第6話 恐怖を殴る拳
――湿った空気が肌にまとわりつく。
洞窟の奥、暗闇に沈んだ空間を、俺と真琴は再び踏みしめていた。
「……なぁ真琴。今の音、絶対一匹じゃないよな?」
「ええ。複数の足音が聞こえる」
「いや、複数って聞くだけで心折れるんだが!?」
昨日の戦いから一晩。
身体の傷は回復しても、心の震えはまだ残っていた。
暗闇の奥から、湿った風と低い唸り声。金属の擦れる音が微かに響く。
「遼、息を整えて。敵の数は……三体。近いわ」 「三体ぃ!? チュートリアル終わってないよな俺!?」
スマホが青く光る。《敵影反応:ゴブリン×3》。
まるでRPGのウィンドウが現実に溶け出したようだった。
現実離れしたその光景に、恐怖と同時に、妙な興奮も混じる。
姿を現したのは、三体のゴブリン。
緑の皮膚、濁った瞳。手には錆びたナイフ。
鼻を突く臭気が、胃の奥を刺激する。
「ひっ……くっさ! 鼻が死ぬっ!」
「遼、集中して。私が左を引きつける。あなたは右の一体を狙って」
「了解っ……いや、了解って言ったけど心が追いつかねぇ!」
真琴が前に出た。
足元の砂利が散る。銀色の短剣が月光を反射し、ゴブリンの喉元を貫く。
一体目が絶叫とともに崩れ落ちる。
「うわっ……うわっ……リアルすぎるっ……!」 「見るな。次が来る!」
残る二体が突進してくる。
俺は咄嗟に拳を握った。
震える手。だが逃げる足は、もうなかった。
「――うおおおおっ!!」
拳が頬骨にめり込む。鈍い音。
感触が指に走ると同時に、ゴブリンの頭が跳ね上がった。
倒した。俺が。
逃げずに、殴って、倒した。
「……勝った。俺、生きてる」
「ええ、立派だったわ」
真琴が微笑む。
その笑顔に、緊張で強張っていた心が少しだけ軽くなる。
「ふぅ……なぁ真琴。あれ見てみろよ、宝箱あるぞ!」
「嫌な予感しかしないわね」
洞窟の奥の広間に、石造りの台座。その上に古びた宝箱が置かれていた。
ゲーム脳の俺が、当然のように言う。
「開けるしかないでしょこれは!」
「典型的なフラグ発言ね」
「フラグって言うな! 俺は行く!」
――カチリ。
「……あれ? 今の音なに?」
「罠って言ったでしょ!!」
床の魔法陣が光を放ち、爆発的な衝撃が広がる。
遼の身体が吹き飛び、壁に叩きつけられた。
「ぐっ……ぉおおおっ!?」
「遼!!」
HPゲージが赤く点滅する。《HP:8%》
痛みで視界が滲む中、頭の中に浮かぶ――あの文字。
《アビリティジャック発動条件、確認》
……きた。
死にかけの時だけ発動する、俺の唯一の能力。
《対象選定:ゴブリン(戦闘不能)/能力データ取得失敗》
「……ははっ、マジかよ……死にかけて発動って、どんなドMスキルだよ」
「生きてるだけ奇跡よ。次は爆弾踏まないで」 「うるせぇ! 俺だって好きで死にかけてねぇ!」
二人の会話が洞窟に反響する。
命懸けの現場なのに、どこかコントみたいな空気が流れていた。
「で、箱の中身は……お、光ってるぞ」
「これは……《マナストーン》。魔力の結晶よ。燃料にも武具強化にも使えるわ」
真琴が石を手に取り、淡く青く光る表面を見つめる。
遼は呆然としながら呟いた。
「マジでゲームじゃん……いや、これ現実だよな?」
「現実よ。でも“ゲームの理屈”が通る世界、ってこと」
「世界バグってない? まだデバッグ終わってない感じだよな」
「あなたの発言もバグってるけどね」
「おい、それツッコミ辛辣すぎね!?」
死と隣り合わせの探索。
けれど、その中にほんの少しだけ、冒険のワクワクが混じっていた。
静寂。
次の瞬間、奥の闇から低い唸り声が響いた。
空気が震え、湿気が熱気に変わる。
「……この感じ、やばくない?」
「ええ。空気が……重い。違う、これは“格”が違う」
スマホを確認するが、反応が出ない。
《エラー:未確認種》の文字。
「え、いや待てよ。反応しないって、どういうこと!?」
「想定外。つまり――強敵ね」
「まだレベル3なんですけど俺!」
「ここが“最初の関門”なんでしょう」
「チュートリアル詐欺だろ!!」
地鳴り。
奥の闇から、黒い鱗がゆっくりと姿を現した。
「……俺、また死にかけるのかよ」
「大丈夫。今度は、二人で勝つわ」
真琴が前に出る。
闇の中、二人の影が重なった。
――“恐怖”の次に待つのは、“覚悟”の戦いだった。




