クロエ「そんな日が、来るのかしらねぇ……」
視点がくるくる変わって申し訳ない、ここでマリーの話に戻らせて下さい。
意を決し、養父ザナドゥの言葉をユッタに伝えたサリーム。しかしユッタの返答はあまりにも意外なものでした。彼女はとても強い子だったのです。
その言葉は、実の父を騙し討ちにしてまで異国の港に置いて来たサリームの胸に、深々と突き刺さりました。
ターミガン風の衣装を着た老人、ナーディルはとても大きな麻袋を二つ、両肩に担ぎ、背負い袋まで担いで歩いていた。その後ろをもう一人の老人サリームは、同じくらい大きな麻袋を一つ担ぎ、もう一方に杖を持って歩いている。
二人は、サン=モストロ市街の大門の一つまでやって来た。
「待て、手形を見せろ」
衛兵が他の通行人同様にそれを咎める。サリームは杖を小脇に抱え、ポーチから木彫りの通行手形を取り出す。
「通行税はいくらじゃったかな」
「あー、税は値上がりして銀貨1枚になった」
サリームは素直に、手形と一緒に銀貨を差し出す。賄賂を受け取った衛兵は満足げに頷き、手を振るが、
「よし、通れ」
「待て……その荷物を調べさせろ!」
賄賂を貰えなかった別の衛兵が、そう咎める。サリームは麻袋を降ろし、衛兵に見せる。衛兵は固い結び目に苦労しながらどうにかそれを解き、袋を開ける……中身は全て、泥だらけのキャッサバだった。
「ふん……まあいい」
衛兵は袋を放り出し、もう行けと合図する。ナーディルは自分が担いでいた袋を降ろして、サリームが袋の口を結び直すのを手伝う。
やがて袋を結び終えると、老人達はそれぞれの袋を担ぎその場を去ろうとする。しかし衛兵は再び二人を呼び止める。
「待て、そっちの荷物も開けるんだ」
呼び止められたナーディルは二つの袋を降ろし、片方の袋を解いて見せるが、衛兵はもう一方も解けと言う。結局ナーディルは両方の袋を解いてみせる。しかし、中身はどちらもキャッサバである。
「もういい。さっさと行け……いや待て、その背負い袋も見せろ」
衛兵はナーディルに近寄り背負い袋の口を開く。その瞬間、袋の口からピョコンと、ぶち模様の猫が顔を出す。
「ああ、もう失せろ」
「呼び止めたのは諸君らじゃろ」
サリームはそうぼやきながら、杖をついて歩き去る。ナーディルは右へ左へ揺れながら、二つの袋を重そうに担いでついて行く。
◇◇◇
「危なかった……バレたと思ったぞ」
「分の悪い賭けじゃったのう……」
高台の宿の、裏の納戸に飛び込んだ二人は大きなため息をつきながら麻袋を降ろす。ユッタは、サリームが担いでいた方の麻袋から出て来た。最初にサリームが担いでいたのはキャッサバの袋だったが、担ぎ直す時に衛兵の視線の死角を利用しナーディルが担いでいたユッタの袋と入れ替えたのだ。
「……パパはここに居るの?」
「ここではないが、ユッタちゃんをザナドゥ……パパに会わせる為には色々準備が要るんじゃ、怖いおじさん達に見つかると、パパが叱られるかもしれないから」
胡散臭そうに辺りを見回すユッタに、サリームは多少の自己嫌悪を感じながら、そう告げる。
「信じてくれ! あ、あー、信じておくれユッタ殿、わしが! あの、わしらが必ずユッタを、ユッタ殿をお父さんに会わせる!」
一方、ナーディルの長い眉毛に隠れた瞳は燃えていた。ナーディルはすっかりユッタが持つ父親への強い想いに絆されていた。
ユッタは二人を見比べる。少なくとも、ユッタから見たナーディルは正直で信用出来る人間のように見えた。
「わかったわ。少しの間ここに居てあげる。この子が一緒に居る事が条件よ」
ユッタはそう言って、ナーディルが担いでいた背負い袋から出て来たぶち猫を抱え上げる。
サリームは頷き、納戸を出て宿の裏庭から勝手口へと忍び入り、ナーディル達に手招きする。
高台の宿の部屋では、アラミス商会の商会長フィリップことカーターと、その妻クロエことアイリが待っていた。
「マリーちゃん! やっと戻ったわね、外はどうなってるの!?」
「シーッ、お客さんじゃ」
サリームが部屋に入ってから、さらに数秒後。6歳くらいの少女、ユッタは、この宿で一番高価な続き部屋の入口から顔を出し、慎重に中を覗き込んで来た。
アイリは驚く。その後ろから現れたターミガン風の老人も、アイリの知らない人物だったのだ、いや、そう見えた。
「紹介しよう、後ろはナーディル君、わしがナルゲスで出会った親友じゃ」
つまり、この付け眉毛と付け髭、ガラベーヤとクーフィーヤで誰だか解らなくなっているのはカイヴァーンなのか。では、この6歳くらいの色白で金髪の少女は誰なのか。
「こちらはユッタちゃん。ザナドゥの娘さんじゃ」
スイートルームのリビングの離れた所にある長椅子に寝そべり、我関せずを決め込んでいたカーター提督が、目を見開いて起き上がる。
「何の冗談だ、それは」
カーターがそう呟いた瞬間、サリームはリビングの奥のカーターの元へ凄まじい速さで飛んで行き、囁く。
「いいから協力して下さい、デリケートな問題なんです」
「少女誘拐にかッ!? 密輸と証拠隠滅はやった私だがそこまで人間的に恥ずかしい罪に巻き込まれるのは御免だッ」
サリームとカーターが小声で何か言い合っているのを見たユッタは、大きなぶち猫を抱えたままとことこと近づいて来る。サリームは目を丸くしているカーターの耳に、さらに何事か囁く。
「あー、私はアラミス商会のフィリップ、モーラでの滞在を終え、家族でロングストーンへ帰る所だ。サリーム君は友人でね」
カーターはサリームに囁かれるままに台詞を読む。ユッタとユッタに抱えられたぶち猫は、そんなフィリップことカーター提督の顔をただ見上げていた。サリームはさらに何事か、フィリップに囁く。
「そして私の妻のクロエは服飾デザイナーでもある。ユッタさん、貴女にはそのずぶ濡れのドレスの代わりの服が必要だね。クロエ、こちらのレディに相応しい服を仕立ててくれ」
クロエことアイリは、サリームに何か囁かれた夫、フィリップがそう言うのを横目で見ていたが。やがて、船酔い知らずの魔法がないと聞こえない程度の小声で呟く。
「そう……今日は小さな女の子をさらって来たのね……海賊のお仕事も大変ね、サリームさん」
サリームは今度は慌ててクロエの方に駆け寄り、囁く。
「御願いしますアイリさん、複雑な事情があるんです、ほんとに」
「その複雑な事情、いつか聞かせて貰えるのかしら? サリームさん貴方、去年の八月、ハマームに居なかった?」
上等の安楽椅子に座っていたクロエはそう呟きながら、革製の鞄を手元に引き寄せ、その中からたくさんの針が刺さった針山を取り出す。
「ひっ!? わ、わしはハマームになど行っておらぬ」
突如青ざめたサリームはクロエから飛び退きながらそう答える。あの時ハマームに居たのはフレデリクであり、マリーでもサリームでもない。
クロエは椅子から立ち上がり、腰を抜かしたサリームに迫る。
「あの……本当じゃ……」
口を半開きにして震えるサリームの横を通り過ぎたクロエは、穏やかな笑みを浮かべ少女、ユッタの元に屈み込む。
「サリームさんのお友達なのね、ユッタちゃん、私はクロエ、貴女にぴったりのドレスを作ってあげる、よろしくね」
「……ありがとう」
見た目より逞しい少女のユッタにも、見た目通り少女らしい所があった。ユッタは新しい服を作って貰えるという話を信じ、密かに胸をときめかせていた。
クロエはそんなユッタの横に膝をつき、肩や腕に布尺を当て、印をつけて行く。
「ところでサリームさん、生地はどうするの? この街でも手に入るのかしら」
恐慌から立ち直ったサリームは立ち上がり、揉み手をしながら恐る恐る答える。
「大丈夫、買い入れて来た、それからあの……アメジストの粉末と白砂鉄、千竜石もこの通り」
「ちょっと待って」
クロエは一度布尺を置いて立ち上がると、不自然な程の満面の笑みを浮かべてサリームに迫る。サリームは二、三歩後ずさりをするが、クロエは、サリームの付け眉毛の向こうの瞳が見える所まで顔を近づける。
「それで私に何をさせたいのサリームさん? 貴女まさかこんな小さな子を危険に晒すつもりじゃないでしょうね?」
「ふっ、船を使うから……あの、船酔い対策だから、ほんとに」
サリームは、小声で答える。





