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 扉の向こう、すぐ傍まで声の主は近づいてきた。アイリーンは、確証を持って勢い良く玄関の扉を開いた。


 扉を開けた先にいたのは、やはり思った通りの人物だった。


 もう会うことなんて無い、王子様がこんな田舎にもう足を運ぶことなんて無い。昨日、そう思い、一抹の寂しさを感じながらも別れを告げたその人物。


「アイリーン」


 こちらに気付き、笑顔で手を振るその姿に、アイリーンは口を手で押さえてただ驚いた。期待していなかった訳では無い。それでも…もう会うことなんて無いだろう、そう思った翌日にこうしてまた会えるとは思っていなかった。


 今日のライナルトは、紺色に金の糸で王家の紋章を刺繍されたケープを羽織り、その下には白地に金色のボタンが施されている上着と、黒のズボンを穿いている。腰から下げた剣は、昨日と同じものであるのに…今日はその服装からか、輝かしいまでのその剣も違和感が全く無い。


 ライナルトの周囲に控える護衛の騎士は、少し鋭い目でアイリーンを見ていた。睨まれるようにして見られている、その理由にアイリーンはすぐに思い至った。


 今日のライナルトは、王子様なのだ。

 昨日のように軽口を言えた相手では、無いのだ。


 アイリーンはゆくりと頭を下げた。


 ライナルトがすぐ傍にやって来ても、アイリーンが顔を上げることは無かった。その許可を得ていないからだ。

 下げた視界の中に、ライナルトの靴が入った。


 履き古されたブーツとは違い、銀の金具が施されている上等のブーツだ。


「アイリーン」


 そっと頬に触れる手の感触に、アイリーンは戸惑うことしか出来なかった。


「らしくない」


 笑い声が聞こえてきて、思わず顔を上げると…そこには、昨日と変わらない笑顔のライナルトがいた。


 服装は違えど、ライナルトはライナルトだ。態度も何も変わらない。


「…ライナルト」


 その名を口にした瞬間。

 ライナルトの傍に控えていた騎士の一人が一つ、咳払いをした。


「殿下の名を呼び捨てにするなど。礼儀を弁えて下さい」


 そう言われ、アイリーンは改めて思い知らされた。親しみやすいと思っていたが、やはりライナルトはこの国の王族なのだ。


 身分が違い過ぎる。ライナルトがあまりに普通に接してくるので、そのことを、忘れてしまいそうになる。

 甘えているだけだ。自分とは違う世界の人なのに。


 アイリーンは慌てて再び頭を下げた。


「……せっかく、名前を呼んでくれたのに」


 ライナルトの苦笑いに、隣に控えていた騎士は困惑の表情を浮かべた。


「彼女は、私の大切な人だ。だから、そんなことで咎めるような真似はしないでくれ」

「申し訳ありません」

「構わない。少し彼女やこの家の方と話がある。君は一度、馬車に戻ってくれ」

「分かりました」


 頭を下げたままのアイリーンの傍で、ライナルトと騎士がやり取りをしている。


 ライナルトの口調は、先日とは全く異なっていた。自分のことを「私」と呼ぶし、その口調もどこか堅苦しいものだ。目の前にいるライナルトが、また少し遠くなっていく。


 騎士の足音が遠ざかっていくのが聞こえても、アイリーンは頭を上げることが出来なかった。

 その様子に、ライナルトが小さく溜息をついた。


「ごめん。顔、上げて」


 そう言われても…アイリーンはまだ顔を上げることが出来なかった。


 たった一言、名を呼ぶことも出来ない。

 思い知らされた身分の違いに、胸が苦しい。

 今、自分は酷い顔をしているのだろう。

 それを見られるのが嫌だった。


「アイリーン」


 優しく真綿に包まれるような、温かな感触。

 額に押し付けられたのは、ライナルトの肩だ。


 抱きしめられているのだと分かり、アイリーンは凍りついたように動けなかった。


「アイリーンは、俺のことを…身分なんて関係なく、一人の人として接してくれた初めての女性だ。そういう所に、惹かれたんだ」


 抱きしめられた腕の力が少し強くなる。


 またからかわれているのだろうか、そう思っても、その腕から逃れることが出来ない。


「だから、アイリーンは…今まで通り、俺に接してくれ。今更、身分なんて気にして、変に壁を作られると悲しいから」


 身分の違いに、ライナルトが遠い存在に感じてしまっていた。


 それはもしかすると、ライナルトも同じなのかもしれない。


 ライナルトの言葉に応えるように、アイリーンはそっとその背中に腕を回した。



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