23 本物か。妖皇宮はやっかいだな
「久々に顔を見たと思ったらそれか。よくよく騒動好きだな、お前は」
「否定はしませんけど、不可抗力ですからね?」
女装ではないと納得させるために、部屋を借りることになったイーリスである。宿と喫茶を兼ねた店だったので助かったが、もし貸し部屋がなかったらどうなっていたことか。まあその甲斐あって”荷運び”を承知してくれたので、一安心である。流石に人前で姿を消したりすると面倒なので、その部屋を利用してとっとと移動してもらった。今は二人、イーリスの部屋の中で物色中である。
「決まったか?」
「そうですねぇ……もう少し」
生憎とセーレは”荷運び屋”であるので、その審美眼に期待は出来ない。そこそこのものを見抜くことは出来るのだが、それが相手に似合うかどうかという点では、まったくあてにしてはならない人物である。そんな彼をつき合わせるには当然何かしらの餌が必要であり、今は……自作の果実酒を一本、提供中である。そして彼が声を掛けたということは、とそれを確かめる。
「……もう空けましたか」
「呑むうちにも入らんだろう、こんなもの」
仕方が無いと嘆息し、もう一本を差し出す。こんなものを両方一度に出したりしたら、間違いなく一瞬で空である。それでも一応はグラスを持ち、香りを楽しんで摘みも口にして、とやっているのだから呆れた酒好きだ。
「――なあ、フェネクス」
「はい?」
「伴侶を迎える気はないのか?」
応えはなく、ただ彼の動きが止まった。ほんの数瞬だが、それを知る彼は内心でため息をつく…が。
「伴侶、ですか?」
その日の応えは予想と違っていて、反応が遅れたのはセーレだった。だがその機会を逃してなるかと慌てて言葉を続ける。
「……ああ。もういいんじゃないか、彼女を娶ってやっても。百年、この地にいるんだぞ?」
「……」
無言で彼を睨むのは、それが誰を指すのかわかっているからだ。そしてそれ以上に、この男が言うかという意味の呆れで言葉が出ないのだ。エレーミア妖皇国で誰よりも早く伴侶を娶ったこの男が、どの口で。
「文官たちの悲鳴が凄くてな。結婚式の真似事でもしてやれば、おとなしくなると思うんだが、どうだ?」
「お断りです。真似事で済むわけがない」
彼女の立場は隣国との友好大使のようなもの。互いに侵略しないと言う約定の証に預かっている王女さまで、実は隣国の王位継承権を持っている。あちらの国には定期的に大使を送り込んでいてそこそこ親密な関係を保てている……のだ、表面上は。
王位継承権については、放棄することを各方面から打診されている。なのに何故か、それをしない。故国へ帰る気もないのに。
その思うところが透けて見えるから、イーリスは可能な限り、彼女と接触しないのだ。
「だとは思ったが。文官たちの噂を聞いたんでね」
「ああ、そういう……」
鼻で笑ってその考えを一蹴する。彼女は立場としての花嫁になりたいわけではないのだから、それは有り得ない。そう言えば、文官たちからの評判はあまりよろしくないのだったか。そもそもが内政宮に管理者など不要なのにとかなりの批難が飛び交っていると聞く。何しろ彼女がしているのは、あくまで内政宮の秩序管理であって、それは彼女が来た当初こそ重宝された知識と手腕だったが、それが百年、である。すでに後継となれる者たちも育ち、彼女は隠居としてどこかに住まいを構えてもいいころなのだ。というか、それを切望されているのである。
「一人や二人、物好きはいるでしょう。そもそも私は――……」
不意に膝をついたイーリスに、セーレは目を疑った。だがそれきり立ち上がれないらしき彼を慌ててささえ、寝台へと休ませる。動けないまま必死に目を開けようとするイーリスだったが、やがて諦めたかのように目を閉じた。
意識はなくなったようだが、呼吸自体は安定していると、セーレは息をつく。旧い付き合いもあり、彼が一定の疲労を超えるとすぐに眠ってしまうことは知っている。妖魔の癖に眠ることが好きで、出来るくせに魔素による己の回復を極力避けるという面倒な奴だ。今もそれだと分かったが何故と思う其処で、目が眩んだ。
(虹?)
それは眩しさではなく、余りの密度に周囲が歪んで見えるための立ち眩みだ。そうと気づき、セーレは目を見張った。一瞬とは言え、魔王の目を眩ませるだけの密度の妖力、そんなものを彼が操れるものなのかと。まして今、何のためにそんなことをしたのかと疑問に思うが、それはすぐに知れた。間違いなく女だった彼の身体が、男に戻っている。今のはおそらく、かなり無理やりに術を解いたのだろう。
「……付き合った意味がなくないか?」
完全に意識を無くした彼に苦笑する。女性化したために装飾品がほしいという話だったはずなのに、男に戻ってしまった。手にしていたあれらは何れも女物にしか見えないから、まあ、使えるものではないだろう。男であればさほどの装飾品は必要ないはずだし、移動術自体は彼も使えるから、ここに残る必要はない。
とりあえずそこまでは考えたのだが、ふむ、と彼を抱き上げる。付き合いは長いので、別に放置してもいい。しかし、どう見ても疲労困憊の今、流石にそれは不味いだろう。とりあえず町へ連れて……ああ、あの坊やに引き渡すくらいまでは面倒を見てやろうか。とりあえずはあの宿に来るよう、使いを出せばいい。
行動を決めてしまえば一瞬である、のだが……ふと、彼の衣服に目が行った。
「本物か。妖皇宮はやっかいだな」
ぼろぼろに裂けている。まあ当然と言えば当然だが、この姿の彼を見せたらどう見ても自分は強姦魔扱いだろう。無意識の創生術があるとは言え、流石に疲労困憊の状態では再構築は出来なかったようだ。セーレ自身も再構成は苦手なので、やる気はない。とりあえず残骸と化したそれをまとめて脱がせて放り出してから、宿へと戻った。目覚めるまでは付き合うつもりで、とりあえず裸のままで寝台へ寝かせておく。起きたところで気がつけば、自力で何とかするだろう。
(……するか? そう言えば衣服を好んで仕立てていたような……?)
一瞬悩んだが、まあ状況がこれである。最悪は適当な古着でも宛がえばいいかと、そこは気にしないことにした。一瞬だけ目を開けたイーリスだったが、寝てろの一言で目は閉じられた。寝息も聞こえてきたので、本気で眠ったようだ。友人とは言え、素直な奴だなとセーレは笑った。
そこからは宿の主人に交渉し、アヴィたちへの託人を派遣して、水を冷やしたものを持ってこさせる。身体が弱ったときに酒は駄目だと、いつだったかに散々説教を受けたことがあったので一応、それの回避である。セーレ自身は全く酒に酔わない体質で、味でしか区別をしていないのでその辺り、うっかりすると忘れているのだが、今回は思い出せたようである。
突然だったせいか、イーリスはその手に装飾品を持っていた。まあ、あの場に放置してくるよりはましだろうと取り上げて、水と一緒に脇机に置いておく。
さて暇になった。町へ来るのも久々だと、外を見ると知人の姿が見えた。こんなところにいるはずがない、引き篭もりだったはずだが。
「……ああ、そういうことか」
彼は引き篭もりではあるが、フェネクスの友人だ。付き合ったか付き合わされたか、まあそのあたりだろう。さほど付き合いはないが、接点がないだけで嫌いではない相手だ。というか、ちょうどいい。周囲に誰がいる様子もないし。
瞬時の判断と移動、声をかけるよりも早くその肩を抱きこんで、再度の移動――今度は、ソファの上辺りへ放置。どん、と音がしたのは少々目測を誤ったせいだ。
「ちょ、な、にっ!? ってイーリスくんっ!?」
何が起きたかを判断するより先に彼に気づいて飛びつくラースにセーレは笑う。まったく、彼の友人は皆、付き合いがいい。呼吸を見て、熱を見て、脈を診て、安心したところで振り返ったその目に睨まれても全く怖くない。何しろ見た目は子供だし。
「……フェネクスに呼ばれたんだが?」
正確にはとっ捕まったのだと言いたいところだが、まあそれはいい。重要なのは、昏睡の原因が自分ではないと理解させることだ。昏睡と言うにはまったり眠っているようだが。
「女性化、してたはずだけど?」
「ああ、館へ戻ったときに解けた。そのまま放置してくるのも危なそうだったから、ここまで連れて来たんだが。ああ、それで証明になるか?」
「……無理」
示した飾りをあっさりと却下されて、セーレは唸る。だがまあ仕方が無い、ああ見えて彼はけっこうな量の宝飾品を所持している。色合いやつくりは彼の好みだろうと思えるけれど、それ以上の判断は出来ないのだ。けれどそれで、疑いは晴れたらしいのでよしとする。
「ねえ、彼女が着てたドレスは?」
「男に戻った時にボロボロになったからな。向こうに置いてきた」
「それ、放置……いいけど」
持ってこられたところで処遇に困るし、彼自身に始末させればいい。問題は、彼が着る服、なのだが。
「……無理だからな?」
「僕もだよ?」
あいにくとラースもセーレも、他人の衣服など作ったことはない。まして上着ならまだしも、下着まで? そんなもの、作りたくもない。どうしようかと顔を見合わせたところで、二人はさらに嫌なことに気付いた。そう言えば奴は、衣服をよく仕立てていなかったか、と。
「……本人にやらせるか」
「そだね。どうせ、寝てるし」
「なら、俺は帰る。ああ、あの坊やには言伝を頼んだから、そのうちにここへ来るはずだ」
「あ、そうなんだ、ありがと。…え、帰るの? もしかして暇? 空いてる? 頼んでいい?」
迂闊な一言にラースが飛びつく。うわ、と引いたセーレは思い出した。そう言えば、こういう奴だったなと。
渋い顔になるのは、彼の頼み事というものが、面倒でなかった試しがないからだ。報酬はそれなりなので引き受けなくもないのだが。
「もちろん、報酬はちゃんと払うよ。えっとねぇ、今幾つか注文だしてきたからさぁ」
面倒だと顔に出ていたセーレだったが、話を聞くうちにその顔は笑顔になった。内容からしてそれが何のためのものなのか、理解出来たのだ。
「じゃ、よろしくね」
「確かに、引き受けた」
交渉が纏まり、セーレはその場で姿を消した。さて、と薄暗くなりつつある室内で、イーリスの鼻に手を伸ばす、と。
「何をするつもりだ」
「タヌキ汁でも作ろうかなって?」
くすくすと笑う彼に、手をつかまれた。具体的には鼻を摘もうとしたのである。
「お前に料理が出来たとは初耳だ。てか、美味いのかタヌキって?」
「僕は嫌いじゃないよ?」
どうにか身体を起こしたイーリスに、とりあえずグラスを持たせ、水差しの中身を注ぐ。すぐに口をつけるイーリスだったが一瞬だけ変な顔をした。ピシ、と音を立てたグラスの中身を改めて煽り、今度はそれを飲み干して、一息を吐く。何をしたかと思う必要もなく、それについた水滴が理由を物語っていた。部屋の中とは言え、しばらく放置されていたものである。それを呑んで美味いかどうか、推して知るべし。ましてそれを呑みたいかと言ったらそれは当然NOなわけで、グラスを通してその中身だけを冷やしたのである。
「……器用だねぇ」
空になったグラスでラースも真似をしてみたが、適温に冷やすことは出来なくて、グラスごとしっかりと凍り付いている。それを溶かすと一気に温くなるし、また冷やそうとしても凍りつくしで堂々巡りに陥りかけたが、凍ったそこへ温い水を注ぐと言うイーリスの案でとりあえず、解決した。イーリスからしてみれば、あれだけの植物を自在に育てるくせにどうしてこれが出来ないのか、不思議の極みである。
いいんだよ、と顔を赤くしながら水を飲む彼に苦笑しつつ、イーリスは壁を背にもたれかかった。そんな彼に何があったのかと問いかけるラースだが、本人も何が起きたか分かっていないのだ、答えられようはずもない。そもそも、女性形で固着していたこと自体が奇跡なのにいきなり男に戻っているし、何がなんだか一番混乱しているのは自分だろうと変な自負がある。で、問題は。
「なんで自力で創製できないかなぁ?」
「疲れてるんだよ」
グラスを冷やすことは出来たけれど、それくらいしか出来ないらしい。つまりは衣服が作れないということで、裸のままである。下着もなく、本気で裸である。生憎とラースは妖力だけを練り上げると言う真似が出来ないので、借りることも出来ない。これでは回復するまで宿から出られないと渋面を作ったところで、扉が叩かれた。
「……イーリス? いるよな?」
「あ」
降りられない彼に代わって、ラースが戸を開けることになるのは当然であった。
夕闇はおらず、彼一人での帰還に疑問を抱くが、まあ自分が現界させただけだし、意識を失った間に妖力供給も途絶えたのだろう。アヴィから持っていっても別に問題はないのだが、それをよしとしないあたりは律儀だなと苦笑した。だがまあ、ちょうどいいタイミングである。
「面白かったか?」
「……うん、まあ。けっこう」
そうか、と笑って寝台から足を下ろしたそのときには、シャツスタイルのごく普通の町人っぽい姿になっていた。手早いなと苦笑するラースにアヴィは気づかず、つまりは妖力を持っていかれたことにも気づかない彼であった。




