第一節
外交庁の仕事が始まると、かなり忙しくなった。
俺の仕事は、俺に向いてると判断されたのかもしれないが、各国の軍事力の調査や、軍事行動の監視だ。
と言っても、別に俺が自ら諜報活動をするわけじゃない。
各国に派遣している調査部隊やスパイなどから入ってくる情報を統合して解析するのが主な仕事だ。
まあ、下っ端の騎士だった俺に軍事の事なんてさっぱり分からないんだが、ここは外交庁で、周囲にいるのはみんな外交官だ。
そもそも軍事経験なんてない彼らからすれば、軍事部門最高のエリートたる魔法親衛騎士団から副司監が来た、となれば、どうしてもこういう期待をしてしまうらしい。
本来なら、俺は分析まで終わった情報を見て、どうすべきか判断したり、上へ報告したりするだけの役割なんだが、分析前の情報まで持ち込まれて相談される。
だが、そもそも訓練に明け暮れて、まだ戦争に参加すらしたことのない俺が、そんな事が分かるわけもない。
持ち込まれてもまともな回答が出来るわけじゃない。
「副司監、ジゴナ王国との国境付近で煙が確認されたそうです!」
「誰かが焚き火でもしてんじゃないの?」
「副司監、山脈の向こう側にあるワナーク大公国の軍隊が装備を着けた状態で山岳越えをしています!」
「多分それは、登山演習だろ。俺もやったことがある」
俺はそんな感じで適当に流していた。
そもそも危険なことなんてそうそう起こるわけもないから、それ以上調査するのも時間の無駄だ。
なんだが、それはそれで的確で迅速な判断をするとか賞賛されるんだが、どうしたもんだろう。
だが、これまでは独自に深く調査したり、軍の方に警戒を依頼して俺と同じようなことを言われてたそうだから、俺の判断はあながち間違ってないようだ。
そんなわけで、活躍してるのかしてないのかさっぱり分からないが、俺の評価は高かった。
これってどうだろう。
まあでも副総監のオーブ子爵は褒めてくれるし、このやり方で間違いないならそれでやっていこう。
まあ、総監はどうも面白くないのか、色々と難癖つけてくるけどな。
それがまた、的を射た正論だから何も言い返せない。
「その判断の根拠は何だ? 何に基づいて判断したのだ?」
うん、俺、適当に判断してるだけだからそんなのはない。
いつも経験とカンみたいなことを言って、君のような若造の経験を信じろというのか、という話になって、最後はリーヤが何とかなだめくれるわけだが、そのリーヤも最近は厳しく怒られることもある。
まあ、これまではカーリャ侯爵家の家来というか、彼の元上司である元総監の親父のスタッフだったリーヤが、外交庁の役人、つまりは総監の部下になったわけだから仕方ないと言えなくもないんだが。
何ていうか、ちょっとうざったいな、あのおっさん。
まさか、自分は伯爵で、俺が侯爵になるから面白くないとかそんな事思ってたりするのか?
まさかな、それはないと思うが、前にリーヤが言ったように、俺が正式に侯爵として任命されるまでは、誰が横からそれを奪うか分からない。
侯爵を一番奪いやすいのは一つ下の伯爵だから、総監はそれを狙ってるのかも知れない。
こうして俺が無能であることを知らしめて、侯爵には不適格だと王様に判断させようとしているのかも知れない。
いや、さすがにそれはないか。
俺はそんなことを考えながら、入って来る情報を適当に判断していた。
「副司監殿……ギーヴ王国の諜報部に逆スパイしている者から、重要な情報が入ってきました……出来れば、人払いをお願いします」
神妙な面持ちで入って来たのは、北西地方部門の確か情報部門の部門長だったっけ。
「分かった。リーヤだけ残ってちょっと出て行ってくれ」
俺の部屋には補佐官のリーヤの他にもリーヤと打ち合わせをしていた者や、対策を考えるために俺を待っている者がテーブルに座っていた。
あ、ちなみにその人らはミリィが相手をしていた。
もちろん姫が彼らの時間つぶしに世間話をしていたわけじゃなく、きっちり外交の政策の話をしてたんだがな。
「お兄さま、私もですか?」
「もちろん」
そう言った瞬間、ちょっと強く睨まれたが俺は怖くない。
本当に怖くない。
うん、後で謝れば全然怖くない。
「……ごめんなさい」
「どうかしましたか、副司監?」
ミリィの背中に頭を下げる俺を不思議そうに見るリーヤ。
「いや、何でもない。で、どんな話だ?」
俺は四十近いと思われる情報部門長に先を促した。
「……はい」
彼は何度も俺の顔を窺って、ためらいながら話し始めた。
「これは、あくまでギーヴ王国の諜報部の情報なので、信憑性は分かりませんが……
」
そんな前置きをしてから、また一呼吸置く。
「情報部門長、軍の人間はせっかちで単刀直入を好む事をご存知ですか?」
リーヤがそう言って先を促す。
「は、はいっ! じ、実は、前総監であるカーリャ十五世は、突然死ではなく、国内の権力紛争で毒殺されたと、ギーヴ王国の諜報部は判断しております!」
部門長の口から出た言葉は、俺に思った以上の衝撃を与えた。
「……なんだって?」
カーリャ十五世、というのは親父のことだ。
先祖代々みんなカーリャ侯爵なので、個別に誰かを指す時にはこっちで呼ばれる。
ちなみに、フルネームはラインファ・ラクタ・カーリャなので、家の者はラインファ様と呼ぶこともある、これは俺がジャン様と呼ばれるようにな。
その親父が、殺された、だと?
しかも、国内の権力紛争?
おいおい。
おいおいおいおい!
何だよそれ!
誰かが親父を殺したっていうのかよ。
しかも外国の誰かに狙われて死んだのなら、まあ、職務上仕方がないかもしれないが、国内の権力紛争だって?
ふざけんなよ!
そんな奴はこっちから殺してやる!
「副司監……!」
後ろから強く方を揺さぶられる。
リーヤが俺の正気を取り戻す。
「情報部門長殿、その話はこちらで預かろう。他言は一切しないでいただきたい」
リーヤがそう言うと、部門長はそれを了解して出ていった。
「ジャン様、まずは落ち着いてください。これは我々にとっても許し難いことです。ただ、誤情報ということもありえますし、この情報そのものがギーヴ王国の政略である可能性もあります。後でミリーナ様も交えて話し合いましょう。まずは残りの仕事をこなしましょう」
俺は大きく息を吸い、吐き出す。
許せない。
見つけ出して殺したい。
だが、俺にこう思わせる事そのものが既に誰か分からないが相手の作戦かもしれない。
どっちにしても親父の死を利用することが許せない。
俺はその後一旦それを忘れて仕事に打ち込んだ。
仕事中にも、黒幕は一人の人物しか浮かんでこなかった。
◎
「アンオツ、この屋敷に、毒に詳しい者はおりますの?」
家に帰って、事情をミリィに話すと、彼女はアンオツにそう聞いた。
「それは私ですね」
「なんで詳しいんだよ!?」
俺は思わず聞いてしまった。
「女性はみんな毒を持っているのですよ」
「いや、どうしてそれで誤魔化せると思った?」
「そんなことより、突然死に見せかけて人を殺せる毒というのはありますの?」
俺のツッコミはそんなこと扱いされました。
「いくつかありますが、一度飲んだ毒でそうさせるのはほとんど不可能ですね。大抵はその前に苦しんで死にますから毒だとバレてしまいます。毎日飲ませて、徐々に体の内部を壊して、それが表面化するのは突然、という毒なら、これもまたいくつかあります」
「そうなると、後者ですが、私もすぐそばにおりましたし、ほぼ同じものを食べていましたから、私だけが助かる理由が分かりません」
リーヤが言う。
まあ、こいつが犯人ならあるいはと思うが、こいつがそんなことをするわけがないし、こいつにとって親父が死んで損することはあっても得することはない。
「毒を継続的に混ぜる、ということは、やっぱり食事が絡みますから、侯爵家内部の犯行なのでしょうか」
ミリィも真剣な表情で考える。
「侯爵様の食事に関してはメイドが管理しています。私がそのメイドの長である以上、そのようなことはないと言い切れます」
自信たっぷりに言うアンオツに、俺は疑惑たっぷりの目を向ける。
「む、その目は疑ってますね。分かりました、もしメイドに犯人がいたら、私は生涯ジャン様の淫乱肉奴隷になりましょう」
「いや、いらないから。あと自分から淫乱とか付けるな」
「私のわがままボディを弄び放題ですよ?」
豊満な胸を誇示するアンオツ。
「いらんと言ってるだろう」
「では、メイド全員でジャン様のハーレムを作ります」
「ハーレムハ、ヨクナイノデス」
「まあ、実際の話、仕える家の家主が死ねば、自分の雇用も不安定になりますから、進んでそれをする者もいないでしょう」
俺のトラウマが再発したが、無視されて話が進んだので俺は自分で我を取り戻した。
「今、ハーレムって聞こえたけど何?」
ばたん、といきなりドアが開いて、リンが入ってきた。
俺は少しだけ緊張する。
いや、リンにハーレムという言葉を聞かれるとひどい目に合うというトラウマがまだ消えてないからな。
「何でもありませんわ。お子様はもう寝る時間ですわよ」
ミリィが追い払うように手をひらひらと振った。
「だったら、義妹のあんたも寝たら?」
「あなたに義妹と言われる筋合いはありませんわ」
「まあ、落ち着けって! とりあえず今仕事中だ。後でそっちに行くから──」
「侯爵家のメイド全員をジャン様のハーレムに入れるかどうかを話し合っているのです」
「……はあ?」
「いや、そんな話じゃないだろ」
俺がそう言っても、リンの眉間に寄った皺は戻らない。
しょうがないなあ、話に加えて誤解を解いておこう。
「まあ、リンも話に加わってくれ。リンには関係ないかもしれないがカーリャ侯爵家の重要な話だ」
俺はリンを話しの輪に入れることでリンの怒りを回避した。
「何の話よ?」
リンはまだ険のある表情をしながら、話を促すので、俺が説明し、説明しきれない部分をリーヤに説明してもらった。
「なるほど、じゃあこの屋敷の人間は関係ないわね。この屋敷で起こった事を、他国の人間が国内の権力紛争で殺された、なんて知ることが出来るわけないもの」
俺の婚約者殿は幼い顔をして難しいことを言う。
「? どういうことだ?」
「この屋敷の人間が単独でやっても何の得もないから、やるとしたら誰かにお金積まれてやれと言われるしかないわけだけど、そんな私たちでも知らない情報が他国に漏れるのもおかしな話よね? 唯一あるとするなら、その国が黒幕だった場合だけど、そんな時に『国内の権力紛争』なんて言い方するかしらね?」
「うーん、ってことは、この屋敷の人間じゃないってことか?」
「その可能性が高いとしか言えないわ。ただ、常用しないと殺せないって言うなら、外ではなかなか難しいわね。一度でいいならパーティーの時にでも混入出来るけど」
リンはうーん、と腕を組んで唸る。
子供が難しい問題を考えてるのは可愛いけど、そう思うのは俺だけなのか?
「結局何も分からないんですわね」
ミリィがこれみよがしに大きめのため息をついた。
リンはふん、とそっぽを向いた。
「前侯爵様がパーティー以外で屋敷以外のものを口にすると言えば、部下の部屋を訪れたときに出される紅茶やお菓子程度ですね」
「つまり、毎日話をする、しかも親父が死んで得をした奴が犯人ってことか。心当たりはあるか?」
俺が聞くと、リーヤは考え込んで、そしてはっと一人に思い当たったような表情をした。
「それに最も該当する方がいらっしゃいますが……その方は違うと思います……」
リーヤは困惑したように言う。
「それは、誰だ?」
「……現総監、アンジョ伯爵です」
「! そうか、そういうことか」
それで全てがつながった気がした。
親父が死んで一番得するのはあいつだ。
何せ総監に就任できたんだからな。
そして、副総監として、一番親父に近しかったのもあいつだ。
総監と副総監なら綿密な打ち合わせも毎日のようにするかも知れない。
その時に出す茶や菓子に毒を混ぜて毎日のように食べさせればいい。
そレだけで親父は死に、あいつは総監になれる。
そうか、そういうことかよあの野郎!
「ジャン様、私は長い間アンジョ伯爵を見てきましたが、そのような事をするような方には思えません。他の線を考えましょう」
「いや、あいつだろう。だから俺を潰そうとしてるんだよあいつ。あいつの狙いは総監だけじゃない、カーリャ侯爵の地位だ」
「……は?」
「お兄さま?」
リーヤとミリィが怪訝そうな顔で俺を見る。
リンはまだそっぽを向いたままだ。
「俺はまだカーリャ侯爵じゃない。俺の駄目さをアピールしてそれを王に進言して、侯爵にさせないつもりだ。その時に次の侯爵の候補になるのは、今の伯爵。つまり、あいつだ!」
「お兄さま、それは話が飛び過ぎですわよ。万一アンジョ伯爵が犯人だったとしても、侯爵の座を奪うということはありませんわ」
「そうです、確かに前に世襲ではないと言いましたが、それは形式の話で、実際はほとんど世襲です。もちろん犯罪者や国家を裏切った者は世襲できませんし、本人なら剥奪されることもありますから絶対ではないですが」
インテリコンビに否定されるのはいつもの事だが、今回の俺はちょっと違う。
「とにかく、親父が殺されたとするならあいつが犯人だ! 他に得した奴なんていないだろ?」
「……国内で、権力紛争となると、非常に限られますね」
「だろ? 犯人はあいつなんだよ!」
俺の口調があまりにも強かったので、リーヤもミリィも黙り込んでしまった。
こいつらにだって確たる証拠があるわけじゃない。
だから、俺が強く言えば、それ以上何も言えなくなるわけだ。
「で? どうしたいのよ、あんたは?」
さっきまで黙っていたリンが、俺がミリィを黙らせたことで復活した。
「そりゃ、決まってるだろ、殺られたら殺り返す。それだけだ」
「へえ、じゃ、あんた、その人を殺すの? そうなるとあんたは一方的な殺人犯になるわよ?」
「だから、俺は仇討ちだって言ってるだろ」
「その人が、お義父さまを殺したっていう証拠は?」
「さっきからの話、聞いてただろ? そういうことなんだよ!」
「聞いてたけど、証拠になるようなものはなかったわね」
「……そうだけど!」
「それでもその人を殺すの? それでカーリャ侯爵家はなくなるわよ? ここにいるみんな、路頭に迷わせるの?」
「っ!」
俺は一瞬だけカッとなって、何かをリンに言い返そうと思ったが、何も言葉が出て来ず、黙り込んだ。
俺はリンを睨みつけ、睨み返されているうちに少しは冷静になった。
そうだ、リンの言うことは間違ってない。
俺の行動は次期カーリャ侯爵の行動だ、迂闊なことは出来ない。
「それなら、どうすればいいんだよ。あいつをこのままのさばらせておくのか?」
「まずは証拠をつかむ事よ。簡単ではないでしょうけどね。だけど今ならまだ油断があるわ。そこに付け入るしかないわね」
そう言われても、具体策なんて出てきやしない。
俺はさっき黙らせた二人に目で助けを求めた。
「分かりました、ジャン様がそこまで言うのなら、調査はいたしましょう。丁度、もうすぐアンジョ伯爵の総監就任のパーティーがあります。それは主に外国に新しい総監をお披露目するものですが。アンジョ伯爵のお屋敷に入れるチャンスです」
「それは俺も招待されているのか?」
「おそらく招待されるでしょう。前総監とお付き合いのあった大使も大勢いらっしゃいますし。もちろんパーティーですからご家族連れが基本です」
「ってことは、リンやミリィも参加出来るってことか」
それはいいな、俺だけだとまず何をしていいのか分からないし。
「じゃ、リンとミリィ、一緒にそれに出てくれ」
「もちろんですわ!」
「面倒くさいわね……」
呼びかけた二人のテンションは真逆だった。