死兵の開拓民と幸福の天秤
吐き出す息は白煙となって宙を舞う。なんとなく外に出て見ると、空には数多の星が浮かんでいて、それから冷たい空気は火照った肌を冷やした。いつ何が起こるか分からない状況であるのに、不思議と恐怖は無い。割とどんな時でも恐怖というものが付きまとっているのに、今回の任務に関してはなぜか落ち着いている。それは相手があの少女であるというのも理由の一つであったし、周りに皆が居るというのも大事な事だ。小屋の壁に寄りかかり、それからまた空を見上げる。ちょうど俺が立っている所の反対側から足音がして、こちらに誰かが向かっている事がわかった。
「よう、少しは寝た方がいいんじゃねーのか?」
シュバルツはいつもとはちょっと違う、少しだけ優しい雰囲気で俺に声を投げる。
「ダレンはタバコが嫌いだからな。あいつが居る時だけはこうやって気を使わなきゃいけねーんだ」
苦笑いして、胸ポケットに有るタバコをいつものように取り出して、壁でマッチをすると火が消えないように手を添えながら咥えたタバコに火をつける。暗闇の中の仄かな灯火。その中にシュバルツの顔が少しだけ浮かんで、火が消えるとまた辺りは暗闇と冷気に支配された。どのくらいの時間かはわからないがとにかくお互いが無言でそこに存在していた。
そういえば俺は、この男の事を何も知らないなとふとそう思った。
「一等は何故軍に身を置き続けているのですか?」
余りにも唐突な質問だったからか、シュバルツは少しだけ驚くとそれから俺のほうを向いて苦笑した。ずっと続けていくには余りにも辛い仕事だ。
「何でだろうなぁ。気が付いたらこんな所にいたんだよ。最初は機械いじりが好きだっただけなんだよな」
最初というのは誰でもそんなものなのではないのだろうか。
「まあ、俺の部隊が任務をこなせないで町を一個占領された事があるんだが……それが居つづける切っ掛けにはなってるのかもな」
シュバルツは煙を吐き出して、その時を思い出すように宙を見上げていた。軍という所に居れば誰もが理由を持っている。他のメンバーをどういう理由を持っているのかなと、そんな事が急に気になる。
「そういう、おまえは何で軍にいるんだ」
なんとも、答えにくい質問をされてしまう。無論、たった今俺が横にいる男に投げかけた質問なので俺はこれに答えなければいけない。
「俺は、農作業が嫌で軍に入ったんですけどね。ただ目の前にある事をがむしゃらにやってたら意外と評価されて、理由っていうとそれだけなのかもしれません」
だからこそ、こういう状況になって初めて悩んでいるのかもしれない。
「そうか、じゃあお前が答えを見つけるのはまだまだこれからなのかもしれないな」
シュバルツは地面にタバコを落とすと、それを踏んで火を消していた。それから、少し寒そうに震えると「先に戻るぜ」といって歩き出す。去り際にもう一度こちらを振り返り一言。
「任務をこなすかこなさないか、それ以外の選択肢もある事を覚えとけよ」
重い暗闇の中にシュバルツの笑い声がこだまして、やがてまた暗闇は静寂へと戻っていく。とりあえず、今は任務をこなす選択をする事にする。その少女を救う為にも任務をこなす事が最善であるように思えた。決して生きるためだけではなく、俺は彼女を傷つける。
彼女を救う為に彼女を傷つける。その決意をただ、夜の闇だけが見守ってくれていた。
優しい光が頬をに当たって目がさめる。外から軽く鳥の声がしていて、朝まで眠ってしまったことに少しだけ落ち込んでしまうから、この職業というのはなかなか辛い。ともかく、伏せっていたテーブルから体を起こすとまだボーっとする頭を働かせる。顔を上げると正面にローラが座っていて、俺が起きると慌てて目をそらしていた。
「お、おはよう。気持ちよく眠っていたのね」
少し、顔の赤いローラを見るとなんともいじめたくなってしまうから不思議だ。昨日のあの一件以降はじめて交わすまともな会話かもしれない。
「おう、おはよう。ローラはちゃんと眠れたか?」
「うん、ダレンさんが今日は動かないだろうって断言するから寝ちゃった。あの人がそういうなら今日はこないのかなって……」
その気持ちは良く分かる気がする。彼が昨日はないと言ったならないのだろう。現に無かった。お互いなにか探るように会話を交わしていくが、昨日あの事については何も話さない。もし、エリッサに聞かれたらローラはローラで都合が悪かったし、俺は俺で都合が悪かった。二人で色々確認したいことが山ほどあったような気もするが、どうやら状況はそれを許してくれないらしい。二階にある部屋とロビーをつなぐ扉をエリッサが勢い良く開くと、一瞬だけこちらを睨んでからすぐに大きな声をだす。
「ドーランドにダイラオンの兵が強襲です。その数およそ千!」
それに呼応するように、各部屋から皆が出てきてダレンはイオにシュバルツはエリッサに詳しい状況を確認していた。
「よーし! お前ら仕事だ。転送魔術の詠唱は時間がかかる上に一度に遅れるのは七百から八百が限界みたいだ。詠唱開始から発動までは余裕で豪華な昼食が取れるくらいはかかるらしい。次陣、もしくはその次が行くまでにかたをつけるぞ! 」
ダレンはそれだけ言うと、急いで玄関を出て行く。それに呼応するように、各々が玄関を出ると、俺たちが乗ってきた移動用機甲に飛び乗った。最後の一人、エリッサが乗り込むとそれを待っていたように移動用機甲は轟音を上げた。幾度となく、移動用機甲には乗ってきたが、その中のどれよりも機甲は大きく揺れて、それから後ろに引っ張られるような感覚に襲われる。皆その揺れに耐えるべく、壁に備え付けてある手すりにつかまって下をうつむいていた。今こうしている瞬間もドーランドの町では死人が出ているに違いない。
恐らく非戦闘員など相手にはしていないだろうが、それでも俺の胸はどこか痛んでしまう。
以前の自分は同じような事で心痛めただろうか? そんな事を考えて苦笑いすると、それを見ていたエリッサは少しだけ微笑んだ。彼女は俺が何を考えているのかお見通しなのだろうか? もし、見透かされていても余り驚かない。ひどい騒音と揺れの中で誰一人声を上げることは無かったし、目を合わせることもなかった。それでも、今機甲の中にいる一人一人は何かを共有している。それは例えば死ぬかもしれない恐怖とか、任務を成功させなければ祖国は滅びるプレッシャーとかそういうものではなく、ただ時間が流れていく虚無感のようなものに近かったのかもしれない。俺たちは皆、驚くほどに冷静だった。機甲は途中で何かに襲われるとか、身元がばれて止められるとか言う事は無かったらしく、思った以上にあっさり、そして自然に現地へとつくことが出来た。まさか、十人にも満たない人数で首都へ乗り込んでくると思っていなかっただろうし、転送儀式の前のあわただしさでそんな事に配慮する余裕もなかったのかもしれない。昨日の細かい打ち合わせどおりにまずは陽動部隊が機甲を降りて、俺たち確保部隊はそのまま機甲のなかで息を殺す。ローラは機甲から降りるとき、こちらを向くとなんとも複雑な顔をしてから、最後には笑顔でこちらへとウィンクする。結果によってはこれが最後になるかもしれないのだ。俺は彼女に言うべき事があるじゃないか。
「ローラ!」
不意に、声をかけてしまう。彼女はその声に足を止めるとこちらを見る。
「今度良かったら、二人で出かけよう」
自分でも何を言っているのかよく分からなかった。それでも、今はこれくらいしかいえない。この続きはいつから二人きりのゆっくりした時間に言おう。彼女はその言葉に目を丸くしていたが、こちらに向かって親指を立ててウィンクすると機甲から降りていった。やがて喧騒が一際大きくなって、恐らくはローラが最初の行動を開始した事をうかがわせた。
断末魔と怒号、それから叫び声が当たり木霊して、その声にエリッサが少しだけ顔をしかめた。これは正義の戦いでもなんでもなく、俺たちはよくわからない理由で人を殺めていくのだ。もし、この戦いに正義と悪があるなら、それは全ての切っ掛けである俺たちが悪であることは否めない。戦争が終わって誰かに殺されたり裁かれたりしたとしても、俺たちは言い直る事すら許されないのだろう。最初は、純粋に戦場に響く喧騒だった。しかし、その音は徐々に変わっていく。戦いの音から恐怖の音へと変わっていくのだ。例えば、人を相手にしているのではなく、化け物を相手にしているような、そんな感じだ。
エリッサに光の矢が走ると、彼女の前に文書が展開される。俺たち全員ではなくエリッサにだけ届いたのはイオの負担の問題だろう。同時詠唱も短縮詠唱も出来ない彼女は文書を送る際に一度手を止めなければならないのだ。
(準備完了)
たった一言の文書であるそれを横目で確認すると、ダレンを先頭にして俺たちはハッチを開ける。そこには、重火器を次々とぶっ放すリースと、逃げ行く敵を的確に突撃銃で狙うシュバルツ、強力な攻撃魔法を詠唱しながら土の壁を隆起させてみんなを守るローラがいた。しかし、驚く事はそんなことではなかった。数多の死人を引き連れて後方に控えていたのはイオ。死人を引き連れるというのはおかしな例えだなと自分で言っていて苦笑してしまうが、本当にその通りなのである。焼け焦げた皮膚を曝しながら、あるいは頭から滝のように血を流しながら彼らは銃を放つのである。かつての同胞達に向けて。そう。イオ・アディサと言う女はただの通信術士というわけではなく、まぎれも無くネクロマンサーであることを示唆していた。人の魂を冒涜し、倫理的にも宗教的にも決して許されない人種。そう認識されているのが彼女の使っているネクロマンシーという術式なのだ。彼女が居る限り、たった八人の部隊は殺した人間の数だけ味方が増えることになる。俺が機甲のはしごを降りきった時、イオと目が合って彼女は少しだけ泣きそうな表情でこちらを見てきた。
もしかしたら、ネクロマンサーである自分を一番許すことが出来なくて、一番嫌っているのは本人なのかもしれない。だからこそ、それがわかってしまうからこそ、俺は彼女に微笑みかける。リースは恐らく鼻歌を歌いながら重火器を放つと、こちらを一瞬だけ向いて親指を立てた。やつは全ての事において善悪の感覚がないのだろう。ともかく、そんな陽動部隊の勇士を尻目に俺たちは混乱した人々をかき分けて少女を探すことになる。
「おい、俺はとりあえず八階の部屋につながる通路を抑えてくる。見つけたらロズウェルにでかいのを一発上げさせるからそこへ向かえ」
「死ぬなよ、小僧」
無口な大男は俺のほうに笑いかけるとダレンの後を追った。ダレンとロズウェルはそれだけ言うと人ごみを泳ぐように走り抜けていく。まるで、そこは何もない草原のように自然に走っていた。混乱の中、エリッサを確認しながらとにかく走り抜ける。周りの兵士たちは、ネクロマンシーによって蘇ったかつての同胞達に混乱して、俺たちが転送魔術師を確保しようと走っていることに全く気付いていないのだろう。ただ、その恐怖に震える手で銃を握り締めながら、あるいは詠唱しながら右往左往しているだけなのだ。ただ、今エリッサに伝えなくてはいけない事実が一つだけある。もしも、その時になったら彼女はどうするのだろうか。知らなくていい事では有ったが伝えなければならない。俺が今までそうしてきたように彼女は全てを伝えなくても理解してくれるはずである。
「今回は、結構最初から認識してない。だからエリッサも覚悟しておいてくれ」
喧騒に混じって自分の声が響く。エリッサにちゃんと届いたのかの彼女は少しだけ悲しい顔をした。彼女もまた決意を固めるように深く、鋭く頷く。正面出入り口へと向かう敵兵の流れとは逆に奥にある舞台へと向かう。翻るように大きくジャンプしてそこを登ると、いつか見た少女がただその光景を震えながら見つめていた。壇上で震えているその少女は何の変哲も無い、ただの女の子である。彼女を守るように一人の将校っぽい男がいた。
その男はおれ達がこの騒ぎの現況だと、判断したのか、ためらう事無くこちらに向けて発砲してくる。大きく、横に避けて相手を捕捉するのと同時にガンホルダーから拳銃を取り出して、相手の頭を打ちぬく。躊躇なく。少女はその光景を見舞いと顔をそむけて、固く目を閉じた。エリッサは、詠唱をはじめる。すぐに光の文書が展開されて光の矢となって駆けていった。恐らくはダレンに発見の報告をしたのだろう。壇上で先ほどまで少女を守っていた男は舞台に平伏していたが、やがてその大きな体を起すと、舞台の上からダイラオンの制服を着た兵たちに銃を向ける。彼は既に兵士でも増してや人間でもない。一定の範囲にある死体を蘇らせるのがイオの魔術なのであろうか。今なら彼女が「出来る」と断言した理由も分かるかもしれない。壇上にいた死人はやがて舞台を降りて更に生きている人間の生を奪っていく。俺とエリッサ、それから転送魔術師の少女だけが舞台の上に取り残される。エリッサは終始渋い顔をしていて、どうすればいいのか少し分からないといった様子だ。彼女はまだ俺ほどになれていない。
「また、会ったね」
俺がそういうと転送魔術を使う少女は少しだけ表情をやわらかくした。
「レジスタンスでは世話になったね」
続けるようにそういうと少女は何かをかみ殺すようにうつむく。それだけ言って、あとは沈黙が支配する。また口を開けば「逃げろ」と言ってしまいそうで怖かった。この少女を三度逃がしたかったのかもしれない。舞台の下ではどんどん死人が増えていって殺戮を繰り返す。そしてまた死人を生む。それを横目で見て、それからまた視線を戻すわずかな間。
本当に刹那という言葉がぴったりだと思う。この中年はその一瞬で姿をあらわしたのだ。少女の首に腕を回してきつく締めているダレンがいた。本当にいつの間に姿をあらわしたのか分からない。少女は苦しそうなうめき声を上げて、すがるような目でこちらを見てくる。耐え切れなくなったのかエリッサは少女から目を逸らす。手を口元に当てて、もしかしたら少し泣いていたかもしれない。俺はその光景を見つめ続ける。彼女は敵だ。その光景から目をそらす必要が無い。それが例えまだ幼い少女だとしても、心を痛める理由じゃない。ダレンに首をしめられながら少女は出ない声を振り絞るようにだして「助けて」と呟く。もしかしたらこのまま死ぬかもしれない恐怖の中で、彼女は俺に助けを求めていた。それから小さく俺の名前を呼んだ。俺が出来ることは目を逸らさず、ただ見ること。それだけだ。消えるように彼女の目が閉じると、大きな喧騒の中で彼女は静かに脱力した。垂れる腕と首。これが死体だといわれたところで特に疑問をもたなかったかもしれない。
ダレンは少女を肩に担ぐと「行くぞ」と、それだけ言った。エリッサは小さく頷いて文書を作成して送る。
「ロズウェルさんは?」
先ほど、ダレンと一緒に行ったロズウェル・ナイトの行方が少しだけ気になっていた。だからこそ、自然にダレンに問い掛けてしまったのだろう。
「あいつはあいつの仕事があるのさ。何、すぐに合流できる」
死人が銃を乱射させる広場を三人で駆け抜ける。かつての仲間に殺される気分というのはどういうものなのだろう。大広間を抜けて正面出入り口に差し掛かるとき、既に陽動部隊の姿はそこには無かった。恐らくは既に機甲の中に戻ったのだろう。正面出入り口に置かれている機甲の搬入口が開いていて、そこには既に陽動部隊の面々が乗っている。少し顔色の悪いローラと涼しい顔したイオが何か対象的で、ものすごく印象に残る構図だ。
「確保に成功した。あとはロズウェルが発破仕掛けているからもう少し待ってくれ」
ダレンは運転席で煙を燻らせるシュバルツに声をかける。その声にシュバルツはこちらを向くことなく左手を上げて答えていた。中央に乱暴に転送魔術師の少女が投げ捨てられる。
彼女はそろそろ目を覚ますような様子で、悪い夢でも見ているようにうなされていた。
「誰でもいい、封術が得意なやつかけておいてくれ」
ダレンがそういうと、イオが少し疲れたように立ち上がろうとしたが、エリッサがそれを手で制した。
「お疲れでしょう? 私がやります。こう見えても得意なんですよ」
滑らかな金髪を揺らしてエリッサがそういうと、イオも透き通るような黒髪を揺らして「じゃあ、お願いするわね」と返す。エリッサは立ち上がり、少女の前に立つ。それから、小さく理解できない言語を呟くとやがて彼女の周りが白色の光に包まれる。もう何度も見たエリッサの詠唱。何度も見た光。なにか見慣れない場所で急に故郷にある家を見たようなそんな感覚に襲われてしまう。だから俺の表情も自然と優しいものになっていたのかもしれない。そんな時、こちらに向けられた視線に気付く。ローラのきつく睨むような視線。ここ最近色々な事がありすぎて、彼女に対して何の返事もしていないなと、そんな事を思ってしまう。立ち上がり、ローラの隣に腰をおろすと彼女は少し冷たい顔をして俺を見たが、すぐに視線を落とした。
「全部終わったらさ、ちゃんと返事をするよ。返事って言うのも変だけど……。しっかり答えるよ」
「そう」
冷たく言葉を返したけれども、そこには少しだけ優しさが混じっていたような気がした。エリッサの詠唱が終わると、彼女の前に小さな白い光の玉が出来て、それが目の前で気を失っている少女に飲み込まれていく。どこへ向かっているのか分からない状況の中でその光の玉だけは迷う事無くまっすぐと、しっかりと少女へと向かっていった。誰かが、走ってくるような物音が微かにして、搬入口から黒いシャツをきた大男が姿をあらわす。ロズウェル・ナイトは今まで通りの何事にも動じないような自然な表情をして機甲へと乗り込む。
「隊長、準備は出来た。ここを脱出すると同時に発破する」
「了解、シュバルツ。発進してくれ。できる事ならこのままドーランドへ」
「了解、しっかりつかまって置けよ」
シュバルツがそういうと機甲が聞きなれた轟音を上げていつも通り大きく揺れる。大きな坂を登るような感覚が体を支配したような感覚があって、それが終わるとシュバルツは左手を上げてこちらに合図する。その合図に呼応するようにダレンが深く頷くとロズウェル・ナイトは手元にあった何かを操作した。爆音。その音は恐らくは結構離れているここの空気まで揺らし、近くから悲鳴のようなものも聞こえる。もし、今ラグラスに居る人間がその現場を見れば悲劇以外の何者でもないだろう。これは全て任務を遂行する為に「俺たち」がやったことに他ならない。多くの人々の悲しみを作ったのだ。きっとこれはどれだけ後悔しても、すまないと思っても許されることは無いだろう。それでも、今ここに居る全員が胸の中にかすかな痛みを抱いている事は揺るぐことの無い事実である。恐らくは全員。
それから、ドーランドに着くまでの4日ほど誰一人口を利くことは無かった。転送魔術の少女もその日の内に目を覚ましたが、口を聞く事が無かった。ただ、機甲の音だけが鳴り響いて日がくれて、タバコの煙だけが彷徨って日があける。人生で最低な四日間だ。
無機質な時間の中で無機質な俺たちは生々しい辛さを伴って日々を動かしていく。
「クリストファー・ローランド二士、ならびにエリッサ・ストラフィールド二士。君たちと転送魔術師の少女との関係はこちらで把握している。好意的な協力を彼女に願いたい。まず、少女の尋問には君達二人で当たって欲しい」
ドーランドに到着した翌日。そう、今日だ。目の前には総司令用の制服を見事に着こなした初老の男。近くで見るとえらく小柄な男ではあったが、なんと言うか圧倒される雰囲気を出している。だからこそ、俺は普段のようなのらりくらりとした態度も取れなかったし、エリッサにいたってはいつもどおりの落ち着かない表情をしていた。イリス総大等直々に指示をいただけるなんて、普通の軍人であれば感極まってしまう所である。ともかく、その最高指令から指令が下ったのだ。受けないわけには行かないのだろう。俺にとっては若干辛い。辛いというか正気を保てるのかどうか怪しい所だ。
「全力を尽くします」
「了解いたしました」
俺とエリッサの声がかぶってお互い少しだけびっくりしてしまうが、すぐに謁見モードに切り替わり敬礼をする。イリス総大等は満足げに頷いて一言。
「期待しているよ」
出会いというのは時に残酷なものだ。俺は彼女にまた再会しなければならない。どうしても、守りたいはずだったのに傷つけてしまった、あの少女に再会しないといけない。エリッサと目を合わせると、彼女も少しさびしげに目を伏せた。二人で深く礼をして謁見室を後にする。彼女の待つ部屋に向かって歩く途中、俺たちは一言も口をきかなかった。少しでも口を開けば自分のやわらかい所が全部出てくるような気がお互いしていたから。暗い。金属で囲まれた廊下は果てしなく暗くて、そのまま俺とエリッサを飲み込んでしまうようだった。真っ暗な中に少しだけ明かりが灯っていて、その光に小さな扉が浮かび上がる。そこまで歩いていって扉のプレートを確認すると「第三尋問室」と書いてあったので目的地はここで間違いないようだ。口がパサパサする。胸の慟哭が激しい。自分の気持ちの何かが崩れ落ちそうな気がする。でも、俺は進まなければならない。
「エリッサ、とりあえずは俺に任せてくれ」
隣にいる彼女にそういうと、彼女は深く頷いた。ノックをしてから扉を開ける。部屋の中は小さなテーブルと椅子が三脚置いてあって、その片方の椅子に少女が座っていた。扉が開いたのにも関わらず、こちらを見る事も無く、ただ下を向いていた。生きているのかどうか怪しい程に動作が無い。部屋は暗くて、部屋に付いている小さな窓だけが唯一光を取り込んでいた。俺は再会する。目視する。その少女をもう一度認識することにする。振り絞るように声を出す。他人が聞いていたら若干震えていたかもしれない。
「君のために……暖かいお茶を入れよう。サブラブティーとホットミルクだったらどっちがいい? お腹が減っているなら昼食の残りがあるからそれも出そう……」
少女は、力なく顔をこちらに上げると、その声を発した主が俺だということに気づいたのか少しだけ笑って、それからまた無気力に俯いた。
「サブラブティー……お腹は減ってない」
俺がエリッサに目で合図をすると、彼女は部屋を出る。サブラブティーを用意してくれるのだろう。彼女の前に置いてある椅子に腰をおろして、彼女を見る。やっぱり少女は俯いて、何かに酷く疲れたような、そんな印象があった。音も無い、光も僅かな部屋で俺たちはただサブラブティーが来るのを待ち望んだ。あの時は、優しい雰囲気だった。今日のこれは何だろう。自分についた傷口を正面から目視するようなそんな行為に似ている様な気がする。やがて、扉からトレイにカップを三つ乗せたエリッサが戻ってくる。彼女は自然にカップをテーブルの上に置くと、俺の隣に腰をおろした。やっぱり音の無かった部屋にサブラブティーを啜る音が三つ聞こえた。気持ち悪いほどに甘いその液体はなぜか心の傷口に沁みる。
「さ、まずは名前を聞かせてくれよ。ちなみに俺はクリストファー。みんなはクリスって呼んでる」
もう一度同じ手順を繰り返す。いつか有ったような尋問。どこかでしたような尋問。俺『達』は繰り返す。とりあえず彼女の名前をもう一度聞かねばならない。
「私はメルティーサ……。メルって呼んでもいいよ。クリス……」
小さな瞳に涙を一杯浮べて、その茶髪のカールした髪が少し揺れている。最初に国境の辺鄙な村で彼女と幸せな時間を共有して、クィーンライドで再会して俺は彼女の知人を殺した。そして、ラグラスで彼女自身を傷つけた。今更、何を言えというのだろう。何をしろというのだろう。彼女は嗚咽を上げながら小さく呟く。
「やっぱり……やっぱりクリスだったんだ」
木製のテーブルの上を彼女の涙が濡らして、その雫はサブラブティーの中にも落ちていた。
あれだけ甘いと多少塩味が入ってもいいかもしれない。俺は心を落ち着ける為に、あるいは彼女との時間を取り戻す為に、あの時の手順を続けていく。そうする事で時間を取り戻せるような気がしたのだ。実際そんなことは無いと頭の中で分かっていても。
「俺はメルの事は何も知らない。だから自己紹介をしてくれよ。名前と出身地、それから好きな食べ物と得意な教科。あとボーイフレンドがいるのかどうかも重要だ」
転送魔術の少女――メルも涙を手で拭い、少しだけ手で鼻をこすると答える。
「メルティーサ・クロス。ダイラオン王国のクィーンライドって言う町の出身。
好きな食べ物はホロ芋の煮付け。得意な教科は、転送魔術。ボーイフレンドは居ない」
先ほどまでの無気力はどこかへ行っていた。この質問に答えるこの時は、彼女は確かにあの時のメルだったし、俺も間違いなくあの時のクリスだった。戦争が始まる前のクリスとメル。二人で目を合わせて、少しだけ笑いあう。全然笑えない状況で取り返しのつかない事をしたにも関わらず、俺達は小さく笑い合っていて、エリッサだけがそれを悲痛な表情で見つめていた。きっとエリッサにはこの全てのやり取りが痛々しく見えていてしょうがないのだろう。笑うのを止めて、覚悟を決めた眼差しでメルの瞳を見つめる。深く。彼女もそれに気付くと、俺の事を真剣に見つめる。鋭く。軽く息を吸い込んで、吐き出すように話しかける。ここからはメルティーサ・クロスとやり取りをしなければならない。
「単刀直入に言うよ、メル。リゼルに協力するんだ。そうしなければ君は死ぬか感情を奪われる」
メルはさびしげに笑って、エリッサは記録簿をつける。
「出来ないよ、私は自分の国が好きだったって言うわけじゃないけど、私の友達や知り合いを蹂躙したリゼルは許せないよ。クリス、あなたもリゼルと同じように許せないと思ってる」
彼女は落ち着いて話してはいるが、俺を殺したいほど憎いだろう。クィーンライドで俺とローラは恐らく彼女の知り合いであろう人間を沢山殺した。
「許せなくてもそうしなければ生きられない」
「家族も友人も皆死んだ。私に生きる意味はもう無いと思う」
生きる意味とは何だろう。例えば、俺は戦争が終わってまたエリッサと二人で辺鄙な国境へ飛ばされたり、もしかしたらローラと一緒に変わらない日常を共有していったりするかも知れない。シュバルツにたまに飲みに誘われて、リースと共に昼食を食べる。生きる意味とかそんな大層な物じゃないけど、俺の思い描く未来には確かに誰かがいて、一人ではない様に思う。これが彼女の言う生きる意味なのだろうか? だとしたら、彼女の生きる意味を奪ったのは他でもない俺だ。俺は自分が生き抜く為に彼女を殺した。金属で覆われた部屋は静寂の音が鳴っていて、記録簿を付けるエリッサのペンの音だけがこの時間を動かしているようにも思えた。
「君は……メルはどうしたいんだ?」
「どうすればいいかな? 気分的にはあなたを殺して私も死にたい気分かな」
誰も答えなんて持っていない問いだ。どうしたいと彼女に聞いてもきっと彼女も答えを持っていないだろう。俺達はどうすればいいのだろう。任務的に言うなら、懐柔は失敗。早急に洗脳魔術師を手配する所だ。俺が生きる為にはそれが限りなく正解に近い。メルはサブラブティーをすすると、また無気力に目を伏せた。俺の中にある根本的な何かが変わろうとしている。不景気の時ならば貧しい人々の不幸の上に俺は成り立っていた。今であれば敵国の兵士やその家族の不幸の上に成り立っている。この少女の不幸の上に俺を成り立たせてもいいのか? 自分に問い掛ける声は胸の奥深くに沈んで決して返事を返すことは無い。エリッサはまた記録簿に向かって手を動かす。その横顔はいつだって俺のそばにあった。それがとても心強い。
「メル、俺は君に許されたい」
その一言を目の前の少女に放った瞬間、彼女は眉間に狂おしいほど皺を寄せて、それからいつもだったらチャーミングな八重歯をジャッカルのように剥き出した。この言葉が、いかに彼女にとって身勝手な発言であるか十分承知しているつもりだ。
「勝手なこと言わないでよ!!」
彼女の声が壁の金属に当たって弾ける。一瞬静寂が支配したが、またすぐに彼女の怒号が俺に向けられる。言葉でここまで胸を震わせるのは初めてだ。
「じゃあ、皆を今すぐに皆を返して! 神父さんを返して! ピナを返して! 皆と食べる昼食の時間を返して! 今すぐに返せ!」
メルはまるで唾を吐きかけるように俺に言葉を投げかける、その勢いは止まることをしらず、何度も咳き込みながら、声を嗄らしながら「返せ!」と繰り返す。彼女も涙をとめどなく溢れさせていたし、俺だって多分涙が出ていたと思う。エリッサも記録簿に涙をぽたぽた落としていて、傍から見たらこの3人がどういう関係を持っていて、何故泣いているのか、絶対に分からないだろうなとそんな事を不意に思ってしまう。本当にこの苦しさはあの大不況よりもましなのだろうか。貧しくも、死と隣り合わせでもまだあの時は暖かさ感じられたようなそんな気がした。どのくらい時間がたったのか分からない。サブラブティーは既に冷え切っていたし、エリッサもいつからか記録簿をつけるのを止めていた。メルの声はもう枯れていて普通に喋っても先ほどまでのかわいい声が出ることはない。俺も、消耗しきっていてもう何を考えているのかも分からない。
「エリッサ……メルのさ、封術って解除できる?」
乱れた金髪でテーブルに伏せっているエリッサに声をかけると彼女は赤く腫らした目でこちらを向いた。
「多分出来ない、こっちに着いてから宮廷の高位術者が封術しなおしたと思うから……」
エリッサは何度か鼻をすすると小さな声で「よし」と呟いてから、乱れた金髪を後ろで結んだ。
「もうさ、何も考えられないや。それでも、やっぱりメルを帝国に引き渡すのはなんか違うと思うんだよ」
壁に寄りかかって宙に向かってそう言葉を吐き出すと、メルも伏せた目を上げて赤く腫らした目でこちらを覗き込んだ。「私もそう思うよ」エリッサは髪を結びながら答える。
「メル」
「なに」
「俺の事許さなくてもいいよ、一生うらみつづけてもいい。だから、俺がメルの生きる意味にはなれないかな」
メルは少し驚いたように目を開く。でもやはり、それに言葉を返すわけでもなくただ俺のほうをじっと見つめているだけだ。
「寒い冬には寒いって言いながら散歩したりさ、暖炉つけてちょっと眠ったりさ。暖かくなったらめんどくさいけど仕事して、仕事が無かったらまた別の土地に行きゃいいんだよ」
そうなれたら最高かなと俺自身思う。
「そんなの……無理だよ」
「なんで?」
「だって、まずここから抜け出せないし、抜けたとしても私が転送魔術を使う限りどこも戦争の材料にしようとするに違いないよ」
彼女はそういう理由もあって、今まで誰にもこの魔術が使える事を言わなかったのだろう。
「なんとか俺が守るよ。そうならないように」
今度は呆けるようにこちら見つめる。泣いたり怒ったり呆れたり、今日の彼女の表情は本当に忙しい。願わくは彼女を幸せに笑わせたいと思う。エリッサは多少驚いてはいたが、俺がこういう結論を出す事も恐らくは理解してくれるのだろう。
「やっぱり嫌か? お前の生きる意味を奪った俺じゃお前の生きる意味にはなれないか?」
困ったようにかぶり振って、それから赤く腫らした目からまた涙をぽたぽた流して彼女は下を向いた。
「まだ、やっぱりクリスの事憎い。憎くて、憎くてしょうがないけど……それでもやっぱり一緒に居たいと思っちゃうよぉ……」
「それは答えだと思っていいか?」
メルは一瞬躊躇したが、すぐに深く頷いた。俺はエリッサを一瞥する。
「出来ればこの事しばらく黙っておいて欲しい」
「私は連れて行ってくれないの?」
金髪の相棒はやっぱり相棒で居てくれるらしい。いつか彼女には恩返しをしないといけない。彼女に向かって笑いかけると、エリッサも柔らかい笑顔を俺に返してくれた。
「じゃ、メル。三人で出発だ。あの時の三人だ。今度は数日と言わず一生になるかもしれないけどな」
俺達は逃げ出さなければならない。この金属の部屋から。リゼルから。大陸から。世界は思った以上に監獄だ。それならば俺達は世界を逃げる脱獄囚になろうじゃないか。
もうすぐ日が暮れるかという時にエリッサの元へ一通の文書が届いた。差出人はイオ。
第一分隊のネクロマンサーである。と言う事は、追っ手についたのは第一分隊なのだろう。追いつかれればまず勝ち目は無い。俺の出来ることは全速力で機甲を進めて国境を越える事。南のローグロース共和国は今回の戦いに完全中立を示しているので、入り込んでしまえばリゼル軍とて余り大きな動きが出来ないはずだ。軍の基地からやや強引に拝借した機甲は金属の軋みを上げながらそのでかい図体を動かしていく。運転席の隣にある二人がけのシートに座るエリッサとメルは、少しだけ不安な顔していたが、なにか安心したようなそんな色を顔に浮べている。
「ねぇ、追いつかれたら勝てないよね?」
機甲のうめきに混じってエリッサの声がする。目でその警告文を追いながら、その声色は少しだけ恐怖に染まっていた。
「恐らくな、英雄ダレンと稀有なネクロマンサー、それからあの爆破好き相手に勝つ要素がない」
俺がそういうとメルは搾り出すように言葉を紡ぎだした。
「また戦うの? 私たちの幸せのためにまた傷つけあうの?」
この状況でその台詞を言うのが少しだけ申し訳なかったのか、表情に影を落とした後に「ごめん」と付け加えていた。
「いや、メルの言う通りだ。もし追いつかれたとしても何とか戦わない方法を探して見ることにしよう」
そんな方法があるわけ無いと分かりながらも、そう出来たらどれだけすばらしい事だろうと思っている。相反する二つの旋律はいつも背中合わせな物なのである。今はそういう話よりも無事逃げ切れた時の話で元気付ける方がいいだろう。
「これから俺らは南に向かうぞ。ローグロースに向かってそこから船に乗るんだ。目指すは新大陸。俺達も晴れて開拓民だ」
「開拓民って何するの!? なんだが楽しそう」
聞き慣れない言葉に表情を明るくするメルはとても魅力的だ。
「何してもいいんだよ。なんせなんも無いからな。メルはやりたい事無いのか?」
「なんだろ、お店がやりたい」
「じゃあ三人で店をやろう。エリッサは通信魔術が使えるからな、店をやるならかなり有利だ」
横目でエリッサを見てウィンクすると、彼女は優しく笑う。今まで、エリッサのこういう表情は見たこと無かった気がする。機甲は悪路を行くものだから激しく揺れていて、土煙がすごいから窓も開けられない。しかも、追われる立場。状況的には最低なのに、なぜか気持ちは明るくなる。
「そうね、じゃあ洋服屋さんがいいね。きっと開拓民は着る物が大事だと思うのよ」
「えー、料理がいいよ。エリッサ洋服なんて縫えないでしょ」
その言葉に少しむっとしたのかエリッサは「メルも料理なんか出来ないでしょ」と返した。
そんな様子に俺は少し顔がにやけてしまう。なんにせよ、俺達の望む未来を手に入れるために俺達はもう少し尽力しなければならない。また、機甲の中を騒音だけが支配すると、メルは少しさびしそうに言葉を放つ。
「ごめんね……私が転送魔術使えればもっと楽に行けたのにね」
彼女にかけられた封術はかなり強力なもので、先ほどエリッサが粘っていたがやはり無理だったらしい。
「私こそごめん、解術できなくて」
「いいんだよ、そんな魔術は使えない方が。機甲と船で移動するのが俺らのスタンダードだ」
そう、転送魔術なんて無い方が普通なのだ。特殊な事を求めすぎてはいけない。俺達は特殊なもののお陰で苦労して、特殊なものを憎んで、特殊なものに傷つけられたのだ。それゆえに、その特殊な物を憎んでいる。自分に都合がいい時だけその力を崇めるなんて間違ってる。あたりは日が落ちて暗い。森の中の悪路を俺達は突き進む。深い闇はこの機甲に乗り込む俺達をそのまま飲み込みそうで、得体の知れぬ恐怖があった。
そんな中を進む。できる事なら休憩を取りたかったが、彼らに追いつかれてしまっては非常に厄介なことになるというのは目に見えていたのだ。少しだけ機甲につけられた窓を開けると、雨上がりの土の匂いが鼻をつく。この森も、以前は内戦で戦場になったのだろう。死体の匂いが風にのって、うっすら土の匂いと混ざり合った。漆黒の闇だからこそ、闇以外のものは非常に目立つ。例えば、すごいスピードで移動する移動用機甲の魔力灯だとか、対機甲ランチャーの飛んでくる弾だとかは非常に目立つ。まぁ、これはたとえ話でもなんでもなくて、事実としてそういう状況が展開されているのだ。機甲に備えついている、後ろを見るためのミラー。そこには確かに魔力灯の着いた移動機甲とこちらを獰猛に補足するランチャーの弾道が描かれていた。追っ手の機甲は近くにくるまで魔力灯を消して走行していたのであろう。この闇の中でそんな運転を出来るのは恐らく一人しか居ないし、魔力灯がついた一瞬でこちらを補足して対機甲ランチャーを放てる人間も一人しか居ない。
ランチャーの弾がスローモーションのようにこちらに近づいてくる。その弾の軌道を確かに認識できるのに、手や足もスローモーションのように動くものだから回避する事が出来ない。分かっているのにかわせない、これは今まで遭遇してきたどんな状況よりもホラーだ。かろうじて「伏せろ」と言葉が出たが俺の出来ることはそれだけで、その余りよろしくない未来を受け入れるしかなかった。機甲内に轟く鈍い音と激しい揺れ。横にあるドアがなぜか上にきて、今度は天井にあるはずのハッチが下になり、そしてまた反対側のドアが下になって機甲は完全に動きを停止する。エリッサはメルを庇うように倒れていて俺自身も右手を捻ったのか少し鈍い痛みが走った。車内に入り込んでくる砂利を口にしながら、この状況を整理してみる。横転したが、大破していないと言う事は恐らく、ランチャーの弾は機甲に直撃していない。爆風で転んだというのが正解だろう。汚い暗闇の中で自分の体を確認して見るが、怪我はないようだ。右手を捻っているが、こんなものは致命傷になりえない。
「おい、怪我ないか?」
隣の二人に声をかけると、ごそごそと少し動く気配がして「二人とも大丈夫」というエリッサの声が返ってきた。機甲も乗っていた人間も無傷。足だけが止められた。本当に天晴れとしか言い様が無い状況だ。機甲の後部に人の気配がすると、何か器材をつかっているのか、器材特有の電子音が響いて、それから金属がねじれる音がする。多分後ろの搬入口をこじ開けているのだろう。音が鳴ってからすぐ、搬入口は開かれ森の匂いとつめたい風が車内に流れ込んできた。
「よう、クソ野郎ども。とりあえず、出て来い。話はそれからにしようじゃねぇか。出来れば俺も戦いたくないんだよ。言うこときいてくれ」
なんとも懐かしく感じる声ではあるが、昨日までは嫌というほど聞いていた。だからこそ、憎まれ口の一言でも言ってやりたい気分になる。
「意外と暇っすね。シュバルツ一等」
「うるせぇよ、俺だってもう少し暇を満喫したかったんだ」
横転した機甲のなかで久しぶりの上司との対面。なかなか泣ける展開じゃないか。ともかく、第一分隊ではなく第二分隊であったことに今は感謝を覚えなければならない。シュバルツの肩越しに、見慣れた赤毛が揺れていた。なんだか、中途半端のまま別れも告げずに俺達は行ってしまった。ローラにどんな顔をして会えばいいのだろうか。彼女はこちらの事を睨みつける。目に涙を浮べながら。彼女は結局自分よりもエリッサを選んだと思っているのだろう。
「クリス、戦うの?」
例えば、明日の天気がどうなるか聞くように自然にリースは俺に聞いてきた。彼にとっては戦うことが既に当たり前になっている。だからこそ、ここでどうするのかを聞いてきたことは彼の優しさなのだろう。後ろの方に黒髪が見えた。恐らくは先ほど警告文を送ってきた女、イオ・アディサ。彼女はこの件について何も言う気は無いのか、ただ、後ろの方に存在しているだけだ。ここには今、様々な思惑が存在していて、皆がみんな望む未来が違っている。誰かを傷つけることでその未来を手に入れるか、何もせずにその未来を手放すか、それは非常に重要な選択になる。夜行性の鳥の鳴き声が森の中には木霊して、湿った空気が辺りの草木を揺らす。それから、先ほどの対機甲ランチャーの弾は周りを焦げ臭くして、その臭いはここに居る俺達がとんでもなく異端であると攻め立てた。エリッサとメルを見る。怪我はないし、その目にまだ生気を宿していた。真っ直ぐな力強い視線。彼女達に向かって軽く頷く。
「まぁとりあえず出ていいかな? 拘束する?」
シュバルツに向かって話し掛けると、彼は掌で顎を揉んでから答えた。
「まぁ、いいよ。早く出な」
傾いた車体の中で体を動かすのは酷く難易度が高い。ともかく、シートと自分を縛り付けているベルトをはずして、隣のシートも同じように解放する。俺達三人は古木に住み着く虫がはいずり出るようにその鉄の棺の中から脱出した。外に出たとたん、俺達の周りを皆が囲む。やっぱり、このまま見逃してくれるなんてそんな甘い話は無いようである。
「シュバルツ一等」
「なんだよ」
「俺らは戦う気も、メルを引き渡す気も、ドーランドに戻る気も全部ありません。強制的に確保しようとするならばメルはここで俺が射殺します」
メルの方を一瞥すると怯えが顔に出ていたが、深く目を閉じてその小さな顎を軽く縦に振ると目を開けてしっかりした表情で俺を見据えてきた。恐らくは同意してくれたという事だろう。誰かの不幸の上に幸せを成り立たせる気も無かったし、予想される中で恐らく最低な未来を俺達が選ぶ気も無かった。だから、俺『達』の出した答えは必然的にこうなってしまうのだ。
「要するに、無条件で任務を放棄するか最良の結果でなくとも任務を遂行するか一等に選んでいただきたい」
森の静寂は俺が声を発するとその音を飲み込んでいく。シュバルツは軽く鼻で笑うと、何かを考えるように宙をみて、胸のポケットからタバコを取り出して火をつけた。
「あなたが銃を抜く前に全員拘束して見せるわよ。私が」
久しぶりに聞く声。最初に会ったときのように冷たく、それどころか少し憎しみを含んだ声でローラが口をだす。短縮詠唱できる彼女なら可能かもしれない。
「ローラ……久しぶり」
なんとも間の抜けた返事をしてしまう。
「あんたは……あなたは結局そこの女を選んだのね」
こんな時に私情を挟むのはどうかと思ったが彼女の中ではそれが一番重要な問題らしい。さすがに、この台詞には後ろのリースとイオも苦笑いをしていたようだ。
「その事についてもゆっくり話したかったんだ……でも時間無くてね……ごめん」
もし、今回と同じ状況で横にいたのがエリッサではなくローラだったら、果たして彼女は俺を理解して俺に着いてきてくれたのだろうか。それはそれで非常に気になる問いだ。
「まぁ、痴話喧嘩は後にしろよ」
シュバルツは吸っていたタバコを投げ捨てると放し始めた。タバコの小さな光が暗い森の中を照らす。なんというか、タバコの光はまるで小さな虫みたいにそこ存在していて、それがなにかおかしく感じてしまう。
「尋問の時、お前は今俺に出した問いと同じ事で悩んだんだな」
さすが、伊達に年はくってないらしい。彼に突きつけた条件は尋問の時に俺が悩んだジレンマと同じだ。俺はシュバルツという男をある意味尊敬している。だからこそ、この男がどのような答えを出すのかが気になっていたし、この男の出した答えならば無条件に従っても良いような気さえした。
「なめるんじゃねぇよ、小僧」
彼は本気で俺のほうを睨む。それは例えるなら腹をすかせたジャッカルとかそういうレベルじゃない。もっと純粋に恐怖の対象となるような、それこそ殺人鬼のようなそんな睨み方だった。シュバルツの発した言葉、表情に誰一人反応できなかったし、メルは本気で怖かったのか俺の手を強く握ってきた。
「俺はいつか言ったよな。任務をこなすかこなさないか、それ以外の選択肢もあるってよ」
そういえば、ラグラスの突入戦の前にそんな事を言っていたような気がする。
「おい、アディサ」
彼がイオに話し掛けたので急いでガンホルダーから拳銃を取り出して、メルの頭に向ける。
もしも、彼女が詠唱を始めたら残念だが俺達はここで終わりだ。誰かの不幸せの上に幸福を成り立たせる気も無かったけれども、メルをこれ以上不幸のどん底に落とす気も無かった。
「早まるなよ、小僧。要するにリゼルとしてはその『転送魔術師』が敵国に入らなきゃ問題はないんだよ。アディサはこう見えてもかなり一流の魔術師だ。残念ながらストラフィールドもアイゼンバウムも足元にも及ばない」
その台詞にローラが少しだけ顔をしかめる。エリッサにいたっては特に気にしていないようだ。この男はどういう答えを持ち合わせていると言うのだろう。正直それが全く読めなかった。
「アディサ、この転送魔術師に飛び切り強力な封術をかけてくれ」
「かまいませんが……私以外にも解ける人間は居ると思いますよ?」
「そんなんは承知の上だよ。それでも、お前の封術解ける人間なんて二桁居ないだろ」
自嘲するように宙を見上げて鼻で笑うシュバルツ。この男の言葉を信じて銃を下げるとイオは詠唱を始めた。エリッサの詠唱が聖なる物を感じさせるならばイオのそれはまさに邪悪そのものだ。何を言っているのか分からないほどに低く、小さく何かを呟くと、闇の中でも分かるほどどす黒い光がそこら辺に漂って、それから彼女の右手から放たれる紫色の霧のようなものは、吸い込まれるようにメルの体へ消えていく。メルは少しだけ恐怖に顔をゆがめていたが、エリッサが彼女に優しく微笑みかけると彼女の顔から恐怖の色も消えていった。要するに、転送魔術さえ使えなければメルにさして重要性はないという事だと思う。どのくらいの時間そうしていただろう? そんなに短い時間ではなかったというのは分かるが、それ以上の時間の感覚が失われてしまったように彼女のその儀式を見つめていた。ともかく、終わりは唐突にやってきて、彼女が何の前触れも泣く言葉を呟くのを止めると、あたりはまた静寂に包まれていた。
「転送魔術師、及び反逆者二名は激しい抵抗を繰り返し、確保が不可能だった為殲滅した。これより遺体を回収して首都へ戻る」
何を言っているのか分からなかった。シュバルツはそういうともう一度イオの方を向いて「疲れているところ悪いが頼む」と頭を下げていた。このおっさんが頭を下げるのを始めて見たかもしれない。
「まぁ……私はかまいませんけど……ばれても知りませんよ?」
そういうと、イオはまた詠唱を始める。あたりに腐るほどある湿った土が彼女の元に集まってきて、やがてそれが人の形になっていく。イオは今度俺達三人を見つめると、小さく笑って詠唱を繰り返した。人の形になった土の塊はやがて、その表面が皮膚のようになり、顔らしき所は凹凸ができて人の顔みたいになっていく。ゆっくりと、時間をかけてその人の顔のような物が自分の顔にそっくりである事に気付く。要するにこれは俺のデコイ。シュバルツはイオに頼んで俺の死体を『作りあげた』のだ。さすが、ネクロマンサー。こういう事をやらせたらとてつもない。同じように、メルとエリッサのデコイも完成。あたりはまた静寂に包まれて、漆黒の森の中にイオの荒い息遣いだけが木霊した。
「要するにお前らは、これから死ぬ」
強い風が吹いて辺りの木々が揺れる音に低い声が混じる。目を細めて、その男の真意を探るようにエリッサは深く彼を見つめていた。メルは状況がわからないのか、『状況がよく飲み込めません』と顔にかいてある。そんな所が非常に愛らしい。鬱蒼とした闇の中で俺達はひそかな別れを感じていたのだが、一人だけ納得できない人間が居るようだ。赤毛のカールした髪の毛。透明で深いブルーの瞳。一本の芯が入ったような体幹。彼女は、その静かな別れの中で一人納得できずに怒鳴り上げる。
「そんなこと……そんなこと許されるわけない!」
夜中に響く雷鳴のようにローラの声が轟くと、木々はまた風に揺れてざわめく。彼女の性格からして敢えて任務を遂行しないという選択肢が許せなかったというのが一つの理由。それから、俺とエリッサがローラに相談する事無く今回の行動を決断した事が許せない、というのが二つ目の理由。彼女はその二つの理由で怒っている。と思う。多分。
「ローラが本当にそれを望むなら俺達はここで死ぬよ」
とっさに口から出たが、別に張ったりでも何でもなくて本気だった。むしろ、シュバルツの提案が優しすぎるのだ。ここで、終わるのが本来の意味で正しいのだろう。もちろん、ローラがそれを本当に望んでいないと分かっているからこんな余裕な考えが浮かぶのかもしれない。ローラの口が小さく動く。動くけれども、その音が聞こえない。小さく誰にも聞かれないようにそっと、彼女は『何か』を呟いた。その『何か』を理解すると同時に魔銃を取り出してメルに向けて引き金を引く。いや、正確には引こうとした。本当にとっさの出来事で、その中で反応しているのは俺とローラだけ。他の人間はきっと何が起こったのか理解できないであろう。あるのはただ、両腕を肩まで、それから両足を腿まで大地から生えてきた太い木の幹に固定された俺。さっき言っていた「俺が銃を抜く前に無力化させる」というのをやってのけたのだろう。エリッサがその状態に気付いてすぐに短刀でメルを刺そうとしたが同じように固定されていた。ローラは涼しげな顔で息一つ乱さないでそれをやってのける。結局、自分の望む未来を手に入れられるのは能力のある人間だけと言わんばかりに威風堂々な姿でそこに立っていた。要するに、これで俺らは逃げることも叶わず死ぬことも叶わない。俺達は不幸を被る側のたった今なったのだ。
「言ったでしょ! 私だったらあなたが銃を抜く前に拘束する事だって出来るのよ!」
牙を向くように言葉をこちらに投げかけるローラ。彼女はどうしてあんなに辛そうなのだろう。自分の望む未来を掴み取ったのではないのだろうか。打つ手が無い時、その生殺与奪を握っている人間を見てしまう。この場合、シュバルツ・ウィンダムという男が俺達の幸せと命を握っているといっても過言ではないと思う。だからこそ、その場に居た全員がシュバルツを見ていた。この状況をどうするのかと。シュバルツはタバコに火をつけると、右手で跳ねた髪の毛を掻いた。リースとイオは少し疲れたのか、すぐそこにあった座るには調度良い岩に腰掛けてこの行方を見守るようだ。
「何でかな……」
膠着を打破するのはメルの一言。ため息を少しついてからメルは話を始める。
「ここに居る全員がね、ここに居る誰か一人でも不幸になってなんか欲しくないと思ってる。それでも、傷つけ合うのは何でだろうね」
メルはローラを深く見つめてその言葉を言い切った。それからもう一度呟くように言葉を放つ。
「その力は自分の幸福を掴むための力なんだね」
「じゃあどうすればいいのよ! このまま、逃がしたら私はどうすればいいのよ!」
腕と足を固定されているエリッサはローラを激しくにらみつける。その視線だけで彼女を殺そうとするようにきつく、暴力的な目線。それから、暴力的な言葉をその目線に付け加えた。
「あなたのそういう所、本当にうざったい。いつも自分に合わせてもらう事ばかり考えて自分から歩み寄るなんて、そんな発想すらないんだから。幸せ引き寄せるものじゃなくて自ら飛び込む物なのよ」
エリッサとローラは対象的だと前から思っていたが、こういう根本の考え方で正反対だから全てが対象的に見えたのかもしれない。エリッサは自ら寄って行く人間で、ローラは自ら引き寄せる人間なのだろう。無論、どちらがいいとか悪いとかの話ではない事を付け加えておく。的確な事だからこそ腹が立ってしょうがないというのは良くある話だ。その例に漏れずにローラは厳しい顔を更にゆがめてその感情を顕にしていた。
「そんなの力の無いものの意見だわ。私には自分で幸せを掴む力がある!」
どうして、この状況でローラのほうが追い込まれているのだろうか。その様子がおかしくて少しだけ顔がにやけてしまう。その顔の緩みに気付いたのは岩に座っているリースだけで、奴も俺と同じように苦笑する。
「アイゼンバウム……いや、ローラよ」
シュバルツは久しぶりにローラをファーストネームで呼ぶと諭すように話し掛けた。
「俺達は気付かぬうちに誰かを不幸にする。いや、それは俺達だけじゃなくて生きているもの全てそうだ。毎日誰かが誰かを不幸にしている。だからこそ、自分が不幸になって相手を幸福にするってのもたまにはアリじゃないかと思うんだよ。生憎、今俺はそんな気分だ」
この言葉は少し胸に響いた。自己犠牲というとかっこいいけれども、自己犠牲というのは実際そんなに派手じゃない。自分が無能の評価を与えられるというのは、思った以上に屈辱的なのだ。誰かのために無能になれる、そんな優しさが少しだけ沁みた。ローラは何かを噛みしめるように下を向いて両手の拳を強く握っていたし、リースは眠そうにあくびをして、エリッサとメルは安心するように顔を緩ませた。メルは俺以上にローラが憎いと思う。なぜならば、彼女はクィーンライドで大暴れしたときに多くの人間を殺した。もちろん、メルの目の前で彼女の知人を殺した場面もちろん有っただろう。しかも、俺ほどの面識も無い。憎しみの対象にしかならない、そんな存在でもおかしくないのにメルは言ったのだ。正直、これが一番驚きだったと言っても過言ではない。
「お姉ちゃんはクリスの事が好きなんだね。だったら一緒にくればいいと思うよ。それともこの国に、この戦争に未練でもある?」
エリッサは一瞬、本当に一瞬だけ嫌な顔をしたが、すぐに自嘲したように鼻で笑った。大切なのは一つだけ、自分の積み上げて来た物を捨てる勇気。これだけだ。ローラ・アイゼンバウムという名前。二士という階級。定期的にもらえる給金。こちらに居る友人。それから自分に優しい環境。ローラは、やっぱりずっと下を向いていてしばらく言葉を発する事をしなかったが、やがて確認するように「そんな事許されないよ……」と一言呟いた。
「国は、それから俺は許すけどな」
シュバルツは誰に言うでもなく宙に向かって言葉を吐き出す。その言葉はシュバルツの吐き出した煙のように宙を漂ってから闇の中に消えた。
「問題なのはお前自身がそれを許すかどうかだ」
付け加えるようにもう一度宙に言葉をさまよわせた。湿ったような空気が辺りを飾り付けて、それから拘束されている腕と腿が痛む。ローラはどういう結論を出すのだろうか。
もしも、一緒にきてくれるというのならばそれは喜ばしい事である。もっとも、エリッサとローラの口喧嘩をこれからも聞いていくのかと思うと若干めんどくさい気持ちになるのは内緒だ。
「あ、あんたは……クリスはどう思ってるのよ」
どう思っているのだろう。一緒にきて欲しいとは思っているが、その気持ちは彼女の大事なものを奪う事にはならないだろうか。後ろでイオがニヤニヤしているのを見ると、この光景はさぞかし滑稽なのだろう。そのイオが全てを見透かした様に口を挟む。
「望む未来を主張する事は誰かの未来を奪う事にはならないわよ」
全部分かった顔してこういう的確なアドバイスをしてくる所が本当に姉に似ている。
なんというか、懐かしさと愛おしさが同時にこみ上げてきてしまう。無論、それは恋愛感情ではないことを付け加えておこう。要するに、俺がどうしたいかを言うこと自体は決して彼女の未来を奪う事にはつながらないという事だ。あくまで選択するのは彼女。だから、俺はローラにその言葉を伝える。俺の望む未来を伝える。簡潔に。的確に。
「ローラが一緒にきてくれるなら、毎日がすばらしいなって……そう思うよ」
彼女の目を真っ直ぐと見据えて、そのブルーの瞳に飲み込まれそうになりながら、想いを伝えた。ローラは少し呆気に取られたような顔で俺の目を見返していたが、やがて顔がどんどん赤くなり俯いてしまう。それから、彼女が何かを呟くと、俺を拘束していた木の幹がどんどん枯れて地面に落ちていく。どうやら解放してくれたらしい。(あくまでも俺だけ)
それから、ゆっくりと俺の横まで歩みを進めると、静かに俺の手を握り締める。
それから、本当に一言だけ。一言だけども単純なによりも伝わりやすい言葉。
「じゃあ、一緒に行ってあげる……」
俺は返事を返す代わりに、彼女の手を強く握る。それに返すように彼女もまた手を強く握り返してきて、なにかよく分からないがまとまったなという雰囲気が辺りを包んだように思う。
「いいからさ、さっさと私も解放してほしいんだけど」
ご機嫌斜めな金髪を除いて。ローラは、渋々といった様子でエリッサも解放していた。
「まあ、話はまとまったな。お前はどうする?」
シュバルツはリースの方を一瞥すると、彼はどうするのか聞いた。
「ん~どうしよ。みんな何すんの?」
「新大陸に行く。開拓民ってやつか? 具体的には何も決まってないけどな」
俺がそう答えると、リースは「新大陸、新大陸かぁ」と希望に溢れるその土地の名前を何度か繰り返し呟いていた。例えば、昼食を肉から魚にかえる決断のようにリースはその決断を下す。
「うん、僕も行くよ。なんだか未知が広がってて面白そうだね。男なら誰もがあこがれるよ」
シュバルツが苦笑しながら頭を掻いて、イオが優しい表情でこちらを見る。
「よし、今日でお前らは全員死ぬ。二度とこの土地の土は踏めないと思った方がいいだろう」
この人達は、まだこんな事を繰り返して生きて行くと言うのか。もし、皆が皆幸せに生きられたらどれだけいいだろうと思う。
「皆が皆幸せに生きたいものですね」
思ったことが口から溢れ出してしまう。これが、彼に対する別れの言葉なのかもしれない。恐らくもう会う事もないのだろう。生暖かい風が頬をなでて、なぜか少し感傷的な気分になってしまう。リースは先ほどまで俺達が乗っていた、横になっている機甲を一人で元に戻すと中に入って動力が正常に動くかどうかのチェックをしているようだった。ローラは相変わらず俺の手を握っていて、メルは少し疲れたのかエリッサに寄りかかって眠そうな目をしていた。
「幸せと不幸せの量は一対一なんだよ。誰かがこういう生き方をしないといけない。生憎、俺もイオもこういう生き方しか出来ないようだ」
加えていたタバコを地面に投げ捨てると先ほど作ったデコイを担ぎ上げて彼は後ろを向く。
その背中は嬉しそうであり、寂しそうだった。イオは俺達に向かって「じゃあね」というとシュバルツの運転していた機甲へ向かって歩き出す。シュバルツが闇に消えそうになるその時、彼はこちらを振り向いて、本当に最後の言葉を呟いた。
「もし、いつか俺もそっちに行ったら、また酒でも飲もうぜ」
暖かな笑顔と微かなタバコの臭いを残して彼は消えた。その微かな臭いこそが彼の優しさのような気がしてならない。またグラスを傾けられる日が来ると信じたい。その後、見えないはずの彼の後ろ姿に自然に敬礼が出てしまう。しばらくの間そうしていると俺達の機甲から音がなって、こじ開けられた搬入口から運転席が見える。リースは笑顔でポーズをとると、俺達に機甲に乗るように促した。時間が流れるように、俺達もまたどこかに流れていこうとしているのだろうか。また、同じような状況に陥った時、今度の俺はどのように対応するのだろう。その答えを知っているのは夜の帳だけ。今日、俺達五人は死んだ。俺達の選んだ選択肢は努力して打ち勝つとか、全てを受け入れて強く生きるとか、そんな綺麗なものじゃなくてただ逃避する事。だからまた同じような状況に陥るかもしれない。今度は逃げられない環境かもしれない。そうなったら、そうなった時。今はとにかく眠い。
冷たい金属が肌に当たり、激しく上下に揺れる車内で、俺は少しだけ仮眠をとることにした。目がさめたら新しい名前を用意しよう。それから、暖かいホロ芋のスープといくつかのパン。お決まりのサブラブティーも必要かもしれない。
エメラルドブルーの海面は、俺達が南の方へと向かっている事を確かに証明していた。
少し味のする海風と穏やかに揺れる船体。気持ち悪そうに甲板でへばっているローラと涼しい顔をしたエリッサ。海へ釣り糸を延ばしてぼけっとしている俺とリースの間にメルが入り込んできて少し暑苦しい。
「ねぇねぇ、そろそろ新大陸に着くんでしょ? 向こうに行ったら何するの?」
メルが俺の懐辺りから顔を上げて覗き込むようにして話し掛けてくる。
「さぁ、何しようか。メルは料理屋さんがやりたいんだろ?」
「そうそう、毎日いろんな人が集まってきてさ、楽しそうじゃん」
そういうと、彼女は満面の笑みをこぼす。この少女の時折見せる年相応の無邪気さは本当に反則だと思う。
「皆はやりたい事無いのか?」
丁度甲板に集合している一同全員に聞こえるように声を上げて見るとまず最初にエリッサが反応した。
「だから、洋裁屋が良いって。着る物は大事だと思うのよね」
「エリッサは洋裁できないでしょー」
「それは……これから練習すればいいでしょ!」
なんというか姉妹のようなやり取りでほほえましくなる。
「農作業したいなぁ。降り注ぐ光の下で土地を耕して野菜を作りたい。芝をはやして牧畜するのもいいなぁ」
リースは意外とそういう事が好きらしい。なんというか、その褐色の肌も相まって汗かきながら光の元で作業するリースはなんとなく絵になるなと、そんな事を思った。
「で、ローラはなんかないのか?」
甲板で横になるローラに話し掛ける。この船に乗って結構たつがローラは本当に船が苦手らしく、始終酔っていてぐったりしている所しか見れていない。
「なんでもいい……気持ち悪いから話し掛けないで」
なんとも可哀相な状態だ。新大陸に着いたら色々な意味で一番喜ぶのは彼女かもしれない。
「クリスはしたいことないの?」
茶髪のくせ毛を揺らしながら話し掛けてくるメルは、なにかそこら辺に捨てられた野良猫のような風格がある。そういえば、人にやりたい事を聞く割には自分自身やりたい事を考えていなかったような気もする。別に深く考えたわけじゃなくて自然に口が開いていた。誰かのものを奪う事ばかりしていただろうか、なにか誰かに与える事をしてみたいなとそう思ったのだ。
「学校……学校を開いて見るのはどうだろう。ローラとエリッサは魔術師として力があるし、リースは体を動かす事は得意そうだ。俺だって勉強だったら割と自信が無いわけじゃない。生徒が集まらなくても、ここに一人生徒がいるしな」
その少女をみてウィンクする。彼女は少し恥ずかしそうに顔を伏せたあと、本当に素敵な、それでもって幸せそうな笑顔を俺に返してくる。そんなのも、いいかもしれない。まぁ、その話は置いといて大事な話をする事にする。まだ決めなくてはいけない事が有るのだ。
「まぁ、そんな話は置いといて取り急ぎ決めないといけない事がある」
エリッサとリースは少し不思議な表情を作ってから「なに?」と同時に声をだした。同じタイミングで言葉を出した事に少しびっくりした後、二人は顔を見合わせて苦笑する。その間を優しい風が通り抜けて少し熱を持った肌に心地よさを与えていた。
「戸籍だよ。向こうに着いたら戸籍を考えなけりゃいけない」
そう、俺達は死人なのだ。
「じゃあ、私たちは兄妹がいい!」
メルが俺を見つめてそういってきた。こんな妹が居てもいいかもしれない。俺が少しまんざらでもない表情をしていたのを察したのか、彼女は悪戯気に「お兄ちゃん」と呼んで微笑む。最高に愛らしい。
「うわ、気持ちわる……まさかロリコンだったとは思わなかったわよ」
気持ち悪そうに横になるローラがそのやり取りを見てか無理をして喋っていた。
「愛があればこそだよ? お姉ちゃん」
少し挑発するようにメルはローラに向かって話しかけると少しだけ鼻で笑う。
そういえば、メルはローラの事をずっと『お姉ちゃん』と呼んでいる。今更名前で呼ぶのも少し気恥ずかしいのだろう。
「もう全員兄弟でいいんじゃないか? 五人兄弟で戦火を逃れて新大陸へ来たんだ。良い筋書きだろ?」
その案に皆はおおむね賛成してくれたのか「いいね」とか「賛成」という声があがるのを聞くことができた。ただ一人ローラだけはどこか不機嫌な様子で宙を見ていたが満更でもないのは分かる。
「ファーストネームはもうこのままでいいから、ファミリーネームだけみんなでそろえようよ。そういうの憧れてたんだ」
リースが話すその様は、目がきらきらと光っていてまるでメルの様だった。こいつはこいつで家族というものに憧れが強いのかもしれない。
「あ、じゃあ良いファミリーネームがあるよ」
エリッサが口を開く。それに呼応するように俺は彼女の目を見てウィンク。大体考えている事が分かってしまうあたり長く一緒に居るというのは罪である。彼女が軽く息をすって吐き出すと同時に話し出す。
「我々ウィンダム一家! なんてどうかな?」
その言い方が少しだけおかしくて皆でクスクス笑っていると、エリッサは少しだけ恥ずかしくなったのか動揺していた。優しく、それから幸せに時間が流れていく。光が当たって輝く水面と、木の匂いが漂う大きな船。波に当たって船体が揺れる。時が流れて人が出会う。幸せに吹かれて不幸が生まれる。俺達はそんな中で今はただ新大陸を目指す。きっとこの五人が居れば何でも出来るはずだ。そう信じて。
<了>
これにて完結になります。
読み終わった素直な感想を書いていただければ自作の励みになります。
お時間が許せば一言でも構いませんので是非感想を残していってください。