継姉、学びと遊びを贈りたくて
朝の陽がやわらかく差し込む子ども部屋の一角。リセルは窓際の椅子に腰をかけ、昨日の夜なべ仕事で仕上げた新しい絵本の綴じ目を丁寧に確認していた。
今回は、前世の記憶をもとにした“冒険譚”だ。宝の地図、海賊船、七つの島々――子ども心をくすぐる要素をたっぷり詰め込んだ、小さな物語。
(どこかに隠された“ひとつの宝物”を求めて、仲間と冒険に出るお話……ふたりとも気に入ってくれるといいな)
絵は決して上手ではない。でも、色鉛筆で描いた帆船や海の魔物、砂浜の宝箱には、リセルの気持ちがたっぷり詰まっている。
ふと、視線の先に置かれた小さな木箱に気づいた。昨日、ふたりと遊んだあと片付けた、部屋の片隅に押しやられてホコリを被っていたおもちゃの積み木だ。
「これ……やっぱりずっとしまわれたままだったのかな」
リセルは箱のふたを開け、ひとつひとつのピースを確かめるように手に取った。色とりどりの木製パーツ。角が丸く削られていて、かつては誰かの手にたくさん触れられていたことがうかがえる。
(もしかして、これも……あの子たちが赤ちゃんだった頃に用意されていたもの?)
それが放置されたままだったことが、どうしようもなく切なくなった。
「ちゃんと、遊んでいいんだよ」
誰にともなくそうつぶやいて、リセルはそっと箱を閉じた。
玩具も絵本も、心を育てる大事なきっかけになる。ならば今の自分にできることは――この世界の子どもたちの手に合う、そんな知育の工夫をしてあげること。
「今日も、いっぱい笑ってくれたらいいな」
微笑んで立ち上がると、宝探しの絵本と積み木の箱を大切に抱え、扉へと向かった。
廊下を進む足取りは、昨日よりもずっと軽やかだった。
リセルの腕には、新しく綴じた絵本と、小さな積み木の箱。
「おはようございます、リセル様」
すれ違った侍女が微笑みながら挨拶をする。その表情は、ほんの数日前よりもいくらか柔らかい。
(あの子たちのこと、ちゃんと見てくれてる人はいるんだ)
そんな小さな安心が、胸に灯る。
やがて子ども部屋の前にたどり着く。扉の前で、そっと深呼吸。
昨日よりも緊張は少ない。それでも、胸の奥には、また一歩近づけるかもしれないという期待があった。
「失礼します」
ノックのあと扉を開くと、やはりセラフィオスが妹を庇うように立っていた。
けれど昨日とは違い、その表情にこわばりはない。
「おはよう。今日も、お話と……それから、少し遊べるものを持ってきたの」
リセルが微笑みながらそう言うと、セラフィーの目がちらりと積み木の箱に向いた。
(覚えてる……昨日、少しだけ触ってたもんね)
何も言わずにいるふたりに無理に言葉を求めず、リセルは部屋の中に入る。
机の上に絵本を置き、積み木の箱をそっと開けた。
「今日はね、宝探しのお話。世界のどこかにある“ひとつだけの宝物”を探しに行く、海賊たちの冒険なの」
そう言って、一枚目のページを開くと、帆を張った船と波しぶきの絵が現れる。
「ふふ……昨日の芽のお話とはちょっと違うけど、こういうのも好きになってくれたらいいな」
まだ言葉はない。でも、視線だけはしっかりと絵本に向けられていた。
ページをめくるたび、リセルの声は自然と弾んでいった。
かつて絵本で読んだ海賊ものに、少しだけ自分なりのアレンジを加えた冒険譚。
「これはね、伝説の“ひとつだけの宝物”を求めて旅に出た、小さな海賊船の物語なの」
帆を張った船が大海原を渡る絵。甲板の上でわいわいと騒ぐ、仲間たちの姿。
そこに描かれた船長は、小さくて頼りなさそうな少年だった。
「宝物って言ってもね、金銀財宝じゃないの。ただの、ひとつの“言葉”を探してるんだって」
その言葉に、セラフィオスがわずかに眉を動かす。
セラフィーはと言えば、膝の上に置かれた積み木に触れながら、絵本の挿絵をじっと見つめていた。
リセルは心の中でそっと息をのむ。
ほんの少しずつでいい。ふたりの心に、この物語が届いてくれたら――そう願いながら、語り続けた。
「ねえ、セラフィーちゃん。積み木のおうちって作れるかな? 海賊たちの隠れ家みたいにしてみようか」
そう促すと、セラフィーがちらりとリセルを見上げた。
しばしの沈黙のあと、そっとひとつ積み木を取って、机の上に置く。
「……ここ?」
かすれた声だったが、たしかにそう言った。
リセルの胸が熱くなる。
隣で見ていたセラフィオスも目を見開き、次の瞬間、彼もひとつ積み木を取り上げて、隣にそっと添えた。
「うん、そこが扉。じゃあ僕は、見張り台をつくるね」
言葉は少ない。でも、それは確かに、彼らの“心”が動いた証だった。
絵本を一通り読み終えたあと、リセルはそっとページを閉じた。
手元には、昨日まで夜なべして描き上げた新作――宝物を探す海賊たちの冒険を描いた物語が収められている。
「どうだった? 今日のお話は」
問いかけると、セラフィーがぱちりと瞬きをして、視線をそらしながらも小さく頷いた。
その横で、セラフィオスはどこか誇らしげに「うん、面白かった」と返してくれる。
「次はどんなお話がいいかな。今度はね、お城の中で迷子になった猫ちゃんのお話を考えてるんだけど……」
「これ、船みたいにできるかな……」
「船? あっ、それなら三角を帆にして……ほら、こうすると船の形になるんじゃない?」
リセルがいくつかのブロックを組み合わせて、即席の“海賊船”を作ってみせると、ふたりの瞳がぱっと輝いた。
――物語の続きが、ここでも始まったのだ。
「船に乗ったのは、誰? また、お宝を探しに行くの?」
セラフィーがぽつりと口を開く。
リセルは驚きと嬉しさを押し殺しながら、優しく微笑んだ。
「もちろんよ。昨日のお話のつづき――今度はね、小さな島に眠る“本当の宝物”を探しに行くの」
ふたりが、そっとリセルの隣に寄り添って座った。
積み木を手に取りながら、船を作り、島を作り、宝を隠す洞窟を作る。
その日、子ども部屋には本当の冒険が広がっていた。
絵本の中だけじゃない、ふたりの小さな手と、リセルの優しい想像力によって紡がれる物語。
――それが、少しずつ、この屋敷の空気を変えていく。
扉の外、昼下がりの廊下をひとり歩くリセルは、胸の中にじんわりとした温もりを抱いていた。
積み木ひとつで、あんなに笑ってくれるなんて――。
お話の続きを求めるような、あのまっすぐな瞳。
昨日までは見られなかった変化が、確かにそこにあった。
「……やっぱり、もっとできることがあるはずよね」
リセルは立ち止まり、手元のスケッチブックを開く。
そこには、昨夜描きためていた“新しい知育玩具”の構想が、いくつも詰まっていた。
ピースを合わせて形を作る木製パズル、簡単な数遊びの板、大小の玉を転がして遊ぶ迷路……
どれも、前世で子どもたちに人気だったものばかり。
「問題は……これをどうやって作るか、よね」
紙に描いたものを形にするには、木工の技術と道具、それから信頼できる協力者が必要だった。
しかも、公爵家の私室でこっそり進めるには限界がある。
「家令様に……相談してみようかしら」
リセルは少し迷って、ふと首をかしげた。
もしかしたらこの屋敷のどこかに、使われなくなった古い道具や、職人の手を借りられる場所があるかもしれない。
「それにしても……」
再びスケッチブックに目を落とすと、そこには海賊の絵本のスピンオフとして描いた“お宝パズル”の案が載っていた。
いくつもの形のピースを組み合わせると、最終的に“宝の地図”が完成するという仕掛け。
「これは、セラフィオスにも喜ばれそうね。……あの子、考えるのが好きそうだったし」
思い浮かべたのは、ブロックを自分なりに組み立てて「船を作りたい」と言ったセラフィオスの顔。
その横で、黙って真似をしていたセラフィーの仕草も、忘れられなかった。
(次は、ふたりで一緒に考えられる“遊び”を作ってあげたい)
それはただの遊び道具じゃない。
ふたりが「わたし」「ぼく」として外の世界と関われる、小さな“架け橋”だ。
そう思った時、リセルの背中に、すうっと背筋が伸びるような感覚が走った。
(やるなら、本気で。ふたりの未来のために)
手帳をぱたんと閉じ、リセルはまっすぐ廊下の先を見据えた。




