街の地下
──お前がこの先、お前よりも強い魔法使いと戦う時が来たら、さっさと逃げることだ。
オークの殴り合いとは別だよ。死んだ魔法使いなんざ役立たず以下だからね。
ただ……
覚えておきな。中にはこの世の理から外れた奴ってのがいる。
逃げられないと思ったら、決して躊躇うんじゃあないよ。
代理の首長一行は翌日、街の下に巡らされた地下遺構に向かった。
侍従長すら承知していなかった本物の首長の行き先を突き止めたのは、ここ数日、仮面を押し付けられた男の精励によって俄かに手の空いた会計官と書記官、そして親衛隊長であった。
役人達が街の地下に首長の持ち出しを含めたいささか高額な工事費用が拠出されていることに気づき、また少数の衛兵が密かに派遣されていると、ファーとの訓練を通じて懐を開いた兵士の証言により明らかとなった。
首長はこれまでにも魔女と精鋭兵らを伴っていずこかへ赴くこともあったが、三日を過ぎて帰らぬことはなかった。
執務室の椅子を空けることは本意ではなかったが、侍従長の懇願を前に、オークの男は何も言えずじまいだった。
街の静かな混乱に対する施しを侍従長と役人達に託し、“首長”に付き従う二人と“親衛隊長”を慕う数人の兵士とともに、魔女の書庫に隠された地下への扉をくぐったのである。
彼らが首長と魔女カムララの一団に出くわしたのは、兵士の一人が誤って踏んだ隠し階段の開閉器により、一同団子になって奈落へと滑り落ちた後のことであった。
「おや、まあ」
カムララは屈託なく状況を受け入れたが、彼女の周囲、小さな魔法の炎に照らされた石室の一角に座り込んだ兵士と首長は、満身創痍の様相を呈していた。
《あまり良くない所へ来てしまったね。だけど、良い傾向かもしれない》
魔女の言うには、本物の首長は何物かの怖ろし気な鳴き声がするとの住民の訴えを受け、この地下遺構の調査を重ねており、過日カムララの見立てによってはぐれた魔法使いか魔獣の類であると推定されていた。
《人間ならいざしらず、オークには本来、魔法の素養がないからさ》
魔法との親和性がない。すなわち、魔法による影響が薄い。
並の人間がたちまち凍りつくほどの冷気魔法も、ただ冬の厳しさの如く耐えきってしまう。
首長はいざとなれば囮となって自らの身体を盾とし、兵士と魔女による側面攻撃の策を講じた。
「だけど、首長──いえ、賢者様は……」
「そうなんだよ、そこが面白いところでさ!」
ミアの疑問にカムララが場にそぐわぬ喜色を浮かべると、首長が立ち上がり何事か言って諭した。
《そう、思ったより良くないものが出てきてね。いや、ある意味では良いものか》
わからないことを言いながら魔女は宙に浮いていた火を消すと、旅のオーク一人だけを奥の間へと導いた。
《キミに限って騒がしいということもなかろうが、散歩に来たみたいな振りをして。それと、魔法は少しも使わないように。でないとあれに気取られる》
奥の間の入り口の柱の陰に身を隠したオークは辺りを見回し、目を疑って息を呑む。
部屋の床は中央を残し、あとは深い穴を望む石橋だけで出来ていた。
地下とは信じ難いほどの広間はしかも、四方の壁が煌々と照らされている。
光の源は二人の向く先、部屋の真ん中に大きな球となってそこにあり、かつて床や壁の一部だったであろういくつもの大岩が、光球を中心として空中を周回していた。
光の中には小さな人影が水に浮かぶようにして漂っており、この現象の原因であることを物語っていた。
男はそれに、自らが杖に灯していた魔法の行き着く先を見た心持ちだった。
かつて心を満たした暖かさは、過ぎた大きさになれば燃え盛る故郷をわずかに想起させ、うすら寒ささえ覚える。
魔女が男の耳元で、まるで祭日の子供のように嬉し気に囁いた。
「美しいだろう? あれこそ魔法の根源──その落とし子だよ」
オークが魔法を解さないのは、粗野ゆえ自然の理に気を配らないからだと言った者がいる。
しかし魔法を自負する凡百が、みな鉄の温度で明日の豊穣を占うだろうか?
オークを真に知る者ならば、彼らが空や大地と共に生きていることも知っている。




