終点、ダイラオン1
朝一番の会議というのはなかなかしんどいものである。
シュバルツはあの後結構な時間、アダムスミスとやりあっていたのか、何時もボサボサな頭をいつも以上に弾けさせて席についていた。薄汚いテントの真中に四人がけのテーブルが一つ置かれている。これが俺たちに与えられている会議室なのだ。まぁこれくらいでは文句はいわない。
「まー一応目標は達成された訳だしな、今回転送魔術師を取り逃がした事については不問にしてもらえるらしい」
俺よりも安心した顔をするローラ。いつかの冷たい表情はいったいどこへ行ってしまったのだろうか。
「しかし、転送魔術師が居るって事は大きな問題だ。敵軍は一瞬にして移動できる機動力を確保したに等しいわけだからな」
隙間風が入り込むテントの中にシュバルツの低い声が反響して、それから足元の土は少しだけ煙を上げた。
「要するに、敵区内に潜入して転送魔術師を確保しろって事でしょ。なんかだんだん機動部隊っぽくなってきたね。僕は今回動いてないから暇だったんだ」
無邪気なリースの声はその場所に場違いであったが余り腹は立たないから不思議だ。
「そうだ。敵が転送魔術を有効利用する前にその魔術師を確保する」
「でも、何の手がかりも無いのに探すと言うのはちょっと難しくないですか? 彼女はもしかしたらこのまま逃げて、ダイラオンの軍に協力しないかもしれない」
俺の心の迷いが思わず言葉になって、空気を伝って会議室を支配した。
「協力しないかもしれない……だが協力するかもしれない。手がかりを探して任務を遂行するのが俺たちの仕事だ」
シュバルツがその不安の言葉に答えを出すならば、俺は仕事をしなければいけないのだ。
どんなに、それが因果な事であったとしても、生き抜くためには遂行しなければいけないだろう。
「ですが、どうしますか? 彼女が転送魔術を使うならば、それこそどこに居てもおかしくありません」
エリッサがそういうと、シュバルツとリース以外の一同は何かを考えるようなそぶりをする。シュバルツはただ何も無い机の上をボーっと見つめて笑っていたし、リースは退屈そうにあくびをしていた。
「首都だな。彼女が軍に協力するならダイラオンの首都に居るだろう。協力しないならば、それはそれで問題ない」
ともかく、ダイラオンの首都に向かわなければいけないらしい。静かになったテントの中は、冷たい風が吹いていて、ローラはローブの胸元を軽く抑えると、俺の方を向いて少しだけ顔を赤くした。その様子をうかがっていたエリッサは、憤怒と嫉妬の色が混ざったような冷笑をローラに向けていた。何かがおかしいと、いつもと変わらない何かを求めてしまうのだろうか。それは冷たい風も一緒なのか、何かを求めて外を吹きすさむ。ダイラオンへ向かい少女を探す。たったそれだけのことだ。次会ったらきっと容赦することは許されないのだろう。
クィーンライドからダイラオンの首都ラグラスまでは移動用の機甲に乗って四日ほどかかるらしい。もちろん、敵の領地を突っ切るわけだから検問や襲撃も十分予想される事態であった。
最初は薄暗くて好きになれなかった移動用機甲もこう頻繁に乗っていると大分愛着も沸いてくるというものである。いつものように5人肩を並べて座る機甲の後部にあるスペースは、決して気持ちよいものではなかったが何か優しい雰囲気が漂っていた。自分達がどのくらいこの機甲に乗っているのか、そんな感覚すら麻痺してくる。不意に、機甲の揺れが収まって、おそらくは停車したであろうことを各々が悟る。重い金属のこすれる音がして後ろの搬入口が開くと、そこは薄暗い森の中。肌をしびれされるような冷たい空気が機甲へ流れ込んできて、俺たちは少しだけ身を揺らした。ここで野営をするのだろうか。
「今日はここで一泊だ。これ以上進むのは少し怪しすぎる」
昼間に機甲が動いていれば、停車は求められるがちゃんとした受け答えが出来れば進める。
しかし、夜中に機甲が動いていればちゃんとした受け答えが出来ても危ない。おそらくはそういう事だろう。敵地に入ると言うことは思った以上に慎重にいかなければならないのだ。
「ちょっと結界だけ張ってきちゃうね」
金髪に黒のローブを羽織ったエリッサはそういって夜の闇に消えていく。結界を張れば周りからこの一角は目視できなくなる。つまり、実際に結界の中へ入らない限りばれないのだ。エリッサがこの部隊に選ばれたのはこういう魔術も加味されてなのかもしれない。
「火……おこしますね」
そういうとローラは一言だけ詠唱して小さな火柱を地面に立たせた。リースは無言で機甲の格納庫方へ戻ると、携帯燃料をいくつか持ってきてそれをその火柱に放り投げる。
「こんだけ有れば朝まで持つと思う」
やがて、少し疲れた顔をしたエリッサが戻ってくると俺たちは火を囲みながら軍用の食糧を皆で突き合った。戦場では食事が唯一の娯楽である。日々、死と向かい合って生きていく中で食べる事にどれだけ癒されるかは計り知れないのだ。火で暖めた軍用の食糧は暖かそうな湯気と食欲をそそる匂いをあたりに漂わせる。
「いやー、でもなんか懐かしいな。こんな所で野営するなんて随分久しぶりかもしれない」
シュバルツはいつもと違い明るい声で話す。
「俺が始めて出撃した時は、それはひどかったもんよ、なんてたって機甲なんて無かったからな。とにかくすごい量歩くんだ」
みんなの気持ちをリラックスさせようと明るい話題を振ろうとしているのは分かるのだが、昔話をする辺りに、おっさん臭さを感じてしまう。でも、そんな気遣いが嬉しくて少しだけ自分の顔がにやけているのがわかる。
「一等、昔話し始めたらついに中年の仲間入りだと思いますよ」
苦笑しながら、彼のほうを向きそう言うと、シュバルツは「そ、そうか」と少しさびしそうな顔をしていた。その様子に、エリッサが笑い声をもらすと、その声につられるように皆がクスクスと笑い出す。とにかく、今このときだけは皆忘れた振りをしたいのだ。
携帯燃料の燃える音がするこの時だけ、俺たちは平和に暮らしていたあの時に戻れるのかもしれない。仮初の平和だ。食事が終わると一人一人機甲へ戻り睡眠を取り出す。俺だけ寝る事も無く燃える火の前で時間をつぶしている。いくら結界があるとはいえ、スカウトとはこういう時に歩哨に立つものなのだ。もちろん、本当に起きているだけで特に警戒はしていないが、長年スカウトをやっていて身についた癖のようなものなのかもしれない。
機甲のハッチが開く音がして、つられるようにそちらを振り向く。振り向いた時には丁度エリッサが機甲のはしごを降りている所で、二人きりで落ち着いた時間を過ごすのはどれくらいぶりだろうとしばらく考え込んでしまう。だんだん足音が近づいて、やがて俺の後ろで足音が止まる。
「ほら、座れよ」
火を見つめながら後ろの気配に声をかけると小さく「うん」と聞こえて、俺の丁度隣に石鹸の匂いが漂った。
「ちょっと前まで二人で居るのがあたりまえだったのにな。なんだか懐かしい気分だ」
火に向かって近くの小石を投げ入れながらそんな事を言ってみる。後ろめたいとは思っていないが、彼女には言いづらい事が大量にある。ローラの事ももちろんそのうちの一つではあるのだが、そちらはどうということは無い。
「今までずっと一緒にいてさ、好いた惚れたの話にならなかったのって奇跡だよね」
少し驚いてしまう。驚くと言うよりは胸弾んでしまったと言う方が近いのかもしれない。不覚にも。
「いや、そんなのお互い求めてなかっただろう?」
苦笑交じりに問い掛ける。もしかしたら、今この時点でも俺は何かを期待しているのかもしれない。もちろん、ローラの事は愛しいが、エリッサには恋とか愛とかを超えた何かがある事も疑い様の無い事実である。
「お互い?」
それだけ言うと彼女は俺と距離を縮めてくる。
「もし、今、私はクリスの事が大好きだよっていったらどうする?」
今までずっと一緒に居たがこんな事が有ったのは初めてかもしれない。エリッサはなんで今になってそんな事を言い出したのだろう。また、重く金属の響く音と携帯燃料の燃える音が交じり合う。後ろを振り向くと今度はローラがハッチから出てきていて、それを確認した俺とエリッサはまた距離を離してしまう。やはり、エリッサはローラの変化に気づいて居るのだろう。ゆっくりと彼女は歩いてきて、それから間髪いれずにエリッサの方へ話し掛ける。
「あんたが何したいのかさっぱり分からないわよ。ずっとチャンスがあったのに何もしなかったのはあなたの怠慢でしょ。どこか遠くに行きそうになったとたんにいい寄るなんてやり方が汚いのよ」
ローラとエリッサの間になにがあったのだろうか。というか、なぜローラは今の俺とエリッサのやり取りを正確に把握しているのだろう。もし、さっきの話が聞かれていたなら恥ずかしいと言うか気まずい。
「さぁ? ローラの言っている事が分からないわ。私はただ今まで言えなかった事をこれからは言っていこうと思っただけよ」
とんでもなく冷たい目をしていた。なんと言うか、初めてローラに会ったときのような表情の無い目。すごく近くにいるのに、手の届かない場所にいるようだ。エリッサは小さく「それから」と言うと付け加えた。
「あなたは、クリスが嫌いなんでしょ? だったら別にあなたが口を突っ込むような事ではないと思うけど……」
「エリッサ! 言わなきゃいけない事が……」
そこまで言った所で思わず口を噤んでしまった。彼女が余りにも冷徹な目でこちらを見ていたから。もし、この先の言葉を放ってしまえば、彼女は何を行うか分からない。例えば、目の前にいるこの赤毛の魔術を攻撃する事も厭わないだろうし、俺を殺す事だって辞さなかったかもしれない。ともかく、俺はそれ以上言葉を続けられなくなってしまった。携帯燃料のほのかな光に浮かんだ彼女の顔を俺は生涯忘れる事が出来ないだろう。でも、彼女は今になってなぜこんなにも感情を顕にしているのだろうか。
「なに? クリス、いいたい事はいったほうがいいと思うよ?」
「いや……なんでもないんだ」
そういうと、ローラは今にも怒鳴りつけそうな顔になって俺を睨んだ。彼女は彼女でこの場面で俺が何か言及することを望んでいたのだろう。
「二人して……あなた達も私が邪魔って言うならいいわよ! どうせ私は誰からも必要とされない!」
飲み込むような闇の中、うっすら浮かぶ赤毛は機甲の中へと沈んでいくように消えていった。それを確認したエリッサは、少し悲しげに微笑んでから、俺の肩へと身を委ねた。
小さく、本当に彼女がそれを言ったのか分からないほど小さく、「ずっと一緒だからね」と声がした。どこだか分からない森の中で、俺とエリッサはよくわからない闇に飲み込まれて行こうとしていたのかも知れない。
翌日、ローラは最初に会った時と同じくらい冷たい顔で俺を見ていた。エリッサは今まで付かず離れずでいた距離を一気に縮め俺の隣に座って手を握る。物理的にも精神的にも近づく距離。何が彼女をそうさせているのか。矢のように鋭い視線向けるローラとそれを黙殺するエリッサ。激しく揺れる車内にも関わらず静かな寝息を立てるリース。運転席に座る人間から燻る煙は少しだけ懐かしい匂いがした。
「おい、検問だ。適当に話あわせろよ!」
車内の騒音に負けないように、シュバルツは叫ぶ様な声をこちらに向けた。
しばらくして揺れの収まる車内。停車しているのだろう。
「ご苦労さん、アルマ傭兵団のものだが。一回ラグラスに戻りたい」
窓を開けてなにやら外にいる人間に話し掛けている。シュバルツは何やら紙のようなものを横に置かれていたケースから取り出してそれを外にいる人間に渡していた。おそらくは、少ない時間で色々と用意していたのだろう。さすがに、停車しているが機甲自体が動いていないわけではないので、騒音がうるさい。その騒音にかき消されて外の人間が何を言っているのかは聞こえなかった。しかし、確かに外の人間は何かを言っていた。紙をみて、それからシュバルツをみてなにかを言う。それは決して好意的な目線ではなく、なにかを疑うような目線。シュバルツはその声に反応する事無く、ただ、沈黙を貫いていた。重い沈黙。その沈黙にのしかかるように機甲の駆動音が響いて、シュバルツは窓を閉めて機甲を急発進した。不意に襲う振動に俺たち四人は、体制を崩すと全員が目を合わせておそらくは何かあったことを悟る。目を覚ましたリースは、気持ち悪い笑顔を浮べると騒音に負けないよう大きな声で叫んだ。
「みんな! その辺の対機甲ランチャーに片っ端から装弾して!」
一瞬、何を言われたのが分からなかったが、おそらくは追っ手を振り払う為なのだろう。
エリッサは俺の方を一瞥して軽く頷くと、壁に寄りかかりながら立ち上がった。ローラも同じように壁に手をつきながらよろよろと立ち上がり、彼女の身長の半分は有ろうかという対機甲ランチャーを必死で用意する。
「こっちに置いていくから、装弾して!」
ローラもいつもならば絶対に出さないような大声を出してこちらを見つめる。俺はその声に深くうなずいてから、激しく揺れる車内の、弾薬が積まれている区画に移動した。緑色の金属で出来た扉を開けて、いかにも危なそうな髑髏の描かれた箱を、搬入口の方で構えているエリッサとリースに渡していく。エリッサがローラの準備した5基ほどある対機甲ランチャーに装弾すると、リースは装弾の終わったランチャーを担ぎ、また大声で運転席へと声をかけた。
「おっさん! 搬入口開けて! 追ってが来たらぶっ放す!」
しばらく、間があって、それからゆっくりと搬入口が開いていく。徐々に見えてくる外の風景は何か久しぶりな感覚が有った。冷たい風が車内に吹き込むと、外の景色が全て顕になる。リースは対機甲ランチャーを担いで膝を突いて発射の体勢を取ると目を少しだけ細めた。銀髪は驚くほど綺麗に風になびいていて、男の俺が見ても何か美しさを感じてしまう。厳つい体格に傷だらけの肌。美しいというよりも勇ましいといった容姿なのにも関わらず、何故洗練された美しさを感じてしまうのだろうか。開いた搬入口は、外の景色を走るように流していく。流れる景色の中に、自然に、唐突に現れるのはダイラオンの国旗が描かれた茶色の移動用機甲。敵の機甲のハッチからおそらく同じようにランチャーを構えた兵士が顔を出していて、シュバルツはそれに気づいたのか機甲を蛇行させる。
車内は激しく揺れて、リース以外の全員は壁につかまって身動きを取ることが出来なかった。リースだけはなぜか、床に打たれた杭のようにそこから少しも動かない。伊達に訓練していないらしい。何の前触れも無く、リースの持っていたランチャーは轟音と共にバックファイヤーを車内に吐き出した。その音が装弾していた弾を吐き出していたのだと気づくまでに、初めてのキスで一瞬躊躇した時くらいの時間がかかってしまった。相手の機甲も蛇行して動いていたが、その動きを全て理解していたかのようにリースの吐き出した弾は完全に機甲を捕らえていた。着弾を確認する前にリースは、担いでいたランチャーを乱雑に車内に放り投げる。準備してあった次のランチャーを担いでまた構える。その一連の動作が余りにも自然で、ランチャーが兵器なんかではなく、何かのおもちゃのように見えてしまう。というか、本当はおもちゃじゃなかろうか。しばらくして次の機甲が見えると、リースはまた何の予告もなしに射撃して機甲を破壊させる。俺たちの機甲が通った後は、機甲が煙を上げながら沈黙していた。追っ手を振り切ると、シュバルツは運転席からこちらを振り向いて苦い笑顔で親指を立てた。激しく揺れる車内は、何か言い表せぬ不安を少しだけ感じさせる。でも今はシュバルツの親指に笑顔で返しておく事にしよう。
ともかく、その一件があってからラグラスに到着するまではとにかく大変。既に潜入している諜報部隊の力を借りて機甲を乗り換え、なるべく交通量の少ない悪路を行くものだから車内はひどい揺れ方をしていて、ローラは終始気持ち悪そうな顔をしていたように思う。ローラはやっぱり俺のほうを刺すような目線で見つめてきていたし、エリッサはあの夜から俺のとの距離を近づけていた。正直、気まずいので早くどうにかなってくれればと思っているのだが、おそらく他力本願では何も改善しないのだろう。それは俺の経験上身にしみて分かっている事である。
それはさておき、今目の前に広がる大きな市場。いたる所にいる銃を構えた突撃兵。それからローブを羽織った魔術兵。活気のある町並みは、冷たい風が吹いているにも関わらずどこか暖かかった。まるで、戦争がはじまったときのドーランドにそっくりであった。
というか、ここがドーランドではないかという錯覚も覚えてしまうが、確かにここはダイラオンの首都ラグラスである事は疑い様の無い事実である。そんな光景を走り行く機甲から眺めていると、敵国の所属であるのに、今この町にいる事がとても不思議に思えてしまう。気付きにくい所ではあるが、こんな風に自然に潜入できているのはシュバルツの力があってこそなんだろう。やがて、その街並みを抜けると道はどんどんと細くなっていき、周りは建物から木々に変わっていく。そんな、木々に囲まれた一軒の小屋の前で機甲は動きを止めた。諜報部隊が用意してくれた今回の作戦の拠点がこの小屋なのである。屋根に絡まる植物。それから、立て付けの悪い扉と今にも落ちそうな窓。どうしようも無いほどオンボロでは有ったが俺とエリッサが過ごした家に雰囲気がなんとなく似ていて好きだった。
「なんか、二人で過ごしたあの家ににてるね」
家を見回しながらそう言った。
「ともかく、これからどういう風に動きますか? 転送魔術師を確保するなら早く行動に移さないと」
やはり、ローラは俺のことを見ていて、その視線に耐えかねてシュバルツに行動を促してしまう。
「いや、もう少し待とう。すぐになんか尻尾つかんでるやつらが来るからよ」
潜入で応援が来るというのは珍しい話だとも思ったが諜報部隊の人間ならば十分にありえる話かもしれない。
「とりあえず、そいつらが来るまでゆっくりしててくれ。俺はちょっと機甲のメンテナンスをしてくるぞ」
それだけ言い残して、今にも外れそうな扉を開いて中年が出て行く。俺とローラ、エリッサのなんともいいがたい雰囲気を察したのか、リースも苦笑いしながら部屋から出て行った。重い静寂が部屋を包んで、それから胃が持ち上がるような感覚に襲われてしまう。この辺で一度話をしておかなければならないのかもしれない。
「あの夜……」
ローラは静かに話し始めた。止まっていた時間がローラの言葉に乗って動くように彼女の声が響く。その言葉は空気を揺らしながらエリッサへと届いていく。
「あの夜、あなたは二人の会話が車内に聞こえるようにしていった。あれはなぜ?」
「さぁ? 私はそんな事してないけど? 何かの間違いじゃない?」
エリッサは自然に受け答えをしている。ちなみにあの夜とはおそらく、森の中で野営した夜だろう。彼女は昔から嘘をつくときに一度目線を宙に泳がせる。その仕草がなんとなくかわいらしくて俺は好きだったのだが、こういう所でそれを見るとなんとも微妙な気分になってしまう物だ。
「とぼけないでよ。あんたが車内で詠唱してた声、ばっちり聞こえたのよ」
ローラが吐き出すようにそういうと、それを受けてエリッサは軽く苦笑する。
「ただ、クリスが本当に好きなのは、必要としているのは私だよって事を教えてあげようと思って。あなたとクリスの間に何かがあったのは私だってわかってる。でも、結局クリスを理解できるのは多分私しか居ないの」
彼女の目は驚くほど冷たくて、それから表情が無かった。エリッサは俺の事を理解している。これは紛れも無い事実だし、俺がどんな選択をしたとしても無条件で付いて来てくれるのもエリッサだけだと思う。かすかに、外でリースとシュバルツの話している声が聞こえる。それからその話し声に混ざって、たまに聞こえる鳥の鳴き声。
「それはあなたがそう思ってるだけでしょ!? クリスが何を思ってるかなんて何であなたに分かるのよ! そういう決め付けって本当にうざい!」
どんなに、腹を立てていても冷静にかみ殺していくのがローラのスタイルだと思っていた。だから、こんなに感情的に怒鳴り散らすのは何か珍しいものを見たようで得した気分になってしまう。ローラはそれだけ言い切ると肩で息をしながら、歯をむき出して続きの言葉を紡ぐ。
「クリスは私の事が好きって言ってくれた! それから、キスだってしてくれたの! そっと抱き寄せて安心させてくれた! 私もあなたの知らないクリスを知ってるんだから」
補足するが好きとは言っていない。そして、しそうになったがキスもしてない。ただ、それを口に出して言ってしまうと殺されかねないので言わないでおく。エリッサが射抜くような視線でこちらを見ると「ほんと?」と一言確認してきた。ローラも今にも食いかかりそうな目で俺のほうを向くと更にきつく睨みつけてきた。二人を交互に見つめて、にこやかに微笑みかけてみたが二人とも眉一つ動かさなかった。おそらく、俺が何かコメントするまでこの場の空気は動かないのだろう。こういう時はローラを立てておく方が正解なのだろうか。
「お、おう。本当だ」
ローラはその言葉を聞くと少し安心した目でこちらを見る。それから、まだ少し肩で息をしながら俺の隣まで歩み寄って両腕を俺の首へとまわす。いつか、どこかの地下で嗅いだ匂いと感触。彼女の顔は真っ赤。それから目つきはまだ若干俺を睨みつけていた。その睨みつけた目つきのまま、何かの覚悟を決めると勢いよく唇を俺の唇に合わせてくる。勢いに押されて俺の体勢は少しだけ崩れてしまう。それから、室内に歯と歯のあたる少し高い音が響いて、俺の前歯は少しだけ響くように痛んだ。ローラの息遣いが聞こえる。ローラの匂いが鼻をくすぐる。ああ、なんでこんな事になったのかなと、ふとそう思った。唇を離すとローラは少し先ほどよりは落ち着いてエリッサの方をみた。エリッサは腕を組んで静かにローラの事を見つめていて、それから俺のほうを見て微笑む。
「だ、だから。私たちは付き合ってるのよ!」
こういう台詞でどもる所が、「ああ、なれてないんだな」という感じでほほえましい。そんなローラの事を心底いとおしいと思ってしまう。エリッサは一言「そうだったの、おめでとう」と呟くと、何かを考えこむように顎に手を当てた。なんと言うかすばらしき泥沼だ。
静寂が室内を支配して、それから静寂に雑音が混じる。機甲の駆動音が遠くのほうからだんだんと近づいてくる感覚。その駆動音は、この小屋の真横で音を止めてそれからやや低い甘ったるい声とシュバルツの声が聞こえて、シュバルツと誰かが話していることがすぐに分かった。おそらく、リースとシュバルツではなく、シュバルツと今来た誰かだ。部屋と外をつなぐ扉が開くと、リースが勢いよく入り込んでくる。俺たち三人の妙な雰囲気とローラの真っ赤な顔みて「ご、ごめん」と言うと「でも、それどころじゃないんだ!」と勢い良く続けた。これだけ興奮しているリースを見るのは初めてかもしれない。
「まぁ落ち着けよ相棒。なにがあったって言うんだよ」
なるべく、軽い感じでリースに話し掛ける。今の重い雰囲気を吹き飛ばすにはこれくらいライトな方がいい……と思う。多分。
「来たんだよ!」
リースはそれしか言わないので、敵襲かと少しだけ身構えてしまう。それはエリッサもローラも同じだったようで、少しだけ表情を険しくしていた。リースはそれ察したのか訂正するように話し出した。
「いや、敵とかじゃなくて、英雄が来た!」
外の風が窓を叩くと少しだけ時間が止まった。
「ダレン・マズルだ。今回私の部隊が貴部隊と行動を共にする事になった。よろしく頼む」
銀髪の髪に褐色の肌。今回はリースの事ではない。リースが英雄と呼び、シュバルツがダレンと呼び捨てる男の事だ。特殊機動部隊第一分隊、ダレン・マズル隊長。階級は一等。
大きな目に垂れた頬。それから長い銀髪。そして何度も繰り返すが褐色の肌。ダレン・マズルは英雄ともてはやされながらも姿を知るものが居なかった。実績だけで神格化した男はどうやら南方の出身だったらしい。帝国軍の管理職レベルに南方の人間が居るというのは正直かなりすごい事である。生まれた所や肌や目の色なんて何も関係が無いとは皆口をそろえて言いはするが、皆どこか心のそこで気にしている。それがこの世界なのである。だから、例えば町の大企業の管理職に南方出身者がつくことはほとんど無いし、南方出身者の医者には身を任せられないとまで言う老人も中にはいる。だからこそ、英雄ダレンが南方出身者であるということはかなり大きな出来事なのだ。そのダレンの隣に居る二人の人間。片方は黒い髪と透き通るような白い肌、それから気持ち悪いほどに青い目をもった女。彼女は、上品に微笑むとこちらに挨拶をする。
「イオ・アディサと申します。通信魔術の担当もしているので皆さんとは連絡を取る機会が多いと思います。よろしくね」
上品さの中に砕けた雰囲気を持っていて、なんと言うか生まれ故郷にいる姉に少し似ているなとそんな事を思ってしまった。少しだけ顔が赤くなってしまう。そんな様子を見ていたローラはこちらをまたきつい目つきで睨み、目が合うとあからさまにその顔をそらした。
イオの隣に居る大男。シュバルツ以上にボサボサの髪の毛と無精ひげ。誰よりも対機甲ランチャーが似合うだろう。
「ログウェル・ナイトだ。よろしく頼む」
簡潔に、それからそっけなく挨拶が終わる。百戦錬磨の第一分隊は三人で構成されていたのだろうか。ダレンが「これが俺たちの全てだ」と言っていたので三人で間違いないらしい。
「まぁこっちは人数が多いからな、挨拶は移動がてらにやってくれ。とりあえず、これからこっちの指揮権もダレンに委託する。あとは頼んだ」
そういってシュバルツはダレンの顔をみてニヤニヤ笑っていて、ダレンはダレンで苦笑していた。この二人は何か熱い絆がありそうな、そんな予感を感じてしまう。
「参ったな、まぁいいか。それじゃあ一応こちらの持っている情報を元に指示を出させてもらう」
各々がテーブルを中心に座っていて、少しだけ身構える。俺は、「転送魔術師の少女はここには居ない」という言葉を期待して、軽く唾を飲み込んだ。
「まず、目標の転送魔術師だが、既に敵の手に渡っている。で、どこにいるかと言えば本部の八階にある重役部屋だ。つまりこの町に居る」
希望というのは儚く散るものである。要するに俺はあの少女に少なからず危害を加えなければいけない人間になったという事だ。生き抜いていくためにはしょうがない事。
全員言葉を発することなく静かに宙を見つめて、話の続きを待つ。
「まぁ、重役部屋なんてさすがの俺たちでも侵入して確保するなんてそうそう出来ることじゃない、そこで彼女が絶対に姿をあらわす時がある。そこを狙って確保する」
「絶対に姿をあらわす時?」
リースが不思議そうに聞き返すと、黒髪をなびかせてイオが答える。
「彼女は何故首都に居るのでしょう。そして首都には何故軍の兵が集まっているのでしょう?」
リースはやはりまだ要領得ないようで、少し苦笑いをしながら「なんでだろうね……」と呟いていた。黒髪の女は口を手元で隠すとおかしそうに笑った。
「要するにドーランドに襲撃をかけるのですよ、大軍を一気にドーランドまで飛ばせるとなればこれを使わない手はないのでしょう」
イオの仕草の一つ一つが姉のそれとダブって見える。極度のシスコンという訳ではないが俺は姉の事を愛している。今ごろはどこで何をやっているのだろうか。森の匂いが部屋に漂って、それから鳥の鳴く声が響く。最高に平和な戦争中である。
「要するにその転送魔術を詠唱する時、彼女は公に表さなければならない。そこを狙う……」
イオが言い切るとローラは捻くれた声を上げて反論する。
「相手は数千、下手したら数万の兵でしょ。この少人数でどうにかできるものなのかしら? その大量の兵士を潜り抜けて転送魔術師を確保する。殺しては駄目。確保して持ち帰る、つまり私たちも生きて帰らないといけない」
彼女は言い切ると嘲笑するように鼻で笑ってそれからイオを見つめた。ローラはイオの事を余りよく思っていないらしい。イオは口元を少しだけ緩めると真剣な眼差しでローラを見つめて、一言だけ、真剣に、唐突に、それから確信を持って答えた。
「出来る」
そのやり取りを見てシュバルツとダレン、ウィンダムは笑っていたし、リースと俺は呆気に取られていた。
「むしろ敵が沢山居れば居るほど都合が良い」
補足するようにロズウェルが喋ったが、その意味を理解できるのは一分隊の面々とシュバルツだけのようだ。
「意味分からない」
少しだけ機嫌を損ねたようにローラが目を逸らした。エリッサは少しだけ慌てたように目を泳がせて、何か喋ろうと口を開きかけたが結局話す事は無かった。各々が別々な感情と反応を返して俺たちは一つになっていく。出来るかどうかではなく、成功させなければ祖国は滅び、家族は死ぬか辱めを受ける。
「とりあえずは、相手が動くまでこっちは打つ手無しって事だよね」
リースのおちゃらけた声が、室内に響いた。俺たちはリゼルの首都ドーランドが襲われるまでただ指を加えて見ているしかないのだろうか。
「それまでに出来ることは沢山有るだろう」
今喋ったロズウェル・ナイトとリースはなんと言うか親子のような雰囲気が有って見ている方はなかなか面白い。その声に反応するようにダレンは自分のバックから大きな図面を取り出してそれをテーブルの上に広げた。
「よし、そんな訳でブリーフィングだ。ちょっと各自この図面を見てくれ」
やや黄ばんだ紙に細い線で細かく書いてある。一階から十階までの全ての部屋の見取り図がかかれてあり、そこにダレン自身の書込みらしき物もあり、この男はいったいいつの間にこんなものを用意したのかと思ってしまう。
「とりあえず、今回ダイラオンがリゼルの首都ドーランドに送ろうとしている兵は六千ほどだと聞いている。急に集めたにしては上出来な数だ。その六千の兵が一気に集められる場所となると地下の大広間。恐らく転送魔術はここで行われるに違いないと思う」
その六千をかいくぐりどうやって小さな少女を生きて確保すれば良いというのだろう。エリッサは少し困ったように目を泳がせて、それでもしっかりと意志をもった眼差しをダレンに向けて小さく手を挙げていた。
「なんだ、エリッサ・ストラフィールド」
「いえ、その六千の兵を相手にするよりは移動中を狙った方が勝算があると思うのですが……」
少女が大広間へ向かうまでの移動中。確かにそれが一番安全策のようにも思えた。
「もちろん、それが出来れば最良だろう。図面を見て分かるように、八階から地下までは直通の通路がある。しかも、敵も当然護衛を大量につける事だろう。少し現実的ではない。
もう一つ付け加えるなら多くの兵が我々の味方になる……そんな策があるので敵が多い方が案外うまくいくかもしれない」
どちらの案も現実的ではないとも思った。敵兵がまさかこちらに味方することなんて有る訳無いと思ったが、この男が自信満々に言うのならば、きっとそういう事も起こり得るのだろう。こういう、突拍子もない発言に信憑性を持たせてしまうのも英雄の条件なのだろうか。乾いた空気がのどを乾燥させる。俺はテーブルに置かれたコップに手を伸ばすと一口だけ水を含んで口と喉を潤わせた。
「他に無ければ話を進めるぞ」
室内は重苦しい静が満たしていて、その状況を確認するとダレンは更に話し出す。
「地下大広間には、正面玄関と小さな出入り口が複数ある。作戦は確保部隊と陽動部隊に分かれる。正面玄関付近で陽動部隊が陽動。その混乱に乗じて確保部隊が確保する。」
要するに陽動部隊には六千の兵が一気に襲い掛かって来る事になる。それを全てさばける能力が必要になってくるのであろう。確保部隊は、混乱して右も左も分からないような状況から正確に転送魔術師を探し出し確保する能力が要求される。
「チームとしてはそうだな……」
ダレンは少しだけ考えるように宙を眺める。この時点までどういう組合せでチームを組むかは決めていなかったらしい。綿密に適当な男である。
「地下大広間へは移動用機甲で一気に突入する事になると思う。隣が格納庫だ、地下まで乗り入れ自体は出来る」
それだけ言うとまたしばらく沈黙があって「陽動部隊のリーダーはシュバルツに任せるとしよう」と言った。シュバルツもそれに「おう」とだけ返事をするとまた沈黙が室内を支配する。草の匂いと土の匂いが混ざったような気がした。
「よし、決めた。確保部隊は俺とクリストファー・ローランド、それからエリッサ・ストラフィールド、それからロズウェルだな」
エリッサは俺のほうを向くと軽くウィンクした。なんというか、遠足で同じグループになれて嬉しいとか、そういう無邪気な感じである。ローラは少し悔しそうにエリッサを見た後軽く鼻を鳴らす。この二人はこれから死ぬかもしれない任務があると理解しているのだろうか。
「じゃあ、残りのアディサ、アイゼンバウム、リース、それから俺が陽動部隊だな」
シュバルツが確認するようにそう言った。イオは皆のほうを向き「よろしくお願いしますね」と一言いうと各々が少し他人行儀に頭を下げる。それから、日が暮れるまで、割と細かな事を決めた。全員生きて帰るなんてほとんど不可能だとも思える任務だったが、この中の誰か一人でも死ぬなんてことは全く想像できなかった。それは、近くに英雄と呼ばれた男が居たからか、自分の力に自惚れていたのかは分からないが、とにかく俺たちは全員で生きて帰れると、その時はただ純粋に信じていたのだ。




