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私が一度捨てられたのでしたら、二度と拾わないでください。――冷徹宰相は、傷もの令嬢を離さない  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


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第43話 善意にも値札がある――そう知った日、私は綺麗なだけの慈善を信じなくなった

 “冬の灯火所”の提案書を出してから、反応は思ったより早かった。


 最初に届いたのは、グレイス伯爵夫人からの賛同だった。


 北区の冬道を越えられない者のために一時救護所を置くという考えに、深く感じ入りました。夜番三日分と薪十日分を、我が家より支援いたします――。


 短い手紙だったが、余計な飾りが少なく、リディアは少しだけ安堵した。


 次に、ローゼン侯爵夫人からも返書が来た。


 施療院への薬草支援に加え、灯火所の薬湯材料費を一部負担したい、という内容だった。こちらは文面こそ華やかだったが、前回の茶会以降、彼女なりに本気で考えてくれているのがわかった。


「順調ですね」


 オスカーが、寄付予定の一覧を見ながら言う。


「今のところは」


 リディアは慎重に答えた。


 机の上には、夫人たちからの返書が何通も広げられている。賛同、確認、追加質問、遠回しな不満。反応はさまざまだ。


 特に不満が多かったのは、“運営費”という言葉への抵抗だった。


 毛布や薬草なら寄付しやすい。

 けれど、夜番の人件費や馬車の待機費となると、急に手が鈍る。


 貴婦人たちにとって、慈善は見えるほうがよいのだ。


 贈ったものが数えられ、語られ、称えられる形のほうが。


「この方は、寝具なら出すが夜番費は出せない、と」


 オスカーが一通を指す。


「夜番費は“召使いへ払う賃金のようで、慈善らしくない”だそうです」


 リディアは思わず眉を寄せた。


「慈善らしくない……」


 口にすると、言葉の軽さが余計に胸へ引っかかった。


 夜番がいなければ、灯火所は夜に開けられない。

 夜に開けられなければ、寒さで悪化する人を受け止められない。

 それなのに、そこへ払う賃金は“慈善らしくない”。


 綺麗に見えないから。


 称賛されにくいから。


「……善意にも、見栄えが必要なのですね」


 ぽつりと言うと、オスカーは少し困った顔をした。


「残念ながら、必要な場合はあります」


「ええ。わかっています」


 リディアは手紙をそっと置いた。


「わかっているのに、少し腹が立つの」


 そう言ってから、自分で驚いた。


 腹が立つ。


 そんな感情を、以前の彼女はあまり口にしなかった。怒りは品がないものだと思っていたし、怒ったところで場が悪くなるだけだと飲み込んできた。


 でも今は、確かに腹が立った。


 夜番の賃金を“慈善らしくない”と言ったその紙の向こうに、寒い夜の北区を知らない白い手が見えた気がしたから。


 オスカーは少しだけ目を丸くしたあと、真面目に頷いた。


「腹が立つのは、悪くないと思います」


「そう?」


「はい。奥様が怒っているのは、ご自分が軽んじられたからではなく、必要なものが軽く見られたからです」


 リディアは黙った。


 確かに、そうかもしれない。


 自分のことなら、きっとまだ我慢する。

 けれど、ニコのような子どもが、寒い夜に助けを求める場所のための夜番費を“慈善らしくない”と言われると、胸の奥が熱くなる。


 これは、怒りなのだ。


 そしてこの怒りは、たぶん消さなくていい。


「では、返事を書きます」


 リディアは筆を取った。


「夜番費という言葉が気になるなら、“灯火守り支援”にしましょう」


 オスカーが瞬きをする。


「灯火守り、ですか」


「ええ。夜番というより、灯火を絶やさない人への支援。役割の意味がわかれば、少しは受け取り方が変わるはず」


「なるほど。言葉を変えるのですね」


「誤魔化すのではないわ。価値が伝わる言葉に直すの」


 リディアは便箋へ目を落とす。


 ――灯火所は、ただ建物を開けておくだけでは機能いたしません。夜の冷え込みの中、訪れる者を迎え、炉を守り、重症者を見極める者が必要です。その役目を、私どもは“灯火守り”と呼ぶことにいたしました。


 筆が進む。


 以前なら、文章を書くときは相手の機嫌を損ねないことばかり考えていた。今もそれは無視しない。けれど、今日はそれだけではない。


 伝えたいことがある。


 見えにくい仕事にも価値があるのだと。


 綺麗に語りやすいものだけが慈善ではないのだと。


 夕刻、アルベルトが作業室へ来た。


 彼は机に積まれた返書と、リディアの書きかけの文案を見るなり、少しだけ眉を上げた。


「揉めているな」


「揉める前に、言葉を変えています」


「ほう」


 アルベルトが文案を手に取る。


 数行読んで、目を細めた。


「灯火守り支援」


「夜番費では慈善らしくない、というご意見があったので」


「くだらんな」


 あまりにも即答だった。


 リディアは少しだけ笑ってしまう。


「旦那様なら、そうおっしゃると思いました」


「実際くだらない。必要な仕事に金を払うのは当然だ」


「でも、そう言ってしまうと夫人たちは動きません」


「だから名前を変えた」


「はい」


 アルベルトは文案を机に戻した。


「悪くない」


 短い評価。


 けれど、いつもより少しだけ声が低く、確かに認められた気がした。


「言葉は飾りにもなるが、仕組みを動かす道具にもなる」


「旦那様が言いそうなことを考えました」


「それは少し危険だな」


「危険ですか?」


「私に似すぎると、社交界で嫌われる」


 真顔で言われ、リディアは一瞬きょとんとしてから、思わず笑った。


「もう少し優しい言い方を覚えます」


「そのほうがいい」


 アルベルトの口元が、ごくわずかに動いた。


 その小さな変化を見つけられることが、最近のリディアには少し嬉しい。


 けれど次の瞬間、彼は一通の封書へ視線を落とした。


「これは?」


「まだ開けていません。ファーネル侯爵夫人からです」


 名前を口にしただけで、少し空気が変わる。


 あの夜会で、リディアが壊れる様子を見たがっていた人。

 今もきっと、好奇心の形を変えてこちらを見ている。


 アルベルトが封を見た。


「開けるか」


「はい」


 リディアは封を切った。


 中の文面は、予想通り優雅だった。


 冬の灯火所という試みには感銘を受けた。ぜひ支援したい。ただし、我が家としては開所式の折に名誉支援者として紹介される形を望む――。


 読み進めるほど、リディアの胸は冷えていった。


 寄付額は大きい。

 薪も毛布も、夜番費も出すとある。


 だが、その条件として“名誉支援者”の扱いを求めている。


 つまり、灯火所の最初の顔になりたいのだ。


 自分の名を大きく載せたい。

 慈善の成果を、社交界で語れる形にしたい。


 リディアは手紙を置いた。


「……支援額は、かなり大きいです」


「ああ」


 アルベルトは既に読み終えていた。


「受ければ、資金は楽になる」


「ですが、開所式で彼女を中心に据えれば、灯火所がファーネル侯爵夫人の名誉の場になります」


「そうだな」


「断れば、角が立ちます」


「立つ」


 なんとも容赦のない確認だった。


 リディアは目を伏せる。


 善意には値札がある。


 今、それを嫌というほど感じていた。


 金額が大きいほど、ついてくる条件も大きい。

 相手の名誉、面子、社交界での立場。

 それらが、支援と一緒に差し出される。


 綺麗なだけの慈善など、きっとない。


 けれど、だからといって汚れていると切り捨てるわけにもいかない。

 その支援があれば、薪が買える。灯火守りを雇える。冬の夜に開けておける日が増える。


 リディアはゆっくり息を吸った。


「受けます」


 アルベルトは彼女を見た。


「条件つきで、受けます」


「どう処理する」


「名誉支援者という肩書きは認めません。ただし、“灯火守り支援の筆頭協力家”として、他の夫人たちと同じ一覧に載せます。開所式で個別の挨拶はなし。代わりに、支援内容の内訳を公表します」


 言いながら、考えが固まっていく。


「ファーネル侯爵夫人の支援額が大きいことは隠しません。でも、それが個人の舞台にならないようにします。薪何日分、夜番何日分、馬車待機何回分。名誉ではなく、実際に何を支えたかを見せます」


 アルベルトは黙って聞いていた。


 そして短く言う。


「いい判断だ」


 その一言で、リディアは自分の胸にあった迷いが少しだけほどけるのを感じた。


「本当に?」


「断れば敵を作る。丸呑みすれば乗っ取られる。条件を変えて受けるのが妥当だ」


「……乗っ取られる、ですか」


「社交界の慈善は、少し油断すれば誰かの舞台になる」


 アルベルトは封書を机へ戻す。


「君が守るべきなのは、君の名誉ではない。灯火所の目的だ」


 その言葉に、リディアは背筋を伸ばした。


 そうだ。


 目的を見失ってはいけない。


 自分が褒められるためでも、ファーネル侯爵夫人を退けるためでも、貴婦人たちに勝つためでもない。


 北区の冬の夜に、灯りを置くためだ。


「返事を書きます」


「今すぐか」


「はい。後回しにすると、怒りが混じりそうです」


「今は混じっていないのか」


「少し混じっています」


「なら、茶を飲んでから書け」


 あまりにいつもの調子で言われ、リディアは少し笑った。


「はい。そうします」


 エマが心得たように、すぐ茶を用意した。


 香りの薄い温かな茶を飲むと、胸の奥の熱が少し落ち着いた。怒りが消えたわけではない。けれど、それをそのまま紙にぶつける必要はない。


 怒りは、文章を鋭くするためではなく、目的を見失わないために使えばいい。


 リディアは筆を取った。


 ――ファーネル侯爵夫人。

 このたびの温かいお申し出、心より感謝申し上げます。

 冬の灯火所は、北区の人々が施療院へ辿り着く前に、暖と初期救護を得るための場所です。

 ご支援は、“灯火守り支援”および薪、搬送馬車待機費として記録させていただきます。

 開所の折には、支援家の皆様のお名前とともに、何を支えてくださったかを明示いたします。

 この場所が、いずれか一つの家の名誉ではなく、北区の冬を支える共同の灯となるよう、どうかご理解くださいませ。


 書き終えたあと、リディアはしばらく文面を見つめた。


 柔らかい。

 けれど譲ってはいない。


 そんな文にできただろうか。


 アルベルトが横から目を通す。


「これでいい」


 その言葉で、リディアは小さく息を吐いた。


「では、出します」


「ああ」


 ハロルドが封書を受け取り、丁寧に一礼して下がっていく。


 その背を見送りながら、リディアは思った。


 善意にも値札がある。


 その値札を見なかったふりをすれば、慈善は誰かの飾りになる。

 けれど値札を見た上で、何を受け取り、何を変え、何を譲らないかを決めれば、善意は仕組みになる。


 綺麗なだけの慈善を信じることは、もうできない。


 でも、綺麗ではないからといって諦める必要もない。


 その泥臭い場所に、たぶん本当の仕事があるのだ。

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