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引き続き、小さな女の子が酷い目に遭うシーンがあります。ぼかしてはいますが、それ以外にも残酷なシーンがあるので、苦手な方は片目をつぶって読むなり、飛ばすなりして対処してください。よろしくお願いします。
泣き叫んでいた少女の瞳から生気が消える。
絶望と諦観、救いを求めることすら止めてしまった少女の姿は、やがて記憶の闇の中に沈んで消えていく。
私は、最後まで目をそらさずにそれを見ていた。
(あれは、私だ)
現実世界の私の身にも同じことが起きている。
身体だけではなく、心まで損なう暴力に晒されている。
もっとも私の場合、心への暴力はアリアが身代わりになってくれているけれど……。
アリア。私の中のもうひとりのワタシ。そして私の最高の導き手。
アリアは、私より間違いなく年上だ。
あの暴力で心を深く傷つけられた少女は、その傷の痛みに負けることなく生き抜いたのだろう。
どれほどの苦しみを乗り越えてきたのか、今の私では想像することすらできない。
ただアリアの優しさと思慮深さに尊敬の念を抱くばかりだ。
――ワタシの一番の願いは、アメリアが普通の人生を歩むことだったのだ。
かつてアリアに言われた言葉の真意を、今になってやっと理解できたような気がする。
――普通に家族に愛されて育ち、普通に学園で友に恵まれ学んで卒業する。そして普通に恋をして、愛する者と結ばれる。――今度こそ、そんな普通の幸せを与えてあげたかった。
それはきっと、かつてのアリアの人生に欠けていたもの。
生まれ変わって新しい人生を歩んでいる私が、自分と同じ轍を踏まぬよう、アリアはずっと守ろうとしてくれていた。
自分は愛されていないと勘違いしそうだったお父様とのぎこちない関係も、アリアの導きで解消された。
オズヴァルド様との間にあった誤解に呆れながらも、そっちじゃないと、大きく道を外れないよう常に助言を与え続けてくれた。
そして今も、私の心に大きな傷を残さないよう、きっと私の代わりに戦ってくれている。
なにがあろうと、どんな目に遭おうと、決して諦めるなと、身をもって教えてくれている。
(戻らなくては……)
かつて、瀕死だった幼い日の私の心の中で目覚めたアリアは、本来ならば私という存在を吸収し融合する筈だった。
だが彼女はそれを拒否して、まだ幼く未熟だった私の自我を守り、負けるな、生きろと励ましてくれた。
私が、私自身の人生を生きられるようにと、この身体の主導権を奪わずにいてくれた。
この身体は私のもの。
痛みも苦しみも、自分で引き受けなくては。
私の人生の痛みを、アリアに肩代わりしてもらう訳にはいかない。
戻った先にある現実に、きっと私は打ちひしがられることだろう。
それでも、きっと大丈夫。
私の心の中には、私を支えてくれる導き手がいるのだから……。
(お願い。戻って!)
どうしたら目覚めることができるのか、私にはその方法が分からない。
だから、ただひたすらに祈った。
闇の中、両手を握り祈っていると、ふと周囲が明るくなった。
『アメリア、目覚めたか』
(……アリア?)
気が付くと私は、さっきの部屋にいた。
自分の足で床に立ち、ぜえはあと、妙に息切れがしている。
慌てて自分の姿を見下ろしたが、少しばかり服が破れてはいるものの、王城に行く為に着付けられたコルセットはそのままだし、下着もちゃんとつけたままだ。お腹や肩のあたりに痛みを感じたが、動けない程ではない。
(私、どれぐらい気を失っていたの?)
『ほんの数分といったところか。大丈夫。汚されてはいない』
アリアが得意気に言う。
少し離れたところにある寝台を見ると、ルコントが気を失って倒れているようだった。
よくよく見ると泡を吹いているし、なぜか両手で股間を押さえている。
(凄い! どうやって倒したの?)
『……アメリアはまだ知らなくていい。ただ、その……後で念入りに手を洗った方がいいな』
股間と手。なんとなく分かったような分からないような……。
だが今は具体的な話を聞いている暇はない。
(アリア、助けてくれて、ありがとう)
『どういたしまして。アメリアの役に立てて嬉しいよ。――だが、まだ気を許すには早い』
(そうね。ここから逃げてから、ゆっくりお話しましょうね)
『まず最初に、ルコントを縛っておけ』
指示されるまま、カーテンタッセルでルコントの手足を縛り、近くにあった布で話せないよう口も覆う。
その後、カーテンの隙間から外を覗き見た。
『明るいな。これでは闇に紛れて逃げるのは難しそうだ』
アリアの指摘通り、あちこちに灯りがあり、警備中なのか使用人らしき者達の姿も見える。窓から逃げようとしてもすぐに見つかってしまいそうだ。
上手く庭に降りられたとしても、広い庭は噴水を中心に綺麗に整備されていて、隠れるのに適した背の高い植え込みすら見えない。
(こちらは正門側なんだわ。反対側の庭なら、これほど明るくはないんじゃない?)
『そうだな。移動してみるか』
外に出る前に、念の為に扉に耳を近づけて外の様子を探ってみた。
『誰か歩いてる。二人? いや、三人か』
だが、ルコントが人払いした部屋に入ってくる者はいないだろう。そのまま扉の前で通り過ぎるのを待っていたのだが、予想に反して足音は部屋の前で止まった。
次の瞬間、扉がノックされる。
「ルコント様、緊急のお知らせがあります」
『隠れろ! 寝台の下だ!』
アリアに指示されるまま、寝台の下へと潜り込む。靴がなかったせいで、足音が響かなかったのは幸いだった。
「失礼します」
広がるスカートを両手で引き寄せ、寝台の下でじっとしていると、扉が開き男達が入ってきた。
「なんだこれは」
「娘は? 逃げられたのか」
「予定変更だ。この役立たずをたたき起こせ」
男達の口調が、突然乱暴なものに変わる。
「おい、婚姻の契りは結んだのか?」
「ま、まだだ」
乱暴にたたき起こされたルコントが、苦痛に呻きながら答える。
「くそっ、役立たずが。こいつはもういい。始末しろ」
(え?)
「娘を捜せ。王子の行動が予定より早い。もう時間がないぞ」
「見つけたらどうする?」
「予定通り、自害に見せかけて殺せ」
(ええっ!?)
男達の会話と同時に、寝台が僅かに揺れて、ルコントの呻く声が聞こえた。
これは、もしかして……。
『アメリア、落ち着け。ゆっくり浅く呼吸して、音を立てるな』
(わ、わかったわ)
「俺達で屋敷内を捜すぞ。お前は庭を捜せ」
「承知」
必死で呼吸を整え気配を消していると、男達は部屋から出て行った。
足音が遠ざかって行くのを確認してから、そろそろと寝台の下から出る。
「……ああ」
『アメリア、見るな』
寝台の上には、喉を掻ききられて息絶えた血まみれのルコントがいた。
アリアに言われるまでもなく、正視することができずに目をそらす。
『まずいな。乙女ゲーム通りに進行しつつあるのかもしれない』
(え?)
『乙女ゲームのバッドエンドだ。悪役令嬢は、第一王子の立太子の儀の前に自殺することになる』
自害に見せかけて殺せと言った男の声が耳に甦り、私は恐怖に震えた。
読んでくださってありがとうございます。
お話も山場に入り心苦しいのですが、『縁側で~』の書籍化作業も山場に入っており、また少しお休みします(たぶん一週間ぐらい)。
しばし大きい猫さんと遊んできますが、なるべく早く戻って来るつもりです。
それでは、よろしくお願いします。




