3 そのドレス、待った
そんなこんなで、レキシトン子爵令嬢が持ち込んだ薬草の研究が秘密裏に始まる。
予想通り最初は研究に反対していた国王陛下のことは、レオ殿下が説得して下さった。
頼りないと噂のレオ殿下が、陛下や重鎮貴族達と真っ向から向かい合ったことは、少々貴族社会を驚かせもした。
その後、程なくして王都でも治療魔法が効かない病が発生。小説通りならここで大パニックが発生するのだが、王家はこのタイミングで王立薬草園の研究を発表し、事態は沈静化する。
レキシトン子爵領での被害も、早くからこの薬草の処方を始めた事で最低限に抑えられた。レキシトン子爵令嬢の母親も元気だ。
まず1つ、最悪の事態は免れた。そのことに満足しつつ、今日の私は学園の廊下を、特別な許可を取って呼んだ侍女のルチアと共に講堂へ向かっていた。そこで今日はレキシトン子爵令嬢が表彰されるのだ。
これが小説での2つ目のターニングポイント。流行り病から国を救った英雄として、拍手喝采を受けるレキシトン子爵令嬢。しかし母を失った彼女の心には響かない。そして表向きは笑顔を作りつつ、今になって手のひらを返してきた生徒たち、ひいてはこの国に復讐を誓うのだ。
もっとも、すでに現実は小説の筋書きから外れている。流行り病による被害は小説よりもずっと少なく、彼女の母も健在だ。ただそれはそれとして、私には阻止しておきたいことがあった。
彼女がいるはずの講堂近くの小部屋まで来た私は、ノックもそこそこにドアを開ける。するとそこには普段とは違う、ドレス姿のレキシトン子爵令嬢がいた。
「だ、誰ですかいきなり……ヴェルモア伯爵令嬢!?」
「えぇ御機嫌よう、レキシトン子爵令嬢! ところで、まさかそのドレスで全校生徒の前に立つつもり?」
「だ、だめなのですか? お母様からいただいた大事なドレスなのですが……」
思わず、といった風に後ろずさる彼女に、私はもちろんとばかりに大きく頷いた。
普段、私達王立学園の生徒たちはくるぶし丈の灰色のスカートに白いブラウス、そしてえんじ色のボレロという制服を着ている。だが、学業や運動、そしてその他の功績で表彰されるときには盛装をする、というルールがあるのだ。
そのしきたりに則って、今日のレキシトン子爵令嬢はワイン色のアフタヌーンドレス姿。しかし母親から譲られた、というそれは明らかにデザインが古くて、しかも年配向き。明らかに彼女には似合っていない。
小説通りなら、表彰の後に生徒達はこっそりと彼女の姿を嘲笑する。大事な母の形見を嘲笑われているのを聞いてしまったレキシトン子爵令嬢は、大きなショックを受け、復讐心をさらに燃え上がらせるのだ。
それこそが私が阻止したいことだった。
「確かに素敵なドレスだと思うわよ。……でも、服装には流行りというものがあるし、年相応な装いというものあるわ」
「そ、そんな……でも……」
母からもらった大事なドレスなことは現実でも変わらないのだろう。ギュッと身を掻き抱く彼女に、私は努めて穏やかに微笑みかけた。
「なにもそのドレスを捨てろ、と言ってる訳じゃないわ。あとでドレスのリメイクを得意としている仕立て屋を紹介してあげる。きっとあなたならまた着る機会がすぐ来るわ。でもね……」
「は、はい?」
「今日は時間がないの。だからとりあえず私の言う事を聞いてちょうだい! ルチア!」
私はそう言いながら、ルチアに視線を投げる。すると彼女は手際よくトランクの中から一着のドレスを取り出した。可愛らしくも品の良い、薄桃色のドレスだ。
「こ、これは……?」
「私からのお祝いよ。あんまり派手なのは好きじゃないと思って、落ち着いたデザインにしてもらったわ。あ、あとこれを……」
突然のことに頭がついていかないらしい彼女に、私は小さな紙片を握らせた。
「王都にある、比較的安価で貴族社会でも充分通用するドレスを作ってくれる仕立て屋よ。ドレス選びにはルールがあるの。それを守っていれば目くじらはたてられないわ」
「はい……」
ちなみにこのリストの発案者はウィリアムだ。レキシトン子爵令嬢にドレスをあげたい、という話をしたら、
「それは良いと思うけど、それだけじゃ彼女のためにならないよ」
と忠告されたのだ。
一方のレキシトン子爵令嬢は、ドレスと紙片を交互に見つめる。と、私をキッと睨みつけた。
「あの! ……ドレスもリストもありがとうございます。でも、どうしてそんなに私のことを気にかけてくれるのですか? ご存知でしょう? 私がど田舎から来た貧乏令嬢って揶揄されてること。薬草園でのこともですし、学園でもーー伯爵令嬢で、しかも公爵令息と婚約しているあなたがどうして?」
「フフッ。それはね……」
レキシトン子爵令嬢にとっては、私が彼女のことを構うのが不思議で仕方ないらしい。まあ確かにそうだろう。私はそんな彼女にグッと近づき、そして彼女の耳元に唇を寄せた。
「私も前世の記憶があるのよ。だからあなたには親近感を覚えるの」
と囁く。
「へ!? ヴェルモア伯爵令嬢……」
「それに、あんまり自分を卑下するものじゃないわ。あなたには薬草学っていう得意分野があるじゃない? 羨ましいわ!」
「あ、ありがとうございます……」
今度は普通の声で、レキシトン子爵令嬢を褒め称える。それから私はパンと1つ手を叩いて侍女のルチアの方を見た。
「さ、ルチア? 彼女を変身させてくれるかしら?」
「もちろんにございます。お嬢様」
ルチアは張り切った表情で答えてくれる。頼もしい侍女にレキシトン子爵令嬢のことを任せて、私はゆっくりと講堂へ向かった。
このあと、私が用意した薄桃色のドレスを着て、講堂に現れたレキシトン子爵令嬢。ルチアの着付けと化粧の技術もあり、その姿は我ながら驚きの美しさだった。
これまでレキシトン子爵令嬢を田舎貴族と笑っていた子達も、その変わりようには驚いたらしい。彼女はみんなから盛大な拍手を送られる。彼女ははにかみつつも、きっと心の底からだろう笑顔を浮かべていて、私はホッと安堵の息をついたのだった。