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まずはロープの束から適当な長さを切り取って、階段下の扉が開かないよう、ドアノブと手近な手すりとを縛りつけた。
その後、なるべく薄手のガラス食器を選んで扉の前に隙間なく敷き詰め、さらに掃除用の液体ワックスを階段の上から大量に流して滑りやすくしておく。
ロープで縛られた扉をこじ開けて入ってきた人達は、まずガラス食器を踏んで割ってから、暗い階段へと足を踏み入れる。そこでワックスで滑って転び、自らが踏んで割ったガラス片の上に転がり落ちてくるという寸法だ。
『悪質な小細工だな』
私の考えが筒抜けなアリアが、呆れたように言った。
(たぶん、想像通りにはいかないと思うけど……)
子供時代、鬼教官だったダニエル兄様をやっつけようとして、幼馴染み達と考えた罠だ(その時は、ガラス食器ではなく尖った小石を使った)。実際にやった時は、ダニエル兄様にあっさり見破られ、罰としてワックスまみれの階段を掃除させられた後、籠一杯になるまで食べられる山の幸を採ってこいと山の中に子供達だけで放り出されて泣きを見た。
(せめて、少しでも時間稼ぎになることを祈るわ)
錆びた釘が入っている箱や小さな食器やカラトリーが入っている箱を階段の上に移動して蓋を開け、ロープで縛った。ロープの先は念の為に階段に垂らしておく。
滑りやすい階段を上がってきた所に箱があるだけでも邪魔だろうし、滑って転んだ時についうっかりロープを引っ張ってくれたら、頭上から釘や食器が入った箱が中身をふりまきながら転がり落ちてくる。上手く行けばそれなりに酷いことになるだろう。
(私にもう少し力があったら、チェストや椅子が動かせるんだけど……)
物音を立てないようにしなければならないから、今はこれが精一杯だ。
『これでもかなりの時間稼ぎにはなるだろう。少なくとも、ワタシではこんな悪質な小細工は考えつかない』
(誉めてる?)
『もちろん、誉めているとも』
本当だろうかと怪しみつつ、私は幾つかのロープの束を手に取った。
ロープを解いて全てのロープの端を結んで長く伸ばし、さらに両端を合わせて二重にしてから、輪になった部分を何度か結んで丈夫な輪をふたつ作る。その輪に脇の下と足をくぐらせて身体を支え、残りのロープは屋根裏部屋の太い柱にかけてから両手で持つ。
いざとなったら、この状態で窓の外に出て、少しずつ支えのロープの長さを調節しながら、自力で自分の身体を少しづつ下に降ろしていくつもりだ。
『器用なものだ。腰掛け結び、いや、二重もやい結びだったか……。これも脳筋従兄の薫陶の賜物だな』
(そうね)
つい無意識でやっていたが、普通の貴族令嬢だったらこんなロープの使い方など知らないだろう。脳筋様様だ。
『ロープの長さは足りそうか?』
(たぶん……。足りなくてもなんとでもなるわ)
途中の階に窓を破って飛び込むこともできるし、近くに木があれば飛び移ることもできるだろう。その後のことはその場で考えるしかない。
『そうだな。窓は開くか?』
(大丈夫だと思う)
音がするといけないから今は確かめることもできないが、いざとなったら近くにある椅子をぶつけて破ってしまえばいいのだ。
それをするぐらいの時間は、あの仕掛けが稼いでくれるだろう。
最後の仕上げに、私はドレスのスカートを切り裂いて、その布を両手に巻き付けた。
(これで準備万端よ)
『よし。少し外の様子を見てくれないか。変化がないか確かめたい』
(わかったわ)
見つからないよう、窓からそっと外を眺めた。
どうやらこの窓は正門に面しているようで、見下ろす庭は明るかった。
『さっきより、人の姿が少ないようだな』
(きっと屋敷内で私を捜してるのね)
オズヴァルド様が助けにきてくれるとしたら、きっと正門から正々堂々とやってくる筈だと期待して、庭を眺める。
『正々堂々と言うより、猪突猛進だろう。あの天然王子には策を弄する能力がなさそうだからな』
(まあ、失礼ね。オズヴァルド様はお強いから策を弄する必要なんてないのよ)
キールハラルの麗しの末っ子王子。
半月刀を手に戦う姿は、白銀の太陽神にように凛々しく美しいと、従者のラルコがうっとりしながら教えてくれた。
『……アメリアは、必ずその麗しの姿とやらを自分の目で見ることが出来るだろう』
(ええ、きっとね)
だから早く助けに来て。
ロープをぎゅっと握りしめ、祈るような気持ちで庭を見つめる。
だが祈り虚しく、階段下の扉の向こうから人の声が聞こえてきた。
「おい、ここの鍵はあるか?」
「その上はがらくた置き場だ。鍵はかけてない」
「ってことは、ここか?」
バキッと、扉がたたき壊される音が聞こえる。
(行くわ!)
『ああ。慎重にな』
窓を開けて、しっかりとロープを手に巻き付けてから窓の外に身体をそうっと投げ出した。
「くっ!」
それなりに太さのあるロープだが、全体重を二カ所で支えるとなるとやはり身体に食い込んで痛い。両手に絡みつけたロープに予想以上の負荷が掛かり、ロープを絡めた手からは嫌な音がした。
『アメリア、大丈夫か?』
(……大丈夫じゃなさそう……でも、なんとか……するわ)
最初の衝撃をこらえることができれば、後はなんとでもなる。
今まで感じたことがないほどの手の痛みを必死でこらえながら、私は少しずつロープの長さを調節しながら自分の身体を下に降ろして行く。
「ぎゃっ!」
「なんだ、これは」
「くそっ、イテェ」
窓の中からは、ドッタンガッチャンとうるさい音と男達の悲鳴が聞こえてくる。
予想以上に小細工が上手く働いてくれたようだ。
『あの罠が綺麗に決まったら、下手をすると全身血まみれになるぞ』
(帝国の工作員に同情するの?)
『まさか。いい気味だと思ってるよ』
罠が上手く決まったのなら、怪我をした男達が邪魔になって、後続の者達もすぐに階段を昇ってくることはできないだろう。
今のうちに少しでも下に降りなければ。
痛みをこらえて、必死で手を動かして身体を下に降ろし続けていると、庭の方から争うような人の声と馬のいななく声が聞こえてきた。
『どうやら、間に合ったようだな』
(そうね)
喜びに満ちたアリアの声に頷く。
「アメリア!」
遠くから聞こえる声に視線を向けると、こちらに向かって走ってくる馬の上にオズヴァルド様の姿が見えた。
「オズヴァルド様!」
「アメリア、ああ、なんて危険なことを……」
慌てて馬から下りたオズヴァルド様が、私のすぐ下に駆け寄ってきて両手を広げる。
「もう大丈夫だ。手を放して飛び降りるんだ」
「はい!」
私は、オズヴァルド様の言葉を信じて、両手で摑んだロープから手を放した。
ふわっとした浮遊感と共にそのまま落下するだろうと思われたが、次の瞬間、ガクッと宙に留まった。
その強い衝撃で、ロープが身体に食い込んで酷く痛む。
痛みをこらえて見上げると、階段の罠を突破した工作員達が、窓の中でロープの端を摑んでいた。
『まずい! このまま引き上げられるぞ』
(いいえ、まだよ!)
ここまできて諦めるものか。
私は自由になった手で隠しポケットからナイフを取り出し、ロープに刃を立てた。
「まずいぞ! ロープを切られる」
「急いで引き上げろっ!」
二本のロープのうち、まず一本を切ると、焦ったような声が頭上から聞こえてきた。
『なんと愚かな。この状況でアメリアを殺したところで、もはやなんの企みも成立しないだろうに……。いや、逃げる為の人質にでもするつもりか……』
意外に冷静なアリアの声を聞きながら、私はもう一本のロープを思い切って断ち切った。
「アメリア!」
直後、再び身体が宙に浮き、そのまま落下する。
――オズヴァルド様、受けとめて!
もはや目を閉じ、祈ることしかできない。
そして次の瞬間、私はオズヴァルド様に抱き留められ、強い衝撃を全身に受けながら、オズヴァルド様と共に地面に転がっていた。
「ああ、アメリア……。よかった」
愛しい人の腕の中に戻れたのだと悟ると同時に、恐怖と緊張から解放される。
(もう、大丈夫……)
心から安心した私は、オズヴァルド様の腕の中で意識を手放した。




