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第58話: 束の間の平穏と、新たな旅立ち

 「天穹の祭典」での死闘から数週間が過ぎ去った。


 帝都アヴァロンは、祭りの後の心地よい疲労感と日常の穏やかさを取り戻し、街には静かな時間が流れていた。


「殿下。まるで何事もなかったかのようです——」


 大聖堂の地下で繰り広げられた、世界の運命を賭けた戦いは、ごく一部の者しか知らない秘密として、日常の彼方へと葬り去られた。


「ああ、そうだな、ロマンシア」


 アスクレピオスの計画は阻止され、『蛇』の組織の帝都における活動拠点も壊滅した。だが、アスクレピオスが遺した「主」という言葉の影は、依然として私たちの心に重くのしかかっていた。


「お父様、お義母様——」


 それでも今の私たちには、束の間だとしても、確かな平穏を噛みしめていた。



 私と、レオルガンとの間には、数々の死線を共に乗り越えたことで、もはや言葉は不要なほどの揺るぎない愛情と信頼が、確かなものとして育まれていた。


 普段は氷の仮面に隠された優しさと深い愛情は、私の心を温かく包み込み、私にとってかけがえのない支えとなっていた。


 宮殿の庭で、寄り添いながら穏やかに談笑する私たちの姿は、侍従たちの間でも微笑ましい噂として囁かれるようになっていた。


「君と共にいると

 どんな未来も恐ろしくはないと思える。

 君が隣にいてくれるなら

 私は、どんな困難にも立ち向かえだろう」


「わたくしもですわ、レオルガン様。

 あなたと、そしてこの子たちがいてくれるなら……

 どんな運命も、きっと乗り越えていけます」


 私たちの間には政略を超えた真実の愛が芽生え、そしてそれは、日ごとに深まっていた。


 イヴァールは、地下祭壇での壮絶な戦いを経て、自身の内に眠る「古き民の力」を前向きに受け止められるようになっていた。


 力を人々や世界のために正しく使うため、そして二度と暴走させないため、私やレオルガン、そして時折、古き民のもとを訪れ、力の制御訓練に真剣に取り組んでいた。


「イヴァール殿。随分と逞しくなりましたね」


「ありがとうございます」


 イヴァールの緑の瞳にはもはや怯えなどなく、未来への希望と、仲間を守るという強い意志の光が宿っている。


 セラフィナとカリクスもまた、兄・イヴァールの成長と、私たち家族の絆の深まりを心から喜び、私たちを慕ってくれていた。


 こうして、ケルベロス家とヴァリスガル家の間に、新しい、そして温かい家族の形が、確かに築かれつつあった。



 だが穏やかな日々の裏で、私とアラン=セレスター書記官は、決して警戒を解いてはいなかった。


「ロマンシア様。

 先日イヴァール様が古き民から預かったという

 この一節はもしかして——」


「なるほど……『蛇』はもしかすると

 私たちが想像するよりも古くから

 この帝国の歴史の闇に

 巣食っていたのかもしれないわね」


 私たちは、エレオノーラ妃が遺した日記の残りの部分や、アスクレピオスが最期に遺した謎めいた言葉、そして古き民の伝承に残る「世界の成り立ちの秘密」などを照らし合わせながら、日々、分析を続けていた。


 そしてある日——、私たちは恐るべき可能性に気づいた。


「ロマンシア様! これを——!」


 アランが発見した、古い書物と古き民の伝承に仕込まれていた暗号文の新たな解釈。そこには、一つの可能性が示されていた。


「そうね……この通りだとすれば

 『蛇』の組織の真の目的は

 単なる世界の再構築や支配ではなく

 『この世界の理そのものを、根源から書き換える』

 ということになるわね」


「その計画の頂点に君臨し、全てを操っているのが

 『主』と呼ばれる存在——

 その正体は、もしかすると

 人間や魔族といった種族を超越し

 あるいは古代の神々やそれに匹敵するような

 異次元の存在であるという可能性も……」


「アラン。


 この仮説が正しいとすれば

 『蛇』の『主』とは

 我々がこれまで対峙してきたどんな存在とも

 比較にならないわ。


 この世界の創造にすら関わったような

 超越的な……何かだとしたら、もう——」


 私は、悲壮な覚悟を込めて、アランに語り掛けた。あなたなら、何か解決法を探し出せるのではないかと期待を込めながら。


「……だとしても

 私たちは立ち向かわなければなりません。


 それはエレオノーラ様の遺志であり

 イヴァール様の運命であり

 ロマンシア様、レオルガン様——

 そしてあなた方と出会った

 すべての人間に課せられた使命なのだと


 私は、そう考えています」


「アラン。

 あなたも覚悟を決めてくれているのなら、心強いわ」


「ロマンシア様——」

 

 イヴァールやレオルガンだけではない。ミーアやアランも、皆を巻き込んでしまったのかもしれない。しかし、私はそれを乗り越えなくてはならないと直感していた。



 そんなある日、ミーアの元に一通の差出人不明の『奇妙な紋章』が刻まれた文書が、密かに届けられた。


「なっ……!」


 それを見たミーアの表情は、普段の冷静沈着さを失い、深い苦悩と葛藤の色を濃く浮かべていた。


(ミーア……どうしたのかしら?)


 と私の脳裏に直接「心の声」が飛び込んできた。


『誰にも言ってはいけない』


『これは——重要な秘密』


『私は孤独に戦う覚悟を決めていたはず——

 何を今さら……』


「ミーア!」


 たまらず私は声をかけた。しかし、」ミーアは気づくこともなく、その文書を手に立ち尽くしている。


『……やはり、逃れることはできない

 ……この運命からは……。』


『ロマンシア様……あなた様のそばを

 離れなければならない日が

 いつか来てしまうのでしょうか……』


 「心の声」は悲痛な響きを帯びている。


(ミーア! 一体何が——)


 ミーアに何か「隠し事」があることは以前から分かっていた。だが彼女は巧みにそれを隠し、私に心配をかけまいとしていた。


(いつか、こういうことが起きる気がしていた——)


「ミーア! ミーア!!」


 何度も名前を呼んだが、ミーアは気づくことなく呆然としたまま、その場を離れていった。


(やはり、底知れない新たな脅威が

 この世界のどこかに存在し

 次の邪悪な計画を進めている——

 そう、私たちに迫ってきているんだわ)


 このまま帝都アヴァロンに留まっていては、いずれ、より大きな戦いに巻き込まれ、愛するレオルガンや、子供たち、そして大切な仲間たちを、取り返しのつかない危険に晒してしまうことになるかもしれない。


 いつしか私は、そう考えるようになっていた。


 私たちが手に入れたこの束の間の平穏は、あまりにも脆く、そして儚いものなのだ。


(ミーア……あなた、何を隠しているの……?

 もしかしてそれは『主』と何か繋がりが……?)


 このままでは、また同じことの繰り返しになるだけかもしれない。私たちが本当に守りたいものを守るためには、受け身でいては駄目なのだ。


 私は、決意を固めた。



 その夜、私はレオルガンの元を訪れ、私の想いと覚悟を告げた。


「レオルガン様。

 わたくしは……この世界の真実と

 『蛇』の『主』の正体を突き止めるために

 そして、その恐るべき野望を完全に阻止するために、

 旅に出ようと思います」


 世界の理を書き換えようとする組織の陰謀の根源を断ち切るための、長く困難な、新たな戦いに向かっていく旅立ちの宣言だ。


「うむ……」


 レオルガンは私の言葉を静かに聞いていたが、やがてアイスブルーの瞳に、深い理解と揺るぎない愛情の色を浮かべて、私の手を強く握りしめた。


「……分かっている。

 君がそう言うだろうと、どこかで予感していた。

 ならば、私も共に行こう。

 どこへ行こうとも、私は君と共にある。

 ——それが、私の選んだ道だ」


「レオルガン様……!」


 と、その時。


「父上、お義母様! 僕も行きます!

 もう、自分の運命から逃げたりしません!

 この力で、必ずみんなを守ってみせます!」


 扉の外で私たちの会話を聞いていたイヴァールもまた、強い決意を瞳に宿らせて、そう申し出てくれた。


「イヴァール……!」


 ミーアもまた、気持ちを伝えに来てくれた。その「心の声」は再び強く閉ざされていた。しかし、彼女が何者だとしても私の信頼は揺るがない。心強い仲間の一人なのだ。


「やはり、お嬢様のお側を離れることなど

 わたくしには考えられません」


「ミーア。ありがとう。

 その時が来たら、何でもわたくしに言うのですよ」


 ライルやアランもまた、それぞれの形で、私たちの新たな旅を支援することを、力強く誓ってくれた。


 かつての断頭台で見た絶望的な景色は、私の瞳のどこにもなかった。


(私は——どんな運命も必ず切り拓いてみせる!)


 皇宮を旅立つ最後の朝。朝日が、帝都アヴァロンの街と私たちの新たな旅立ちを見守るかのように、水平線の彼方から昇り始めた。


 その光は希望に満ち、私たちの行く末を明るく照らし出しているかのようだった。

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