第45話 甘い時間とほろ苦い影
駅前の広場は、夕暮れの光で柔らかく染まっていた。
行列のできる人気アイス屋から、甘い香りが風に乗って流れてくる。
休日でもないのに、家族連れや学生が途切れず訪れ、笑顔でアイスを頬張っていた。
「わぁ、やっぱり美味しそう!」
優奈が目を輝かせる。手にしたカップの中には、淡いピンクのストロベリー。
俺はいつものチョコミントを選んだ。
ミントの香りがほんの少し鼻をくすぐる。
ベンチに腰を下ろし、並んでスプーンを入れる。
ひと口食べた瞬間、冷たさが舌に広がり、戦いの疲労が溶けていくようだった。
「ふふ……やっぱり、頑張ったあとって最高だね」
「まあな。命がけのご褒美にしては、ずいぶん安上がりだけど」
「いいの! こういうのでいいの!」
優奈は笑いながらスプーンをくるくると回した。夕日を受けた笑顔は、どこか子供みたいに無邪気で、見ているだけで力が抜ける。
ふと、彼女が真顔になってこちらを見た。
「遼くんがいてくれるから、私……安心なんだ」
「……俺が?」
「うん。だって、あんな矢の雨まで全部弾いちゃうんだもん。強すぎでしょ」
その瞳はまっすぐで、疑いのかけらもない。
俺は頭をかいて、照れ隠しのように笑った。
「まあ……自分でもよく分かってないけどな。アビリティジャックがどこまでできるのか、まだ探り探りだ」
「それでも、すごいよ」
優奈はスプーンでアイスをすくい、頬張った。
その仕草のひとつひとつが、妙に目を引く。
甘い匂いと静かな時間。
戦場の緊張とは正反対の世界に、心が少しずつ溶かされていく。
(……悠馬のことは気になるけど)
今はこの空気の中にいたかった。
そう思えるほど、穏やかなひとときだった。
「ねえ、もうちょっと寄り道しない?」
アイスを食べ終えたころ、優奈がぽつりと呟いた。
「寄り道?」
「うん。せっかくだから、夕飯一緒に食べようよ!」
その誘いは自然で、どこか期待がにじんでいた。
「……まあ、いいか」
俺は少し考え、そして小さく頷いた。
駅近くのレストラン街。
イルミネーションが点き始めた通りを歩くと、料理の匂いが次々と鼻をくすぐった。
結局、俺たちはほどよく空いていたイタリアンに入ることにした。
窓際の二人席。
小さなランプの灯りがテーブルを優しく照らし、外の喧騒が遠く感じられる。
「こういうの、なんか久しぶり」
「何が?」
「普通に、友達とご飯食べるの」
優奈はメニューを見ながら、照れたように笑った。
頬に少し赤みが差しているのは、ランプの光のせいだけじゃないだろう。
「確かに。最近はダンジョン潜るのが日常になってきたしな」
「ふふ、なんか変な日常だよね。学校行って、放課後ダンジョン行って……」
「まるで部活だな、“ダン活”って感じだ」
「ぷっ、何それ。語感悪っ」
二人して吹き出す。
その笑いが、どこか心を軽くしてくれる。
運ばれてきたパスタの香りがふわりと広がった。
「いただきまーす!」
優奈がフォークをくるくる回して、ひと口。
「んっ……おいしい!」
満面の笑みを浮かべる彼女に、俺もつられて笑った。
少しして、優奈がナプキンを押さえながら尋ねた。
「ねえ、遼くんって……昔から、あんなに強かったの?」
「昔から?」
「うん。今日の戦い見てて思ったんだ。普通の人なら、あんなふうに動けないでしょ?」
俺はフォークを止め、少し考えた。
「……まあ、昔から人よりは体力あったな」
「へぇ、やっぱり。スポーツとかやってたの?」
「いや、特に。強いて言えば、昔からよく一緒にいたやつがいた」
「一緒にいた?」
「白鳥亜里沙っていう。俺の幼馴染」
その名前を出した瞬間、優奈の表情がぴくりと揺れた。
「……幼馴染、なんだ」
「ああ。小学校からずっと一緒で、俺が何かやらかすと、必ず横で文句言ってきた」
思い出すと、自然と口元が緩む。
「でも根はすごく真面目で、面倒見がよくて……結局、俺はいつも助けられてたな」
「その子……今も仲いいの?」
優奈はフォークを持つ手を止め、じっと俺を見た。
「まあ、たまに連絡取るくらいだ。
とにかくアイツ、強いんだよ。弓の腕は超一流だし、冷静さもある。……もしパーティに加わってくれたら、すごく心強いと思う」
「……女の子、なんだよね?」
優奈の瞳がかすかに揺れた。
「ああ」
「……そっか」
「でも、遼くんがそう思うなら、きっといい子なんだろうね」
彼女は笑った。
その笑みはほんの少しだけ硬く、優奈の胸の奥に何かが芽生えていた。
食事は進み、話題は他愛もない学校のことや流行の動画に変わった。
笑い声が途切れず続く。
けれど、優奈の心の奥では静かに波が立っていた。
(……私、今……嫉妬してる?)
不意に気づいて、スプーンが止まる。
目の前で楽しそうに話す遼を見つめながら、胸がきゅっと締めつけられた。
その感情を誤魔化すように、彼女は無理やり笑顔を作った。
「ねえ、次の探索……また三人で行けるかな」
「悠馬のことか?」
「うん。なんか、無理してる感じだったから」
「……あいつなりに考えてると思う。焦らず待つさ」
遼の言葉は穏やかで、どこまでも優しかった。
その優しさが、嬉しくて、でも少しだけ苦しかった。
窓の外では夜が深まり、店内に静かなピアノの音が流れる。
優奈はふと、遼の横顔を見つめた。
戦いの時とは違う、落ち着いた表情。
その姿を見て、心の奥で小さく呟いた。
(――この人の隣で、もっと強くなりたい)
その想いが、ゆっくりと形を持ち始めていた。
会計を終え、外に出ると、夜風が頬を撫でた。
街灯の下、二人の影が並んで伸びる。
遠くで電車の音が響いた。
「今日は楽しかったね」
「おう。次は俺のおごりでいいか?」
「えっ、ほんと!?」
「……ただし、アイス限定な」
「もう!」
優奈が笑い、遼も苦笑する。
その笑い声が、夜空の下で溶けていった。
そして彼らの胸の奥に、それぞれ違う“想いの欠片”が静かに残った。
ひとつは、誰かを守る決意。
もうひとつは、誰かに近づきたい願い。
その二つの想いが、やがて同じ方向を向くことを。
この時の二人は、まだ知らなかった。




