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第46話 役から解き放たれるなら

 ヤマネさんと三月兎はこれからそのまま町のほうまで帰るらしい。ほっそりした両腕で本を重たげに抱えるヤマネ嬢と、その横で元気に駆け出しそうな三月兎をお城の門の前で見送った。もちろん三月兎には、もう走るなと忠告しておいた。「おっけー!」と元気よく頷いていたが、正直ほんとにわかっているんだろうかあのド変態は……。心配に思いながらも、私は二人を見送った。


 さて、もうそろそろ夕暮れ時か。今日は忙しかったなぁ。とりあえず部屋に帰ろうか。そう思い、私は借りているあのゴージャスな部屋に戻る。


「ただいまーっと」


 別に部屋で誰かが待っているわけではないのだし、そんな挨拶は必要ないのだけれど、なんとなく声をかけてから自分に与えられた部屋のドアを開ける。


「よ、遅かったじゃん」


「……!!?」


 誰かいたーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!


 思わず開けたばかりのドアをばたんと勢い良く閉めた。

 え、え、えっと!? ここ私の部屋だよね! 初日に白兎に案内されたあの豪華で広々としてて賃貸物件なら月に二十万はとられようかというほど使い勝手の良い、あの、私の部屋だよね!?

 混乱して扉の前でぐるぐると立ち尽くす私。が、扉が内側からあっさりと開けられ、思わず私はバランスを崩してつんのめり、部屋のなかに半ば事故のような形で足を踏み入れる。

 あわあわと両手を振り回して無様に倒れかけた私を、何かがぽすりと受け止めてくれた。


「おいおい随分挙動不審だなあ、あっぶないじゃん」


 頭上から呆れたような声がふってくる。こ、この声は……!!


「変態セクハラキングだああああああああああ!!」


 気づくがいなや私は素早く片足を振り上げた。よっしゃ、 変態の股間にクリーンヒット☆


「ぎゃあああああああ! またこのパターンかよ!」


 キングがなんともいえない悲鳴をあげてのたうちまわる、かと思いきや!


「だが舐めてもらっちゃ困るな! この俺も学習した。今回のアリスは年下で初心で乱暴者であることを!」


「な、なにぃ!?」


 驚いたことにキングは当たり前のような顔でしゃっきりと立っていた。な、何故だ! 絶対うまく決まったのに! 驚愕に身を竦ませる私に対して、キングは大層腹の立つドヤ顔でチッチッチ、と指を軽く振った。


「ファウルカップを装着していたのさ!」


「な、なんだってー!?」


 ファウルカップって、アレだよね!? なんかスポーツ選手とかが繊細な股間を守るためにつけるかったい防具みたいなものだよね!? うおおおおお、なんてことだ、このキング、できる男……!!

 ど、どうする……、メアリさんと白兎の話だとアレだろ、この人は前のアリスを襲っ(放送禁止用語にて自主規制)なんだろ! しかし、必殺☆股間蹴りが封じられた今、抵抗のすべはなし。そんな危険人物と部屋で二人っきりはまずい……!!


 頭のなかでぐるぐると考えて、私はあとずさってキングから距離をとった。拳を握り締めてじりじりとした眼差しで見つめていると、キングは柔らかな金髪を揺らし、にやっと笑った。


「おーやおや、対抗手段がなくなったら、随分おとなしくなったねー。はは、やっぱりまだまだオコチャマかな? 守ってくれるひとがいないとだめなのかな?」


 あ、なんだこのムカつく言い方は。イラッとくる私に対して、キングは尚も挑発するように言葉を重ねる。


「ま、ここ最近は白兎とかチェシャ猫の世話になってばかりらしいし? やれまぁ子どもはこれだから」


 ここで横目で私を見つめ、プークスクスと感じの悪い笑いを浮かべる。ふ、ふおおおお、ムカつく!ムカつくよこれは! なんだその事実無根の言いがかりは! 今日はニセウミガメとかとお茶してたよバーカ! 


「きょ、今日はニセウミガメさんやグリフォンさんと会ってましたから!」


 ムカムカしながら言い返すと、キングは意外そうに首をかしげて目を細めた。なんだ、疑ってるのか? こちとらそんなに白兎におんぶにだっこじゃねーっての!


「か、彼女と、とも、友達……? になったんです! あ、あとニセウミガメさんのこと、帽子屋さんにも紹介しました! めっちゃ有意義な一日でしたから! 白兎さんともチェシャ猫さんとも会う暇ないくらいですから!」


 友達といいきれずに気弱で微妙な言い方になったが、とりあえず啖呵を切った。うん、とも……だちだよね! うん、きっと友達、ツンデレだから対応が塩のように辛いけどマイベストフレンド……。

 長らく続いたぼっち学生生活によって、軽々しく相手を友達呼ばわりできないという微妙な傷におびえる私に対して、キングは少し感心したようだった。


「ほ~、おとなしいかと思ったら案外頑張ってるねえ。だが、」


 ん? だが、何?


「無駄な努力だなぁ。よくやるよ」


 は?


 何ですと? あん? 喧嘩売ってるの? 何なの?


 私今日すごく頑張ったんだけど! バラ姉妹に振り回されたり、ツンデレニセウミガメのツンツン攻撃に耐えたり! すごく頑張ったんだけど! なんだよその評価! 私みたいな半分ひきこもりなぼっちには、友達一人つくるのだって大変なんだよバーカバーカ!

 ……などという大変情けない個人的事情をぶちまけるわけにもいかず、私はキングをジト目で睨んだ。キングは余裕綽綽といった顔で、「おー怖い怖い」と笑う。


「この国の連中と仲良くなったところで、……いや、この国の連中の仲を取り持ったところで、そうろくなことにはならない。なにせ、すぐに忘れてしまうんだ。骨折り損のくたびれもうけだね」


「……? どういう、意味ですか?」


 首を振って言うキングの言葉は、ひどく意味深であった。すぐに忘れる? まさかニセウミガメさんが若年性痴呆だとか一日しか記憶がもたない悲恋系ケータイ小説のような設定もちではあるまい。一体どういう意味なのだろうか。不思議に思って問い返すと、キングはあっという風に口を手でおさえ、もう片方の手をパタパタと振りつつ無慈悲な答えを返した。お茶目なウインクつきである。


「おっと、今のはナシ。忘れてくれ」


 あああああん?

 何だよ! 情報をちら見せするだけしてあとは秘密はないだろ! もっと太っ腹に気前良く頼む! 不完全燃焼すぎるでしょ! っていうかなんで皆こんなに秘密主義なのさ。白兎といい、芋虫といい、みんな言ってることがわけわかめなのだ。

 これはもう、みぞおちに一発いれてやるしかない。なかば八つ当たり気味にそう思う。股間のあたりは確かによく見るともっこりしており何やら仕込まれているのがわかったが、みぞおちのあたりはペッタンコで特に何も仕込まれてなさそうだ。これなら、メアリさんの真似っこをすれば、いける……!!

 殺意をみなぎらせ、私は握り締めた拳を彼の腹めがけて放とうとした。が、しかし。


「おおっとぉ! おいおい、マジで暴力的だな、今回のアリスは……!!」


 ひきこもりな私に、メアリさんのような美しいパンチは放てなかったのである!!

 突き出した拳は、私よりもずっと長いリーチを持つ彼の腕に受け止められ、しかもそのまま腕をとられてしまった。ま、マズイ。この前みたいにセクハラされてしまう。あ、そうだ! こんな時こそあれを使おう!


 白兎から、用事があったとき鳴らすように言われたベルの存在を思い出し、私は掴まれた腕を振りほどいて駆け出そうとした。ベルまでの距離、実に五歩。しかし、見た目からして推定成人男性なキングの腕は、そうあっさり振りほどけない。びんっとつながれた腕のせいでつんのめった。


「は、放してください! セクハラで訴えますよ!」


「あーもう、じゃじゃ馬にもほどある……、っつーか訴えたところでアレだから、一応俺が王様だから」


 呆れたようにいうキングに、いつぞやの白兎の「こんなのが王様な時点でもうダメダメ」という辛口な言葉を思い出す。ちくしょー、何様俺様キング様ってか! 法律は俺様ってか! 絶対王政反対だよー!


「は、っそうだ! た、たすけてー!!」


「ちょ、マジで黙って、おとなしく!」


 ベルが駄目なら叫ぼうと息を吸い込んだら、慌てたような声でキングが私の口をふさいだ。むぐっとつまった音が出る。うわ、なんだこれ、今私抱きこまれるような体勢だ! や、やめろ接触面積が広すぎて寒気が!!

 ばたばたと両手を振り回してあばれようとするも、キングはうまいこと私の両腕を掴んで抵抗を封じた。そのまま壁際に押し付けられ、私は情けなくも潰れた「むぎゅう」という悲鳴をあげる。背中側からキングが覆い被さるように私を押さえつけているという謎体勢だ。


「……さすがにおとなしくなったか」


 心底呆れたような口調でキングが呟いた。くそ、一体何するつもりなんだ。セクハラパート2なのか。お前も変態か! ええい、これだから不思議の国は! もうお家に帰りたいよ! ホームシックがひどいぜ。


「い、一体、何のつもりですか」


 押さえつけられたまま聞くと、背後のキングは「んー」ともったいぶるような声をあげた。


「ま、この前のファーストコンタクトは失敗したし? 挨拶がてら、と思ってさ」


「とんだ挨拶だな貴様!」


 思わず突っ込んだ。が、途端に口にキングの手が軽くあてられ、塞がれる。


「あんま騒がない。こわーいお目付け役が来ちゃうから」


「むぐ、むぐぐぐ!?」


 誰のことだよ。あ、白兎さんか……。そうだね、あいつこの前のビルさんとの一件のとき、まるでセコムのように俊敏にやってきたもんね! って、それはともかくとして、今はキングへの対応だ!

 まったく、ホントに何がしたいんだこいつ。っていうか普通女の子の部屋に勝手に入る? しかも壁におしつけたりする? 何なの? やるにしたって普通壁ドンでしょう、なんで私壁に向いてるの?

 壁しか見えないうえに何もいえないこの状況に、何を考えたらいいのかわからなくなってきた。いや、もしかしてこれ悠長にしてる場合じゃないのかな。う、あれか、これは「私に乱暴する気でしょう! エロ同人みたいに! エロ同人みたいに!」って展開なのか?! いや、だ、大丈夫だよね、お城という最高権力者のお膝元でそんな不埒なことが起こるわけが、ってあ、この人が王様だったわ……。


 ぐるぐると考え事をして絶望的な気分になっていると、おずおずとした風にキングは言った。


「まぁ、なんていうのか……。そう役に立つ情報はあげられないけど、一応忠告しておきたくてさ」


「……?」


 忠告? なんのことだろう。怪訝に思うが、押さえつけられた状態では首も傾げられない。それにしても、やけに歯切れ悪く改まった口調だ。躊躇うようなその言い方は、今までのハイテンションセクハラな感じとはちょっと違う。

 思わず強張っていた体から力が抜けた。キングの言葉の意味をとらえようと集中する。


「……リル、っていったっけ?」


「へっ?」


 急に呼ばれた本名に、私は驚いて間抜けな声をあげた。さっきまでは皆と同じようにアリスと呼んでいたのに、一体どうしたのだろう。っていうか、どこで知ったんだ。私のこと本名で呼ぶ人なんて、他にメアリさんくらいしかいないはずなのに。しかも、何でそんなに真面目な声で呼ぶんだ。て、照れちゃうじゃないか。


「聞いたぜ、食堂で派手に喧嘩したって」


「うっ、うぐぐ」


 や、やめろ、古傷が、黒歴史が疼くぅ……!! なんで皆その話引っ張ってくるの! あの時はこう、不思議の国に対する不信感とか、身内からもらった服を破かれてちょっと情緒不安定になってブチ切れ☆してしまっただけなので、なんかこう、恥ずかしいからもう掘り返さないでくれ!

 恥に悶絶して黙りこくる私に対して、なおもキングは言葉を継いだ。ゆっくりと、言葉を選ぶように、彼はやけに慎重な物言いだった。


「この国にやって来たアリスの中で、そんな行動をしたのは君が初めてだ」


 あ、それ白薔薇さんにも言われたよ。ブチ切れアリスちゃんって呼ばれたもん……。くっそう、どうしたって黒歴史だよぉ。うじうじ考え込む私の背後で、あいかわらずシリアスモード続行なキングは、しばし迷うように呼吸だけを繰り返し、そしてついに思い切ったのか、呟いた。


「リル、君ならもしかしたら……、この不思議の国を、終わらせられるかもしれない」


「……え? お、終わらす?」


 予想外の言葉に、私はおさえつけられていることも忘れてキングのほうを振り返った。すると、もう力は入っていなかったのか、わりとあっさりと拘束は緩まり、私は今度は壁を背にしてキングと向かい合う形になる。ゆるりと外れた彼の腕が一瞬私の体に引っかかり、しかしそれも力なくだらんと垂れた。

 目に飛び込んでくる、色彩センスを疑うような彼のハデハデな服、そして真剣な表情。柔らかな金色の髪が端正な顔に覆い被さり、その髪の透けるような輝きの向こうからやけにまっすぐに見つめてくる瞳に、私はたじろいだ。う、顔が、近い。

 っていうか、今の体勢、あれだ、あれだ……!!


 正統派壁ドン!!


 目も眩むような眩しいイケメン(ただし変態。ただし変態。大事なことなので二回言う)と壁際で見詰め合う。す、すごく、少女マンガです……。しかも以前は変態的チャラ男な言動しかしなかったキングは、いやにまじめな表情でこちらを見ている。や、やばい、さっきのエロ同人とは違う意味で緊張してきた。心臓ばくばくだ。口から飛び出そう!


 とても不真面目な緊張に目を白黒させる私に対して、キングは静かに語る。


「今までのアリスは、大体はすぐに向けられた愛情に蕩けて行った。……当たり前だよな。白兎についてくる少女は、みんな程度の差こそあれ、現実の生活に嫌気がさしている。そうじゃなきゃ、兎を追いかけるなんて御伽噺みたいな真似はしない」


 いろんな意味で胸を高鳴らせる私に対して、相変わらずシリアスモードでキングは続けた。

 お、おう!? っていうかこれすっごく重要な情報なんじゃ……。だって、前のアリスの話なんて、聞きたいと願っても誰も教えてくれなかったぞ!?

 やけにうるさい心臓を片手でおさえるようにして、息をつめて私は続く言葉を待つ。私の視線を受けて、キングは一瞬目を細めた。何かを悔いるような、いや、懐かしむような、だろうか。複雑な感情に満ちたその瞳が、揺れる。


「だから、全員、敵意なんて欠片も持ってなかった。この狂った状態に対する疑心さえも、白兎に導かれた少女には欠落していた」


 う、うん? つまり私以外の、今どこにいるのかはよくわからないけど、とにかく前のアリスたちはこんなマジキチな国民に対して、なんの疑いも持たなかったってこと? なにそれすごい。純粋か、イノセントすぎか! む、無理でしょ、普通に考えて万年発情期兎とか、会った瞬間から拒絶反応出るでしょ! 私はついさっきまでドン引きしまくってたんだけど……。も、もしかして、私って心が狭い? もっと鷹揚に構えなきゃダメ!?

 いかんいかん、思考が変な方向にそれた。話に集中しなきゃ。


「だから、みんな、逃げられなかった。向けられる愛情を享受するだけの生活が心地よく、多くの少女は何も考えなくなっていく。いや、それだけじゃない。ふと帰りたいと、そう思うたびに、その思いを握りつぶされ続けてきたから」


 ……握りつぶす、とは。だんだん不穏になってきたぞ。

 その過激な表現に顔を顰めた私に向かって、キングは今まで見せたことが無いような、なんともいえない微笑を浮かべた。うっそりとした、悲しそうな、儚げな微笑だった。あのセクハラをはたらく彼と同一人物であることを疑うような、今にも掻き消えてしまいそうな儚さに、私は動揺する。


「だからねリル、君はとても珍しい。この状況に対して疑念を抱き続け、そして現実世界に思いを馳せて、帰りたいと願っている」


 黙ったまま、キングを見上げると、私の瞳を見返すように彼もこちらを見つめてきた。


「……現実世界に対して真っ当な執着を持つ君が、何故白兎を追いかけたのか。俺はそこがとても気になるがね」


 キングはそう呟く。私は思わず、俯いた。


 ……。現実生活に対して、まったく何の悩みもない人間なんているはずがない。

 私だって、運動神経が悲惨なこととか、人付き合いが下手すぎてぼっち街道まっしぐらとか、色々思うところがある。思うところがあるっていうか、頭が痛いことだらけだ。他人との接触は気持ち悪いとか思っちゃうし、人が苦手でぼっち拗らせてるし、何より実の姉の頭の中がメルヘンっていうかお花畑っていうか一回転してマジキチっていうか! とにかく生きていく以上悩みは尽きない。


 ……そういう悩みを抱えていると、時々どうしようもなく心が弱ってくることがあって、そうするとつい現実逃避したくなる。その現実逃避っていうのは、面白い本を読んだりして、現実から目をそらすってことだ。

 そう、私は、どうしようもなく辛くて苦しい現実世界から逃げ出して、どこか楽しい不思議な世界に行きたいとずっと思っていたんだ。よくある小説の筋書きみたいに、いつか急に知らない世界にトリップしてしまって、そこで友達ができたりモテモテになったり、救世主になったり、そんな馬鹿げた夢を、本気で思うことがあったのだ。


 でももちろんそんな絵空事めいたことは起こらない。現実は現実のまま。友達とうまくやっていけない自分がここに居るだけ。体育の成績が冴えない自分が取り残されているだけ。当たり前だ。自分に都合のよい世界がそうホイホイと存在するはずもない。……わかってはいても、辛くなると、現実逃避を繰り返してしまう。

 

 絵を描いたり本を読んだりしてるのは、そういう気持ちの表れだ。物語の中みたいなところに行きたい。でもそれが叶わないから、せめて自分で美しいものを描こう、そんな気持ちなんだ。


 だから、きっと。


 私は、白兎のあとをついて、訪れたあの図書館で、



 あのアリスの抜け落ちた絵本の美しさに、ひどく惹かれたのだ。



 失われた夢を描いたような、そして何故かひどく懐かしいような、身に馴染むあの絵本に。胸が痛くなるほど美しい、私がなくした夢を描いたような、あの世界。


 俯いた私の頬に、キングはそっと手を置いた。人肌の生ぬるさに、一瞬私は震えた。しかし私の反応に構わずに、ことさらに優しい手つきで私の顎を持ち上げ、下を向いていた私の顔を上向かせる。彼の瞳が、私にじっと視線を合わせた。


「リル、君なら……」


 泣きそうにその瞳が歪んだ気がした。


「きっとこの国を終わらせることができる」


 思いもかけない言葉に、私は目を見開いた。


「この国は、最初のアリスとともに、あの忌まわしい夕焼けのときに、終わってしまうべきだった。このまま、これ以上……、クイーンにさせるわけにはいかない」


 今にも涙がこぼれそうなその瞳から、目を離すことができなかった。混乱で、頭がうまく働かない。

 でも、彼は一体何を言っているのだろう。クイーンに、一体何をさせるわけにはいかないと考えているのか。いや、そもそもクイーンは一体何をしているのか。彼女に会ったのは最初の一回きりだ。彼女がどんな人なのか、私はまったく知らない。


「……俺の仕事は、あいつの首斬りを止めることだけだから」


 寂しげな瞳で笑うキングの口からこぼれた言葉に、私は呆然として息をのんだ。

 首斬り。それは、原作の不思議の国のアリスの女王と同じ。そうだ、女王は見境なく、気に入らない者は斬首刑に処すという暴君めいたキャラクターだった。そして王様は、あとで女王の命じた斬首を撤回してまわる。女王様の命じた残酷な処刑はなかったことになって、不思議の国における刑罰はただの遊びみたいな存在になりさがる。


 ……クイーンの首斬りを止めることが彼の仕事だというのなら、キングは、クイーンを止めたいと思っているのだろうか。一体、この国のクイーンは、何を成すというんだろう。まさか、比喩的な意味でなく、本気で首を斬るのだろうか。


 疑念を抱えて押し黙った私に対し、キングはようやく真面目な表情を崩し、にへらと軽く笑ってみせた。いつもの表情に近いその顔に、ようやくシリアスな雰囲気が和らぐのを感じた。だが、それでも緊張は解けず、私の鼓動はどくどくと激しくなるばかりだ。


「ああ、心臓の音が聞こえる」


 キングが呟き、私を見下ろす。

 え、そ、そんな、外に漏れ聞こえるほどに激しく鳴っているのかな? 驚いて、ぽかんと開いた口に手をやった。その瞬間。


 むにっ。


「はは、こんなに高鳴ってる」


「き、貴様ーーーーーーっ!!」


 信じられないことに、キングは微笑んだまま、私の胸元に手を置いた。揉むまではなかったが、胸を触るだけで立派なセクハラ、重罪です! 私は即座に叫び、そして今度こそ真っ直ぐに拳を繰り出して、キングのみぞおちを打った。

 ぐはっというふうに体を二つ折りにして、キングはおなかを押さえて呻いていた。ふはは、ざまーみろ! 子ども相手でも油断するとこうなるのだよ! ぜいぜいと呼吸しながら様子を窺う。


「ま、マジでじゃじゃ馬め……くそ」


 苦しげに言ってこちらを睨み、けれど何故か少しだけキングは笑った。お? なんだなんだ?


「まぁ、これくらい元気があるなら、そう簡単に居なくなったりしないな」


 お、おう?


 意図を読めずにパチクリと瞬いた私に向かって、彼は今度はニヤリと意地悪く笑う。なんだなんだ、仕返しでもする気か? 身構える私に対して、キングは囁く。その囁きは、常の軽薄な雰囲気と同時に、先ほどまでの壊れそうな繊細さを孕んだもので、私は一瞬動きをとめた。


「不思議の国を、よろしく頼むぜ、リル」


 ……。よろしく、されてもね! まぁ、頑張るけど!

 彼の言った言葉の意味がよくわかっていない以上、安請け合いはできない。が、不肖リル、頑張るよ。なにしろ曖昧すぎてわからん情報とはいえ、彼は以前のアリスについての貴重な情報をくれたのである、報いねば罰が当たるってものだ。ふんと鼻息も荒く私は気合を入れる。


「ま、そういうわけだ。じゃ、これは慰謝料と情報料ってことで貰って行くぜ、アリス」


 いつの間にか戻ったアリスという呼び名に気をとられた私は、目前に迫るキングの顔をそのまま受け入れてしまった。


 ちゅっ。


 音を立てて唇が触れ合い、唇どうしはくっついたまま。一瞬で離れたこの前のファーストキスとは違った。触れるだけだが、何故か名残惜しげに、数秒間そのまま唇は触れ合っていた。唇の柔らかさと暖かさが、じんわりと伝わってくる。

 その感触に、頭が真っ白になった。


「え、あ、う……」


「お、やっぱオコチャマは初心だねー。キス程度で固まるとは」


 ニヤニヤしながら顔を離したキングに、はっと我に返って私は叫んだ。


「この、せ、セカンドキスまで奪うとは!」


「おいおい、まだ誰も手を出してないのか? 意外だな~。てっきり三月兎あたりにヤられたかと……」


 ええい、何をされたって!? そういう微妙に卑猥な言い方はやめんかい!

 二度目のみぞおちストレートを繰り出そうと拳を固めた私に気がつき、キングはじゃっかん顔を青くして私の部屋から急ぎ足で出て行った。


 な、何だよもう!

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