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流れ星、流します。  作者: 一天草莽
第一章 プロポーズの夜に

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08

 そして日曜日の午後七時。町外れの山の中腹にある公園で、高い場所から町が一望できるベンチに座って相田は彼の到着を待っていた。町を見晴らす端は崖のような急斜面になっていて、そこには転落を防ぐため木製の柵が立てられている。

 二人にとって思い出深いこの公園は、ベンチに座って正面を見ると夜景に輝く町が広がる素晴らしい景色の公園であった。

 公園の中央にある背の高い時計台が午後七時五分を指し示した。前原はすでに五分の遅刻だ。


「まだかしら、前原さん。急いで向かっているって連絡は来ているけれど」


 心配になってきた相田をいくつかの外灯が弱々しく照らしている。

 あたりはもうすでに薄暗く、それが相田をますます不安にさせた。


「あ、相田さん、遅れてごめん」


 約束の時間に遅れてきた彼は申し訳なさから彼女のもとへ走ってきた。

 相田は前原が来たらちょっとは怒ってみようかなどと考えていたが、一生懸命な姿を認めるとそんなことはすっかり忘れていた。


「いいえ、大丈夫よ」


「それはよかった。でも本当にごめんね」


「気にしないで」


 前原は走ってきたせいで息を切らしていたのか、何も言えず黙って頷いた。

 それから二人はベンチに隣り合って座る。夜空にはまばらな星が輝きを放っていた。


「ここに来るのは三年ぶりだよね……」


 前原は夜空を見上げながら三年前に思いを馳せた。

 それは三年前のこと。当時モトカと別れて一人寂しく仕事をこなしていた前原は、彼より一つ年下の相田と仕事場で偶然に出会った。同じような夢を持ち、同じように孤独で、それでいてお互いに違う何かを感じた二人はすぐに惹かれあった。

 しかし二人はともに奥手であり、どちらとも恋愛に不器用な性格でもあったため、それ以上の進展はなく、もどかしい日常だけが流れていた。

 そんなころ、相田の友人である美紀が気を利かせて、二人きりで夜の公園へとデートできるようにセッティングして、そこで二人はぎこちないながらも幸せな時間を過ごしたのだ。

 そして、その夜のことである。

 好きだという気持ちを胸に抱いたまま、明確な一歩を踏み出せずにいた二人の前に、神秘的で美しい流れ星が輝いたのだ。

 二人はこの流れ星をきっかけにして、ついに交際を始めることができたのである。


「なんだか私たち、あの日以来この場所を避けていたようだった」


「特別だったからさ。大切な思い出を汚したくなかった」


「なら、どうして突然ここに?」


「あの日のように、今日もまた特別なものにしたいから……」


 その言葉を聞いた相田は前原の顔をそっと見つめる。

 前原はまだ星空を眺め続けていた。


「ねえ、前原さん」


「なんだい?」


「……幸せな結婚には、愛とお金、どちらも必要?」


 それが難しい問題であったから、答える前に二人は目を合わせる。


「人それぞれであることを前提として、文字通りの意味での質問なら、必ずしもそうとは言えないんじゃないかな」


「わかりやすく言ってみて」


「……つまりね、愛や幸せっていう抽象的な言葉を議論の対象とすること自体があいまいなんだから、それによって導き出される結論もあいまいとならざるを得ないんだよ」


「あいまいでもいいの、あなたの考えを言ってみて」


 彼なりの答えを聞きたいのか相田は前原へとさらに近寄った。

 こうなると前原は答えをぼやかすこともできなくなってしまう。


「お金がなくたって幸せを求めることはできるし、愛がなくたってお金さえあれば幸せを感じることができる人もいる。だから重要なのは人それぞれ、だけど……」


「だけど?」


「僕の考える幸せな結婚には当然ながら愛情が必要だと思うし、それだけじゃなく一般的にはお金として表現されがちな責任が必要だと思うんだ」


「愛と、責任?」


「うん。責任のない愛はどこか独善的だし、愛のない責任は単なる義務感だろう? だから、その責任をわかりやすくお金と言い換えているのなら、僕としても両方が必要だと言わざるを得ない。それよりもね、どちらか一方で十分だと言い切れるほうが僕は心配なんだ」


「決意に対する自覚がないから?」


「うーん。そう言ってしまうと少し語弊があるようにも感じるけどね」


「……でも、両方が必要だというのも、相手のことを思っているからなのね?」


「そうだよ。……少なくとも僕の場合はね」


 そこまで聞き、相田は前原の力説に思わず顔を下向けた。

 そうして思い出すのは数時間前に会った古賀のことだ。

 彼が幸せな結婚には愛とお金が必要だと言ったとき、相田は心ならずも彼に疑念を抱いた。けれど今なら、前原の熱い思いを聞いた今なら、古賀の言い分に不信感を抱いてしまったのは相田自身の身勝手な反発に過ぎなかったのだと考えることができた。

 皮肉ではあるが、前原は敵に塩を送ったと同じ結果になったのだ。


「ねえ、ちょっといいかな?」


 前原はうつむいたままの相田に優しく声を掛けた。

 けれど彼女はなかなか顔を上げられなかった。


「ねえ、前原さん。きっと私に話があるんでしょう?」


「うん、とても言いたいことがある」


「……その話、今日じゃなきゃだめ?」


「僕はそう心得てきた」


「私は満足に聞けないかもしれない」


「……それでも」


 前原は再び遠い星空を見上げた。隣に座っている相田はまだうつむいていた。


「僕に足りなかったのは、きっと確信だったんだ。今更だけど、僕はもう決断したし、きっと逃げない」


「そう……」


 きらめく星空を名残惜しく思いながらも、前原はそっと目を閉じた。

 隣に相田が座っているのを確かに感じると、素直な思いを力強く伝えた。


「僕は君が好きだ。今だけじゃなく、これからも君が好きだ。できれば、もしできることなら、どうか僕と結婚してくれませんか?」


 前原は目を閉じたまま返事を待ち、相田はうつむいたまま沈黙する。

 その長い沈黙が夜の闇に溶け込んだころ、相田が小さく、かろうじて聞こえるほどの声で答えた。


「……考えさせてください」


 それだけを、一言。

 前原はその一言のうちに、希望ではなく落胆しか見出すことができなかった。

 彼女が結論を出せずに考えてしまう理由は、前原が彼女にとって未だに確信の持てる相手ではないという事実だけだ。

 前のめりに意気込んでいた前原にとって、このとき、彼女に結婚を否定されたも同然だった。


「そうか、そうだよね。それならいいんだ……」


 前原は力なく目を開けると、地上から見た場合においては不動のまま輝く無数の星たちを、失望のまなざしで見上げていた。

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