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57.本当にさようなら、私の初恋(アルフォンソ枢機卿視点)

「この度はお悔やみ申し上げます」


「アルフォンソ枢機卿、遠方のところ、母の葬儀にお越し下さり、ありがとうございます」


「他ならぬ偉大で善良な公妃殿下とのお別れの儀です。何を置いても参りますよ。それにしても、お二人ともご立派になられましたね」


最後に彼女と会った時にはまだ腹の中にいたエルコレ公子。父親のフェラーラ公爵そっくりの精悍な大男だ。


「ありがとうございます、アルフォンソ枢機卿。いえ、先生」


「僕たちが先生に語学を教えて頂いたのは、兄が十五歳、僕が十四歳の一年間でした。もう十年も前のことですね。懐かしいな。ね、エル兄様」


こちらは弟のイッポーリト公子。母親のルクレツィア公妃の面影を強く残した優男だ。


「ああ、いい経験でした。しかし、あの時は大変だったな。実は、先生に教わることを父が大反対だったのです」

「そうそう!『…いかん!あいつだけは駄目だ!語学の教師なら…ほら、ヴィットリア殿だっているだろう』なんてすごい剣幕でしたね」


「ほう?初めて聞きました。公爵殿下とは良い関係だと思っていたので意外です。理由はご存知ですか?」


二人は悪戯っぽく目配せをして、苦笑した。


「僕達は知らないことになっているので、他言しないでくださいね、先生」

「父は、自分に詩の才能がないことを、先生が僕達にばらすと危惧したそうです」

「母が後でこっそり教えてくれたんです。『困ったお父様ね。少しばかり詩がお下手だとしても、殿下は充分素敵でいらっしゃるのに。ああ、なんて愛らしいのかしら』なんて、僕達に平気で惚気るんです」


イッポーリト公子の物真似が上手すぎて、その情景が鮮やかに目の奥に広がる。


「ぷっ、あはは!ルクレツィア公妃らしい!」


「ククッ!あはは!そうでしょう、母はそういう人でした」

「いざという時は父のような猛者をも黙らせる迫力なのに、普段はなんと言うか…抜けていて…」


込み上げるものがあったのだろう、エルコレ公子が急に天を仰ぎ涙をこらえていた。そんな兄を気遣ったのか、イッポーリト公子が不意に話題を変える。


「そう言えば、母から言付かったものがあるんです。母がいなくなったら、これを先生にお渡しするように、と」


手のひらにすっぽり収まる、小さな木箱を渡された。金と青の彩色が施された、ルクレツィアが好みそうな美しい箱だった。開けてみると、柔らかな布に大切そうに包まれた指輪が入っていた。私の瞳、サファイアが今も燦然と輝いている。


「父は、母に聞いたのです。『いいのか?大切にしていただろう?』と」


鼻声を隠しもせず、エルコレ公子が声を絞り出した。


「母は『最愛なる戦友の殿下、良いのです。もう放つ時です』と。それから、花がほころんだようににっこり微笑んで…。母らしい美しい最期でした」


…もう、自由になれ…そう言いたかったのか、ルクレツィア?


葬儀が終わり、私はジョヴァンニ教皇の元へ帰った。


「待ちかねたぞ、アルフォンソ枢機卿。元妻の葬儀はどうだった?」


前教皇の時から建築中の、大聖堂の設計図と山のように積まれた見積り書と請求書を、相変わらずうっとりと眺めていたジョヴァンニ教皇が、珍しく駆け寄って来た。


「しめやかで良い葬儀でした。国内外からの参列も多く、民も嘆き悲しみ、当に善良な公妃を見送るにふさわしい儀式でした」


「で、本当にルクレツィア殿は亡くなったのだな?」


この男は何を言っているのだ?


「機は熟した!やっと!やっとだ!アルフォンソ枢機卿、もう良いだろう?君の愛しい人はもういない。私を脅迫する者もだ!ああ、胸の重石がすっかり取れた!長かった…二十五年もの間待ってやったのだ。今こそフェラーラを我が物にする時だ」


…ああ、そういうことか。この男は『平和の教皇』を自称しながら、蛇のように執念深く、この時を待っていたのだ。


(ルクレツィア、私は自由にさせてもらうよ)


「それでは祝杯を上げましょう。ジョヴァンニ教皇の更なる栄光に、乾杯」


「っはぁー、美味い!今日のワインは格別だ!」


「そうでしょう?この時のために用意した、特別なワインですから。さあ、もう一杯どうぞ。ワインはまだたくさん用意してありますので、存分にお召し上がりください。私は、つまみを調達してきます」


「気が利くな、流石だ。君を秘書にしたのは、我ながら慧眼だった。これからもよろしく頼むぞ」


「ええ、地獄の底までお付き合いしますよ。ご安心ください、ジョヴァンニ教皇」


私は部屋を出て、そのまま教皇庁を出た。ジョヴァンニのことだ、今頃は一瓶全て飲み干している頃だろう。そして…。



翌日、ファブリツィオ将軍の屋敷で、ヴィットリア殿の詩の添削をしていたところに、ジョヴァンニ教皇の訃報が届いた。長年の暴飲暴食が祟って、突然倒れ、そのまま逝ったそうだ。


「不謹慎ですけれど、清々しましたわ。前教皇にも増して免罪符の乱発、ご自分は贅沢三昧。聖職者にあるまじきお振る舞いでしたもの」


「これ、亡くなった方を悪く言うものではありませんよ」


模範的な聖職者の仮面を貼り付け、穏やかに答えながらも真反対の思いを巡らせる。流石はボルジア秘伝のカンタレラ、効果は思いのままというのは本当だった。


ロドリーゴ義父上、あなたに頂いたレシピが、あなたの孫たちを戦争から遠ざけました。私をルクレツィアの夫と認めて頂いたご恩は、これで返せたでしょうか?


ルクレツィア、君の思いとは違っただろうけれど、私は自由になったよ。二十五年間、あの男の隣りにいながら反対勢力を育て上げた。次の教皇は清貧だが世渡りが下手な男だ。ジュリアーノとジョヴァンニが財産を食い尽くした教皇国は、次代でその権威を大きく失墜し、戦争どころではなくなるだろう。


私はやり切ったよ、ルクレツィア。君の幸せを私なりに守り、君の愛した息子達とフェラーラを守った。


懐から金と青の美しい小箱を取り出し、ふたを開ける。サファイアの指輪の隣に、自らの薬指から抜いたトパーズの指輪をそっと納めた。

ふたつの輝きが寄り添うのを見届け、静かに箱を閉じる。


これからは、大好きな詩の研究をして、余生を楽しむことにしよう。

これで本当にさようならだ、ルクレツィア。

さようなら、私の初恋。

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