第百三十六話
王都の大通りを、一人の少女が歩いていた。
幾多の世界がうっすらと見えるようになった青空の下で、その少女はご機嫌な様子だった。
「ふーんふふふーん。王都はにぎやかですねー!」
鼻歌を歌いながら大通りを歩いているのは純朴そうで、そして見るからに能天気そうな少女だ。
少女は、俗に言う家出娘だった。辺鄙な地方の貴族の娘として生まれ、年頃になったので縁談でもするかと見合いを勧められた。
それが嫌だったので、少女は両親の反対を押し切って家を飛び出し王都まで来たのだ。
「これだけ人がいるなら、それだけ夢があるということですっ。いいですねー」
恐るべき向こう見ずで、同時に幸運の持ち主であることは疑いようもない。大した技能を持ち合わせていない世間知らずの女の子の一人旅で無事ここまで来れたのだ。いろんな意味で並ではない。
「わたしもここで、夢を掴みます!」
なにより少女はポジティブだった。
常に前向きな瞳で世界を映し王都の雑踏に目を輝かせていた少女は、はたと気が付いて足を止めた。
「ここ、どこでしょう?」
雑踏の流れの邪魔にならないように端に寄った少女は、ふむと考えこむ。
王都に入った。大通りに来た。人がいっぱいだ。夢いっぱいだ。そこまではいい。
しかし、そこからどうするのかが大事だった。
「ビックになるには、やはり冒険者です。冒険者になるためには……冒険者ギルド?」
物語で聞きかじった夢をつかむためのうろ覚えの知識を掘り返すが、ギルドの場所を知らない。
ならば、人に聞けるのがこの少女の美点だった。
「ちょっと待ってください、そこのキレイなお姉さん!」
「……どうしました?」
完全にナンパにしか聞こえないセリフで呼び止めたのは、少女より年上の女性だった。
二十代中ごろか、もしかしたら三十手前。日用品の買い物をしていたのだろう。小脇に抱えている紙袋には食料品などが入っていた。
「はいっ、質問があります。冒険者ギルドはどこですかっ?」
「……冒険者ギルド? あなたのような女の子が、あんなところに何をしに行くのですか?」
もっともな問いである。
話相手が見つかったと、少女はぽんぽん身の上を話していく。
「実はわたし、夢を掴んで冒険者になるんです。ご存知でしょうかっ。あの、リルドール・アーカイブ・ノーリミットグロウの伝説! あんな感じにわたしもビックになれるかなって思って王都に来たんです」
「ご存知ですよ。ですけど、その考えなし……さてはあなた、お馬鹿さんですね」
リルドール・アーカイブ・ノーリミットグロウ。
この世界で誰もが憧れる神様みたいな名前を、しかし女性はそっけなく流す。
初対面で罵倒された少女だったが、割と良くあることだったので気にしなかった。
「すごいですよね、リルドール様って。私とそんなに変わらない年頃で、もう迷宮を突破していたんですよ? 冒険者になれば、私もそんな感じにビックになれるかなって!」
「変に憧れるのはやめておきなさい。あの人はどうしようもなく無茶で、無謀のくせに貫徹して、最後の最後までおバカだっただけの人です」
「はい?」
初めて聞く評判に、小首をかしげる。
「……あの人も、まったく悪影響を世間に残してくれたものです」
「はい? なんですか、悪影響って」
「あなたみたいな夢追い人な若者を増やしたことですよ」
女性は少女の反応を気に留めた様子もない。
「冒険者で世界に名を残そうなんて、まったくくだらない夢ですね。カスミさんのように、誰もの役に立つ技術を追究されているほうがよほど立派です」
「そんなすごい技術者さんと一緒にされても……わたし、バカですし」
「そうでしたね、お馬鹿さん」
むう、とむくれる。
『無限の灯』の二代目クランマスター、カスミ。近年、天蓋の突破方法をとうとう編み出した生きた偉人だ。
「世間話も楽しいですけど、ギルドの場所を教えてください」
「あなたは、この王都にあてがあるのですか」
「ないです!」
また話を逸らされた、と思いつつも会話に乗っかる。結構ひどいことも言われるが、この女性と話しているのはちょっと楽しかった。
なにせ家出娘だ。なんの後ろ盾もないし、持っているお金もこつこつ溜めたお小遣いだけだ。それも路銀で擦り切れて、三割を切っている。
だが何とかなるだろうと能天気に答える。
「でも大丈夫ですよー。あのコロネル・コロナも着の身着のままで王都に来て、冒険者になれたって聞いてます! それに比べたら恵まれたもんですっ」
「あのおサルさんくらいサバイバルできるならなにも言いませんが、あなたは違いますよね」
「おサルさん?」
なんのことだろう。首をかしげるが、女性はやはり気にも留めない。
女性は、少女の目を視線でまっすぐ射抜く。
「あなたは冒険者になるのは、やめなさい」
「え、でも……」
「私は、ちょっとしたアパートを管理しています。部屋も空いていますし、そこで働きなさい。ちょうど、人手が足りなかったところです。少し前までもう一人、居候が住んでいたのですが……たぶん、あの子ももう戻らないでしょうしね」
何があったのか、ほんの少し寂し気につぶやく。
なにかがあったのだろうか。少女は疑問を覚えるが、問いを口にするほど打ち解けた仲ではない。
「実は巷の風聞が気に入らないので、ちょっとした伝記でも書こうかと思っているんです。私の立場からそういうものを発表すれば、世間様も少しは幻滅してくれるでしょう。ついでに売上も見込めますので、出版社も乗り気です。そのための時間が欲しいので、身の回りとアパートの管理を任せる人手が欲しいんですよ」
「ふむふむ」
女性の提案を検討する。突然の申し出だが、つまり住み込みのメイドになれと言うことなのだろう。自分を騙そうとする悪い人にも見えない。当てのない王都で、ありがたい話ではあった。
ただ、少女にも夢があった。冒険者になるという夢が。冒険者になってビックになって有名になるぜっ、という大きな夢なのだ。
「悩むようでしたら、そうですね。私のところでの住み込みと冒険者稼業を並行して行なっても構いません」
「むむむ」
少女は少し悩んだ。
住み込みメイド。なかなかいい条件に思える。どうせ下級貴族の末娘などにはできることは少ないのだ。
しばらく考えて、少女は決断した。
「よろしくお願いします、ご主人様!」
「ご主人様はやめなさい」
「はいっ、ボス!」
ビシっと敬礼して雇い主への間違った敬意を表す少女に、女性はため息を吐いた。
「でも、ボスはどうして私のことを雇ってくれるんですか? 人手が欲しいのはともかく、私とボスは初対面ですけど――はっ! もしかして、私に運命を感じたとか!?」
「だからボスも……まあ、いいです。あなたのような無謀な若者が目に付いたら、ちゃんと止めようと思っているだけです。少し、後悔したことがありますので、見ているだけではなく目に付いた部分は行動するよう心掛けているんです」
大げさなリアクションをする少女に対し、女性は大人びたものだった。
「これでも、人を見る目はあるつもりです。アパートには、あなたのご同類も何人かいますよ」
「おお! じゃあ、仲良くなれそうです! あ、そういえばボスの名前は何ですか?」
「ああ、そういえば名乗っていませんでしたね。私は、アリシアと言います」
これはまだ始まらない物語。
「アリシアさん、ですね」
「ええ。あなたの名前は何ですか?」
「あ、わたしですか?」
きっと、いつまで経っても終わらない小話の連続。
「私は、フロウ。フロウ・ローグです。」
大きく渦巻く縦ロールに巻き取られた、終わらなかった小さな世界で続く日常。
多くの人が、出会い、別れ、波乱を起こし、あるいは平穏に過ごす日々。
「これからよろしくお願いします、アリシアさん!」
「ええ、みっちり教育してあげます。立派な常識人にしますので、楽しみにしていてください」
「……はい?」
神様みたいに名を上げた、なんてことのないただの少女の無限に輝く縦ロールに乗せられ守られて。
「なんか、ちょーっと嫌な予感がするです、ボス!」
「気のせいですよ、フロウさん」
記録されることのない幾千億もの物語は、これからずっと続いていく。
改めてこれで完結となります。
以降、書籍発売に合わせて、ちょこちょこと宣伝代わりに短編を上げていくかと思います。
ここまで付き合ってくださいまして、誠にありがとうございました。




