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残されたアイリーンはというと。
暫く、呆然とその場に立ち尽くした後、軽く頬をつねってからライナルトの部屋を出た。
「いきなり…あんなこと言われたら…」
夢だと思ってしまう、と呟きながらアイリーンは廊下をとぼとぼと歩き始めた。
ここに来てから、アイリーンの仕事はライナルトを起こすことや、ライナルトの食事に付き合うことや、たまにお茶やお酒を出すことぐらいだ。特に他にすることを与えて貰えない。掃除でも、洗濯でも何でもする、と言ったが、そんなことはする必要が無いとの一点張りだった。
それでは、暇を持て余してしまう。やることが無い、と訴えたアイリーンにライナルトは図書室で本を読むことを勧めてくれた。
ライナルトを起こし、朝食を終えた後はよくこの王城の奥にある棟の図書室にやってくる。
暇がある時には、ライナルトがこの本が面白いだの何だのと教えてくれたりもした。
アイリーンは今、ライナルトが教えてくれた本を読みかけている。意外に面白いその本は、この国の歴史が書かれたものだった。もうその本も終盤、というところで、ベリアルとの鉱山を巡る争いが大きな戦争へと発展したという内容に差し掛かった。
誰もいない図書室の扉を開け、こっそりと中へと入る。
ずらりと並んだ大きな棚、壁一面天井高く本がぎっしりと詰まった本棚を初めて見た時は驚いた。図書室の窓際には幾つか机が並んでおり、アイリーンはいつも一番部屋の隅にある机で本を読んでいた。
窓を少し開けると、爽やかな風が少しだけ部屋に入り込んできた。
朝の清々しい空気と柔らかな日差しの中、アイリーンは読みかけの歴史書のページを捲った。
徐々にベアリル王国がラベルト王国に押され始め、先代国王の時にベアリル王国は国王の死を以って滅亡したのだという。ベアリル王族は修道院に入ったり、ラベルト王国の貴族の元へ引き取られたという。
主要な王族の名がそこに連ねられていたが、母の名は無かった。全員分を記載している訳では無いのだから、当然だろう。
特に気にとめる訳でも無く、アイリーンは本を読み進めた。
ヴェスアードが国王になった辺りまで読み進めたアイリーンは、外から聞こえてきた言葉に胸を鷲掴みにされた気分になった。
「…ベアリル王家の…殿下は…」
ベアリル王家と、殿下。
その単語にアイリーンは窓の外の声に耳を済ませた。
図書室は二階にあり、外庭に面している。その庭には、この城で勤務しているらしい騎士たちの姿があった。
銀色の甲冑を身に纏った見回りの騎士たちは、口々に何か話している。
「ベアリル王家の血を引くご令嬢を妃に迎えれば、未だ再興を企てているベアリルの残党の牽制にもなるだろうな」
「ああ、だから」
「隣国の王女様か、公爵令嬢が一番近いと思ってたんだけどな」
耳を澄まさなければ、全ての会話を聞き取ることは難しかった。それでも、その部分だけはアイリーンの耳にはっきりと聞こえてきた。
アイリーンは何故か隠れなくては、と思い、慌ててカーテンを閉め、椅子では無く、床に座り込んだ。
今朝、ライナルトからいきなり掛けられた言葉が頭の中に蘇ってきた。「好きだよ」なんて言われたけれど、それはこういう理由があったからなのだろうか。
ベアリル王家の血を引く貴族の娘を、ラベルト王家は取り込みたいだけ…なのだろうか。
そう言えば、一度言われたことがあった。この城でお客様扱いだということに疑問を感じたアイリーンに、ライナルトは「ベリアル王家の血を継いでいる」と言った。
大して気にもしていなかった。
父が爵位を失ったことも…何もかも、自分には関係の無いことで済ませてしまっていた。
暫くの間、その場に呆然と座り込んでいたアイリーンだったが…何故か自然と涙が溢れてきた。
やっぱり身分が違うのだと叩きつけられた気分だ。
アイリーンを面白がって、でも、アイリーンが何をしても怒らずに笑って楽しんでくれたライナルト。王子様の戯れだ、と思いながらも、どうしてもライナルトに惹かれずにはいられなかった。
落ち込んだ素振りを見せれば、いつだって慰めてくれて。王子様なのに、友達のように接してくれて…友達?違う。友達なんかじゃない、ずっとライナルトのことが好きだった。
だからだろう、涙が出てきたのは。アイリーンは溢れ出てくる涙を拭って、深く息を吸った。
自分が好きだから、相手にも同じ思いでいて欲しいと願っていたのだ。
身分が違うから…その言葉を素直に受け取ることは出来なかったけれど、アイリーンはライナルトからの「好き」を心から嬉しいと思っていたのだ。
ライナルトには、そんな感情は無かったのだろうか。
ベアリル王家の血を引く…その打算で自分に近づいてきたのだろうか。
初めて会った時のライナルトの楽しそうな顔。あの笑顔や優しさ。そこにそんな打算があったなんて到底思えない。
だけれど、今、耳にした騎士たちの言葉に…アイリーンはその信じられない、そして信じたくない「事実」を認めるしかないのだと思った。
「…今夜、どんな顔して会えばいいの…会いたく、ない」
夕食を取る約束なんてしなければ良かった。
アイリーンは再び溢れ出てきた涙を服の袖で拭い、唇を噛み締めた。




