第117話:新しい季節
キーンコーンカーンコーン――。
始業式当日の朝、校門へと続く坂道には、新しく買い替えたばかりの真っ白な上履きが入った袋を抱え、少し緊張した面持ちで歩く生徒たちの姿が溢れていた。
4月の柔らかな風が吹き抜けるたび、満開を過ぎた桜の木からハラハラと花びらが舞い落ち、アスファルトをピンク色に染めていく。
蓮は、昇降口の前に人だかりができているのを見つけて、ゴクリと唾を飲み込んだ。
壁に大きく貼り出されているのは、3年生の「クラス替え発表」の掲示板だ。これからの1年間を誰と過ごすことになるのか、誰もが目を皿のようにして自分の名前を探している。
(ついに、この日が来ちゃったか……。終業式の日に図書室で真白と交わした勝負の結末が、これで決まる)
もし同じクラスになれなければ、あの時二人で名簿の裏に書いた『YES』の予想は外れ、真白を照れさせるリベンジの機会すら激減してしまう。蓮が緊張で一歩も動けずにいると、背後からスッと、聞き慣れた足音が近づいてきた。
「あ、蓮くん。おはよう。ずいぶん神妙な顔をして掲示板を睨みつけてるね。もしかして、私の名前を見つけるのが怖いの?」
振り返ると、そこには春休みの私服姿から、再び見慣れたセーラー服に身を包んだ真白が立っていた。冬のチャコールグレーのマフラーはもうないが、代わりに春の朝日に照らされた彼女の笑顔は、相変わらず蓮の心臓に悪いほど眩しかった。
「お、おはよう真白! 怖いわけないだろ! ただ、人が多すぎて自分の名前がまだ見つけられないだけだ!」
「ふーん、じゃあ私が代わりに探してあげる。……あ、あった。蓮くん、3年2組だよ」
真白は人だかりの後ろから、器用に背伸びをして掲示板を指差した。
「えっ、2組!? じゃあ、真白は……?」
蓮が慌てて2組の名簿を目で追うと、スクロールするよりも早く、真白がクスッと笑って自分の胸元に手を当てた。
「おめでとう、蓮くん。私も、3年2組。……ということで、終業式の日の勝負は、二人の予想通り『YES』で、私たちの引き分けだね」
掲示板の「2組」の欄には、確かに『白石真白』と『宮本蓮』の名前が少し離れた位置に並んでいた。
「よ、よかった……」
思わず本音が口から漏れてしまい、蓮は慌てて自分の口を手で押さえた。それを見た真白は、嬉しそうに目を細めて蓮の顔を覗き込んでくる。
「あれ? 蓮くん、今『よかった』って言った? そんなに私と同じクラスになれて嬉しかったんだ?」
「ち、違う! 別に真白と同じクラスでよかったわけじゃなくて、陸と同じクラスになれたからホッとしただけだ!」
ちょうど横を通りかかった陸が「おう蓮、俺3組だわ! じゃあな!」と手を振って去っていくという最悪のタイミングの悪さだったが、真白はそれすらも楽しそうに「あはは、陸くんは3組みたいだね?」と蓮をからかった。蓮は真っ赤になった顔を隠すように、逃げるように新しい2組の教室へと向かった。
◇
新しい教室、新しい担任の先生、そして少しだけ顔ぶれの変わったクラスメイトたち。
始業式と最初のホームルームが静かに進み、先生が教壇の黒板に『席替え』の4文字を書き込んだ瞬間、教室中が再びザワつき始めた。
「よし、じゃあ3年生最初の席替えを行う。各自、教卓にある箱からくじを引いて、黒板の座席表の番号の席に移動するように」
先生の言葉に、蓮の心臓は再び激しい高鳴りを上げ始めた。
同じクラスになれたのはいい。しかし、席が離れてしまえば、あの1年間のように授業中にからかわれることも、ノートの端で秘密のやり取りをすることだってできなくなってしまう。
(お願いだ、せめて近くの席に……欲を言えば、また真白の隣の席に……!)
神に祈るような気持ちで、蓮はくじを引き、自分の席の番号を確認した。
黒板の座席表と照らし合わせると、蓮の席は『窓側の、後ろから2番目』。1年生のときと全く同じ、まさに蓮にとっての定位置、特等席だった。
「ふぅ……」
ひとまず最高の席を確保できたことに安堵し、蓮は自分の荷物を持って窓側の席へと移動した。
机にカバンをかけ、ふと隣の席を見る。そこにはまだ、誰も座っていない。前の席、斜め前の席には、新しいクラスメイトたちが次々と荷物を運び込んでくる。
(真白の席は、どこになったんだろ……)
蓮が教室全体を見渡して真白の姿を探そうとした、その時だった。
トントン、と蓮の机の端が、綺麗な指先で軽く叩かれた。
「ねえ、蓮くん。そこ、私の席なんだけど。ちょっとどいてくれる?」
「え……?」
蓮が驚いて顔を上げると、そこには自分の荷物を抱えた真白が、満面の笑みを浮かべて立っていた。彼女が左手に持っているくじの紙には、はっきりと蓮の隣の座席番号が書かれている。
「な、真白!? お前、また隣の席なのか!?」
「うん。先生の箱からくじを引いたら、この番号だったの。蓮くんの隣。……すごいでしょ?」
真白は手際よく自分のカバンを机の横にかけると、1年生のときと全く同じ距離感で、蓮の隣の席にちょこんと腰掛けた。窓から差し込むうららかな春の光が、彼女の綺麗な髪をキラキラと輝かせている。
あまりの偶然の連鎖に、蓮は呆然とするしかなかった。クラス替えで同じになり、さらに席替えでまた隣同士になるなんて、確率にしたら一体何分の一なのだろうか。
「……なぁ、真白。お前、実は超能力とか使って、くじを選んだんじゃないのか?」
蓮が本気で疑いの目を向けると、真白は机に両肘をついて、悪戯っぽく蓮の顔を覗き込んできた。
「まさか。超能力なんて使えないよ。……でもね、蓮くん。私が引く直前に、蓮くんが引いたくじの番号をチラッと先生の座席表で確認して、箱の隙間からその隣の番号の紙を狙って引いたのは、本当だよ?」
「えっ……じゃあ、偶然じゃなくて、狙って……!?」
驚愕する蓮に、真白は人差し指を自分の唇に当てて、「しーっ」とウインクをしてみせた。
「だって、せっかく同じクラスになれたんだもん。私はやっぱり、蓮くんの隣の席が一番落ち着くから。……3年生になっても、またたくさんからかってあげるね、蓮くん」
そう言って、真白は春の嵐のように愛らしい笑顔を咲かせた。
彼女の「狙って隣の席に来た」という大胆な告白と、あまりにも真っ直ぐな言葉の破壊力に、蓮の心臓は完全にキャパシティをオーバーし、顔は一瞬にしてトマトのように真っ赤に染まった。
(っ~~~~! また、最初の最初から完全に真白のペースだ……!)
悔しいけれど、それ以上に、またこの特等席で彼女の笑顔を一番近くで見られることが、どうしようもなく嬉しいと思ってしまう自分がいた。
窓の外で舞い散る桜の花びらを眺めながら、蓮は「3年生こそは、絶対に真白に勝つ!」と心に誓いつつ、新しく始まる二人の騒がしくて愛おしい日常に、胸を躍らせるのだった。




