2 『ヒロイン』救済作戦
「はぁ……本当に素敵な香り。私、ここでなら1日中でも過ごせる気がします」
「本当にオフィは薬草園が好きだね。でも今日はのんびりしてる訳にはいかないんだろう? ほら、子爵令嬢のお出ましだ」
「あ、本当だわ!」
ここは王城の敷地内にある王立薬草園。私の父が園長を務めてることもあり、私には馴染み深い場所。そして、小説の最初のターニングポイントとなる場所でもあった。
「あ、早速職員と揉め始めたわ。それにお父様も……私達も行きましょう!」
「ああ、そうだね」
薬草園の入口の方を見れば、フワフワとした栗毛が印象的な小柄な女の子がちょうど職員と揉めている。小説の『ヒロイン』ことロージー・レキシトン子爵令嬢だ。アポイントもなく、突然一地方貴族の令嬢がやってきたのだから当然だろう。向こうからは騒ぎを聞きつけた父もやってきた。私は小説の筋書きが進む前に彼女を助けなければ、と彼女の方へ向かった。
「治療魔法が聞かない流行り病!? それはまた大変だね」
「でしょう? 小説のとおりでもいずれ治療法は見つかるけど……それでは遅すぎるわ」
時は戻って数日前。私は公爵家でウィリアムとお茶をしつつ、数日後に迫った1つ目のターニングポイントについて話していた。
『ヒロイン』の生家、レキシトン子爵家は王都から東へ馬車で5日程かかる山間の領地を治めている。子爵家は決して裕福とは言えない名ばかり貴族だったが、家族仲はとても良かった。
そんな家でのびのびと育てられたロージーは、子供の頃から森を歩いて薬草を集めるのが趣味だった。
そんな彼女は、ある事故をきっかけに前世の記憶を思い出す。子供の頃からの薬草の知識と前世の記憶。それらが合わさることで、彼女は大人顔負けの薬草学の知見を持つようになり、王立学園に特待生として入学する。そこで同じクラスになるのが私、という訳だ。
それでなくてもいきなり上位貴族の多い学園に放り込まれ、苦労するロージー。その上彼女が学園に入って少しした頃、大きな事件が起こる。
子爵領の小さな村で、治療魔法が効かない病が発見されるのだ。慌てて領地に戻り、持ち前の薬草学の知識で病の特効薬となりうる薬草を発見する彼女。しかし、その薬草から特効薬を作るべく助けを求めた王立薬草園で、彼女はけんもほろろに扱われてしまうのだ。
無理もない。この国で病気の治療と言えば、治療魔法を使うのが一般的。薬草は薬を作る、というよりも香りを楽しんだり、リラックス効果を得るためのもの、という考えが一般的だ。
結局、王都でも病が流行り始めたことで王家もようやく危機感を持ち、特効薬が作られるのだが時すでに遅し。レキシトン子爵領では病により多数の死者が出る。その中には『ヒロイン』の母も含まれていた。
悲しみに暮れる『ヒロイン』は、密かに強力な催眠薬を開発し、それを使用して国を乗っ取ることを企てる。
そのための実験として、彼女は催眠薬を学園の生徒達に使う。そして自分を追い返した薬草園長の娘である私が、『悪役令嬢』だと全校生徒に信じ込ませようと画策するのだった。
「待ってオフィ! たしかにレキシトン子爵令嬢は可哀想だと思うし、君の父親は浅慮だったと思う。けど、だからといってオフィに復讐するのはどうかしてないかい? 完全な逆恨みだ」
「そ、そうだけど、彼女にとっては母の仇とも言える人物の娘が幸せそうなのは許せなかったのよーーそれに」
「それに?」
ウィリアムは不思議そうな顔をした。
「田舎で暮らしていたから、なかなか貴族的な習慣に馴染めないのが可哀想で……ついお節介を焼いていたんだけど、それも彼女にとっては余計なお世話だったっぽいわ」
確かに、事あるごとに「そのドレスはこの場にはふさわしくないわよ」とか、「お茶を飲むときのマナーは……」とか言ってくる同級生なんて、彼女からすれば厄介この上ないだろう。そう思っていると急に「ねえ?」とねっとりとした声が降ってきた。
「オフィ? もしかして結局現実でも、レキシトン子爵令嬢にお節介を焼いてる?」
「うぅ……ごめんなさい! つい……」
「つい、じゃないよオフィ? 反感を自分で上げにいってどうするの?」
「で、でも……だって彼女、同級生達にマナーがなってないっいて虐められてたのよ……」
ロージーはもともと、「田舎者」や「貧乏人」と言われていじめられていた。そして、救国の英雄となり有名になったことで、彼女へのいじめはさらにエスカレートする。孤独感を募らせた彼女は、さらに危険な研究にのめり込んで行くのだ。
「……まあ、確かにそれもそうだね。じゃあとにかく、彼女が薬草園に来る日に僕達も薬草園へ行って、彼女に加勢しようか」
「はい! ウィリアム」
そんなこんなで、私達は今日、薬草園へやってきたのだった。
「治療魔法が効かない病? ハッハッハ、200年前ならいざ知らず、今どきそんなものがある訳ないですよ、ねぇ園長」
「ああ……にわかには信じがたいな」
「ですけど! 本当に効かなかったそうなんです。……でも、この薬草を煎じて飲めば症状がすこし軽くなって……」
「きっとその患者を診た医者が藪だったんでしょう。それに薬草を飲んで気が楽になるなんてのはよくあることだ。あくまでも気休めに過ぎない」
白衣を羽織った男に必死に病について訴えているレキシトン子爵令嬢だけど、研究者の方は全く信じるつもりはないらしい。お父様も彼の言葉に大きく頷いていた。
「お待ちになって、お父様!」
「ん!? その声は……オフィじゃないか?」
「突然やってきてごめんなさい。ーーところで、お父様? そちらの令嬢のお話ですけど……無視するのはどうかと思いますわ」
挨拶もそこそこに、私は早速レキシトン子爵令嬢の助太刀をしようとする。が、父は私の言葉を聞いて、苦い顔をした。
「オフィ。レディが盗み聞きなどするもんじゃない。それに知ってるだろう? 治療魔法が効かない病など聞いたこともない」
「そ、そうだけど……でも今回もそうだとは限らないわ。それにーー」
「それに、これまでも本当にそうした病がなかったとも限りません、義父上」
言い募る私に、後ろから援護射撃が入る。ウィリアムだ。彼は持参していたバッグから、重そうな本をいくつか取り出した。
「ウィリアム君……私はまだ君の義父じゃない……まあそれはさておき、これまでもとは?」
「ここ200年程の間にこの大陸で起きた流行り病の記録について調べました。するとどうも治療魔法が効かず、別の治療法で対処した形跡のある記録が……」
そう言いつつ、手近なテーブルに本を開いてみせるウィリアム。父はまだ胡乱な顔をしつつ、彼が示すページを覗き込んだ。
「なるほど。これは北のルメニア島、これは東のディリア諸島、それにこれは……西のバラシェ公国の記録か……」
「全部、ここから随分遠い僻地の小国じゃないですか!? 園長はともかく、君もそれらの文字を?」
テーブルに並べられたいくつもの本に踊るのは、全て違う文字。それらを全て読んだ、というウィリアムに白衣の彼が思わず、といった風に言い募る。
ウィリアムは「貴族として当然の嗜みです」と涼しげだが、白衣の彼は「なわけあるかよ……」と呟いた。
「とにかく伯爵、外国に目を向ければ例外は存在します。それがこの国で起きない、という証拠は?」
「……ないな。確かにそう考えれば、レキシトン子爵令嬢の訴えを黙殺するのは危険かもしれぬ。だが……王家が許すか?」
父はそう言って表情を険しくする。この国ではとにかく魔法万能主義の考え方が根強い。貴族の中でも、魔法に秀でた人々が出世しがちで、当然王家も彼らの反発を受けるようなことは避けたがるのだ。
「それでしたらご安心を。私は王太子殿下と常々仲良くさせて頂いておりますし、多少の貸しもあります。殿下に進言いただきましょう」
「レオ殿下か……正直無意味な気もするが……」
頼りない、と噂の王太子の名前に父の表情はさらに険しくなる。しかしウィリアムは、一歩も引かなかった。
「確かに頼りない方ですが、意外と交渉事は得意なのですよ。それにご存じの通り、陛下は殿下に甘い」
「まあ……一理あるか」
「もしこれで、万が一があれば王立薬草園の信頼は失墜します。どうぞ、ご決断を」
ウィリアムは父ににじり寄るようにして決断を迫った。
「……分かった、とりあえず内々に研究しよう。王家や貴族連中は君に任せるぞ」
「ご決断感謝いたします、根回しはどうぞお任せを。あと、レキシトン子爵令嬢は随分と薬草学に詳しいようです。少なくとも今回の研究には参加してもらう方が良いかと……」
「彼女の薬草学の知見は、学園で彼女を間近に見ていた私が保証するわ!」
「確かにその薬草を持ち込んだのはそちらの令嬢だしな。少々試験はさせてもらうが……レキシトン子爵令嬢、こちらにーー」
「は、はいっ、ヴェルモア伯爵様っ」
いつの間にか話がまとまり、置いてけぼりとなっていたレキシトン子爵令嬢は父の呼びかけに飛び上がる。
父と共に奥へと消える彼女を私が見つめていると、隣のウィリアムが、
「上手く行ったね」
と微笑んでくれた。