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――私も瑞歩に用があったのよ。ちょうど良かった。
メールで亜希に予定を聞いてみたら、亜希からOKとの返事がきた。
そして夜、行きつけの居酒屋で落ち合って、さっそくビールで乾杯。
「かー、美味い! この最初の一杯がたまんないねー」
「おやじか! ――あ、この間勧めてくれたナイトパックのジェル、すっごくいいよ。また社割で買ってくれる?」
「でしょでしょ? 任せときなさい」
亜希は高校時代からのオタク友達で親友だ。大学はそれぞれ別れてしまったが、社会人になった今でもつき合いは続いている。
「それで、用ってなに? 真面目な話なら酔っ払う前にして」
「はいはい。これを見せたかったのよ」
酔う気満々の私の前に亜希がバサッと置いたのは、丸秘と大きく赤字で書かれた書類の束だった。
「データは持ち出し禁止だからプリントアウトしてきたの。これもこの場で読んでね」
「企画書?」
「そ。何回かリテイク喰らったけど、やっとスタートの指示が出たのよ」
「亜希がメインでやってる仕事なの?」
「そうよ」
「すごい! よかったね」
私よりオタク度が高かった亜希は、大学卒業後ゲーム関連の会社に就職した。企画を出しても没ばかり、ずっとアシスタント的な仕事ばかりさせられていると、よく愚痴を零していたのだ。これでやっと本当にやりたい仕事ができるようになるのだから実にめでたい。
今日の飲み代、半分ぐらいなら奢ってやってもいいぐらいだ。
「で、どんなゲームなの? RPG? 育成?」
「乙女ゲームよ」
「まじですかー」
「まじよ」
「へー。まさかそっち系に行くとはね」
「だって良い素材があったんだもの」
どれどれと、紙の束をめくる。
「……このイラスト、適当過ぎない?」
乙女ゲームの概要が書かれたページの下半分には、メインキャラらしいツインテールの少女のイラストが描かれてあった。
だがこれぞまさにラフ画といった態で、鉛筆書きのラインも生々しい仕上がりだったのだ。
「私みたいなペーペーが、企画段階から本職の絵師に頼める訳ないでしょ? これは絵心のある同僚に頼んで描いてもらったの」
「それもそっかー。……ふんふん、七人も攻略対象者がいるのね。……ん? あれ……なんかこれ、知ってるような……」
乙女ゲームの概要を読み進めていくうちに、私の眉間には皺が寄っていた。
「瑞歩。皺、癖になるわよ。私達ももうアラサーで微妙な年頃なんだから気をつけないと」
いけないいけない。私は、こしこしと指先で眉間の皺を伸ばした。
「これ、私の悪夢よね?」
「そうよ。前に使っても良いって言ったよね?」
「言ったけど……。まさかあんな暗い夢を、本当に使うとは思わなかったわ」
亜希にはじめてあの悪夢の話をしたのは高校時代。その後は、まだあの悪夢を見てるんだとたまに愚痴をこぼしていた。
夢の中に出てくるキャラクターのパーソナルデータを書きだして送ってくれないかと頼まれたのは一年以上前だ。
あれからずっと亜希はこの企画を実現すべく頑張っていたのか。凄いなぁ。
「夢の内容は暗いけど、爺の青年時代の話は乙女ゲームにぴったりだと思ったのよ」
「ああ、一人の美少女に複数の求婚者だもんね……。確かにそうか。――ってか、このツインテールがヒロインなの?!」
ローダンデールの紫の百合を、よりによってツインテールにするだなんて、あんまりだ。
ぶつくさ言いながらぺらぺらと企画書をめくり、キャラクター紹介のページに至った所で、やっと私は自分の勘違いに気づいた。
「アメリア様がヒロインじゃないの? なんで悪役令嬢になってるのよ!」
「えー、だってアメリア様って出来過ぎたキャラなんだもの。乙女ゲームの主人公って、ある意味、ゲームをやってる人の分身なのよ。侯爵令嬢で美人で頭も良いって、瑞歩ならそんなキャラに自分を投影して感情移入できる?」
「……無理」
「でしょ? その点、このフローリアってキャラは、そこそこ可愛い容姿に不幸な生い立ちでちょうど良いのよ」
「わかるけど……。でもなんか、こう釈然としないなぁ。――フローリアが主人公なら、この爺もフローリアに惚れちゃうんでしょ?」
ぺらっとめくったページには七人の攻略対象者のひとり、夢の中の爺の若かりし頃の姿のラフイラストがあった。
あの爺はうじうじぐじぐじと死ぬまで後悔し続けるぐらいアメリア様に惚れていたんだから、ゲームとはいえ他の人に惚れさせるのはなんだか可哀想な気がする。
それに、なによりも気にくわないのが。
「悪役令嬢って断罪されるものなんじゃないの?」
育成ゲーム好きだから乙女ゲームに手を出したことはないが、基本パターンぐらいなら知っている。
悪役令嬢の末路は、断罪されて死罪や追放、よくて軟禁か修道院送りだ。
国家間の謀略に巻き込まれて無残な殺され方をしたアメリア様が、ゲームの中でまた酷い目に遭わされるなんてあんまりだ。
「そ、それはそうなんだけどさ。……でも、ほら、トゥルーエンドに辿り着くと、キャラクター全員がハッピーエンドを迎えられるのよ? アメリア様だって、ほら」
亜希は企画書の最後の方のページをめくった。
「断罪の後に押し込められた修道院から、砂漠の国の王子様に助け出されるのよ。で、真実の愛に目覚めて、そのまま異国で王子様と結婚するわけ。ね? これならハッピーエンドでしょ?」
めくられたページには文字はなく、イラストだけが描かれてあった。
夜の砂漠を行く、一頭のラクダ。
その上には、ふたりの男女が乗っている。
鉛筆描きのラフ画に、淡く水彩の絵の具の乗せただけの雑な絵だ。
キャラクターの顔さえわからないが、それでも寄り添い合う二人は、私の目には幸せそうに見えた。
とてもとても、幸せそうに見えた。
「プレイしてくれる人の数だけ、アメリア様だってハッピーエンドを迎えられる可能性があるわけよ。それこそ上手く行けば、何千回も王子様と結婚できるわ。――……ちょっ、瑞歩? どうしたの?」
「なにが?」
「なにがって……。あんた、なに泣いてるのよ?」
「え?」
指摘されて頬に触れると、確かに頬は濡れていた。視界も微妙に滲んでる。
でも、これはきっと私の涙じゃない。
あの夢の中の、うじうじぐじぐじと後悔ばかりしていた爺の涙だ。
――それでもいい。あの人が幸せになってくれるのならば、それだけでいい。
夢の中の爺が、架空のゲームの話に満足して泣いている。
って、なんだそれ? 訳がわからない。
わからないけれど、私もこれでいいんだと不思議と納得していた。
「ねえ、ちょっと泣かないでよ。瑞歩は原案者なんだからクレジットに乗るし、金一封だってでるのよ?」
「え。金一封? やった!」
思いがけない臨時収入に私は素直に喜び、涙をぬぐった。
「ねえ、金一封だけじゃなく、このイラストの原画も貰えない?」
「このラフ画? 気に入ったの?」
「うん、凄く。駄目なら買い取るからさ」
「金なんていらないわよ。なんだったら、もっとちゃんと描き直してもらうけど?」
「必要ない。この絵が欲しいの」
砂漠を旅するラクダの絵。
雑なラフ画だからこそ、想像力をかき立てる。
きっとこの男女は幸せなのだろうと、勝手に想像して夢を見ることだって出来る。
「じゃあ、額装してプレゼントするね」
「ありがと」
絵が届いたら、ベッドから見える寝室の壁にすぐに飾ろう。
この絵は、きっと私にとって大事なお守りになる。
悪夢除けのお守りだ。
これからはもう、うじうじぐじぐじと後悔し続ける爺の夢は見ない。
その代わりに、夜の砂漠を旅するラクダの夢を見つづけることになるかもしれない。
それこそ、何百回、何千回と……。
と同時に、いちゃいちゃする王子様と姫君の姿を見せられるのかも知れないけれど……。
「なんだろう……。なんか、急に彼氏が欲しくなってきた」
「珍しいわね。あんた、ずっとそういうのに興味なかったのに」
そう、ずっとその手のことに興味はなかった。
自分には縁のない話だと、なぜか最初から排除していた。
もしかしたら、自分でも気づかぬうちに、夢の中の爺の後悔に影響されていたってことか?
おのれ爺、許すまじ。
「合コンに参加してくれるんなら歓迎するわよ。あんた美人だし、連れて行けば私も鼻高々よ」
「あら、嬉しいこと言ってくれちゃって。――よし! 今日は私が全部奢っちゃうよ。あんたの企画が通ったお祝いと、アメリア様の結婚祝いね」
「ゲームキャラの結婚祝い?」
「ゲームキャラじゃないわよ。元々、アメリア様は私の夢の中の登場人物なんだから」
「そっか。……それにしても、変な夢よねぇ。今回の企画書を作ってて、何度も首を傾げたわ。世界観もキャラクターも妙にリアルで、整合性もあるし……。瑞歩って、その手の才能があるんじゃない?」
「ないない。私に夢を見せてるのはあの爺よ」
「ちょっ、その言い方キモいって。まるで、爺の幽霊に取り憑かれてるみたいじゃない?」
「いや、それもないない。幽霊って言うより、むしろ……」
ふっと脳裏に浮かんだのは、前世という可能性だ。
だが、それもないだろう。
この世界には、オールモンドやキールハラルなんて国はないのだから……。
それに、あんなうじうじぐじぐじした爺が私の前世だなんて、嫌すぎる。
「むしろ、なに?」
「あー……ど忘れした」
「呆けるには早いよ」
「へへ。まあ、とにかくもう一回乾杯しよ。アメリア様の結婚祝いをしなくちゃ」
「私の企画が通ったお祝いでしょ。奢ってくれるのよね? ワイン、ボトルで頼んで良い?」
「もちろん」
「やったぁ」
その夜は何度も乾杯して、心ゆくまで酔っ払った。
そして、やっぱり夜の砂漠を旅するラクダの夢をみた。
いちゃいちゃらぶらぶする恋人達の姿も……。
「……これはこれで寝覚めが悪いわね」
うじうじぐじぐじした爺の夢よりはマシだが、いちゃいちゃらぶらぶする恋人同士の夢も、なかなか精神にくるものがある。
「ちっ。夢に負けてられるかっての」
まずは合コンだ。
だてにビューティーアドバイザーはやってない。念入りな化粧で化けまくって、好みの男を一本釣りしてやる。
あの爺のように、死の間際になってうじうじぐじぐじと後悔しないように……。
――それでいい。
夢の中の爺が深く頷いたような気がした。
これにて完結です。
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