きへと形を変える。もちろん、寝台の中にいるイーリスの分もそうなのだが、流石にそこまでは気づかない。


「……何があるかわからないから…、部屋は、出るなよ……窓にも、近寄るな…」

 結界が弱っていたことと、あの妖精モドキが入り込んだことを指しての警告だが、それ以上伝えるだけの余力はなく、イーリスは眠り込んだ。自分の寝台だろうに、半分以上を大きく開けた状態で。


「一緒に寝るって意味だよなー…あれで寝てみたいけど」 

 アーヴェントは呟いた。その視界にあるのは、寝椅子(カウチソファ)である。あれば寝てみたいと思うのは、万人共通だろう。しかし、イーリスはわざわざ窓に寄るなと言っていたから、今のところは我慢しよう。本当は少し眠気を我慢して屋敷を探索してみたいが、部屋を出るなとも言われたし、まあ、仕方ないか。眠いのは事実だし。

 ごそごそと寝台の空いた側にもぐりこむ。

 ほどなくして、二人の寝息だけが部屋に聞こえることとなった。


 だから、彼らは知らない。

 イーリスが放置していた妖精モドキ、それがまだ水晶玉の中にいて、妖しい光を放ち始めたことを。

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