58 金欠の吸血鬼は端末を求める
ある真祖の生は、大きく分けて三つに分類される。
一つ。始祖と出会い、新たな名を得る前――すなわち、人間だった時代。親の顔も、元の名前も覚えていない、全体のたった一割にも満たない僅かな時間だ。はっきり言って思い入れはない。
二つ。ヴァンパイアに生まれ変わって以降の時代。その真祖の性格の礎を形作ってきた時代にして、真祖としての、そして唯一のヴァンパイアの生き残りとしての矜持を培った時代だ。
そして三つ目は――「すまほ」に触れてしまった時代である。
「――やることがない……ヒマだ……」
治療院の白いベッドの上でぼやく少女の名はテネリス。ユウジと呼ばれる闇医者の存在により「すまほ」中毒者となった、情けない真祖の一人である。
「暇だ。暇だ暇だ……」
テネリスはベッドの上で転がり、呪詛のように呟く。
これまで、血以上に渇望するものなどこの世に存在しないと思っていた。だが、何かが満たされると、また別の何かが欲しくなるのが人の性――それはどうやら、ヴァンパイアも同じことのようである。
視線の先には、もう何周したかも分からない雑誌や漫画が積まれている。「何回でも読める面白さ」なんて表現があるが、それは間を置いて読むから楽しいのであって、読み終わった後で即座に見返しても面白いという意味ではない。
「今までの私は、いったいどうやって生きていたのだ? 考えられんな……」
今は金庫に眠らせているお気に入りの冊子をいま見返したとして、「すまほ」と出会う前と同じように楽しむことができるだろうか。どうか、そこだけは変わらないでいて欲しいものだ。
想像だにしなかった自分自身の変化に慄きつつ、テネリスはベッドから起き上がる。そしてふらふらと院内を徘徊し、やがて待合室のテレビに目をつけた。時間帯によっては血飛沫満載の素晴らしい番組もあったりするのだが――。
「今日は外れか、つまらん」
テネリスは失望を言葉として吐き出しながら、手に取った「りもこん」を所定の位置に戻した。よくわからないジャギジャギとした線を見ながらケーキがどうだのカブがどうだの、一体何が楽しいのやら。
「こうなったら、回収屋の仕事でもしてみるか?」
今日は色々あったこともあって労働の気分ではないのだが、このままだとおかしくなってしまいそうだ。テネリスは早速依頼を確認すべく、ポケットに手を入れ――そして気が付いた。
「『すまほ』なしでどうやって仕事を受けるのだ?」
テネリスは呆然と呟いた。散々機械音痴だ何だと言ってきたものだが、「すまほ」は十分にテネリスの生活に根差していたようである。
「はぁ……」
テネリスは深く息をつくと、治療院の外へと向かって歩き出した。適当に外でも歩いていれば、そのうち朝になるだろう。
苦し紛れな暇潰しに明け暮れるテネリスをあざ笑う朝日を見届けたところで、テネリスは治療院内へと戻った。ここ最近で一番無益な時間であった。
ユウジに一刻も早く新しい「すまほ」を用意するよう訴えねばならない。そう決めたテネリスは、早速ユウジの部屋へと向かい――時刻が6時を回った瞬間、目覚まし時計のアラーム音に先立って声を上げる。
「ユウジ! 一刻も早く『すまほ』を調達するぞ!!」
「なんだ……朝から、騒がしいやつだな……」
「大事なことだからだ!」
「……あとで聞くから、待ってろ」
「わかった」
子供のおねだりをあしらうように手を払われたが、理性のあるテネリスはその程度で動じることはない。ユウジはこの後顔を洗って朝食を摂るはずなので、そのタイミングがいいだろう。
そう踏んで休憩室でテネリスが待っていると、やがてまだ眠そうな表情のユウジが現れた。彼は慣れた手つきでコーヒーを淹れ、テネリスの前に座る。
「んで? スマホのことなら昨日言っただろ、自分で調べて何を買うか決めろって」
「その調べる手立てがないから困っておるのだ」
「あぁ、なるほど」
手をヒラヒラと見せるテネリスに、ユウジはすべてを察したようである。
「そりゃ俺が悪かったな。というか、サポート無しで選ばせるのは不安だな……」
「よくわからぬが、酷く見くびられていることはわかる」
ユウジは肩をすくめると、近くにあった「のーとぱそこん」を手に取り、一緒に画面を見るようにテネリスを手で招いた。
「スマホにもいろいろあるんだ。機種、大きさ、重さ――お前、この辺の数字を見て一発で理解できるか?」
「どれ、見せてみるがよい」
画面には「すまほ」のカタログと、びっしりと情報が記載された表が画面いっぱいに広がっていた。
「……表の見方と、ヤードポンド法ならわかる。あとはアレだろう。数字が大きければ大きいほどよいのだろう……」
「そうとも限らないんだなぁ、これが」
顔を顰めつつ絞り出したテネリスの返答にユウジは苦笑する。認めがたくはあるが、確かにテネリス単独でこの情報に辿り着いたとして、その先のことは何もわからなかったことだろう。
「まぁ、あとでゆっくり説明しよう。仕事が終わったら時間を作る」
「うむ」
満足のいく返答が得られたテネリスは、ユウジの向かいに座って部屋から持参した血液製剤に手を伸ばした。
「ああそうだ。ついでに新しい雑誌か漫画を用意してくれぬか? 何周もしてしまって、そろそろ暗唱すらできてしまいそうでの」
「なんだ? この間新しく買ったばっかりじゃ――ブフォッ!?」
テネリスに文句を告げながらコーヒーに口をつけたユウジは、何の前触れもなくそれを噴き出した。あわやテネリスに吹きかかるところだったが、「のーとぱそこん」がテネリスの身代わりとなった。
「んなっ、汚いぞ! そんなに私に漫画を買いたくないのか!?」
「げほっ、ごほ……違う、そうじゃない……」
「では何だというのだ」
近くにあったティッシュをユウジに差し出してやりつつ、テネリスは問いかけた。
「お前、炎上してるぞ」
「うん? 私は燃えておらぬが」
「そうじゃなくてな」
ユウジはそう言うと、コーヒーまみれになった「のーとぱそこん」の画面をテネリスに向けた。せめて拭いてからにしろと口から出かけた言葉は、画面に映し出された内容によって飲み込むことになった。
・インビジブルは人か魔物か? ICOの判断が招いた悲劇
・魔法少女によるインビジブル殺害疑惑 フミさん「コメント差し控える」
・コラム:ICOはインビジブルを人と認めるべきだった
・曖昧なルール 度重なる想定外に魔法少女も困惑の声
・魔法少女の特権はなくすべき? 故郷を追われた人々に迫る
「な、なんだこれは……」
インビジブル、すなわちテネリス側に当たりが強い世論は散々見てきたが、今回は真逆、むしろICO側が責められる構図である。しかもその当事者の中に、どういうわけかフミの名前まで載ってしまっている。
「そ、そもそもどうして私が死んだことになっておるのだ?」
「さあな。ただ、このまま放っておくとどんどん話が拗れるんじゃないか?」
「それは間違いないの……」
ICOが責められる分には結構なのだが、このままインビジブルが退場したことになるのは非常によろしくない。それにフミも面倒なことに巻き込んでしまっているようなので、ここは可能な限り早めに収拾をつけてやる必要がある。
その上で一番手っ取り早いのは、当事者たるテネリス自ら、己の生存を知らしめることだ。
「よし。ユウジ、私は少し出かけてくる」
「ああ。上手くやれよ」
「言われんでもそのつもりだ」
テネリスは席を立ち、足早に休憩室を後にした。
「……これ、壊れてねえよな」
あとに残されたユウジは、コーヒー漬けになった端末を前に呟いた。




