その報告は、穏やかには聞けません!
「ティア」
玄関を出たところで呼ばれ、私は顔を上げた。
少し離れた柱のそばに、ノアが立っている。
「ノア!」
「今、帰るところ?」
「うん。リオンと待ち合わせてるの」
答えると、ノアは私の後ろへ一度目を向けた。
振り返っても、ユリウス殿下の姿はもうない。
「殿下と、一緒だったんだね」
「そうなの。ちょっと、いろいろあって」
……いろいろ。
本当に、いろいろありました。
ノアが私へ歩み寄る。
「何かあった?」
「怪我とかは、してないよ」
先に伝えると、彼の足が一瞬止まった。
「……怪我を心配するようなこと?」
しまった。
説明の順番を、間違えたかもしれません。
* * *
人の流れを避け、柱の脇へ寄った。
展示準備の箱を動かしたこと。
転がった魔道具に触れたら、手首に輪がついたこと。
説明するうちに、ノアの視線が私の左手へ落ちる。
「痛くなかった?」
「うん。先生にも確かめていただいたし、何ともないよ」
手を開いて見せる。
ノアは手首まで確かめるように見てから、小さく頷いた。
「よかった。それで、殿下と繋がっていたんだ」
「そう。離れようとしたら引っ張られちゃって」
思い出して、少し眉を下げる。
「解除するまで、どうしていたの?」
「長椅子へ移動して、待ってたよ」
「……移動できたんだね」
「うん。歩く速さを合わせたら、大丈夫だったの」
そこまで答えてから、付け足した。
「最初は難しかったけど、殿下の腕に掴まったら、歩きやすくなって」
ノアが黙った。
私も、口を閉じた。
……あれ。
今、少し。
空気が変わりました?
「腕に」
「う、うん。手首をあまり離せなかったから、そばにいれば引っ張られないと思って」
理由を説明すると、ノアはゆっくり頷いた。
「なるほどね」
声は穏やかだった。
穏やか、なんだけど。
どうしてでしょう。
笑顔なのに、さっきより落ち着かないんですけど。
「……ノア?」
「うん?」
「もしかして、気にしてる?」
尋ねたあとで、顔が熱くなった。
昨日までなら、そんなことは考えなかった。
殿下と何があったか、ただ話していたと思う。
でも、今は。
ノアは私を見た。
それから、少しだけ困ったように笑う。
「気にしてるよ」
……やっぱり。
「でも、魔道具が動いちゃったからで」
「うん。事故だったんだよね」
「殿下も、私が転ばないように気をつけてくださって」
「それは、感謝してる」
すぐに返ってきた言葉に、少し安心した。
けれど、ノアは続けた。
「ただ、想像したら、少し羨ましくなった」
私は瞬きをした。
「……羨ましい?」
「ティアが、自分から腕に掴まってくれたんでしょう?」
頬が熱くなる。
そうですけど。
そうなんですけど!
「歩きやすくするためだよ?」
「わかってる」
ノアが笑った。
「ティアを責めたいわけじゃないよ。話してくれて、嬉しい」
その声に、ようやく肩の力が抜ける。
隠したかったわけではない。
でも、ノアがどう思うのか、今は前より気になってしまう。
……私だって。
ノアが誰かと踊っているのを見たら、寂しかった。
だから、平気で聞けないと言われても、おかしいとは思わなかった。
「……そっか」
小さく答えると、ノアが私の顔を覗く。
「困らせた?」
「少し。でも、わかる気もする」
ノアの目が、わずかに見開かれた。
言ってから、私は鞄へ視線を落とす。
……そこを詳しく聞かれたら、困る。
けれど、ノアはすぐには尋ねなかった。
「……そっか」
さっきの私と同じ言葉なのに。
何だか、ずっと嬉しそうに聞こえた。
* * *
「姉様!」
玄関の向こうから、リオンが歩いてきた。
「リオン! ごめんね、待たせちゃった?」
「いいえ。僕も、今来たところです」
私の隣へ並ぶと、弟はノアへ微笑んだ。
「ノア兄様も、お帰りですか?」
「うん。ティアと話していたんだ」
「そうでしたか」
リオンが私を見る。
「何か、楽しいお話でも?」
「楽しいというか、びっくりすることがあって」
説明しかけて、少し迷う。
……同じお話を、もう一度するんだよね。
ノアへ目を向けると、彼は笑顔で頷いた。
どうぞ、ということらしい。
私はリオンにも、魔道具のことを話した。
弟は最初こそ目を丸くしたものの、最後まで静かに聞いていた。
「……それで、殿下と腕を組んでいらしたんですね」
「組んでいたというか、掴まっていただけなんだけど」
言い直すと、リオンはにっこりと笑った。
「なるほど。そうすれば、歩きやすかったんですね」
「うん」
どうしてだろう。
同じ説明なのに、今度は少し恥ずかしい。
リオンが私の左手を見てから、ノアへ視線を移す。
「何ともなくて、よかったですね」
「……うん。本当にね」
二人とも笑っている。
私は交互に顔を見た。
……何ですか。
その、言葉にしにくい間は。
そこへ、迎えの馬車が近づいてきた。
「姉様、参りましょうか」
リオンが自然に私の鞄へ手を伸ばす。
「ありがとう。でも、鞄は自分で持てるよ」
「では、こちらを」
鞄へ伸ばしていた手を引き、今度は私へ腕を差し出した。
私はその腕を見た。
……ん?
「段差がありますので」
「いつも、手を貸してくれるでしょう?」
「今日は、こちらの方が歩きやすいかと思いまして」
綺麗な顔で微笑んでいる。
……絶対、さっきのお話を聞いたからでしょう。
「もう。リオンまで、からかわないで」
「そんなつもりは、ありませんよ」
答えながらも、腕は下ろさない。
私は少し笑って、その腕へ手を添えた。
すると、リオンの表情がぱっと柔らかくなる。
「では、行きましょう」
その隣で、ノアが小さく息を吐いた。
* * *
馬車の前へ着くと、ノアが私を呼んだ。
「ティア」
「なあに?」
「今度、一緒に出かけない?」
私は顔を上げた。
「お出かけ?」
「うん。学園で会うだけじゃなくて、少しゆっくり話したい」
すぐ隣で、リオンが口を開く。
「次の休みは、姉様と僕のお約束がありますよ」
「知ってる。その次は、どうかなと思って」
ノアはリオンへ頷いてから、私へ目を戻した。
「本を見に行ってもいいし、ティアが行きたいところでも」
胸が、少し跳ねる。
以前も、一緒に出かけたことはある。
屋敷へ来てくれたことだって、何度も。
でも、今は。
好きだと知っていて、誘われている。
「……私と、二人で?」
「うん。二人で」
まっすぐ答えられて、視線を逸らしそうになる。
……確認しなくても、よかったのでは。
わざわざ、自分で落ち着かなくなる質問をしてしまった。
けれど、嫌ではなかった。
どこへ行こうか考えると、楽しみになった。
「パパとママに、聞いてみるね」
「うん。返事、待ってる」
ノアが笑う。
その顔を見ていたら、私も頬が緩んだ。
「本屋さん、行きたいな」
「じゃあ、そうしよう」
すぐに返ってきて、思わず笑ってしまう。
「まだ、行けるって決まったわけじゃないよ?」
「うん。でも、行けたときのことを考えておきたいから」
……もう。
そう言われたら、私まで楽しみになってしまうでしょう。
* * *
「姉様」
リオンが馬車の扉のそばで、私を待っていた。
私は弟の腕から手を離し、鞄を持ち直した。
乗り込もうとすると、ノアが私へ手を差し出す。
「足元、気をつけて」
「ありがとう」
鞄を右手に持ち、空いた左手を重ねた。
その手を借り、一段目へ足をかける。
いつものことだ。
馬車へ乗るとき、手を貸してもらうだけ。
なのに、指を重ねた瞬間、ノアが少し声を落とした。
「出かけるときは、僕にも掴まってね」
私は振り向いた。
青い瞳が、すぐ下から私を見ている。
「……歩きにくかったら?」
「そうじゃなくても」
息が止まる。
ノアは、優しく笑っていた。
「ティアと、そうやって歩いてみたいんだ」
……っ。
何て返せばいいの。
腕に掴まるだけでしょう。
でも、今の言い方では、ただの移動のお話ではなくなってしまう。
私は手を借りたまま、小さく頷いた。
「……考えておくね」
ノアの目元が和らぐ。
「うん」
手が離れて、私はようやく馬車へ乗り込んだ。
向かいへ座ったリオンが、私の顔を見る。
「姉様。お暑いですか?」
「……少し」
「窓を開けましょうか」
「ううん。大丈夫」
弟は楽しそうに笑っている。
私は膝の上で手を重ね、窓の外へ目を向けた。
ノアが、こちらへ手を振る。
私も小さく振り返した。
……王太子殿下と、魔道具で繋がってしまった。
今日のびっくりする出来事は、それだったはずなのに。
今、頭から離れないのは。
何もついていない手で、私を誘ったノアの声だった。




