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魔王さまが、人間ぽいのを拾ったみたいです。  作者: 冬野ゆすら
魔王が逃げて、何が悪い?
11/25

10 「アーヴェント? まだ起きないつもり?」

 明るくなった部屋で、ふとイーリスは目を覚ました。窓掛を引いてあるから、日が差し込むほどではないけれど、外はもう十分に明るいころだろうと当たりをつける。起き上った身体から滑り落ちた毛布は、アヴィが気を利かせてくれたのかと笑…えなかった。

 来ているものが寝間着、それはいい。いや、着流し姿で遊んでいたはずだから、それがそもそもネグリジェに変化している時点でおかしい。そもそもネグリジェは、女性の夜着であって、どうして自分がそんなものを来ているのか。いや、まあ確かに今、この身体は女性形だし、ふさわしいとは思うけれど!


「……」

 どう考えても、アヴィの仕業である。自分一人で無意識に発動することなどあり得ないのだから。


「…まあ、朝食くらいは用意するかな」

 とりあえず、寝こけている彼が起きてからの話である。

 そう決めて、戸棚にしまってあったいろいろを用意してみても、起きる気配はなかった。ちょっと気を抜きすぎかなと思いつつ、声をかけてみる。


「アーヴェント? まだ起きないつもり?」

 天蓋を開きつつ、覗き込んでみる。ごろん、と転がったところを見ると、どうやら目は覚ましたようだ。


「ほら、アヴィ。起きて?」

 やさしく笑いながら…本人的にはやさしく笑いながら、アヴィを揺り起こす。んー、と寝ぼけたような声がした。


「あー…なんか美人がいるー……」

 おいおいとイーリスは苦笑した。まあ微笑んで見せたのはわざとだし、そこそこの容姿であることは把握しているけれど、寝ぼけすぎである。


「あれー…? でも俺って知り合いなんか魔王様くらいだし……」

 何か言っている。そう言えば寝言に答えると心が壊れるとか言うし、ちょっとこのまま放置してみようか。当の魔王様はそんなことを考えた。


「あー、魔王様美人だったなー…あの耳飾り似合いそうだったなー…付けてくれないかなぁ……ってあれ偽物だっけ……」

 偽物って、と魔王さまは額を抑えた。まあある意味偽物ではあるのだが、なんだかその言い方だと、それらしいものを作ってしまう人々を思い起こすので、流石にやめてもらいたい。まあとりあえず、と机の上に丁寧に置かれていた耳飾りをつけてみた。


「…やっぱり、ちょっとうるさいね」

 しゃらしゃらと鳴る石の音に苦笑しつつ、もういちどだけとアヴィに声をかける。


「ねえ、アヴィ。流石に偽物は、傷つくのだけれど?」

「うー……う?」

 ようやく目を開けたアヴィが、耳飾りに気づいたのか笑った。やっぱり似合うじゃん、と。

 まじまじと見つめられて、魔王さまは笑った。


「…う…あれ……?」

 品よく上品に微笑んではみたものの、内心は爆笑している。おかげで跳ね起きたアヴィを抑えることが出来なかった。


「うわわわわわっ!?」

 ずささささと寝台を後ずさり、壁にぶつかってアヴィが固まる。ごん、と音がしたから、たぶん後頭部をぶつけたのだろう。人間じゃなくてよかったね、と魔王は腹を抱えてうずくまった。


「ななななん、な、んで、女…!?」

「さあね。お前の仕業と思ったけれど、違うの?」

「知らないっ!!」

 どう考えても、彼の仕業以外考えられないのだが、自覚がないらしい。こんなことになるなら、術式の継承は控えるべきだったかなとイーリスは内心で溜息をつく。…表面上は、あくまで優雅に、妖艶に笑って見せて。


「まあ、いいよ。私は別に、消耗していないようだしね。ねえ、起きない? 一人で起きていると、退屈なのだけれど。あ、それよりも一緒に寝たほうがいいかな。まだ眠いなら、付き合うよ?」

「!? いや、起きる起きるますっ」

 跳ね起きた少年を、してやったりと鼻で笑う。この程度のやり取りでは意趣返しにもなりはしないが、彼にはどうやら十分な効き目があるようだ。

 イーリスに呼ばれるまま、少年は寝台を出た。さて何があったのか、男性ものの寝間着――所謂パジャマである。彼がやったとは思えないから、まあ多分、自分の無意識で同じ系統のものにあわせてしまったのだろうなと見当をつけた。まあ、見苦しくはないので問題もない。


「い、…いただきます」

 どこか楽しげな彼女に気後れしつつ、アヴィはもきゅもきゅと食事をとった。拳大のビスケットには、乾燥果物が入れてあるようだ。触感は違うが、味はわからない。


「まだ、わからない?」

「え?」

 もそもそっとした食べ方をしていたせいか、イーリスはちょっと寂しげだ。ごめん、とアヴィは差し出された分を戻そうとする。ちょっともったいないかな、と。


「いいよ、食べて。そのほうが早くわかるようになるから」

 やさしく微笑まれて、更にいたたまれないアヴィである。もっとも、イーリスに他意はない。とりあえず彼が飛び起きた時点で、気は済んでいる。


「私の屋敷なら、もう少しいろいろ出せるのだけれどね」

 イーリスはかなり不満である。具体的にはお茶とかスープとか果実水とか、そういうものを用意したいのだ。だが井戸があるのに水の召還は出来なかったし、下手に部屋を出ると何が起きるかわからないから、彼を置いて出たくは無い。結果、クッキーやパウンドケーキ、ジャムと言った口が渇くものが出してあるのに、水気がまったく無い食卓になってしまったので、納得いかないのである。


「食べながらでいいから、聞いていて。ここのことを教えてあげるよ」

 ん、とアヴィが頷く。それを見たイーリスは、空中に図面を呼び出した。さほど細かくないが、昔に作った妖皇宮の見取り図である。使うつもりというよりも、術研究の一環として行ったような記憶がある。


「ここはね、妖皇宮の一角、客室棟だよ。まあ、滅多に使われないのだけれど。

あ、一人で出歩いては駄目だよ、かなり広いからね」

 中央にホールがあって、そこから線対称として内政府、外政府が配置されている。彼らがいるのは内政府側で、迷路庭園を挟んだ反対端である。庭園の中央部辺りに、半球形の屋根を持つ建物が描かれていて、アヴィは外を見る。よく似た形の屋根が、かなり遠くに小さく見えていた。


「…これって、昨日言ってた温室だよな? 結構遠い?」

「うん? ああ、そうだね。歩くなら半日がかりじゃないかな?」

「半日ぃ!?」

「ほら、私たちは歩かないから」

「…あー、そういう前提……てか広すぎるだろここ!?」

「広すぎることは無いと思うよ。人間の世界にもあったようだし。…ベルサイユ宮殿、だったかな?」

「――”ベルサイユ宮殿”。フランス絶対王政の象徴とされる建築物。建設当時、国王が貴族を強制移住させ、彼らが各自で邸宅を構えるほどの広さがある。行政府も構えられており、宮殿というよりも、都市と言い表したほうが相応しいかもしれない世界である」

 ね、とイーリスは笑った。アーヴェントはそうじゃなくて、と頭を押さえ、所在無く窓を見た。その下に広がる迷路の木々を見て、近いと錯覚した理由に思い当たる。かなり高く作られている。自分なら完全に隠れるし、イーリス…男版でも、たぶん隠れるだろう。自分たちのいる部屋自体が二階にあると思わなかったし。


「ねえアヴィ。昨夜言ったこと、覚えている?」

「昨夜?」

 突然の話題にアヴィは慌てた。昨夜の話というか、言われたことを必死に思い出そうとするが、素知らぬ顔で衣服を整え、とりあえずは来客があっても問題ない姿に変えてやる。


「あ、フェネクスさまって呼べって言った、あれ?」

「ええ、そう。今からは、間違えないでね」

 その言葉と同時に、扉をノックする音が響いた。トントントントンと、部屋の主を呼んでいる。動かないイーリスに代わって扉を開けようとしたアヴィだったが、本人に制止された。では自分で開けるのかと思いきや、幾つもの珠が扉周辺に現れる。ついでに何か、その辺りが歪んだように見えたのは、気のせいだろうか。


(んなわけないか。何かやったんだろうなー…ってあれ、片付けた?)

 机の上から全てのものが消えた。何が起きるか観察態勢に入ったアヴィの目の間で、扉が開く。そこから遠慮なく踏み込んで来たのは、追い出されたはずの勇者その人である。


「おーい。十分寝ただろ、開けるぞーっって、てて、痛てぇぇぇぇ!?」

(うわー…遠慮ってか容赦ないなー……)

 ビシバシベシベチャっ、と何やら熟れ過ぎた果物が潰れるような音が鳴り響き、同時に勇者がカラフルに染まっていく。全身ほぼもれなく染まったあたりで、ようやく音が鳴り止んだ。


「…おい……」

 イーリスを睨む目が据わっているが、別に怖くないな、とアヴィは思う。イーリス本人はと言えば、何事もなかったかのように涼しい顔――いや、冷たい視線で彼を眺めている。

 ぞくり、とアヴィは背筋を震わせた。怖いのではなく、…その美しさに気を呑まれて。


「主の許可もなく踏み込む輩への対応としては、やさしい部類だと思うのだけれど?」

 冷たい笑顔に楽しげな声を載せて、イーリスは応じた。机に頬杖をつくその仕草も相俟って、まるで氷の女王のような妖艶さである。言っていることは否定できないと認めたらしい勇者は、ぷるぷるとその場で震えている。なんというか、まるでピエロが震えているかのようだ。だが、イーリスは別にピエロ好きではないので、何の感慨もない。


「え、と。あれ…、おん、…女…?」

「ええ、女性ですね。淑女の部屋へ許可も待たずに踏み込むなんて、紳士のやることではないと思うのですけれど?」

「いや、でも、お前……っ」

 ちょっと理不尽かも、とアヴィは思う。本来、イーリス…魔王フェネクスさまは、男のはずだし。まあ無礼だということに変わりは無いけれど、淑女というのは、どうだろう?


「あらあらあらまあまあまあ」

 楽しげな声が、背後から響く。開け放されていた扉の向こうに、ドレス姿の少女が口元を扇で隠し、目を丸くして立っていた。それが誰かを知るイーリスはため息をつき、アヴィは彼を見る。


「レディ・グリモア。何のご用件でしょう?」

「あら、内政府妖皇宮はわたくしの管轄ですから、異常があれば確認に参りますわよ?」

 妖艶な態度を崩さずに問いかけた彼に、あっさりと答えが返る。そしてそれは、…当然の回答である。


「…それは、…そうですね、ええ。そうでしたね……」

 忘れていた、とその背中が語っていた。妖艶な美女が台無しだなとこっそり思ったアヴィに、ビチャっと何かがぶつかる。にや、と勇者が笑ったところを見ると、彼が食らわされたものと同じもののようだ。

 しかし、イーリスはそ知らぬ顔である。


「どうぞ、レディ。中へお入り下さい」

「ええ、フェネクス。お招きに預かりますわ」

 なんか怖い、と反射的にアヴィは立ち上がる。イーリスが微笑んで、こちらへ、とアヴィを招く。


「どうぞ、レディはそちらに」

 ええ、とにっこり微笑んだ少女は、遠慮なく椅子に腰掛けた。そこには特別、何も起きない。それにちょっと驚きつつ、アヴィはイーリスの背後に立った。

 少女は何も言わず、ただ興味深そうに彼を見る。


「レディ・グリモア。彼は私の新しい従者です。アヴィと呼んでやって下さいね」

「アヴィ、ね。意外ですね、貴方が従者を持つなんて」

「そうですか?」

 会わせてないだけだという事実は飲み込んだまま、にっこりと笑って、アヴィを振り向く。


「彼女は魔王グリモア。内政府の長であり、妖皇宮の管理責任者です。それから、彼ですが」

 少年が戸惑いながらも頭を下げかけたところでそんなことを言うものだから、アヴィは当然固まった。そしてその視線の先に、レディの視線も当然のようにひきつけられる。


「二代目妖皇の食客、”勇者”さまです」

 澄ましたいいように、ぷふふ、とレディが吹き出した。アヴィはまあ、吹き出すほどではない。ただ、ずいぶんな濡れ鼠…それも何か絵の具を塗りたくられたような、カラフル鼠だなあとは思ったけれど。


「相変わらず、いたずらがお好きですのね」

「あら、仕置きですよ? あなたも無理に押し入って下されば、同じ姿に出来ましたのに」

 まあ、とレディは口元を隠した。

 妖皇宮は厳格な身分制度が適用されている。フェネクスの上司に当たる自分に、仕置きなどという真似は出来ないのに、それを忘れたのかと。


「――あら。ここは、妖皇宮ではないのですね。また陛下の悪戯でしょうか」

「まあ、それ以外考えられませんね。そういうことですので、ここは私の支配下にあります。言動にはお気をつけくださいね?」

 主に勇者に向けて、イーリスは言い放った。


「…押し入って悪かったよ、次は気をつける」

 しばらくの間、ぷるぷるしていた勇者だったが、それだけ答えて嫌そうに全身を見た。


「とりあえず、風呂借りるぞ」

「ありませんよ」

「何言ってんだよ、続き部屋にあったじゃん、前に借り」

 ごぃん、と音がして勇者が固まった。物語みたいに潰れたりしないんだな、とアヴィはこっそり思う。


「~~!?」

「話を聞きなさいな。浴室は置いてこられたんですよ。というか、妖皇宮で暮らしているなら気づきなさい?」

 この部屋の内装は、妖皇宮の作りとは一線を画している。イーリスが自分好みに内装を変えているためだ。それに実は天井付近を見ると、あからさまな境界線がある。普段からここで暮らしているのに、何故その程度、予想がつかないのだろうと、イーリスは呆れ顔だ。

 実はイーリスの屋敷と妖皇宮は、設計者が同じ人物である。故に寸法が一致するのだが、流石にそこまでは彼らでもわからない。


「文句は妖皇陛下へお願いしますね。私の洗浄術でよければ、披露しますけれど?」

「あれ生き物用じゃねぇだろ!?」

「ええ、そうですね」

 彼の言う洗浄術は、各種の山菜や香草から土を落とすためのものだ。獲物の血抜き用に改良した術もあるが、まあ勇者が言うとおり、生物用ではないので、結果がどうなるかは分からない。どうやら危機回避能力はあるようだ。


「――いいよ、部屋で入って来るよ。あーもう、なんでこんな目に…」

「他人の部屋に強引に入り込むからですよ」

「あなたは自業自得という言葉を、そろそろ理解するべきですわね」

 ぼろぼろの勇者に二人で追い打ちをかけるあたり、息が合わないわけではないらしいとアヴィは認識を改めた。いったいこの二人、どういう関係だろう?

 そんなアヴィには目もくれず、勇者はイーリスに視線を向けた。


「……フェネクスはしばらくいるんだよな?」

「この部屋が戻らない限りは、そうなりますね」

「ならまた来る」

「入れませんよ」

「…また来るから」

 言い捨てるようにして出て行った彼に、イーリスは答えを返さなかった。ただその視線は冷たくて、本当にこれがイーリスなのかとアヴィは思う。その視線が、レディと呼ぶ彼女に向けられたから、尚更に。


「さて、何が起きたかはお分かりかと思うのですが…?」

「ええ、そうですね。大変ね、毎度あなたも」

「お分かりでしたら御用はお済みですね」

 わー、とアヴィはイーリスの背後に下がる。怖い。やっぱりこのイーリス、怖い。男モードのほうが気安くていい。ていうかマジで怖いよ!?

 そんな少年を見つつ、グリモアは扇の向こう側で笑う。


「ええ、でも新しい用事が出来てしまいました」

「新しい用事?」

「その姿で夜会に出席なさるおつもりかしら?」

 む、とイーリスは自分を見た。一応は、恥ずかしい服装ではない。身体を締め付けないゆったりとしたワンピースタイプのドレスである。ただ、これはあくまで部屋着であり、日常生活用の衣服である。当然、夜会に出られるものではない。


「まあ、別に」

「妖皇宮では、術による衣服の作成を禁じておりましてよ? まさか男装で参加されるおつもりですの? それは従者殿が気の毒かと思いますが」

 ざっくりと切り捨てられて、イーリスは口を噤んだ。…そう、当日までに男に戻れる保証はないのだ。戻ってしまえば、いつもの衣装を出せばそれで済むけれど。それに女性となった今は、なかなかに魅力的な身体である。出るところは出ているので、流石に男物を着ることは出来ないだろう。そういえば、なんとなく視線の高さが違う。もしかして身長も変わっているのだろうかと、いまさらながらに気づく。


「”妖皇宮の仕立て屋”は腕がよくて手も早いですよ?」

 なにそれ、とアヴィは思ったが、何やら口を出すとまずいことになりそうなので黙っておく。ついでに、レディと呼ばれる彼女も見ないよう、視線を逸らしておいた。だから、イーリスが口の端で笑ったことには気づかない。


「そうですね。偶には、仕立ててみましょうか」

「ええ、是非。今日ならまだ、余裕があったはずですわ」

「――余裕?」

「あら、やはりご存じない? ”妖皇宮仕立ての夜会服”は、上流階級の皆様のステータスだそうですよ。おかげで注文が引きも切らないのだとか」

「そんなことになっているのですか……」

 眉根を寄せたイーリスに、くすす、とグリモアは笑った。


 ※ ※ ※


 レディ・グリモアを部屋から追い出した後、イーリスはアヴィを誘って庭へ出ていた。

 衣服はどうしたかと言えば、実は寝室のクローゼットに保管されていたので、事なきを得ている。どうしてそんなものをと問われたところで、クローゼットであり寝室なのだから、当たり前である。…もっとも、使うわけではないのでかなり、畳み皺はついていた。それをこっそり術で直したのもイーリスである。ついでに持ち出した編み籠に何が入っているのか、アヴィは知らない。

 迷路庭園を歩きながら、イーリスは語る。


「マラクスはね、アヴィ。この迷路庭園を育てた魔王なんですよ」

「育てたって?」

「人間と同じように木々を育てて刈り込んで、配置するんです。妖力をかけると変質しますから、全て手作業でね」

 流石にはじめ、作ったときには人間の職人たちに協力を仰いでいると聞いた。今も路を変えたいときなどの植え替えには、職人たちの手を借りるらしい。しかし、あくまで普段の手入れは、彼の仕事なのである。


「夜会に飾られる花々も、全て彼の手によるものですね。なかなかきれいなんですよ。まあ、本人はそれを理由に、夜会への参加を拒否していますが」

 イーリスが覚えている限り、彼が夜会に参加していたのは、はるか昔――そう、イーリスがまだ外遊官として動き回っていたころだ。どうして参加しなくなったか、聞いたこともなかったが…そう言えば何故だろう?

 ふと気になったが、自分とてどうして参加しないのかと聞かれたら答えに窮するから、そこはまあ、と考えないことにした。


「……なに、その魔王さまって園丁さん?」

「いえ、植物の研究者ですよ。妖化植物の研究をしていますね」

 うげ、とアヴィは嫌そうに顔を顰めた。妖化植物など、記憶にも新しいあれではないか。そんな彼に、イーリスは苦笑する。


「そんな顔をしないであげてくださいな。彼のおかげで、あの朝顔の駆除が出来るんですから」

「駆除?」

「ええ、駆除です。彼が薬を作ってくれたんですよ」

 追われた最後、イーリスが自分の館へ逃げ込んだ理由が、実はそれである。結界内へ侵入できないことはもちろんだが、生垣に咲き誇るあの蔓薔薇は、実は朝顔対策なのだ。もっとも、何故蔓バラなのかという問いに、彼は答えられない。受け継いだとき既に、あの状態だったものだから。


「それからもう一人、デカラビアという魔王も研究者ですね」

「へえ……」

「こちらは元、人間ですよ」

「……もと?」

 ええ、と涼しい顔でイーリスは頷いた。


「元は貴族のお姫様ですね。まあ、妖化植物に傾倒するあまりに変質してしまったんですが」

「……さっきも言ったよな。なに、妖魔って変質してなるものなのか?」

 あら、とイーリスは口元に手を当てた。うっかりしていた、そういえば変質について説明などしていないではないか…そんな感じで。

 えとですね、と口ごもり、悩み、考える。


「魔素を浴びた結果、存在が変わること。これを、私たちは”変質”と言います。具体的には、植物が能動的に動くようになったり、性質がかわったりするものが分かりやすいですね。あ、そうそう、その青い朝顔なんですが」

「ん?」

「妖化朝顔の原種だそうですよ」

「ってっ!?」

 慌てて距離を取るアヴィに、イーリスは笑ってその花を摘んで見せた。


「原種ですから、ただの植物ですよ。それにあれは、初代が作り変えたものだそうです。普通はあんなふうに変質したりはしませんよ」

 ああそう、とアヴィは頷くが、近寄ろうとはしない。イーリスは摘んだ花をどうしようかと悩んでいたが、ちょいちょいと自分の髪を結い上げて、そこに挿すことにしたらしい。ね、と彼に笑いかけて。


「平気でしょう?」

 罰の悪そうな顔で、アヴィは彼――彼女の傍らに戻る。そう言えば、気づかなかったが身長がかなり低いような。具体的には、自分よりも頭で半分ほど、低くなっていやしないか?


「ああ、ようやく気づきましたか。あなたと並ぶとちょうどいい高さなんですよね。誰の仕業でしょうね、本当に」

 じと目のイーリスに、アヴィは困った顔をする。自覚はまったくないし、どうしてそこで身長まで変えてしまうのか、さらに理由がわからないためだ。ちょうどいいとは、どういう意味だろうかと考えつつ歩き出し――うっかりと、生垣にぶつかってしまう。


「痛っ」

「何やってるんですか、あなたは」

 笑うイーリスだったが、アヴィが頬から血を流したことに気づき、表情が変わった。無言のまま彼を引き寄せると、そのまま手を引いて走り出す。その後ろに、生垣から飛び出す刃を置き去りにして。


「ちょ、なにあれ!?」

「後で説明します! 術は使えないから、走って!」

 何しろ、植えられているのはすべて本物の植物である。術どころか、妖力の余波で枯れる植物もあるし、妖化することも考えられるからと、庭園内から魔素が排除された上に術が禁じられている。


(妖力だけなら方法はあるんですけどね)

 ちらり、と横を走るアヴィを見る。チョーカーに吸わせているけれど、アヴィの妖力練成は未だ活動中だ。あれを開放すれば、使えなくは無い。だがそれも、主たるマラクスの許可があればの話である。そもそも彼がこの騒動に気づけば、何とかするはずだから、無用だろう。


「フェネクス! それ凍らせて! 許可するからっ!」

 聞こえたその声に、イーリスは笑って足を止める。


「――アヴィ、あそこへ飛び込んで待ってなさい」

「って、うわ!?」

 同じく足を止めかけた彼を生垣の向こうへ押しやり、少年が彼を確保するのを確信しつつ、気を放つ。探査などという悠長なことはせず、自分たちに害意を持つもの全てを凍らせる、その意思を込めて。

 生垣そのものは凍らずに、刃だけが白く凍りつく。その鮮やかな一手に、アヴィは息を呑んだ。そんな彼の肩を、少年がぽんぽんと叩く。


「行こう?」

 それを拒否する理由はない。

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