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すっかり不安が解消されたフローリア様はご機嫌だった。
侍女や護衛達を部屋に戻し、新作だというケーキを無礼講だと皆に振る舞いながら、これからの抱負を楽しげに語ってくれた。
「アルフレード様と婚姻を結んで王家の一員と認められたら、薬師ギルドに助力しようと思ってるんです」
かつて私達が幼かった頃に熱病が流行った時は、薬師ギルドを通さずに売り出された偽薬が市場に蔓延して大勢の犠牲者が出た。フローリア様の母親も犠牲者のひとりだ。
その後、偽薬を販売した者達は捕らえられたが、いまだに根本的な対策は取られていないのだと言う。
社会貢献は女性王族の務めだ。
現状は孤児院への視察や寄付に片寄っているので、フローリア様は医療関係に力を注いでいくつもりのようだ。
『乙女ゲームのヒロインならば王太子と結ばれてめでたしめでたしで浮かれるところだが、転生娘は地に足がついているようだな』
いい心掛けだ、とアリアが珍しく素直にフローリア様を評価してくれたことが嬉しかった。
◇ ◇ ◇
フローリア様の不安を解消するという目的を果たした私は、侍女のエリスと護衛の女性騎士達を連れて部屋から廊下へと出た。
なんだか浮かれた気分で、ゆっくりと歩き出した途端。
『この愚か者! もっと急げ!』
心の中から大音量でアリアに叱られた。
『気を抜くな! 今が一番危ない時だぞ』
(あら、どうして? 帝国の者達は捕らえられたから、もう安心なのではないの?)
『いくら父上殿が優れていても、国内に潜り込んでいる帝国の間者を、全て捕らえられるわけがなかろう。必ず取りこぼしはいる』
(でもさっきはそんな風に言わなかったじゃない)
『あれは転生娘を安心させる為の詭弁だ。立太子の儀で王太子の婚約者が不安げな顔をしていたのでは色々とまずいだろう』
(じゃあ、まだ帝国の工作員はいるのね?)
『間違いなくいる。アメリアに『乙女殺し』を使った者もまだ捕まっていないんだ。そして、アメリア。きっとまだおまえの命を狙っている』
そうだった。正式にオズヴァルド様との婚約が発表されるまでは、命を狙われる危険があるんだった。
馬車の中でのしつこい説教を思い出して気を引き締めていると、アリアが『……ワタシは不安なのだ』と呟いた。
『立太子の儀の前にアメリアの命が失われる可能性があることを、乙女ゲームの記録が暗示しているような気がしてならない』
(え……でも、ここは乙女ゲームじゃないって……)
『そうだ。ここは乙女ゲームの中の世界ではない。たぶん、乙女ゲームの元になった世界だ。……以前、ワタシが言ったことを覚えているか?』
――こちらの世界の歴史を知る人物が、向こうの世界に転生してその知識を下敷きに『乙女ゲーム』のストーリーを作り上げたのだろう。……もしくは、平行世界の歴史をなんらかの方法で覗き見る能力を持つ者が存在している可能性もあるか。
きっとアリアの仕業なんだろう。以前聞いたアリアの言葉が脳裏に甦った。
『乙女ゲームには複数の攻略対象者がいるのが常だが、やはり王太子ルートが王道なのだ』
王道、つまり、複数あるストーリーの流れの中で主流となる話。
これこそが、こちらの歴史に一番近い流れである可能性が高いとアリアが言う。
『そして王道ルートの明暗を分けるのは、悪役令嬢の生死だ』
(で、でも、私は悪役令嬢じゃないわ)
『もちろん違う。だが、こちらの世界の歴史を知る人物が、その記憶を乙女ゲームという枠にはめ込んでいった結果、アメリアに悪役令嬢という役割を振り分けたのだと思う』
第一王子の幼い頃からの婚約者で、後に婚約を取り消されることになる恵まれた高位貴族の令嬢。
それは、そのまま悪役令嬢という役割に相応しい肩書きなのだとアリアが言う。
虐げられて育った不幸な生い立ちの少女であるフローリア様が、ヒロインという役割に相応しいように。
『まさにシンデレラといったところだな』
(しんでれら?)
『その説明は後だ。とにかく、今は急いでここを出よう。せめて護衛隊長達と合流しないことには落ち着かない』
不安だし嫌な予感がするのだと言うアリアの心配そうな声に背中を押されるように、私は足を速めた。
(ねえ、アリア。悪役令嬢が死なない流れの方が正しい歴史に近いかもしれないわよ)
王太子とヒロインが結ばれるハッピーエンド。
戦争はおこらず、オールモンドが衰退の一途を辿ることもない。
『そうであって欲しいとワタシも思う。だが、バッドエンドの流れの方が、どうにもリアルに感じてしまうのだ』
(そんなことないわ。万が一、私が死んだとしてもオズヴァルド様が帝国に荷担して戦争を引き起こすわけないもの)
オズヴァルド様は、帝国が私に『乙女殺し』の毒を使ったことを知っている。
なにが起ころうとも、決して帝国に協力したりはしないだろう。
『……だと良いのだがな。時に恋は人を愚かにする。天然王子のあの一途さが、どうにも不安で……。――待て、誰かこちらに来た』
私とアリアは視覚や聴覚を共有している。
ほぼ同時に、こちらに向かって走って来る者の足音に気づいた私は立ち止まり、私を庇うように前に出た女性騎士の背に庇われた。
「アメリア様。よかった、まだいらしたんですね」
駆け寄ってきたのは、アルフレード様が最初に人払いをした時に部屋から出て行った側仕えのひとりだ。
たぶん最近側仕えに上がったばかりなのだろう。今回はじめて見た顔だった。だが、アルフレード様が王族の女性達の居住区画まで伴っているぐらいだから、後ろ盾がはっきりした信頼出来る人物であることは確かだ。
「お名前を伺っても?」
「これは失礼しました。私は、フェルグ子爵の第二子、フランと申します。行き違いになったのかと心配しました。実は……」
フランが言うには、アルフレード様から私が王城に居ると聞かされたオズヴァルド様が、一目で良いからと私に会いたがっているらしい。
「まあ、嬉しい」
広い王城でなんの約束もなく会うのは難しいとアリアには言われたが、こういう素敵な成りゆきが訪れるとは。
私は浮かれて微笑んだ。
「オズヴァルド殿下は、東の庭園でお待ちです。ご案内いたしますので、どうぞこちらに」
「ありがとう」
頷いて足を動かしかけたが、なぜかピクリとも動かない。
間違いない。アリアの仕業だ。
今までアリアがこんな風に直接私の行動を邪魔をしたことはなかったから、正直驚いた。
(……わかったわ。今日は諦める)
三日後の立太子の儀が終わればゆっくり会える時間も取れるだろうし、一ヶ月待てば毎日一緒に居られるようになるのだ。
忙しい中、無理をしてまで会う必要はない。
『野暮ですまない』
(いいえ。心配してくれてありがとう)
……本当は、とてもとてもお会いたいけど、アリアの心配してくれる気持ちを踏みにじることもできないから今は我慢する。
「フラン。私、大切な約束があるので屋敷に戻らなくてはいけないの。お会いできないことを私がとても悲しんでいたと、オズヴァルド様に伝えてちょうだい」
「そうですか……。わかりました」
ならばしかたありませんね、と、フランは不意になにかを床に叩きつけた。
と同時に、なにかが弾けて周囲に白い煙が充満する。
『ここから離れろ! アメリア!』
わかったわと答える間も無かった。
いきなり充満した煙に驚いてヒュッと息を吸い込むと同時に、私の意識はばっさり刈り取られるように途切れてしまったのだ。




