5 再び
第五話!
楽しんで!
10/29
◇◇◇
「――さん。……ユウラさん?大丈夫ですか」
ハッと息を吸い込み、俺はほうきを持ちながらボーっとしているのに気が付いた。
視界に一番最初に入ってきたのは、赤黒い血の海でも、炎に包まれた廊下でもない。
夕暮れの淡い光に包まれた、穏やかな裏庭の景色。
そして、目の前にいる心配そうな顔をして俺の顔を覗いてくるミーシャと木製の小さなお椀だった。
「気が付いたんですねユウラさん。びっくりしましたよ、ほうきを持ちながら数分動いてなかったんですから。はい、どうぞ。温かいうちに飲んでくださいね」
ミーシャが、そこにいた。
あの四天王の男――ディルムッドに目の前で首を刎ねられ、俺の手を赤黒くしたはずの彼女が、何事もなかったかのようにスープを差し出してくる。短い一斤染の髪も、エプロンドレスも、何一つ汚れていない。
「あ……、あ……」
わけが分からなかった。パニックを起こしそうになる頭のなかで、直前の記憶が鮮烈に蘇る。
黒に赤い線の入った無言のポンチョ集団。自ら名を名乗ったディルムッドの冷酷な微笑。俺の腕に必死に抱きついて震えていたミーシャとリリの体温。
そして、自分の目の前に降ってきた、あの生温かい二人の生首――。
慌てて自分の手のひらを見る。血なんか一滴もついていない。
「リ、リリは?リリはどこにいるんだ?」
「もう、リリって誰ですか。ユウラさん、顔色が悪すぎます。何ですか、その死人を見るみたいな目は?」
心配そうに顔を覗き込んでくるミーシャを見て、俺のなかで何かが弾けた。
俺はお椀を受け取ることも忘れ、生きている彼女の身体を、死に物狂いで両腕で抱きしめていた。
「わっ……!? ユ、ユウラさん!? 急にどうしたんですか……っ」
驚いてミーシャの身体が強張る。けれど、その背中に回した俺の手には、確かに生きて動いている人間の、柔らかくて温かい体温が伝わってきた。首も、ちゃんと繋がっている。
(戻ったんだ……。どうしてか分からないけど、時間が巻き戻ってる……!)
ハッと気がついて、俺は裏庭の周囲を見回した。
確かにミーシャの言う通りまだリリの姿はない。それどころか、ミーシャの手元には、まだ空中にとどまらせる前の、すぐにパチンと消えてしまう不完全な火の玉の残滓が転がっている。
(待てよ、ここって……リリが来た日じゃない。それどころか、一日中特訓をした昨日の午後でもない。……2日前の、10月29日の夕方だ!)
考えても理由は分からなかった。俺には魔法の才能なんてない。
だけど、俺の頭の中には、これから起こるはずの『記憶』が完璧に残っている。
今夜、俺はハインツ様に書斎へ呼び出されて『黒の旅団』や魔女の話を聞かされる。
明日、10月30日の早朝に、ハインツ様は街の領主会議へと出発してしまう。
そして明後日、10月31日の朝に、新しいメイドのリリがやってきて、深夜にあのディルムッドたちが攻めてくる。
――丸二日。
俺には、あの最悪の誕生日をひっくり返すための、丸二日間の猶予が与えられたんだ。
「ユウラさん、本当にどうしたんですか……? 身体、すごく震えてますよ。待っててください、すぐに主様やお医者様を呼んできますから!」
突然泣きそうな顔で抱きついてきた俺に、ミーシャがただごとではないと顔を青くした。主様を呼ぶ、という言葉に、俺はガバッと顔を上げた。
「……主様。そうだ、ハインツ様はまだお屋敷にいるんだな!?」
「え、ええ。主様なら、いま書斎にいらっしゃいますけど……」
ハインツ様がまだお屋敷にいる。これ以上ない最高の状況だ。
今夜呼び出されるのを待つ必要なんてない。明日の早朝に出発してしまうのなら、今すぐハインツ様のところへ行き、今夜からお屋敷の私兵たちを最大警戒で配備させ、出張そのものを中止にしてもらえば、あの無言のポンチョ集団も、四天王ディルムッドも返り討ちにできるかもしれない。
「ミーシャ、俺は大丈夫だ! それより、今すぐハインツ様のところへ行く!」
「え、ええ……? わかりました。そんなに深刻な顔をして、一体何があったんですか……?」
首を傾げるミーシャを裏庭に残し、俺はお屋敷の中へと全力で走り出した。
戦う力なんてない。戦うためのチートもない。時間は戻ったけれど、自分の凡人としての無力さは何一つ変わっていない。
だけど、俺には『記憶』がある。あの二人の生首のトラウマを、二度と現実にしてたまるか。
俺は、パーカーのポケットの中でくしゃくしゃになったメモ帳を強く握りしめた。
これから始まる次の生存戦略を頭のなかで組み立てながら、俺はハインツ様のいる書斎の扉を、激しく叩いた。
ご覧いただきありがとうございました。
◇服装・外見:
「黒に赤い線のポンチョ」を深く被った無言の部下たちとは異なり、ポンチョは着用していません。仕立ての良い、どこか高貴な貴族を思わせる衣服をピシッと纏っています。
◇容姿・雰囲気:
細められた冷徹な瞳と、常に薄ら笑いを浮かべた口元が特徴の男です。狂気に満ちた叫び声を上げるような脳筋の化け物ではなく、立ち振る舞いは極めて優雅。しかし、その奥からは生物としての格の違いを見せつけるような、圧倒的な威圧感を放っています。
◇最大の特徴:
組織の鉄のルールである「無言」を免ぜられ、悠々と【言葉を喋ることを許されている】絶対的な強者です。「見込みのある者には、自ら名を名乗って挨拶をする」という、知的で、かつ自身の強さに絶対のプライドを持っているキャラクターです。




