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彼女を探して

 八月上旬の強い日差しが照りつける中、俺は長野原草津口駅に降り立っていた。鈍行だと四時間近くかかるというので途中新幹線を使ったものの、それでも片道約三時間。まさかこんなに遠いとは……。


 しかも、湯畑へ行くにはさらに草津温泉行きのバスに30分くらい揺られる必要がある。……やべぇなグンマー。完全に秘境じゃねーか。


 ……なんて言うと県民の皆様に怒られそうなのでこの辺にしておくが、行くだけでもこんなに大変なところの記憶が一切無いって……やっぱり俺、脳に腫瘍でもあるんじゃないか……? 真面目に心配になってくる。


 道中、俺はずっと例の写真を見つめていた。とりあえず、最初の目標はこれらの写真が撮られた場所を発見することだ。今のところ湯畑しか明らかになってないので、他の写真も草津で撮られたという確証が欲しい。


 湯畑に着くと、温泉らしい硫黄の香りが俺の鼻を刺激した。目の前に広がるのは、写真と同じ風景。ゴツゴツした黒い岩がエメラルドグリーンの湯を取り囲み、もくもくと湯気が立っていた。


(本当に、こんな場所が存在していたのか……)


 画像でしか見たことの無かった風景が、今は目の前に広がっている。別世界などではなく、この日本の歴とした温泉街……。半分夢のような存在だった写真の彼女も、一気に現実味を帯びてきた。……もしかしかたら今この瞬間にも、人混みに紛れて彼女がすぐそばを通りかかっているんじゃないか。……そんな淡い期待も膨らむ。

 

 実際、彼女は今……どんな姿をしているのだろう。俺の見た目は高校生の頃とさほど変わらないが、良くも悪くも、女は男より容姿の変化が激しい。この子だって、今は垢抜けないツインテール娘ではないだろう。年相応の大人な女性に成長しているはずだ。


 ……というか、もし仮にそんな彼女が俺の視界に入ったら、俺は気付くことができるのか? ……そもそも、それらしい人物を発見したとしても、確認する手段がないじゃないか。向こうが俺のことを覚えていればなんとかなるが、お互いに記憶が無かった場合はガチでどうしようもない。


 果たして人というのは、撮った記憶も無い写真に写っている過去の自分を、自分だと認識することができるのだろうか。この写真を見せて、「私かもしれない」という人間が複数人現れたら、もはや特定は不可能だ。……彼女に記憶があることを祈るしかない。

 

 俺と彼女の間に一体どんなことがあって、なぜ記憶が跡形も無く消えてしまったのか、それを明らかにすることも今回の目的の一つなのだ。彼女の記憶まで無くなっていたら、何も得られなくなる。


(いや、きっと彼女は覚えている)


 自分にそう言い聞かせる、楽観的な俺。むしろ、覚えてくれていなきゃ困るんだ。たとえそれが、辛く苦しい記憶だったとしても……。


 それはそうと、写真の撮られたと思われる場所が、一向に見つからない。ほとんどは木と川と岩くらいしか写っていないのだから、当然といえば当然である。唯一なんとかなりそうなのは、この魚を掲げている写真。恐らくここは釣り堀だろう。


 スマホで検索すると、この辺りに釣り堀は一カ所しかないらしい。

 

 釣り堀のある「西の河原公園」へ行くために、湯畑を北へ向かって歩いてゆく。すると、木々の生い茂る自然豊かな場所が突然現れた。写真の風景に何となく近いような気もするが、やはり記憶が戻ってきそうな感じはない。


 途中、一人の若い女性とすれ違った。残念ながら、写真の女性とは明らかに違う顔つきだ。観光客か何かだろうとあまり気にしなかったものの、……何か違和感がある。


 ……そういえば、すれ違った直後に彼女の足音が消えたな。


 なんとなく気になって後ろを振り返ると……。その女性は、立ち止まって俺の方をじっと見つめていた。……飾り気のない、清楚な顔つきをした美形の女性だった。そして、俺と目が合うと、特にリアクションもないままその場を立ち去ってしまった。


(……なんなんだ?)


 若干気味が悪かったが、あまり気にしないことにして先を急ぐ。……「西の河原」に到着したのは、それから間もなくのことだった。


 釣りができる河原というくらいだから、俺は澄んだ水の流れる小川を想像していたのに……。いざ着いてみると、流れているのはお湯だった。しかも、西の河原は「さいのかわら」と読むらしい。「にしのかわら」じゃないのかよ。色々裏切られすぎだろ、俺。


 河原の石には、緑色の藻のようなものがこびりついている。でも、流れているのはそれなりに熱い「お湯」。なんともミステリアスな光景に感動しながら、俺はこのあたり唯一の釣り堀へ向かった。


 釣り堀は、河原のさらにその奥にある。進むにつれてひと気はなくなり、鬱蒼とした木々が俺を迎えた。なんというか、やっぱり秘境だなここ。クマ出没注意とかあるし。


 俺の目的は釣りではなく風景を確認することなので、釣り堀の外から中を覗く。……間違いない。写真に写っているのは、この釣り堀だ。俺はあの女性と、ここで釣りを楽しんだんだ。


 ……頭がおかしくなる。いや、すでにおかしいのかもしれないけど。実際に現場の空気を吸えば多少なりとも思い出すと思ったのに、現実はただただ混乱しただけだった。……かすりもしない。


 訳が分からないまま、俺は再び温泉街へ戻った。時間は午後六時を回ったところ。そろそろ泊まる宿を見つけなければ、野宿する羽目になる。……そう、俺は完全無計画で草津まで来ていたのだ。温泉街だし、泊まる場所なんていくらでもあるだろうと高をくくっていた。

 

 ……しかし、それは甘かった。忘れていたが、今は夏休みシーズンだ。大きな旅館やホテルは満員か、空いていても驚くほど高かった。圧倒的に想定できたであろう壁にぶつかった俺は途方に暮れたが、数件目の旅館で有力な情報を入手する。


「橘さんのところなら、空いているかもしれません。民宿なので、料金もお手頃ですよ」


 ……うん、もうそこしかない。俺はすかさず行き方を聞き、「橘民宿」を目指した。あまり宣伝をしていないので「知る人ぞ知る」状態らしいが、質は決して悪くないという。

 

 湯畑から民宿まで結構距離はあったが、なんとか午後八時前にはたどり着くことができた。確かにあまり目立たない外見で、「泊まれる」と教えてもらわないと宿泊施設だとは思わないかもしれない。


「……すみません。あの、今日ってここに泊まれたりするでしょうか」


 受付のベルを鳴らすと、女将さんらしき中年女性が爽やかな笑顔とともに現れたので、俺は控えめに尋ねた。……ここで断られたら、野宿は決定だな。


「大丈夫ですよ。ぶらり一人旅ですか? うち、結構そういう方多いんです」


 彼女の返答を聞いて、俺はほっと胸を撫でおろす。とりあえずこれで、野宿はしなくて済みそうだ。 


「まぁ、一人旅というかなんというか……」


 もごもご答える俺。すると、彼女は眉間に少ししわを寄せながら、俺の顔を覗き込んできた。……急に何なんだろうと、少し不安になる。


「……あれ? お客さん、何年か前にも一人旅でここに泊まられましたよね?」


 ……俺は、驚きのあまり言葉を失った。


「……え?」

「来ましたよね、お客さん。確かあの時は……高校生だったような。高校生で一人旅行なんて珍しいから、覚えてますよ。それに……」


 突然のことに戸惑いすぎて、俺は何を喋ったらいいのかわからない。そんな俺をよそに、彼女は話を続ける。


「最後の夜にチエミちゃんがあなたに会いに来て、いい感じで青春してたことを思い出しますよ。なんていうか、あの頃は……」

「あ……あのっ!! その、チエミちゃんって、もしかしてこの人のことですか!?」


 ビシィッと脳内に電撃が走ったような気がした俺は、持っていた写真を彼女の前にばらまくように置いた。……手が震えて、うまく並べることができなかった。


「あ、そうそうこの子。無邪気でいい子だったよね、本当に……」

「い……今俺、この子のこと探してるんですっ!! なんていうか、記憶喪失になったみたいで何も覚えてなくて……!! だから、もしご存知だったら、彼女が今どこにいるのか……教えてくれませんか!?」

「……え?」


 俺は、全身全霊を込めておばさんにお願いした。カウンターという壁がなければ、土下座していたかもしれない。……しかし、きょとんと……おばさんは目を丸くして固まってしまう。


「覚えて……ないの?」


 神妙な面持ちで、俺にそう返すおばさん。まぁ、何も覚えてないなんて言ったら、そうなるのも当たり前だろう。


「……だったら、思い出さないほうがいいと思うけれど」

「いいんです、どんなにひどいことがあったのだとしても、俺はこの子と話したいんです……!! あわよくば、やり直したい……!!」

「……残念だけど、それは無理です」


 バッサリとおばさんに切り捨てられた。そしてふと蘇る、封筒に貼ってあったあのメモ書き……。――苦しいよ。人はなんで悲しむん? ……やっぱり俺は、何か酷いことをこの子にしていたのか……!?


「……もし俺が彼女に辛い思いをさせたんだったら、謝りたい……!! 会って謝りたいんですっ……!! だから……!!」


 そう必死になる俺の右手に、おばさんがそっと手を重ねてきて、小さく首を横に振る。落ち着いて見てみると、……おばさんは、むせび泣いていた。そして……


「……そういうことじゃなくて。チエミちゃんはね、……」


 ……おばさんは、俺の心臓を握りつぶすような一言を、言ったんだ。


「……もう、この世にいないんです」

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