プロローグ:唐突な異世界転移
かなた いさお
金多 功は父親であり、娘のゆめは彼の世界のすべてだった。妻は、ゆめが八歳の誕生日の時に重い病気で亡くなった。この辛い現実に直面し、功は一人で父親と母親の両方の役割をこなさなければならなかった。しかし、ゆめのために毎日二倍の努力をして不自由のない生活をさせようとしても、ゆめはそれを受け入れることができずにいた。
だが、功にはゆめの気持ちが痛いほど分かっていた。彼女は深く傷つき、まだほんの子供なのだ。現在、功は一日の大半を仕事に費やし、ゆめは現実から目を背けるように勉強に没頭していた。十一歳の子供でありながら、四つもの習い事に通っていたのだ。
その日も、功は仕事で遅くなった。体は完全に疲れ切っていた。
「はぁ、はぁ……クソ、また遅刻か……」
功は走りながら心の中で毒づいた。また娘の迎えに遅れてしまうことが悔しかった。
(今度はゆめが怒っていなければいいが……それに、もし叶うなら、もう一度あの子の声が聞きたいな)
かつてのように、ゆめが自分に言葉を掛けてくれる日を心の底から願いながら、彼は毎日この言葉を繰り返していた。
母親が亡くなって以来、ゆめの世界は止まったままだった。母親が呼吸器などの機械に繋がれ、日に日に命が消えゆく姿を見ていたあの頃のトラウマを、今も引きずっているかのようだった。そんな心を紛らわせるために、塾に通いたいと言い出したのはゆめ自身だった。
その夜は、この時期にしては珍しく雪が降っていた。奇妙な天気だったが、功はそんなことを気にする余裕はなかった。ただ一刻も早く娘の元へ駆けつけることだけを考えていた。
すっかり白く染まった街の通りを駆け抜け、功はようやく目的地に到着した。塾の入り口では、先生とゆめがすでに彼を待っていた。
「金多さん、また遅刻ですよ。ゆめちゃん、ずいぶん長い間待っていたんです。次はもう無いようにしてくださいね、いいですか?」
功はただ頭を下げて謝るしかなかった。何度も言われ慣れた小言だったため、「次は気をつけます」と言い訳することすら無意味に思えた。先生が見送ってくれた後、功は激しくなる雪に目を向けた。ゆめが寒さで震え、その小さな鼻の頭がピンク色に染まっていることに気がついた。
功はすぐに自分のコートを脱ぎ、ゆめの肩にかけてやった。
「ごめんね、上着も手袋も忘れてきちゃって……とりあえずこれを着ておいで。家に帰ったら、温かい飲み物でも作ろう。それでいいかな?」
ゆめはコクンと首を縦に振るだけだった。その顔を見ると、今にも眠り落ちてしまいそうなほど疲れ切っているのが分かった。父親として少しでも力になりたくて、功は彼女の前に腰を落とした。
「ゆめ、お父さんの背中に乗りなさい。お父さんは全然疲れていないからね」
体力の限界だったゆめは、父親が嘘をついていると知りながらも、その提案を受け入れた。そんな風にいつも自分を気遣ってくれる功の優しさが、ゆめは本当は嬉しかった。けれど、長い間沈黙を続けていたせいで、再び言葉を交わす最初の一歩を踏み出すのが怖かったのだ。
激しさを増す吹雪の中を歩きながら、疲労で体が重くなった功は視線を地面に落とした。薄れゆく意識の中で、自分の靴が白い雪の中に深く沈んでいくのを見つめていた。その時、静まり返った夜の闇の向こうから、かすかな音が聞こえた気がした……それは、風鈴の鈴の音に似た、どこか奇妙な響きだった。
うつむいていた功は、微かな声を聞いてハッと顔を上げた。一瞬で疲れが吹き飛んだ。ゆめが、声を出したのだ。久しぶりに聞いた娘の声が、彼の意識を完全に覚醒させた。
「……お父さん?」
「うん!」
功は胸を高鳴らせて答えた。
しかし、顔を上げた瞬間、その安堵は凍りついた。見慣れた日本の住宅街ではなく、目の前に広がっていたのは、雪に覆われた見たこともない深い森だった。何かがおかしい。困惑して足元を見下ろすと、そこはアスファルトではなく、手つかずの深い雪の中に足が埋もれていた。
「お父さん……ここ、どこ……?」
娘の声を聞けた大きな喜びは、目の前のあり得ない光景によって一瞬で打ち砕かれた。功はゆめを強く抱きしめ、ただこう答えることしかできなかった。
「分から……ない……」




