18 ――君は、それでいいの?
ようやく再開で始動できます。インフルエンザじゃないのに39度近い熱とか、きついですねー。
「ペットって、どういうことかなぁ?」
十分な距離を離れてから、ラースは漸く問いかけた。
「あの子が勝手に言い出したことですよ。それで対価にしろとね」
事実だしそれ以外言いようがないし何より自分は女に興味がない。アーヴェントにしたように、ちょっとからかうとか、その結果で相手をするとか、その程度だ。愛玩動物という名の愛人を作る気は、毛頭ない。
そこまでを一息に応えると、ラースは笑った。最初からわかっていて、そのつもりだったのだろう。そういえばこの友人は、自分の色恋沙汰に妙に絡んでくるけれど、どうしてだろう。デカラビアも追随するし、いっそこの二人、夫婦になってしまえと思う反面、そんなことになったら確実に自分が被害者になるからありえない引き離そうと心を決めなおした。
すでに引きずられていた手は離れていて、並んで歩いているからわかるのだが、ラースの顔には期待が満ち溢れている。
「で、どうするの? 面倒見る?」
「盟約も交わしましたし、そのつもりですよ。闇雲に出歩いてどうにかなることではありませんし、アヴィの教育もありますから、当分は情報収集ですけれどね」
「へ?」
話についてこなかった彼に、あ、とイーリスは口元を押さえた。そういえば、彼女が残滓であることは伝わったが、だからと言って国外云々とか、話を飛躍させすぎである。
「――気になるじゃないですか、何があったのか」
「そりゃなるけどさ。…え、なに? それ、それが理由? え、それだけでペットなの?」
「ペットではないと言いましたよっ?」
畳み掛けるラースの目は、半信半疑である。まったくもって、遠慮のない友人というやつはとことん遠慮がない。そして自分の信頼はその程度なのかと、ちょっと落ち込みたくなるイーリスである。
「ま、いいけどさ。僕としては、君が出歩いてくれるなら。また新しいやつ、手に入りそうだし?」
「……まあ、職制ですからね。確約はしませんよ?」
「元からそうじゃない?」
デカラビアを押し付けられた対価として、妖変植物を活きたままで持ち帰ることを約束させたが、まだしっかりと有効らしい。
まあ、とラースは内心で目を逸らす。実は妖変植物を入手する伝手は、持っていたりする。それも彼の恩恵ではあるのだが、しかし、いずれも人間が手に入れられる程度の危険性がないものなので、ちょっと物足りない。それが本音である。
「そういえば、このあたりは来たことがありませんが――新しい領域というわけではないみたいですね……」
ふと、イーリスが周囲を見回して首を傾げた。見覚えのないつくりではあるが、歩いてきた庭園に比べても新しい様子はない。もちろん、経年加工をすればその限りではないけれど、ラースにその趣味はないはずだ。そうなると、以前からあったけれど自分には教えられていないということになる。
「引きこもっていましたからねぇ」
くすくすと、美女が笑う。その様に思わず見惚れてしまい、ラースは彼だけが歩いていくその意味に気づけなかった。置いてけぼりを食らったのだと慌てて追いかけようとして、それ以上に彼を進ませてはいけなかったのだと思い出す。
「ごめん、フェネクス、この先は」
慣れ親しんだ名で呼びかけてしまったのか、慌てたせいかそれとも――この先にあるもののせいか。
顔を上げた視界に入る噴水は、やさしい音で水を流している。これを見るたびにフェネクスが使い物にならなくなるからと、二代目妖皇から撤去を命じられたものだが、正直なところ自分のお気に入りで、壊す気にならなかった。だから、ここへ隠して彼には教えずにおいた。なのに、どうしてここへきてしまったのだろう?
戻ろうと声をかけようとして、ラースは息を呑む。虹色の光が駆け巡るその瞳から、ほんの数滴…流れ落ちた涙を、見てしまったから。
「――ああ、そっか。ここ、なんだ」
記憶珠の風景が脳裏に蘇る。見知らぬ女性の膝で眠るフェネクスは無防備で――悪戯すらも躊躇われるような寝顔だった。たぶんそのときの自分も、そう思ったのだろう。だから何もせず、その場を立ち去っていた。気にもしていなかったけれど、それがあの噴水だ。そう言えば、その女性だけで休んでいる様子もあったから、彼女のお気に入りの場所なのかもしれない。
たぶんそうなのだろうと、ラースは唇を歪めた。だから、フェネクスは使い物にならなくなって、でも自分はこれを壊したくなくて、ここへ移した。移したのに、ここを訪れたことなど数えるほどしかない。それも、他所事をしていたら結果、ここにいたというそれだけのこと。若しかしたらそれすらも、仕組まれているのかもしれない。
「思い出と知識は、別の領域に記憶される――か」
彼が書き起こしてくれた小片の情報に、そんな記事があった。思い出が知識を引き出し、知識が思い出を揺り起こす。その連鎖反応が記憶であるのだと。あのときは流し読みしただけだったことが悔やまれるが、彼女はきっと、それを見てもいないのだろう。だからこんなところに、術の綻びがある。
(――利用、出来る?)
彼女の遺志など、尊重する気にはならない。もしも相談されていたのなら、別だけれど。いや、そうだとしても…そうだとしたらきっと、罪悪感で自分は潰れただろうから、何も言わなかったのだろうか。それとも、術の解除に勤しむか?
「あー……それがありそうだなぁ」
苦笑するのは、それが現実的ではないためだ。だって、相手は最初の妖魔で、魔王で、自分には扱えないような術式を平然と使いこなす賢者だったのだ。もちろん、自分にしか出来ないこともあったけれど、総じて彼女のほうが上だった。そもそも自分は植物の研究しかしたことがないから、術の習得自体が苦手だし、他人の術式を解析するとか、無謀もいいところである。そこで頼りになりそうな魔王さまにはきっと一番強固な術がかけられているだろうし、助けになってくれそうな魔王さまは元人間で術式操作は苦手だし。それとも、彼らなら出来るのだろうか。
「いやでも……ぜったい妨害されるよねぇ……」
その程度のこと、仕組んでいないはずがない。或いは、何か罠を仕掛けてあるか。まあ彼女がやったのだとしたらさほど酷いことにはならないと思うけれど、フェネクスと交際するようになってからの彼女の成長――いや、変貌振りは凄まじかったから、何があっても不思議はないかもしれない。
何しろ相手は妖魔なのだ。首を切られようとも、核があれば復活できるような存在相手に何の手加減がいるものか。
「――君は、それでいいの?」
泣き笑いのような顔で、ラースは問いかける。記憶を奪われ、思い出を封じられた、そのままでいいのか、と。
「ああ。――いいんだ、これで」
その声に目を見張る。虹色に輝く瞳が、はっきりとラースを見ていた。
口を開きかけて、でも何を言えばいいのか分からなくて、ラースは一歩を踏み出した。バシン、と衝撃がラースを弾く。すまなさそうに笑みを浮かべたイーリスが目を閉じて。
「覚悟の上だ」
その一言を残して、頽れた。
慌てて駆け寄って、念のために噴水が見えないような位置から助け起こしても、目を開かない。このままにする理由もないが、向こうへ連れて行くわけにはいかない。とりあえずは戻るしかないので、その身体を抱き上げた。
傍目には、少年に抱え上げられる成年男子というどこかおかしな光景だが、それを見るものはない。ラース自身も魔王である前に妖魔なので、この程度は当たり前に出来るのである。
噴水が見えなくなる辺りまで戻り、それでも目覚めない彼をどこに連れて行こうかと悩む。さすがにあの部屋へ帰ってしまうと、彼らが心配するだろうし、そこで小片の処理を失敗されたら大惨事なので除外。といってこのまま抱きかかえていても……いい、かな?
ふと、気づく。別に疲れないし、今のところ、やることもない。後、きっと慌てた彼の顔も間近で見られるだろう。ああ、それがいい。うん、心配させてくれたお返しにその程度はありだろう。
そんなふうに決めてしまって、でもどこへ行こうかと振り出しに戻る。さすがにこのまま突っ立っているのは、馬鹿馬鹿しいと思うのだ。というか、暇なのである。
「んー……あっちもなあ……」
休めるところ、と言えばアヴィを連れて行ったもうひとつの噴水だ。ベンチもしつらえてあるし、彼らもすぐに来れるから悪くない。ただ、この場合はどうだろうか。そもそも、あれはこの噴水を素地としてつくりあげたものだから、見た目がよく似ている。循環水路だけでは物足りなくてああしたが、あれを見たときの反応を思うとあまり、よろしくない気がする。いや、いっそ、とラースは目を光らせた。
これを見せて彼らを取り込むのもありではないか。特に夕闇と名乗った妖魔はかなり優秀だ。何か面白い手段を思いつくかもしれない。
そうしよう、うん。
心が決まったラースの足取りは軽かった。
※ ※ ※
二人を見送った夕闇は、術の制御に没頭していた。引き継いだ術式、実はその制御は楽ではない。いや、たぶん自分が制御を引き継いでいれば、問題はないのだ。アヴィが叩き壊したものを取り繕いながら稼働させているせいで、ちょっと面倒なだけで。
ちょっとじゃないでしょう、と遠い声が聞こえた気がした。視線を向けたいけれど、それが出来ない。取り繕うのではなく、イーリスの言ったとおりに一度終わらせるべきだったかと、少しだけ後悔が滲む。
(まあ別に、問題はありませんし)
その場に残る植物狂に、会話をするつもりはないようだ。どうやら術の複雑さと、その複数制御の無謀さに控えてくれるつもりらしいから有り難い。周囲の様子が分からない弊害は、彼女がどうにかしてくれるだろう。本来ならその辺りをアヴィに任せて自分は術に専念したいところだが、まだ意識が戻ってこない彼にそれを望むわけにもいかない。それにしても人間ではあるまいに、どうして意識が戻らないのだろう?
「魔王の術式に介入して意識が飛ぶだけで済むなら、安いものだと思いますわよ」
呆れたような声音がはっきり聞こえる。自分はそんな疑問を口にしていないのに、どうして伝わったのだろうか、流石は魔王というべきか。
けれどそれきり、言葉はない。その場から立ち去った気配はないけれど。でもこの女王さまは、何か誤解をしているようだ。魔王の術式だからすごいのではなくて、この術式そのものがすごいつくりをしているだけなのに。誰かに制御を引き継ぐことを前提としたかのような丁寧なつくりをしている傍らで強引な力技による処理がされている。まるで複数の術者が協力することが前提になっているかのようだが、どう辿ってもそれが出来ない。アヴィが壊したというよりも、どこかに隠し領域があると考えたほうが自然だし、それを探すべきかもしれない。
(今は、無理ですね……)
術の解析に処理能力を割り振ると、小片の処理が遅くなる。確か、後で仮縫いの合わせに行かなければならないし、どれだけ時間がかかるか分からない処理に手を出すべきではないだろう。でも、と心を決める。時間を見つけて、解析しよう。解析して、作り変えて、完全に複数人による処理を前提とした術式を造ってしまおう。それを魔王ではなくちょっと優秀程度の妖魔たちに明け渡せば、小片の処理は一気に進む。もう自分たちが駆り出されなくて済む様になる。
(ええ、そうしましょう……それがいいです……)
興味のない情報に駆り出されるのは、一度きりでいい。
※ ※ ※
アヴィが意識を取り戻したそこは、まるで紗に覆われたような空間だった。
(広い……狭い? なんか…よくわかんねぇ……)
物音もしないし、他者の気配もない。そんなところに座っている自分が、いちばんわからない。胡坐をかいて、まあなんというか、寛いでいるような感じである。そもそもどうして、こんなところに居るのだろうか。
思い出せるのは、――そう、イーリスが何かやらかしたことだ。それがわかったから、手を出して。……そして、どうなった?
『術の干渉で、弾き飛ばされたのですよ』
くすくすと笑うような声が空間に響く。すぐ近くから、或いはとても遠くから。区別のつかない揺らぎを持って。
『ここは上位次元領域――弾き飛ばされたからと言って入れるような領域ではないのですけれどね』
聞き覚えのない声だ。揺らいでいることを考えに入れてもなお、当てはまるような相手はいない。
『ああでも――わからないですかね、上位次元領域なんて』
「――“上位次元領域”。触れること、見ることなどが出来ないとされる、上位次元領域を指す。机上の空論という意味で利用されることもあり、実際に存在するのかを確かめる術はない。オカルト寄りの眉唾物である可能性も高い」
あらあらと、笑うようなさざめきが周囲を揺らした。そんな怪しい世界に自分はいるのかと、アヴィは思わず半眼になる。
『ちょっと、違うんですけどね?』
「違うのかよ!?」
『まあ、異空間ということで、理解すれば十分ですよ?』
また、空間がさざめいた。
アヴィは周囲を見回して、僅かに眉根を寄せる。ここが普通ではないこと、それは誰しもが納得するだろう。座っている感覚もなければ、立っている感覚もないのだから。だから眉根を寄せたのは、それが理由ではない。
『ここは、意識の交差する深層領域として設計されています』
「……設計? 設計って、作られたってこと?」
応えはない。
ふと、アヴィは思った。相変わらず、近くに誰かがいる気はしない。しないけれど、もしかしたらこの紗の向こうにいるのではないか?
無意識に手を伸ばす彼を知ってか知らずか、相手は変わらず言葉を続けた。
『――他者との区別がない、集合的無意識の領域。これは、わかります?』
「た……しゅうごー……??」
鸚鵡返しすらも出来ない単語に、アヴィの伸ばした手は止まる。答えを待つかのように声は途切れたけれど、やがて我慢できないと、笑いを吹き出した。
『あら、これはダメなんですね』
くすくすと笑いながらのそれに、アヴィは口をへの字に曲げた。この声の主は何者なのだろう、姿も見せず遠慮会釈も何もない。なんだか誰かを思い起こさせるのだが、まさかそうなのだろうか。
(いや、流石にそれはないな)
うん、それはない。口調は確かに似ているけれど、それだけだ。どう聞いても完全な女性の声だし、流石に偽美女と一緒にしては無礼だろう。……自分が完全に面白がられているから、そこで相殺したいところではあるけれど。
そんなことを考えている間に、笑いは収まったようだった。そうですねという声と、何か考えているような間が置かれて。
『深層意識に於いては、自分と他者の区別はしていない。区別をしていないなら、ばらけている理由がない。だから、意識が集まることは不自然ではない。――それが、”集合的無意識”です。けれどそれはあくまで深層意識なので、各自に自覚はありません。貴方は、其処まで降りてきてしまったんですよ』
「え? オレ?」
『ええ、貴方が。わたしはずっと、ここにいますから』
ぞくり、と背筋に悪寒が走るのを、アヴィは感じた。
帰りたい――彼らの元へ。
怖い――この声の主が?
何故だか妖艶な笑みを浮かべるイーリスが脳裏を過ぎった。それを見たときは、怖いだとかそんなことは感じなかった。迫られたときは流石に焦ったけれど、それだとて恐怖ではない。
誰なんだと、問いかける。声に出来ないのは、恐ろしさからか。
恐ろしい――何が?
自分を害されるという恐怖はない。確信に近いそれがあるのに、どうして怖い? 何が恐ろしい?
まるで深遠を覗き込んだときのような、そんな得体の知れない恐怖がアヴィを取り巻く。
『――貴方は、新しい妖魔ですね』
遠ざかるような声が、そう呟いた。ほんのすこし、恐怖が薄れた気がした。
『最古の妖魔に畏怖を感じることは、不思議ではありませんよ』
見抜かれた、とアヴィは顔を赤くする。そう、怖いのは彼女自身だ。だが、畏怖ではないとその言葉ではっきり気づく。
『彼の誘惑に応えていたら、わたしは貴方を返せませんでしたよ』
「ちょ…っ、ま、待って、それ待って!?」
誰のことかもわかるし彼女が誰かも分かった気がして、アヴィは叫んだ。誤解はとかなければならない、このままでは自分が危険だ。
『貴方は応えなかった――それで、十分です』
その声に、紗が濃くなった。周囲が暗くなり、何も見えなくなっていく。
『もう、来ては駄目ですよ? 貴方は現界で、身体を得たのですから』
どういう意味だとアヴィは疑問を抱いた。だが、口に出来ないほどに身体は重い。
意識が遠のく感覚に加えて、周囲の闇が圧し掛かってくるような錯覚までもが全身に圧し掛かる。
せめて、と必死に口を開いた。声にならない空気だけが口から漏れる。言葉がつむげない。
だが、…答えはあった。
「わたしには、もう名はないのです」
その一言が、意識に止めを刺した。
すみません、ちょっとオカルト趣味のほうに走りました。彼らが住む世界が何なのか、予想つきましたか?




