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継姉、ふたりを笑顔にしたくて甘やかな魔法を試す

朝の陽が差し込む廊下を、リセルは一歩ずつ踏みしめるように進んでいた。


その手には、昨夜こっそり描いたメモ帳が握られている。そこには、見慣れない言葉――《ぷりん》という、卵と牛乳と砂糖を蒸して作るお菓子の設計図が記されていた。


(あの子たちの目……あれは、私がよく知っている目だった)


伏し目がちで、感情を押し殺して。何かを求めても、応えてもらえないと知ってしまった目。

心を守るために、感情にふたをして生きることを覚えてしまった、幼い子どもの目。


(このままじゃだめだ。あの子たちが“生きていてもいいんだ”って、心から思えるようにしなきゃ)


足取りは自然と早くなる。すれ違う侍女が軽く会釈してくるが、それにも気づかないほど、リセルの思考は内に向かっていた。


前世の記憶の中――小さな保育園で、ある日ぽつんと泣いていた男の子。

「おうちに帰っても誰もいない」と言ったあの子に、リセルはぷりんを作って持っていったことがある。


「……ありがとう。なんか、あったかかった」

そう言って小さく笑ったその笑顔が、セラフィーのうつむいた横顔と重なる。


(甘くて、やさしくて、あったかい。――そんな味を、この世界のふたりにも教えてあげたい)


ほんの少しでいい。食べた瞬間、心がほっと緩んで、「美味しい」って声をあげたくなるような――

それは単なるお菓子じゃない。感情を取り戻す、最初の魔法。


(この世界にぷりんがないなら、私が作ればいい。……私、こういうの、けっこう好きだったし)


お菓子作りが好きだった過去を思い出す。保育士として忙しく働いていたが、週末には簡単なお菓子を手作りして、子どもたちや同僚に配っていた。

人の喜ぶ顔を見るのが好きだった。自分の手で作ったものが、誰かの笑顔に変わるのが嬉しかった。


(ああ、懐かしいな。……私、ちゃんと生きてたんだよね、あの世界で)


ひとりごとのような心の声に、ほんの少しだけ目元が緩んだ。


屋敷の奥、厨房棟へ続く扉の前に立ち止まる。

大きな扉の向こうからは、まだ朝の支度を始める気配がほとんどない。今なら、うまくいけば――


(誰にも邪魔されずに、ちょっとだけ台所を借りられるかもしれない)


それでも、扉の取っ手に手をかけた瞬間、リセルは一瞬だけためらった。


(……私は、この家の娘でいていいの?)


そう、何度も思った。リセルという存在が、突然この世界に入り込んだ“異物”だということを。

けれど、目の前にいるふたりは、まぎれもない“家族”だ。自分が守りたい、救いたいと心から思える、大切な存在。


(だったら、踏み出すしかないよね)


胸の奥で決意がひとつ、確かに固まる。

かつて子どもをかばって事故に巻き込まれた自分。その時に手を伸ばしたように、今もまた――誰かを守るために動き出す。


「失礼します」


そっと扉を開けた。


厨房の中はまだ静かだった。仕込みの時間には少し早いのか、火は落とされ、鍋や器具も整えられていた。


すると、ひとりの料理人が振り向く。

歳は三十代半ばくらい、がっしりとした体躯に人の良さそうな笑顔。リセルはその顔に見覚えがあった。


「トムさん、おはようございます。今、お忙しくは……?」


「リセルお嬢様? いえ、ちょうど朝の支度を始めるところでして。どうかなさいましたか?」


「……ちょっとだけ、お台所を借りたいんです。試してみたいお菓子があって。私に、少しだけ時間をもらえますか?」


トムは一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに微笑んで頷いた。


「もちろんです。では、材料と器具の用意を――」


「ありがとうございます。……あの、トムさん。できれば、作るところも見ててほしいんです」


「……はい?」


「私、こういうのを作るのが――なんていうか、ずっと好きだったんです。子どもの頃から、お菓子を作る時間がすごく好きで。食べてくれた人が笑ってくれると、それだけで嬉しくて……」


リセルがそっと微笑むと、トムは一瞬驚いたように目を見開き、やがて柔らかく頷いた。


「では、光栄です。私も料理は好きですが……ですがお嬢様が“はまだまだ子どもと言えるお年ですよ」


(たしかにそうだった!)


――さあ、始めよう。

ふたりの笑顔のために、甘くてやさしい魔法を。


(そうだよね。だって私、この世界じゃ、まだ何も“自分から”していなかったから)


さあ、いよいよ――あの子たちのために、《甘やかな魔法》を始めよう。


リセルは袖をまくり、手を丁寧に洗った。

エプロンのひもを結びながら、心の中でそっと言葉をつぶやく。


(焦らず、丁寧に。子どもたちに笑ってもらうために)


目の前の作業台に並ぶのは、卵、牛乳、そしてほんの少しの砂糖。香りづけに使う、ほんのわずかな花の蜜のような香料も用意してあった。


「卵は、しっかり溶きほぐして……」


「お嬢様、ボウルはこちらです」


「ありがとう、トムさん」


リセルは慣れた手つきで卵を割り、泡立てすぎないようにゆっくり混ぜていく。

トムは最初こそ驚いていたが、手際よく材料を扱う姿を見て次第に感心したように頷いていた。


「本当に、お上手ですね。まるで……修練を受けた職人のようです」


「ふふ、そんなことないわ。ただ、昔よく作ってたから、体が覚えてるだけ」


鍋に牛乳を注ぎ、弱火で温めながら、少しずつ砂糖を溶かしていく。甘さは控えめに。口に残らず、舌の上でふわりと溶けるように。


(子どもたちがびっくりするくらい、なめらかに仕上がりますように)


温めた牛乳を少しずつ卵液に注ぎながら、リセルはその混ざり具合を慎重に見極める。

滑らかな液体が出来上がると、彼女は満足そうに小さく頷いた。


「トムさん、蒸し器の準備は?」


「はい、こちらに。水も適量で、蓋には布をかけております」


「完璧。じゃあ、いれますね」


陶器の小さな器に液体を流し入れ、そっと蒸し器に並べていく。

蒸気が立ち上る頃には、厨房全体がほんのり甘く優しい香りに包まれていた。


「……少しの間、静かに見守る時間ですね」


「うん。ここからは、魔法が仕上げてくれるの」


トムが目を見張る。


「“魔法”……ですか」


「そう。素材と、ちょっとした手間と、あとは気持ち。料理って、たぶんそれだけで十分“魔法”になるんです」


その言葉に、トムはふっと微笑んだ。


「……なるほど。なら、この香りはすでに魔法の一部ですね」


静かな厨房に、やさしい蒸気の音と、甘い香り。

リセルの瞳はどこか遠くを見つめていた。


廊下を進むリセルの腕には、小さな器を並べた木の盆。蒸しあがったばかりの“甘やかな魔法”――プリンを、大事そうに抱えていた。


朝の陽ざしが差し込む子ども部屋の前で、深呼吸をひとつ。


(大丈夫。ちゃんと、気持ちを込めて作ったんだから)


扉をノックして開くと、セラフィオスとセラフィーが揃ってこちらを見た。昨日よりもわずかに緊張が薄れたような表情。その小さな変化が、嬉しかった。


「おはよう。今日は、ふたりに食べてほしいお菓子があってね」


リセルがそう言って盆を机に置くと、セラフィーの鼻がぴくりと動いた。甘くやさしい香りが、部屋にふんわりと広がっている。


「これ、プリンっていうの。卵と牛乳で作った、とろっとした……ちょっと不思議なお菓子なの」


セラフィオスがそっと椅子を引いて、妹の手を引くように隣へ座らせる。ふたりはじっと器の中をのぞき込んでいた。


「……ぷるぷるしてる」


セラフィーが小さな声でつぶやく。


「そう、ぷるぷる。スプーンですくって、ゆっくり食べてね。ちょっと熱いかもしれないから、気をつけて」


恐る恐る、セラフィーがスプーンを手に取り、ひとくち。


とたんに、ぱあっと顔が明るくなった。まるで、まだ何も知らない子猫が初めて甘いミルクを飲んだ時のような表情だった。


「……おいしい」


その声に、セラフィオスもスプーンをすくい、一口。


「……これ、すごい。やわらかくて、甘くて、あったかい」


「ふふ、よかった。ちょっと特別なお菓子なの。笑顔になってくれるかなって思って……頑張って作ったんだ」


リセルの言葉に、ふたりは顔を見合わせ、もうひとくち、もうひとくちとプリンを口に運ぶ。


やがて器が空になるころ、セラフィオスがふと、真剣な目をしてリセルを見上げた。


「……ありがとう、お姉さま」


リセルの心臓が跳ねる。


「……え?」


「ぼく、もう一度……ちゃんとそう呼びたかった」


続けるように、セラフィーが、小さな声でぽつりとつぶやく。


「お姉さま……だいすき」


その瞬間、リセルの胸に広がったのは、言葉にならないほどの温かさだった。


(この子たちのためなら、何度でも作る。もっと笑ってほしい。生きていてよかったって思ってほしい)


「ふたりとも……ありがとう」


リセルはそっとふたりの頭を撫でた。誰も止めなかった。誰も拒まなかった。ただ、穏やかな時間がそこにあった。


(私はこの子たちの“お姉さん”なんだ)


そう実感した瞬間だった。


リセルが子ども部屋を訪れるのが、すっかり日課になっていた。


朝になると、使用人が小さな声で「セラフィオス様とセラフィー様が、お待ちです」と知らせてくれる。はじめは警戒していたふたりが、今ではリセルのことを心から待ってくれている。それが、何よりも嬉しかった。


「お姉さま、きょうは何するの?」


セラフィオスがそう聞くと、セラフィーも隣で目を輝かせてこちらを見つめてくる。


「今日はね、お絵描きをしようと思って。昨日、廊下の窓から見えたお庭の花を、覚えてる?」


「うん、黄色いのが咲いてた」


「じゃあ、それを描いてみようか。セラフィーちゃんは、何色が好き?」


「……あか」


小さく答えたその声は、確かに前よりはっきりしていた。


リセルは笑顔でうなずき、紙と色鉛筆を取り出す。ふたりは目を輝かせながら、それぞれの絵に取りかかった。


セラフィオスは花の周りに鳥を描き、セラフィーはまるい赤い花をいくつも並べていた。ふたりの手元を見ながら、リセルも一緒になって描き加えていく。


「上手に描けたら、今度はこの絵を飾ろうか。お部屋の壁に、みんなの作品を並べてさ」


「ほんとに?」


「うん。きっとお部屋がもっと明るくなるよ」


セラフィオスが得意げに頷き、セラフィーはちょっぴり照れたように微笑んだ。その小さな変化が、リセルの心に温かく染みわたっていく。


絵を描き終えたあとは、積み木で“秘密の隠れ家”を作る遊びに移った。三人で床にしゃがみ込み、真剣な顔で塔を積み上げていく。


「ここが入り口で、こっちが宝物を隠す場所ね」


「ぼくは見張り台を作る!」


「……おふね、つくる」


セラフィーの手元では、三角の積み木を帆に見立てた“船”が完成していた。


どれも子どもらしい自由な発想。でも、その一つひとつが、リセルにはとても尊いものに思えた。


「よし、じゃあみんなの作品を写真に……じゃなくて、スケッチに残しておこうっと」


リセルは手帳を広げ、ふたりが作ったものを丁寧に描き写す。セラフィーがそっと隣に寄り添い、リセルの腕に触れながら覗き込んでくる。


「おねえ、しゃま……」


その声に、リセルの胸がまたきゅっと締めつけられる。


「なあに?」


「……きょうも、くる?」


「もちろん。明日も、明後日も。会いに来るよ」


ふたりの手をそっと握ると、セラフィオスがぽつりと言った。


「お姉さまがいると、笑えるようになるんだ。セラフィーも、ぼくも」


「そっか。なら、お姉さまはずっといるね」


笑ってそう言うと、ふたりもつられるように微笑んだ。


部屋の中には、笑い声と小さなやりとりが絶えず流れている。ほんの数日前まで、ここは無音の空間だったのに。


(まだ、全部がうまくいってるわけじゃない。でも……ふたりは、少しずつ変わってきてる)


リセルは、心の中でそっと誓う。


(もっと、いろんなことを教えてあげたい。遊び方も、世界の楽しさも。そして――愛されるって、どういうことかも)


その日は、ふたりと並んで絵を描いたり、積み木で城を作ったりして過ぎていった。


けれど何より大きな変化は、セラフィーが帰り際、リセルのスカートの端をつまんで小さく引いたことだった。


「また、あした……くる?」


「うん。約束する」


その瞬間、ふたりの顔に浮かんだ表情は、これまで見た中で一番、年相応の“子どもの顔”だった。


(……だけど、これで満足してはいけない)


ふたりの手のぬくもりを感じながら、リセルはそっと胸の奥で思う。


(もっと、できるはず。もっと――この子たちの世界を明るくできるはず)


ほんの少し芽生えた笑顔の先に、もっと確かな「幸せ」を咲かせてあげたい。そのために、自分にできることを探し続けようと、リセルは静かに心に誓った。



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