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網の上でジュワッと美味しそうな音がした。
焼かれているのは、たっぷりのヨーグルトに漬け込んで香辛料をふった羊肉と、すり下ろしたタマネギと赤ワインと香辛料につけ込んだ牛肉だ。
せっせと肉を焼く脳筋ダニエルの隣では、トロンが諦めたように溜め息をつきながら大きめに切った野菜を網の上に乗せていく。
「兄さん、肉ばかりじゃ胃にもたれるから野菜も焼こうね」
「トロン様、どうせならこれも一緒にお願いします」
実家が魚介類の卸をやっているロランが、トロンに水晶湖で取れた魚やエビを手渡している。
エリスとマテオは、慌てて野営用のテーブルセットを組み立てて食卓のセッティングにいそしみ、私とアビーとジューンは、生野菜を切ってサラダにしたり、パンやチーズをスライスしたりと、大忙し。
皆が慌ただしく働いているのは、脳筋ダニエルがフライングで肉を焼きはじめてしまったせいだ。
「よし、第一陣が焼けたぞ! まずはアメリアからだ。肉を食って、寝込んでいる間に落ちた筋肉を取り戻すんだ」
慌てて準備を整えてテーブルについた私の目の前にドンと置かれたのは、まだジュワジュワと音を立てている巨大な肉の塊だ。
はっきり言って、女性ひとりで食べられる量じゃない。食べたら胃もたれでまた寝込むことになる。
「切り分けますね」
エリスが冷静に私の前から肉を引き離し、ササッと切り分けて皆の皿に載せていく。アビーがその脇にサラダを盛りつけ、ロランも焼けた野菜や魚介類を皆の皿に追加した。
「ほら、兄さん。第二陣を焼く前に、みんなで乾杯しないと」
「む、そうか」
放っておくと明日の分の食料まで全て焼いてしまいかねないダニエルを、トロンが無理矢理座らせて、ワインが注がれた野営用の無骨なグラスを握らせた。
「みんなグラスは持ったな。よし、じゃあ、アメリアの帰還と婚約破棄を祝って!」
「え」
「ちょっ」
かんぱーい! と声を上げたのは、脳筋ダニエルただひとり。
他の皆は、『婚約破棄』のひと言で固まってしまっていた。
『脳筋従兄殿は相変わらずだな』
(……本当にね)
領地では、私がアルフレード様に失恋したらしいという噂がまことしやかに広がっているのだ。
その噂の本人に、『婚約破棄を祝って』だなどとデリカシーがなさ過ぎる。さすが脳筋。
「兄さん、いくらなんでもそれはちょっと……」
脳筋ダニエルの外部頭脳であるトロンが、私に聞こえないよう慌ててコソコソとダニエルに注意している。
弟の気遣い虚しく、ダニエルは大きな声でそれに答えた。
「婚約破棄されたからって腫れ物扱いしたら、余計にアメリアが可哀想だ。過去より、これからだ。アメリアはこれでもう王都に戻る必要は無いんだぞ? これからは俺達とずっと一緒に、この領地のために働けるんだ。これを祝わずになんとする!」
「なんとするって……。だからね、兄さん」
「トロン兄様、いいの」
私は脳筋ダニエルを説得しようとするトロンを止めた。
「私なら平気。事情があって話せないけど、今回の婚約内定の取り消しは私の意志でもあるのよ。だから大丈夫。――ダニエル兄様の言うように、これからの、この領地で生きていく私の未来を祝福してちょうだい」
私は、グラスを掲げて微笑んだ。
「アメリアがそう言うのなら……。――じゃあ次は僕が乾杯の音頭を取るよ」
アメリアの帰還を祝って、という無難なかけ声を合図に、皆がグラスをコンコンとぶつけ合った。
領地に帰ってからはじめて口にするワインは、ふうわりと甘くて美味しかった。
「ベリー系のジュースで割ってるのかしら? とっても上品な味で飲みやすい」
「当たりだ。最近、隣の酒屋で売り出しはじめた品なんだ」
女性でも飲みやすいようにと工夫されたもので、これを更に水で割って氷を入れて飲む人もいるとロランが言う。
「氷を入れるのはいいわね。これならいくらでも飲めてしまいそう」
「アメリア様、駄目です。お医者さまから、ワインは二杯までと言づかっています」
「残念。だったら、私の代わりにエリスが沢山飲んでね」
「私は仕事がありますから……」
「こら、エリス。野営中はみな平等だ。お前も仕事は気にせず楽しめ」
「そうよ。エリスだって久しぶりに帰ってきたんだから楽しまなきゃ」
脳筋ダニエルがいいことを言って、アビーがエリスのグラスになみなみとワインを注ぐ。
もう一度乾杯だ、そろそろ第二陣を焼くかと騒ぐ脳筋ダニエルを、はいはい、いやまだ全然食べてないからと皆で宥めつつ、久しぶりの野営食を楽しんだ。
しっかりヨーグルトに漬け込んだ羊肉はまったく臭みがなくて、噛む度にじゅわっと肉の独特の風味と甘さを感じられて素晴らしい出来だった。
牛肉のほうは実に焼き加減が絶妙で、肉汁の旨みがたまらない。噛みしめると、不思議とナッツの香りが口の中に広がる。
肉を提供してくれたジューンに聞いたら、エサに拘って育てている特別な牛の肉だったらしい。
「このお肉、侯爵様が王家に献上するっておっしゃってくださったのよ。立太子の儀のパーティーで振る舞われる予定な……あっ」
得意そうに話していたジューンが、慌てて唇を手の平で押さえる。
アルフレード様の話題になるべく触れないよう気を使ってくれているのかもしれないが、うっかり口にする度にこんなふうに気まずい顔をされたんじゃ場の空気が乱れるし、こちらとしてもたまったものじゃない。
「そう。それなら、事前にアルフレード様に手紙でお知らせして、食べていただかなくては」
直接食べた感想をいただかなくちゃねと、今も普通に連絡できる間柄なのだということを言外に伝えてみる。
「それは素晴らしいな。王太子殿下のお墨付きをいただけたら、我らが領地の特産物がまたひとつ増えることになる。アメリア、頑張れよ」
「任せておいて、ダニエル兄様」
こういう時だけは、腫れ物扱いしないでくれる脳筋が実に有り難かった。




