第52話 都市伝説と、もう一人の特別
俺――藤堂遼は、信じられないことにまだ生きていた。
それだけでも奇跡なのに、今こうして隣に立っているのは、俺の憧れであり、時に鬼教官でもある――香坂真琴先輩だ。
しかも。
ダンジョンの外。
そこに広がっていたのは、見慣れているはずの日本の都市風景だった。
高層ビルが空へと伸びるように立ち並び、ガラス張りの外壁が朝の光を反射してきらめいている。
道路には絶え間なく車が行き交い、信号の電子音と人々の足音がリズムのように重なっていた。
スーツ姿の会社員。
スマホを見ながら歩く学生。
カフェの前で談笑する人たち。
どこにでもある、当たり前の光景。
「……なんでこうなった?」
「何が?」
隣を歩く真琴は、いつもの“私服”ではない。
俺もだ。
黒を基調とした軽装の探索者ジャケット。
耐刃繊維と魔力伝導素材が織り込まれた、機能性重視の装備。
腰には簡易ホルダー、ブーツは衝撃吸収型。
どう見ても、場違いだ。
(いや、完全に浮いてるだろこれ……)
ビルのガラスに映る自分たちの姿を見る。
周囲のスーツ姿や私服の人間の中で、明らかに異質なシルエット。
「……見られてるな」
「ええ、見られてるわね」
通行人の視線が、痛いほど突き刺さっていた。
すれ違う人が、ちらりとこちらを見る。
二度見する者。
足を止める者。
小声で何かを囁く者。
「え、あれ……探索者じゃない?」
「うそ、マジで? 実在するの?」
「動画撮っていいかな……」
そんな声が、風に混じって聞こえてくる。
(……いやいやいや)
心の中でツッコミが爆発する。
この国で“探索者適性”を持つ人間は、およそ100万人。
人口に対して、ほんの一握り。
さらに実際にダンジョンへ潜る“現役探索者”となると、その中でもごく一部。
結果――
探索者は、もはや“都市伝説レベルの存在”になっていた。
(そりゃ見られるわ……!)
むしろ、見られない方がおかしい。
隣を見る。
真琴は、まったく気にしていなかった。
背筋を伸ばし、一定の歩幅で進む。
視線も、呼吸も、まるでダンジョン内と変わらない。
(メンタル強すぎません!?)
「気にしないの、そういうの」
「いや無理ですよ!? めっちゃ見られてますよ!?」
「見られて当然でしょ。探索者なんて、珍獣みたいなものだもの」
「例えがひどい!」
けれど、否定はできない。
視線の中には、純粋な興味だけじゃない。
尊敬、恐怖、好奇心。
いろんな感情が混ざっている。
「……いいですね、こういうの」
ふと、口から言葉が漏れた。
「何が?」
「いや……なんていうか」
「ちゃんと、“この世界”にいるんだなって実感できるというか」
ダンジョンの中では、視線なんて気にする余裕はない。
命を守ることだけで精一杯だ。
でも今は。
誰かに見られていると感じる。
それが、妙に現実を感じさせる。
真琴は一瞬だけこちらを見て、わずかに目を細めた。
「……変わってるわね、あなた」
「よく言われます」
そのまま、俺たちは人混みの中を進む。
周囲の流れに逆らうような存在感。
けれど、不思議と嫌じゃなかった。
そのまま歩きながら。ふと、胸の奥がざわついた。
「どうしたの?」
真琴が横目でこちらを見る。
俺は少しだけ視線を落とし、足元のアスファルトを見つめた。
人の流れの中で、靴音が規則正しく響く。
けれど、頭の中はまるで別の場所にあった。
(……白鳥亜里沙)
ついさっきまで、隣にいる真琴のことばかり考えていたのに――
名前を思い出した瞬間、別の感情が胸に広がる。
(あいつ……今、どこで何してるんだ)
ダンジョンに潜ってるって話。
しかも、他の誰かとパーティを組んでいる。
(ちゃんとやれてるのか……?)
脳裏に浮かぶのは、あの不器用な優しさだ。
口では文句ばっかり言うくせに、結局最後まで面倒を見る。
自分の危険なんて後回しにして、誰かを庇う。
(……無茶してないよな)
考えれば考えるほど、落ち着かなくなる。
胸の奥が、じわじわと締め付けられるような感覚。
「……遼?」
「っ、あ……すみません」
気づけば、少し歩調が遅れていた。
真琴が立ち止まり、じっとこちらを見ている。
「考え事?」
「……まあ、ちょっと」
誤魔化すように笑う。
でも、誤魔化しきれていないのは、自分でも分かっていた。
真琴は一瞬だけ視線を細める。
そして、ふっと小さく息を吐いた。
「……幼馴染のこと?」
「……っ」
図星だった。思わず言葉に詰まる。
「分かりやすいわね、ほんと」
少しだけ呆れたように言う。
「い、いや……その……」
言い訳を探すけど、何も出てこない。
結局、観念したように頭を掻いた。
「……ちょっと、気になって」
「でしょうね」
あっさり肯定される。
真琴は周囲を見渡し、ふっと方向を変えた。
「こっち、来なさい」
「え?」
人混みから外れるように、細い路地へと入っていく。
ビルとビルの隙間。昼間でも少し薄暗くて、外の喧騒が遠のく場所。
さらに奥へ進むと、小さな空きスペースに出た。
コンクリートに囲まれた静かな一角。
古びたベンチがぽつんと置かれている。
風が抜けるたびに、どこかの看板がかすかに軋む音だけが響く。
「……ここなら、ゆっくり話せるでしょ」
「……いい場所ですね」
「探索者は、こういう“逃げ場”を覚えるものよ」
そう言って、真琴はベンチに腰を下ろした。
俺もその隣に腰を下ろす。
距離が近い。
なのに、意識はそこじゃない。
ポケットの中のスマホが、やけに存在感を主張してくる。
今すぐ連絡したい。声を聞きたい。無事かどうか確かめたい。
(無茶してないよな……絶対、無茶してるよなあいつ……)
落ち着かない。
胸の奥が、じわじわとざわつく。
でも――
(……ここで電話して大丈夫か?)
ちらりと隣を見る。
真琴は、何でもない顔で前を見ている。
けれど、その横顔は妙に落ち着きすぎていて、逆に怖い。
(いや、これ絶対……何か気づいてるだろ)
昨日のこと。
さっきの会話。
“特別”なんて言葉まで出しておいて。
この状況で幼馴染に電話。
(……いやいやいや、難易度高すぎるだろこれ)
けど、かけたい。
むしろ、今じゃないとダメな気がする。
葛藤していると。
「……心配してる顔してるわよ。連絡、取れば?」
当たり前のことのように言う。
「それは……そうですけど」
言葉が濁る。
心配してるなんて、改めて口にされると余計に実感が湧く。
そのとき。
真琴先輩が、ゆっくりとこちらを見た。
黒い瞳が、まっすぐに俺を捉える。
「スピーカーにして。隣にいるんだから当然でしょ?……隠す理由、ないわよね?」
「……っ」
心臓が、ドクンと大きく鳴った。
(ヤバい)
一瞬で理解する。
(これ……完全に感づいてる)
何に、とは言わない。
けど、全部だ。
全部、見透かされている気がする。
「い、いや、その……スピーカーって……」
「なに? 都合悪い?」
にこり。
笑っている。
もう、逃げ道はどこにもない。
(無理無理無理無理!!)
頭の中で警報が鳴り響く。
けど――
(……逃げたら終わる気がする)
妙な確信があった。
ここで誤魔化したら、たぶんもっと面倒なことになる。
俺は観念したように、ポケットからスマホを取り出した。
画面に映る連絡先一覧。
その中の一つ。 白鳥亜里沙。
指が、ほんの少しだけ止まる。
(……大丈夫だよな)
自分に言い聞かせるように、小さく息を吐いた。
「……かけます」
「ええ、どうぞ」
真琴はベンチの背もたれに軽く寄りかかりながら、腕を組む。
完全に、“見届ける側”の姿勢だった。
「スピーカー、忘れないでね」
「分かってますよぉ……!」
半ばやけくそで通話ボタンを押す。
――プルルルル。
コール音が、やけに大きく感じる。
この静かな空間では、逃げ場なんてどこにもない。
隣からの視線も、痛いくらいに感じる。
(頼む……出てくれ……!)
心臓の音がやけに大きく感じる。
――プルル……ピッ。
通話が、繋がった。
そして、次の瞬間。
『……遼?』
聞き慣れた声が、スピーカー越しに響く。
『今、どこにいるのよ』
「……っ」
心臓が、一瞬跳ねた。
『私、ずっと家で待ってたんだけど。帰ってくるって言ってたでしょ?』
少し不機嫌そうで。
でも、その奥にわずかな安堵が混じっているような声。
白鳥亜里沙だった。




