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もっと早く知りたかった  作者: 蔵前
選択がさらなる悪夢を紡ぐ
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分岐4 悪意はどこから来てどこから生まれるのか

 性善説では、生まれたばかりの人には悪意など一欠けらも無いはずだ、という事になっている。

 悪意は環境の変化によって心に入り込むものなのだ。

 よって、いざという時には悪意に染まった心でさえも、生来の良き心によって溺れた子供を助けようと自己の命さえ試みずに水に飛び込んでしまう。


 性悪説では、生まれた時から悪意は心の中にある。

 だが、悪意のある人間のくせに、溺れた子供を助けようと水の中に飛び込んでいく。


 それはなぜか?

 悪意の塊だからこそ、他人に自分を良き人と騙し思わせるという習性によって、水に飛び込んで命を失わせてしまうのだ。


 これは亨が書き残していたノートにあった文章の書き出した。

 この文の後に彼の後悔と告白が綴られる。


 俺は友人を殺してしまったかもしれない。

 性善説の様に悪意が勝手に心に入ったわけではない。

 性悪説で元々あった悪意が発露したわけでもなく、単なる嫉妬で殺してしまったのだ。


 俺は死んでいき、彼等は俺の望む世界を歩いていく。

 俺が病に倒れる前の時点で俺は望んだ道を歩けなかった、それなのに、俺は自分の不甲斐なさを全て病のせいにして、見舞いに来てくれた友人達の背に死んでしまえと言葉を投げつけたのである。


 熊谷が無茶をして遠い地方で命を失ってしまったのは、俺の言葉のせいかもしれない。


 違うよ、亨。

 熊谷を殺したのは、俺の指揮が甘かったからだよ。

 そして、立神の勝手なことを許したのも俺だ。


 妻が臨月近かったからと、村田省吾(むらたしょうご)と熊谷を勝手にトレードしたのは立神だとしても、俺が最終的にそれを許したのだ。

 だがあの二人は、熊谷の死を自分の責任だと悔やんでしまった事だろう。

 俺が亨の介護に逃げている間、彼等はきっと罪悪感ばかりを重ねていたに違いないのだ。


 また、死んだと思われていた間、ずっと拷問らしきものを受けていた熊谷。

 この世界が彼らの起こしたものだとしても、俺は彼等を人殺しのろくでなしだと断罪できない自分がいた。


 俺だったら、死んでいたはずの熊谷の状況を知らされたらどう思う?


「あの。女の人を知りませんか?亨君は名前も知らない人だと思う、だって、イメージだけだもの。赤ちゃんを抱いている真っ赤な女の人のイメージだけだもの」


 美梨の突然の言葉に俺は物思いから覚まされた。

 完全に死んでしまった弟であるのに、彼の手をずっと握ってくれる幼い少女。

 彼女は涙の溢れた瞳で俺を見つめ、赤い女がマザーだと言い出したのである。

 マザー?赤ちゃんを抱いている?


「あなたが苦しいと亨君がより苦しいのでは無くて?」


 あれは、誰だった?

 俺はぎゅうと目を瞑った。

 彼女は医者だったか?看護師だったか?

 出会ったのは病院だったか?


「赤ちゃんを抱いている真っ赤な女の人が」


 そうだ、あれは村田の家だ。

 俺は彼の子供が生まれたと聞いて、彼の誘いを受けて彼の自宅に招かれたのだ。

 俺は彼等のもてなしを受けて、冗談として病院のシャワー室を使っていると口にした。

 すると、彼の妻、村田紗莉(むらたさり)があのセリフを言ったのだ。


「あなたが苦しいと亨君がより苦しいのでは無くて?」


 村田は煩いと怒鳴った。

 お前はわかった風な口を利くな、とも。

 俺は村田を諫め、すぐに村田の家を出て村田の妻が言ったように自分に与えた罰としてのボロアパートに戻ったのだ。


 どうして記憶がぼやけているのだ?

 どうして俺は紗莉の顔だけは思い出せないんだ?


 赤ん坊の顔だって。

 赤ん坊の顔は見ただろう?

 誕生祝で村田の所に行ったのだから。


 村田は煩いと怒鳴った。

 怒鳴った、だけか?

 あいつは妻を怒鳴っただけか?


「真っ赤な赤ちゃんを抱いた人が」


 キッチンのカウンターに頭を打った赤い女が寄りかかっている。

 腕には赤ん坊だったもの。

 部屋は黒蠅で一杯で、村田は煩い煩いと騒いでは腕をぶんぶんと振り回していた。


 虫は意識を共有する。

 俺の罪悪感はとっくに共有されていたんだな。

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