宇宙一音痴な少女
「今日もみんなのハートに、恋のスタンプ押しちゃうにゃんっ! ニャッキュンッ!」
『ニャッキュンッ!』
アイドルがそうコールすると、観客達から返ってきたのは息の合ったレスポンス。今や会場内のテンションは最高潮に達している。
ファンであってもなくても、みんながみんなアイドル「ことにゃ」のステージを全力で楽しんでいた。
それなのに、青空肇は一人、空気も読まずに呆れ顔を浮かべながら突っ立っていたのだった。
私立未羽鹿学園の入学式を終えてから早三日。
今日は午後の授業を返上して、新入生歓迎会が行われることになっていた。
予定通り、肇達新入生は学園に併設されたコンサートホールに集められた。
そして生徒会長「續山詞名」の厳かすぎて眠くなりそうな挨拶を皮切りに、この高校特有の部活動、『コミュ』の紹介が始まった。
「コミュというのはいわゆる大学のサークルみたいなもので、学園長の許可さえ下りれば簡単な手続きで誰でも作れてしまう部活動のことを言います」
生徒会長曰く、例えばサッカーコミュ一つとっても、全国大会を目指すコミュだったり、趣味程度のお遊びコミュだったり、多種多様であるという。自分に合うコミュを探すことが出来るし、万が一なくても作ってしまえば良いというスタンスだ。
「数あるコミュの中でも、この学園が最も力を入れているのはミュージカルコミュです。改めて詳しく説明しますが、ロイヤルドリームグランプリというミュージカルコミュで競い合うコンクールもあります。それではまず実際に、私の所属するミュージカルコミュ『花吹雪』の活動を見ていただきましょう」
創設者が有名なミュージカル女優だったらしく、設立当初の七十年以上前からロイヤルドリームページェント(通称RPD)という、ミュージカルコミュで競い合うコンクールが行われていた。頂点に立ったものは「クイーンドリーム」と「キングドリーム」という称号を手に入れ、タレントデビュー、舞台俳優デビューなど、様々な場で活躍してきた。
今でもそのRDPは続いており、この学園一の人気者を決めるコンクール、そして芸能界への登竜門の一つとなっていた。
現クイーンドリームであり、生徒会長でもある續山詞名が所属する「花吹雪」は非常に人気の高いミュージカルコミュだ。コミュ紹介では、コミュリーダーである續山詞名を中心に、即興のコメディ劇が演じられた。
挨拶の時の近寄りがたい雰囲気はどこへやら、自分の役をコミカルに演じ切る生徒会長がそこにはいた。
くるくると楽しげに変わる表情、面白いだけでなくメンバーのフォローまでしてしまうアドリブ力とサポート力。この即興劇を見ただけで、彼女が二年生にも関わらず、リーダーをやっている理由が誰にだって分かった。
そう、そこまでは良かったのだ。
そこまでは確かに、ちゃんとしたコミュ紹介だった。
入るコミュはもう決めていた肇だったが、違うところにも興味が湧いてきたくらい楽しいものだった。
それなのに――。
突然、アイドルのライブが始まったのだから、肇が呆れてしまうのも無理はないだろう。
「みんな―! 今日は特別に、ことにゃのライブをプレゼントしちゃうよ!」
しかも、先程まで生徒会長としての威厳を見せ、コミュリーダーとしての実力を発揮していたはずの續山詞名が、ふりふりのアイドル衣装で登場したのだから驚きだ。甘ったるい声でキャッチーなアイドルソングを歌い、観客達にウインクを飛ばしている詞名を見て、即興劇に素直に感動してしまったことを肇は何となく悔いた。
「ことにゃがここにこうして立ってるのは、みんなのおかげ。みんなの応援があったから、ことにゃは晴れてクイーンドリームになれました! どうもありがとーう!」
瞬間「うおー!」と、熱気ムンムンの歓声が上がる。
「みんなの応援と、出会えた奇跡に感謝して、『てとてとて』! 一緒に歌おうね!」
周りの生徒達が一斉に「てとてとてキター!」だの、「隣と手ぇ繋いでー」だの、騒ぎ始める。しかし肇にはこの異様な空気が耐えられなかった。周りの熱気で曇った眼鏡を拭きつつ、いつ出ていこうかと考えを巡らせ始める。
「ほら、手ぇ繋ぐらしいよー。はじタン、なんでそんな怒ってるのー?」
クスクスと意地悪く笑いながら肇の手を取ったのは右隣の少女。
緩めに巻いた赤毛を高い位置でツインテール。絶対に可愛い子にしか出来ないような髪型だが、彼女にはとても良く似合っていた。どこか気だるげな瞳は、黒目がちでとても大きく愛らしい。艶ボクロが色っぽく、他の女子より少しだけ大人びて見える今どきの女子高生。
彼女の名前は名香川ゆ子。中学時代、二年・三年と同じクラスで、高校でもまた同じクラスとなった同級生だ。
いつも何をするのもめんどくさそうで、やる気なんかこれっぽちもないギャル。それなのに自然に周りに人が集まってくる、不思議な魅力のある女の子だった。
「何だよ、名香川。うっせーな。別に怒ってねーよ」
「怒ってるじゃーん。だって肉食獣みたいな目つきしてるしー」
「生まれつきだわ!」
中学の時から知り合いなのだから、肇が普段から肉食獣みたいな鋭い目つきをしているのは知っているはずだ。それなのにいつもわざとこういうことを言ってからかってくるのだった。
「あ、青空君、ことにゃ興味ないなら座ってくんねえ?」
「ああっ!? 言われなくても座るわ!」
「ひぃっ! ご、ごめんなさい!」
高校一年生にしては伸び過ぎている一八〇センチの身長が、後ろのことにゃファンの邪魔をしていたらしい。ライブが始まった時にみんな立てと言われて大人しく立ったのに、何故文句を言われなければいけないのだろう。
ゆ子には怒っていないと言ったが、肇は今、確実にイライラしていた。
「怒っちゃだーめ。そんな態度取ってるから、またクラスで孤立しちゃうんだぞー」
「孤立しちゃうんじゃねえよ! わざと孤立してんだよ!」
荒々しく席に腰掛けながら、肇はそう声を張り上げた。周りの生徒達が、いやーな顔で肇に注目してくる。「見てんじゃねえよ!」と一喝すると、それ以上こちらに視線を向けるものは誰一人としていなかった。
「うちのグループおいでよ。放課後、みんなで遊び行くし。カラオケとか。楽しいよ」
「興味ねえ。余計なお世話」
「むー。はじタンがそう言うなら仕方ないけどー」
派手なギャルや運動部のエースなどが集まったグループの中心的存在で、クラス、いや、学園のヒエラルキーにおいて、かなりの上位に位置しているゆ子。それなのに、他人を避けて孤独でいる自分に何かと絡んでくる彼女のことが、正直苦手だった。きっといつも一人でいる自分のことを馬鹿にして、からかっているんだと最初は思っていた。
けれど関わっているうちに、どうやらそうではないらしいことが分かってきた。彼女は誰に対しても偏見を持たず、分け隔てなく接する、そんな子だったのだ。
――そしていつの間にか、好きになってしまっていた。
こうやって小悪魔ゆ子に勘違いさせられて撃沈していった男子がたくさんいるんだろうな、なんて思いつつも、今さら嫌いになることは出来なかった。
しゃべりかけてくれることに喜びを覚えながらも、気持ちがばれないように接することに肇は必死だった。
「つーか、はじタンって呼ぶなって言ってるだろーが」
「良いじゃん。はじタン。ゆるキャラみたいで可愛いよ」
「可愛さなんかいらねーよ」
「はじタンみたいな一匹狼の不良さんには可愛さが必要だってー。最初の印象が悪いんだから、少しずつポイント稼いでいかねば!」
「ああ? 別に、一匹狼の不良のままで結構なんですけど」
「素直じゃないはじタン、ちょっと可愛いぞー」
「はあ? お前、何言ってくれちゃってんの? 俺はいつでもドが付くほど素直だけど」
「あはっ、照れてる。かわいーい」
「おい。俺は女、子供でもボコボコにする主義だからな」
きゃっきゃと憎らしく笑うゆ子にガンをつけ、拳をポキポキいわせた。
――その時だった。
「いえーい!」
肇の耳を、謎の少女の声がつんざいた。ありえないほどのハウリングに、ゆ子も不快感を露わにしている。
見ると舞台上に、續山詞名とは別の少女が立っているではないか。突然の乱入に驚いたようで、續山詞名は舞台の端で声も出さず、ただただ目を丸くしてる。
月の色のようなふわふわの銀髪をツーサイドアップにした非常に可愛らしい女の子。お菓子みたいに甘そうなピンク色の唇。夜の世界でしか生きていないのではないだろうかと思うほどに白い肌。華奢な体型だが、細すぎず、抱きしめたらきっととても柔らかいのだろう。特にその大きな胸には、男性ならば誰でも目が行ってしまうはずだ。
コンタクトだろうか、水色の瞳の中で輝く銀色の星々は、明け方の空を彷彿させた。
正に「お人形のよう」という言葉がぴったり合うような女の子だった。
「らららーららーららーらららららー♪」
ホール内に、歌とは言い難い雑音が響き渡る。
これは決して歌でない。音の暴力だ。耳を、脳みそを、体全体を、突き刺しズタズタにする、音の暴力。肇はこんな暴力的な歌い方、聴いたことがなかった。
まるで生まれて初めて歌ったような、声の出し方が分からないみたいな、無邪気だけど恐ろしい音だ。
それなのに、少女自身は上手に歌っているつもりらしく、とても気持ち良さそうだった。歌に合わせて、これまた運動神経が皆無としか思えないおかしなダンスを踊っている。
ほんのり紅潮した頬、滴る汗の滴。希望と自信に満ち溢れたその表情だけは、トップスターそのものだった。
あくまで表情だけ、だが。
「きゃ、きゃ……」
舞台上の少女に瞳を捉われたまま、恍惚の表情でゆ子はそう呟いた。
「は? きゃ?」
「へっ? や、な! なんでも! なんでもない!」
ゆ子は慌てて少女から目を逸らす。何故か分からないが、顔が真っ赤だ。ゆ子の貴重な表情を見られて、肇は得をした気分だった。
「らららーらーららーららーららーらーらー♪」
それにしても酷すぎる。
超有名なミュージカルの楽曲を歌っているつもりのようだが、歌詞を知らないみたいだし、音程もめちゃめちゃだ。まるで音で人を攻撃しているかのようだ。
はっきり言って、聴くに耐えない。今すぐにでも歌うのをやめてもらわないと、耳がおかしくなってしまいそうなくらいに。
「……でも」
歌い方は確かに暴力的だ。こんなもの、人に聴かせるものでは決してない。しかもそれを自覚していないから質が悪い。
けれど、彼女の声には不思議な魅力があると肇は感じていた。
銀河のような広さ、星のような儚さ、太陽のような眩しさ。不思議と彼女の声に、宇宙のような神秘的なものを感じたのだ。
彼女の声で歌ってほしいメロディーが次から次へと浮かんでくる。指が無意識に空中で鍵盤を叩いていることに気付き、肇はハッとした。
「はじタン、どうかした?」
「い、いや、何でもない」
そう言って、大人しく膝の上に手を置いた。
少女の声に好印象を抱いた肇とは違い、他の新入生達は彼女に不快感しか覚えていないようだった。口々に「誰あいつ?」「うるさすぎ!」「ことにゃの邪魔すんな!」と野次を飛ばしている。当たり前だが、そのほとんどが彼女に対する罵詈雑言だ。
「きゃー、応援ありがとうですー!」
だが、客席から聞こえるそれらを少女は自分へのエールだと受け取ったらしい。とんだポジティブ思考女である。ある意味、見習いたい。
「実はみいあ、RDPでクイーンドリームを倒すためにこの学校に来たんです!」
可愛らしく両手でマイクを握りしめ、少女はそう熱っぽく語る。どうやら「みいあ」という名前らしい。
「あの續山詞名を倒すつもりかよ、あいつ……」
「アイドルに生徒会長にコミュリーダー。おまけに特進コースの特待生だもんねー。絶対無理だよねー」
「續山詞名にあこがれて、この学校選んだやつ多いんだろ?」
「私の友達、半分くらいそれだよー。クイーンドリームになって、ことにゃ、テレビとか良く出るようになったしね」
「じゃあ、名香川もRDP参加すんのか?」
「私? ミュージカルコミュとか入る気ないもん。めんどくさいし、興味ないな。家近いからこの高校選んだだけだし」
「そっか……」
肇も入りたいコミュはあるのだけれど、それはミュージカルコミュではなかった。
ミュージカルコミュに入ると強制的にRDPランキングというものに登録されるらしいのだ。毎年年度始めにリセットされ、その年度の人気者一位を決める。未羽鹿学園の生徒はもちろんのこと、未羽鹿学園の公式ウェブサイトから全世界中の誰でも投票出来る、メディアの注目度も非常に高いランキングだ。
そんなリア充御用達みたいなランキングに登録されてしまうコミュなんて、誰に頼まれても入らないと肇は決めていた。
「あっ、はじタンは出るの?」
「出ねえよ! 出るわけねえだろ……」
「じゃあピアノのコミュ? 入りたいんじゃないの?」
「なっ……なんで……」
確かに肇はピアノを弾くのが趣味だ。しかしそれを家族以外の誰かに教えた記憶なんてなかった。どうせ似合わないとか言って、馬鹿にされるだけだから。
「中学ん時、放課後毎日、未羽鹿公園に置いてあるピアノ弾いてたの知ってるしー」
「そ、それはきっと俺の兄貴だ」
「ふーん。そっか、そっかー。まあ良いけど」
そう言って、ゆ子はいたずらな笑みを浮かべた。
まさかゆ子に見られていたとは知らなかった。焦りながら、言い訳がましい言い訳をしてみたが、きっとバレバレだろう。馬鹿にされなかっただけ、マシと思うことにしよう。
そんな会話をしているうちに、いつの間にか雑音は止んでいた。舞台上から教師数人に引きずられ、退場していくみいあの姿が見える。何とも哀愁漂う後ろ姿だ。
どうかこれからは無駄に目立とうとせず、人に迷惑をかけないように生活していってもらいたいものだ。
なんて肇の願いも虚しく、みいあはぐるりと首だけ振り返り、
「女王はみいあですから!」
そう、續山詞名に向けて高々と宣言したのだった。その言葉を聞いた生徒達の間から、ブーイングが上がったのは言うまでもない。
しかし肇は一人「やっぱり良い声だなあ」とのん気なことを考えていた。
――ありがとうです。
不意に、耳元でみいあの声がした。
いや、そんなことはありえない。前の方の席なのは確かだが、それでも舞台からは相当距離があるのだ。だからきっと気のせいだろう。
そのはずなのだが、どういうわけか、みいあの視線は肇の方にしっかりと向いていた。こんなに遠いのに「目が合っている」という感覚がある。
夜空で輝く一番星のような瞳から、肇は目を逸らせなくなった。
と、次の瞬間。
何故か大勢の視線が一斉に、肇に集まったのだ。
心臓が早鐘を打ち始め、冷や汗が全身からあふれ出す。健康的な色をしていた肌は、今や土気色。気を抜けば、今すぐにでも気を失ってしまいそうだった。
――肇は視線恐怖症なのだ。
何故自分が注目されたのか分からず、おそるおそる辺りを見回す。クラスの奴らにまた見られているのかと思ったが、誰も肇のことなんか見てはいなかった。
それなのに、まだ感じる大勢の視線。どこかから、たくさんの人々が、自分を凝視している。一体どこの集団が自分を見ているのか、肇には全く分からなった。
『ハハハハハハ』
肇のことを見ている誰かが、笑う声がした。
それと同時に肇は限界を迎え、気絶してしまった。
「えっ!? はじタンっ!?」
「ん……」
目を覚ますとそこは……あいかわらずコンサートホールだった。
先程と違ったのは、ホールの中に人がほとんどいないこと。見渡すと、ホール全体に散らばるようにして数名の人間が座っていた。
肇は新入生歓迎会の時に座っていた席とは違い、かなり後ろの方の席に移動させられていた。膝の上に、「オーディション用」と走り書きがされた数枚の楽譜が置かれている。
「あら、肇。やっとお目覚め?」
聞き覚えのある嫌な声がし、肇は顔をしかめた。
「もう二五番まで終わっちゃったんだから。あと七十八人の中からしっかり選びなさいよ」
「……あの、話が見えねえんだけど。温ね……青空先生」
「温ねぇ」といつもみたいに呼びかけて、ぐっと口を噤んだ。
さらさらの黒髪ショートヘアー、きりりとつり上がった瞳、女性にしては背が高くすらっとしており、美青年に見紛う彼女は肇の姉、青空温。
この学校の数学教師であり、
「ミュージカルコミュ『花吹雪』の入部オーディション、歌唱編よ」
續山詞名が所属するミュージカルコミュ『花吹雪』の顧問でもあった。
「なんで! 俺が! オーディションの審査しなきゃなんねえんだよ!」
「コミュメンバーなんだから、当然でしょ?」
「ああっ!? 俺がいつあんたのコミュに入るっつった!?」
「今、言えばいいんじゃない?」
「ぜってえ言わねえ!」
ホールの端と端で始まった激しい姉弟喧嘩に、温の隣に座っていた續山詞名はおろおろしている。
「あら、肇。今、あんたにすっごい視線が集まってるけど?」
「あっ!?」
頭に血が上っていて気が付かなかったが、温の言うとおりホールのあちらこちらから肇に視線が集まっている。途端に吐き気を催し、大人しく席に着かざるを得なかった。
「さ、一分一秒と無駄には出来ないわ。次、二十六番」
ホール内に散らばった人間の視線の先が一点に集中する。舞台の袖から、一年生らしい女子が出てきた。番号と名前を告げると、ピアノの伴奏に合わせて歌い始める。
決して上手ではないし、緊張しているのか表情も固いが、頑張っている様子は伝わってきた。
「音が全く取れてない。表情も固い。次」
パンッと突き放すように温がそう言うと、流れるように次の一年生が袖から出てきた。二十六番の女子は、瞳に涙を浮かべながら舞台の袖へと引っ込んでいく。
「姿勢が悪い。次」
「声が出てない。次」
「へらへらするのと笑顔は違うわ。次」
「カラオケ大会にでも行ってきたら? 次」
次、次、次、次。
一生分の次をここで聞くことになるんじゃないかと思うほどの「次」の嵐。どれだけ一生懸命歌っても、温に認められなければダメなのだ。しかも温には感情がないらしく、少年少女達が悔しさのあまり泣いたって怒ったって、無表情。完全に無視だった。
「ただの部活じゃねえか。何でオーディションなんかする必要あんだよ。全員入れてやりゃ良いだろ」
小声で呟いたつもりだったが、温には聞こえていたらしくギロリと睨まれてしまう。
「あんたが作曲した曲を歌う役者を決めてるのよ? 真面目にやって」
「はあ? 俺、曲なんて作んねえから!」
「作るのよ。あんたの作曲のセンスだけは買ってるんだから」
「今まで作ってたやつに作ってもらえよ!」
「もう作りたくないって言われちゃったから」
「じゃあ他を当たれ、他を! いっぱいいんだろが!」
「肇、注目の的ね?」
「あっ!?」
またしても頭に血が上って気付かずにいた。肇は慌てて席に着き、みんなからなるべく見えないように深く頭を下げた。
「さ、どこまでいったかしら……」
本当に、大嫌いだ。
昔からこの温という姉は自分のやりたい放題だった。肇は幼い頃からそれに振り回されて続けてきたのだ。視線恐怖症になったのだって、この姉が原因である。
十以上も歳の離れた弟に傍若無人の限りを尽くすこの姉は、日常生活に何か嫌なことでもあるのだろうかと不思議に思ったくらい、最低な姉だった。
「次」「次」「次」「次」
また「次」の吹雪が吹き荒れ始め、憂鬱になった肇はこっそりスマートフォンを盗み見た。トークアプリにゆ子からの連絡が入っている。今からちょうど一時間半くらい前、肇が倒れてから少し経ったくらいだろうか。
「はじタン大丈夫?」「お姉さんに任せた方が良いと思って。置いて帰ってごめんね」みたいな文と一緒に、ぺこりとお辞儀をする猫のスタンプ。嬉しくってにやけてしまった顔を隠すように咳払いをした。
本当はもっと長文で感謝の言葉を伝えたかったが「ありがと。おかげさまで回復したわ」と短く返信しておいた。すぐさま嬉しそうに飛び上がる猫のスタンプが返ってきて、あまりの可愛さに身悶えそうだった。
「なに、にやにやしてるの、肇。好きな子から連絡でもあった?」
「ばっ! 好きじゃね……」
温にのせられ、立ち上がって言い返しそうになるが、ぐっと堪える。すると温は面白くなさそうに唇をとがらせたのだった。
「一○三番、次で最後ね」
二十六番から一○三番まで、良く耐えた俺と肇は自分で自分を褒め称えた。一人平均三十秒だとしても、この苦痛な空間に四十分近くいたことになるのだから。
結局温の口から「合格」の単語を聞いたのは、ほんの十数回だった。
「一○三番……?」
呼びかけても、一○三番は一向に舞台上に現れようとしない。
「棄権、ですかね」
續山詞名が残念そうに呟く。
「そうみたいね。それじゃあこれで歌唱オーディションは終了。合格者は後日演技オーディションに――」
「おいっ! あんた勝手に!」
何やら舞台の袖が騒がしい。
そして騒がしくなったと同時に爆音で流れ出したのは、あの有名なミュージカルの楽曲。
あまりのうるささに、ホール内の人間が一斉に手で耳を押さえた。




