第30話 パカラの救済
シンディの家がある町までは、馬に乗っても丸1日かかった。
日はすっかり沈みかけている。
アリッサは、馬の手綱を木に括りつけ、そっと町へ入った。
――まずは、食料品の調達。
シンディの家は、すぐに見つかった。
窓から静かに忍び込む。
食料品。
使えそうな道具。
その辺りにあった鞄へ手早く詰め込む。
――ごめん、シンディ。泥棒みたいなことして……
この家も、もう安全じゃない。
外へ出ようとしたその時だった。
――足音。帝国の兵士たちだ。
アリッサは息を殺す。
身を縮め、気配を消す。
通り過ぎるのを待つ。
「そっちはどうだ?」
「該当者はいなかった」
「そもそも、この町は子供が少ないからな」
淡々とした声。
「そろそろ戻って提督への報告をまとめるか」
事務的な会話。
足音が遠ざかっていく。
――やっぱり。探している。
――私を。
アリッサは静かに家を出た。
馬のいる場所へ戻る。
よじ登りながら小さく呟く。
「名前、付けてあげなきゃね」
馬は何も言わない。
でも、じっと待っていた。
――森に帰ろう。
町を離れ、アリッサは森の中へ入っていった。
木々が密になり、足元は柔らかく不安定になる。
馬は明らかに歩きにくそうだった。
「……ごめんね」
アリッサは、思わずそう呟く。
少し進んだところで、比較的ひらけた場所を見つけた。
アリッサは馬を降り、近くの木に手綱を括り付ける。
それから、のろのろと枝を集め始めた。
焚き火の準備。
身体は動いているのに心は沈んだままだ。
やがて火がついた。
小さな炎がぱちぱちと音を立てる。
それを見たところで、もう、何もする気が起きなかった。
アリッサは、そのまま地面に横たわった。
背中に冷たい土の感触。
馬が近づいてくる。
柔らかい鼻先がアリッサの頬に触れた。
――あなたも私の犠牲者だね。
心の中でそう言った。
――勝手に連れてきちゃってごめんね。
その瞬間、どっと疲れが押し寄せた。
身体も、心も。
全部。
それでも眠れなかった。
色々な思いが次から次へと浮かんできて、頭の中を離れない。
夜の森は、静かでやけに広かった。
周りが明るくなった。
朝だ。
でも、アリッサは疲れたまま。
瞼が重い。
起き上がる気力がなかなか湧いてこない。
その時、馬が近づいてきて、ぺろりとアリッサの顔を舐めた。
「……あ」
少し間の抜けた声が出る。
――そうか。
――お馬さん、お腹空いたよね。
渋々体を起こす。
すると、遅れていた感情が一気に押し寄せてきた。
後悔。
どっと胸を締めつける。
熱を出した夜、
ちゃんと、スマホを隠しておけば。
秘密基地で、
壁を、もっとしっかり確認しておけば。
提督の馬車なんかで、
オペレーターを使わなければ。
考えるたびに胸が痛くなる。
また涙が滲んできた。
だめだ。
今はそれどころじゃない。
まず、私は生きる。
生きるために、食べる。
そして、お馬さんにも餌をあげる。
アリッサは、シンディの家から持ってきた鞄を開けた。
中から物を取り出す。
ニンジン。
それと、硬くなったパン。
それから――
馬に名前を、つけてあげなきゃ。
馬の名前はパカラにした。
そんな単純な名前しか思いつかなかった。
でも、可愛いから良しとする。
「……パカラ」
ニンジンを差し出す。
パカラは無心にそれを齧った。
アリッサは、硬くなったパンを口に入れる。
もぐ。
……味がしない。
噛んでいるだけ。
飲み込めない。
もぐ、もぐ。
しばらくすると、喉が渇いてたまらなくなった。
視線を上げる。
木々の影の奥に湧き水の気配。
ふらふらと、そちらへ歩いていく。
膝をつき顔を近づける。
そのまま水を飲んだ。
――冷たい。
次の瞬間、意識がすっと遠のく。
苦しい。
息が、できない。
――あっ
はっとして顔を上げた。
水が気管に入り込んでいた。
「げほっ……!」
思いきり咽せる。
げほ、げほっ。
涙が滲む。
「……何やってるんだろ」
小さく呟いた。
濡れた髪もそのままに、ぺたんと座り込む。
上を見上げる。
――本当に、本当に、何をしてるんだろう。
ゆっくり視線を戻す。
パカラの方へ。
草を噛んでこちらを見ている。
アリッサはスマホを取り出した。
指が自然に動く。
「……オペレーター」
「通訳して」
〈対象:馬属〉
〈言語能力:なし〉
〈会話:不可〉
短い表示。
それだけ。
アリッサは、がくりと肩を落とした。
言葉は通じない。
それでも、パカラの優しさは確かに感じられた。
オペレーターは相変わらず冷たかった。
『伝達事項があります』
「何よ、オペレーター」
少し、間があった。
『先程の通訳指示は、合理的ではありません』
「……は?」
『理解不能でした』
「それ、こっちの台詞だから」
『魔獣と一般動物は異なります』
『レクチャーの必要はありますか?』
「応答不能」
きっぱり言った。
『……』
「今はあなたと話したくない」
一瞬の間。
『理解不能。人間にもバグがあると推測』
「……っ!」
その瞬間、アリッサの中で何かが切れた。
アリッサは強く息を吐いた。
「あるわよ」
高い声。
「山ほどある」
スマホを握る手に力が入る。
「でもね」
顔を上げる。
「それを“バグ”って呼ぶのは、あなただけよ」
『……』
「感情があるから、間違える」
「間違えるから、選び直せる」
『……理解不能です』
「でしょうね」
怒りは消えなかった。
スマホを投げ捨てたくなったのを抑える。
「だから」
「あなたは、機械で」
そして、小さく息を吸って。
「私は、人間なの」
『学習データとして記録します』
アリッサは、
ふっと息を吐いた。
――どうせ、こいつには届かない。
アリッサは、諦めてスマホをポケットにしまった。
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