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第7話 憎い青空

「おー。辛気臭い後ろ姿だなー、孝太郎っぽいなー、と思ったら本当に孝太郎じゃーん。やっぱりこなっちゃんレベルにもなると、顔を見ることなくその湿っぽい立ち振る舞いから孝太郎と判別出来るようにすらなるのねー。さすがあたしってカンジー」

 俺の背中をばしばしと叩く平手と憎まれ口によって、声の持ち主に当たりを付ける。振り返るとそこには案の定、予想通りの奴がいた。

「……俺のことを知っている奴なら、顔を見ずともこの図体だけで判別出来そうなものだけどな。晴沢」

 晴沢小夏改め、満天ピーカン女がゲスゲスしい顔を浮かべ、そこに立っていた。雲一つない青空を手下に従えているかのような憎々しさ。

 彼女は「よ!」と言って、カバンを持っている方とは反対の手で俺に手刀を食らわせた。朝から攻撃の多い奴である。

「普段ならそうかもしれないけどー?今日はなんか背筋が曲がってて覇気が無いし、湿っぽいしさあ」

「湿っぽい、か」

「もしくはしめじっぽい」

「誰が食用キノコだよ」

「お吸い物に散りばめて頂いちゃお」

「人を味噌汁で美味しく召し上がるな」

 俺は左手の甲の匂いを嗅いでみる。毎朝味噌汁を摂取するからと言って、体臭がしめじっぽくなるということはもちろんなかった。

「それに加えてあんた、いつもより身長が20センチぐらい縮んでる気さえすんのよね。高身長という唯一無二のアイデンティティを無くした孝太郎を見てさえ孝太郎を孝太郎と判別出来るんだから、褒めていいよー。いぇい」

「……俺の身長が20センチ縮んだところで、お前よりもまだでかいけどな」

 俺は自分の肩より下にある晴沢の頭上辺りに手をあてがって、嫌味を込めてそう言った。

「それはあんたがゴリラだから。スーパー美少女こなっちゃんと野生動物を比べちゃいけません。高身長と言うよりもはや岩石だから」

 ……こいつ今日、絶好調だなあ。

 いつもなら、俺が楯突こうものなら容赦の無い拳のひとつやふたつ飛び出しそうなものだが。

「今日は機嫌がいいんだな」

「今のあたしは晴れやか気分のこなっちゃんなのよー。あんたとは違ってね」

 毎度のことながら小憎たらしい晴沢が晴れやかな気分でいることについては、何とも言えない腹立たしさがあったものの(そんなことを直接言えば心身共に疲弊するのでもちろん口には出さない)、俺の晴れやかではない今の気分を看破されたことには少しだけ驚いた。

 この女__ただのウザい奴と思っていたが、意外と他人の気持ちを推し量るだけの人間らしさは持ち合わせているのかもしれないな…… 小さじ一杯の味噌にも及ばない量ではあると思うが。

「あ、今なんか失礼なこと考えてなかった?顔に書いてあるんだけど?それとも、あたしが書いてあげよーか?」

「そのくだりを定例化しようとするなよ……」

 そんな流れをお約束にされてたまるか。ことあるごとに顔に油性ペンで四字熟語を書かれてちゃ、顔がいくつあっても足りねえよ。

「あっそー。ま、どーでもいいけど」

「……今日はあっさり引き下がるんだな」

 またこの前のように、晴沢を褒めちぎることでキュポンの恐怖から逃避を試みようとしていたので、肩透かしを食らった。

 いつも通り厄介な絡み方をされて、それをいかに軽減するかを考えていたものだから拍子抜けだ。

『寂しい』という単語さえ頭を過ぎった気がしたが、それはきっとまやかしである。あやかしでさえある。妖怪より希少な感情だ。

「あんたのテンションに付き合って、こっちまで湿っぽくなってやるのが煩わしいだけってゆーか。その理由も、分かってることだし」

「……それなら、当ててみろよ」

 すると晴沢は人差し指を立てた。

 にまあ、という嫌らしい擬音が奴の顔辺りに浮かぶ__こんなに嬉しそうな表情で人のテンションを下げに来る奴も、そうはいないだろうな。

「テストでしょ?テ・ス・ト!」

『テ』『ス』『ト!』のリズムで俺の腹を突く晴沢。今日の突きは人差し指だけということもあり、威力は弱かったものの、中間テストが今日という日まで迫っている事実を思うと、精神的なダメージを喰らわずにはいられなかった。

「お前の勘は鋭いな……」

「まあなんだかんだ言っても、そんな大層なもんでもないってゆーか。それに、辛気臭い顔なのはあんただけじゃないし?」

 辺りを見回すと、俺と同じように沈んだ顔の生徒がちらほら見えた。同胞と愚痴をこぼし合う奴もいれば、教科書にかじりつきながら歩く奴もいる。どちらにせよその足取りは重い。

「どーせ勉強なんかしてないんでしょ?入学してすぐの実力テストだって、あんためちゃめちゃ点数悪かったよねー」

 そう言われて、俺は4月の中旬を思い出した。国数理社英、その5人がまるで戦隊ヒーローのように5つ顔を並べ、俺の前に立ち塞がる。百から引いていくよりもゼロから足していった方が早く決着がつく戦いがそこにはあった。

「……いつまでも昔の俺と思うなよ」

「へー、格好いいこと言うじゃーん。今回は自信あるわけ?」

「見くびられたままじゃ、俺の尊厳に関わるからな」

「尊厳ねー」

 人を小馬鹿にしたような表情を常時崩さない晴沢は放っておいて、俺は凛子と過ごした休日を思い出す。大丈夫、しっかりとノートは見直したはずだ。

「どれぐらい勉強したわけ?」

「主にノートを見直したよ。ただひたすらにノートを見直した。そして、仕上げにノートを見直した」

 さらに、レースゲームの予習もした。順位を抜かれる悔しさは、学生のうちに学んでおくべき大切なことだ。

「うわーお。すごーい。がんばったがんばったー」

 俺の努力を鼻で笑い、晴沢は大げさに手を叩いてやる気のない音を鳴らす。こいつの性格を鑑みると『ノート見てばっかで全然手ェ動かしてねーじゃん』と、ツッコミという名の暴力でもかましてきそうなものだが。

「『テストの点数で勝負!あたしが買ったらおごりね!』ぐらいにふっかけられると思ったよ」

「このこなっちゃんを見くびるんじゃないの。あたしはね、ひゃくぱー勝てる勝負になんて興味はないんだよね。違法改造して、初めからレベルマックスで初めから大金持って魔王討伐に向かうRPGなんて、何が楽しいのって話よ。勝つ見込みが多くてもどんでん返しがあるかもしれない、気を抜けばやられる、勝てるかどうか分かんない__こなっちゃんは、そんな不確定要素をまとう勝負にこそ惹かれるギャンブラーってゆーか」

 俺との勝負を『ひゃくぱー勝てる』とは、言われたものである。いつも通り晴沢にマウントを取られてボロクソに疲弊したところで、俺は一つの安堵を得た。

 不当におごらされることはないのだ。

 ……しかし、人間というのは厄介なもので、追われないと分かった瞬間追いたくなる衝動に駆られるこの心情も、偽りではなかった。そんな物も、一種の人間らしさかもしれない。

 止めとけばいいものを、俺は突っかかりたい衝動を押さえることが出来ず、晴沢に挑発的な口調で言った。

「そんなこと言っても、もしかしたら俺が勝つかもしれないだろ?答えが出る前に断定するのは早計だぞ」

「はいはいはーい。そんなこと言ってる暇があるならとっとと教室で最後の悪足掻きしとけってーの。あたしには赤子の手をひねる趣味なんてないの」

 晴沢に突っかかることで、もう1時間も経たないうちに始まるテストという現実を忘れようとしていたのかもしれないが、晴沢はそんな俺の気持ちを汲む気が全くないようで、冷たくそう言った。口をつぐむことしか出来ない自分が虚しいぜ。

 晴沢の言う通り最後の悪足掻きをするため、足を速めようとした。

 その時だった。

「でも、今のあたしってば、結構ご機嫌だから…… いいこと教えたげる。暗記科目の点数を少しでも上げるための小技。感謝してよねー」

 晴沢は小憎たらしい嫌な表情を浮かべ、言った。

「テストが始まる直前に二つ三つ、自分が覚えられる単語を頭の中でずっと唱えておく。それでテストが始まったら、すぐにその単語を問題用紙に書く。分からない問題が出てきたらとりあえずその中から選んで埋める…… まあ、単語の二つ三つ程度で10点20点上がるとは思えないけど、悪足掻きの手段としては上々でしょ」

「……カンニングじゃないのか?それ」

「さあ?覚えたのは自分だし、書き込んだのも自分。だからまあ、許容範囲許容範囲!」

 そう言われて、俺の心は少し揺らぐ__なかなか実用的な情報ではないだろうか?

 少なくとも、それが救いの手に見えてしまう程度には、今の俺にテストを乗り切れる根拠はなかった。

「ま、普段からしっかり勉強してたら使う必要もない小技だけどね?このこなっちゃんみたいに!」

 どこまでいっても嫌味な晴沢を相手に、苦虫を噛む顔しか出来ない俺だった。

「まあ、孝太郎が今更そんな小技を駆使したところで、焼け石に水にしかなんないと思うけどねー!ウケるー!」

 そんな憎まれ口を叩きながらけらけらと笑う晴沢が俺の背中をばしん、と叩いた勢いで、俺はそのまま足を速め、学校へと向かう。

 ご忠告通り、最後の悪足掻きをしないとな……

「くっ…… 覚えてろ」

 俺の発した戦隊ヒーローの雑魚キャラが吐くような捨て台詞が、青空の中に溶けていった。

 

 ◯


「どうか、最後の悪足掻きに付き合ってはくれまいだろうか」

「……悪足掻き?」

 おそらく、優等生の鴬谷が好き好んで使うことはないであろうその言葉を投げかけると、彼女はよく分からないと言いたげな、困惑した苦笑いを浮かべた。

「忙しいところ申し訳ないんだが、勉強を教えてくれ」

 言い方を具体的な表現に変えると、彼女は察した様子を見せる。

「私なんかでよければ」

 優等生がたおやかな笑顔で、優しく俺を包み込んだ。それだけで、先ほど晴沢に削られて赤くなったHPゲージが全回復しそうだ。

「ありがとう、鴬谷。感謝の印に土下座をしよう」

「……本当に感謝の気持ちを伝えたいのなら、土下座は止めてほしいかな」

 最上級の敬意を示そうという意味での土下座の提案だったが、それは丁重にお断りされてしまった。いやはや、感謝の気持ちを表すのは難しいものだ……

 鴬谷は、人に土下座をさせない優しい心を持っている子なのだなあ。

「土下座をしてほしくないのは、単純に恥ずかしいからだよ…… 誰にも得がないからだよ……」

 鴬谷は俺のモノローグに丁寧なツッコミを織り込んでから、今彼女が開いていたノートをこちらへと向けた。俺は自分の席から持ってきた椅子を彼女の席の近くへ置いて座る。

「やっぱり鴬谷は優しいな」

「へ、変に持ち上げないでいいから……」

「いやいや、テストまでの残り時間という意味では条件は同じなのに、俺に手を差し伸べてくれる辺り、ありがたいことこの上ないよ」

「そ、そんな大したことじゃないよ。それに、誰かに教えることで自分の中でも復習になってるから。気にしないで」

 ふむ、格好のいい言葉だ。

 いつか言ってみたい台詞ではあるが、鴬谷による問題の解説をひとつひとつを聞くたびに『こんな問題やったっけ?』という情けない疑問が浮かんでしまう辺り、当分その機会は訪れないことだろう。

「やっぱり勉強を教わるのは鴬谷に限るな」

「え…… な、何? 急に」

 鴬谷は困ったような顔で、まばたきの回数を増やす。

「晴沢に教わるのはしゃくだし、凛子は気安さでどうしても脱線するし…… 鴬谷なら、その丁寧な口調と声で勉強に引き込まれる気がするよ。まるで子守唄のようだ」

「……それ、寝ちゃってるよね?」

『集中出来そうだ』ぐらいのニュアンスで言ったつもりの子守唄というチョイスだったが、もっともな指摘を受けてしまった。日本人なのだから日本語はもっと自在に使いこなせるよう勉強しなければいけないと、今日も鴬谷から学ぶ。

「いや、違うんだ。あくまで、赤ん坊が聞く子守唄のように、安心した気持ちになれるという、ような」

「ふふ…… わかったから」

 控えめだったが、彼女はおかしそうに笑った。必死に弁解を図る俺の姿がよほどコミカルに見えたのだろうか。

 やや不本意ではあるが、理由はどうあれ鴬谷を笑顔に出来たことは俺を嬉しい気持ちにさせてくれる。

「それじゃあまずはここと、ここと……」

 鴬谷がペンの先でノートの文字を辿りながら、優しい声で俺に語りかける。

 子守唄……ではなく、言い方としては読み聞かせの方が適していたかな、と思った。

「それと、ここも」

 彼女が紡ぐ一言一言が、残り少ないテストまでの時間を彩り、俺の一分一秒を意味のあるものへと変えてくれる。一人で教科書にかじりついていては決して得ることの出来なかったであろう、脳に染み込むような語り方だった。

 先生とか似合いそうだなあ、鴬谷。

「……どうかな?」

 そんな鴬谷の口調に引き込まれているうちに、時間はあっという間に過ぎていった。時計を見ると、そろそろ開始10分前になるところだった。自分の席に戻らなければ。

「ありがとう、鴬谷。なんとかなりそうだ」

「それならよかった」

 椅子を持って、自分の席に引き上げる。

 彼女の方を向いて「また改めて何かお礼をさせてくれ」と言うと、彼女は顔を綻ばせて、言った。

「土下座以外ならね」


 ◯


「この世の中には自分の力ではどうにもならないことがいくらでもあるのだけど、まさか今回自分にそれが降りかかるとは思いもよらなかったわ。あらゆる予想を怠らず、万全の準備を尽くして初めてこの不条理な世界で歩いていけると言うのにね。その準備不足こそが、今回の主な敗因ね」

 俺の右隣の席に座る長い髪の彼女が、右手で頬杖をつきながら、淡々とした口調で呟く。大仰な語り口のわりに、自分の力不足を嘆いているようにはとても見えない。そんな落ち着いた無表情だった。

「いや~、不思議なものだねえ。糖分は頭の回転を速くするって聞いて、あんなにお菓子食べたのに!カロリーが気になっちゃって結局勉強よりも走ってた時間の方が長くなっちゃったよ!強い意志で生きなきゃなって痛感したよ!」

 その後ろの席に座る彼女が、白くてまん丸な顔をぷっくりと膨らます。彼女の中で生まれたその強い意志が多分もうすでに砕け散っているだろうことは、彼女が手に持つ白くてまん丸な豆大福を見て察しがついた。

「まあ、あなたもこんなところに座っているようじゃまだまだね? 孝太郎」

 右隣の雨地が哀れなものを見る目つきで、無表情のまま囁く。

「そーだよ!強い意志で生きなきゃ!こーたろう!」

 雨地の後ろに座る一色も、ポップな字体で描かれた騒々しい擬音を頭上に浮かべて雨地に続いた。

 どの口が言っているんだと言いたい。大福を頬張るどの口が。

「お前らだけには言われたくないもんだ」

 勉強に対して向上心のかけらもない彼女たちと違い、勤勉誠実な俺は今回の敗因をきちんと復習する。テスト開始前の様子を思い出す。

「とは言うけれどね…… あなたもここにいるのだから、同じことよ?」

「そーそー!こーたろうも同じ!A組の逆トップスリー同士、3人仲良くがんばろー!」

 二つ三つの単語を頭の中で唱えている時に、四つ五つ、六つ七つと欲張らなければよかったと、今更ながらにそう思う。二つ三つという程よい数で留めておけば単語同士が複雑に絡み合うこともなかっただろう、と。

「それにあなた、名前も書き忘れていたんでしょう?よりによって、名前を書き忘れたら0点と公言してる湯沢先生の時に」

 頭の中で単語を唱えることに躍起になって名前を書き忘れたことにより、人生初の『0点』を獲得してしまった。何とも不名誉なトロフィーだ。

 日本史担当の担任・湯沢先生は穏やかで理知的だが、そういう点では譲れないものがあるらしい。

「自分で言うのもなんだけど、わたし以下だね!わたしはちゃんと、『一色彩花』って記入したから!アメちゃんあげるから元気出して!」

 何でも入る一色ポケットから取り出されたアメ玉を彼女から受け取ると、それを乱暴に口に放り投げた。甘酸っぱいイチゴの味がじわじわと口内に広がる。人生もこのアメぐらい甘ければいいのに。

「……名前さえ書いていれば、ギリギリここにいなくて済んだんだがなあ」

 赤点取得者のための補習が行われるこの教室で、首を上げて時計を見る。もうすぐ担任が来る頃合いだろう。

「もう何を言ってもどうしようもないわ。後の祭りってやつかしら」

「そーそー!アフターカーニバルだよ!」

 出来れば20人のクラスの中で3人しか参加していない寂しい祭りにも追試にも参加したくはなかったものだと切に思う。

 窓の外を見ると、雲ひとつない青空がなおも広がっていた。予報によると、今週は快晴が続くらしい。そりゃあもう目一杯に。

 そんな青空をぼんやり眺めていたら、今頃第1グラウンドでアップしているであろう晴沢の顔が思い浮かんだ。

 彼女が小憎たらしい表情で『だから言ったでしょ?』と鼻を鳴らした気がしたので、俺は「覚えていろ」という、何とも小物くさい台詞を吐き捨てる。

 雑魚キャラの捨て台詞が、青空に溶けていった。

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