因習村
まずは、河野睡蓮。という女子生徒について語る必要がある。
学園の三年生。水泳部所属。髪を纏めて水泳帽に収納するため、敢えて肩の辺りまで伸ばしている黒髪。どこか憂鬱そうな雰囲気を纏った黒い瞳。柔らかい目尻。
顔立ちは非常に整っているものの、比べられることが多い巴と違って芯や活力と言ったものがなく、強く出られると断れないタイプの女性だ。
「ふう……」
そんな睡蓮がプールから出てくる。
春だろうが冬だろうが薄い世界の水泳部は活動しており、男女問わず水着姿を披露するものだが睡蓮は別格だ。
最も人気なグラビアアイドル顔負けのスタイルだと言えば分かりやすいか。出るところはとことん出て、引っ込むところは引き締まっているため、学生には目の毒。致死性の猛毒。
その毒が水着姿でぽたぽたと水滴を垂らしている姿は、万人の目を釘付けにしてしまうものであり、非公式な名称の部活姫筆頭として挙げられることも多い。
「お疲れ様です睡蓮先輩!」
「あ、ありがとう」
陸に上がった人魚姫に同性の後輩達が群がる。
万人の目を釘付けというのは同性も含めての話なのだが、水泳部の男子生徒は極端に多くはない。
男女の問題が起こらないようにという配慮? ここは薄い世界だ。薄い世界だが……物理法則はある程度作用する。
ここで笑い話。睡蓮が入部したての頃は彼女を目的にした男達が大挙として押し寄せ、学園側はどう考えても男女共同でプールを運用するのは不可能という結論に至った。そのため例年の平均を出して入部数に制限を掛けた経緯があり、この場にいる男子生徒は幸運を掴んだ者達である。
「睡蓮先輩、ゴールデンウィークはどうするんです?」
よく言えば親しみやすく母性がある。悪く言えば気弱で流されやすい睡蓮に、後輩の女子生徒達は遠慮がなく、新学期後の一大イベント、ゴールデンウィークの予定を尋ねた。
「えっと、両親の実家に呼ばれてて」
この睡蓮の返答だが、かなり気を遣ったものだ。と言うのも彼女の両親は故人で、今現在の睡蓮は様々な支援や遺産で生活している。
そして幸いにも両親が残してくれた遺産はかなりの物で生活に困ることはないが、つい最近、両親の実家が存在している田舎から連絡があり、偶には顔を見せろという話になった。
「どんなところなんです?」
「うーん……静かなところ……かな?」
無邪気な後輩の問いに睡蓮は困った。
記憶に僅かながら存在する両親の実家は、本当に何もない田舎であり、それ以上の表現が出来ない場所だ。
余談だが友達がいれば一緒においでと親戚に言われているものの、引っ込み思案な睡蓮には誘うような相手がおらず、彼女が単独で行くことになっていた。
「じゃあゆっくり過ごしてください!」
「うん。ありがとう」
そして後輩達も、誘いがないので睡蓮の実家に押し掛ける提案をせず、陸の人魚姫はただ一人で寂れた村に向かう。
◆
世間は連休で賑わう中、荷物を持った睡蓮が学生寮の前で迎えを待っていた。
するとそこへ一台の車がやって来て、彼女の前で停車する。
「まあまあ。睡蓮ちゃん久しぶりね」
「お、お久しぶりです。今日はありがとうございます」
「いいのよ気にしないで」
睡蓮の記憶に少しだけ残っている親族の中年女性が顔を出し、親しみやすい表情を浮かべる。
「それにしても、本当にお友達はよかったの?」
「は、はい」
「そう……」
女性は周囲を確認して、睡蓮の同行人がいないかを確認している。どうやら随分、睡蓮のことを気にかけているようだ。
「じゃあ行きましょうか」
「お願いします」
女性はそれ以上、睡蓮の交友関係に突っ込むことをせず、彼女を乗せて車を運転し始める。
「それにしても大きくなったわねえ。本当に睡蓮ちゃんなのかなって思ったわ」
「そう……ですか?」
「ええ、ええ。立派になったわ」
村までは長く時間が余っているため、女性は睡蓮の成長を褒める。
グラビアアイドルのトップ層顔負けのスタイルに、平均的な女性よりも高い背丈が合わさっている睡蓮は、そこらの女優やアイドルすら寄せ付けない。もし世間に出れば、忽ち権力者の愛人として目を付けられてしまうだろう。
今も似たようなものだが。
女性の目に宿っている言葉を読み解くなら、品定めに合格。と言ったところか。
それから暫く。
「おお。よく来たなあ」
「睡蓮ちゃんかい? 大きくなったもんだ」
「まあまあ。久しぶりねえ」
睡蓮は電気が通っているだけの村に辿り着き、中高年の男女から歓迎を受けていた。
総人口は二百人にも満たず、若い男女の姿がない村で睡蓮は注目の的らしく、親戚の家にお邪魔している彼女は、やたらとやって来る村人との会話で一日が終わりそうだ。
(女の人は綺麗な人が多い)
多くの村人と話して睡蓮が気付いたのは、中年の女性達が実年齢を感じさせない程美しく、スタイルを維持していることだ。そのため他人がいれば、睡蓮のルーツがこの村にあることを感じただろう。
一方で男の方は、昔は美形だったのだろうと思わせる者が多い。昔は、だ。今現在は、農作業に従事している筈なのに不必要な水準の肥満か、その逆でやたらと細い男ばかりで、丁度いい体形の者がいなかった。
「悪く思わないであげて。皆、若い子がいるのに慣れてないのよ」
「悪くだなんてそんな」
「優しいわね。でも話疲れたでしょう? よかったらお茶をどうぞ」
「ありがとうございます」
人の来訪が途切れたタイミングで、睡蓮を連れてきた女性がお茶を持ってくる。
そして女性の言う通り話続けて口が乾燥していた睡蓮は、ゆっくりと全てを飲み干した。
「夜はお祭りがあるから、ゆっくり休んでね」
「お祭りですか?」
「そう。三百年くらいは続いてるかしら」
「そんなに……どんな……お祭りなんです?」
「説明はちょっと面倒だから、実際に体験するのが分かりやすいわ」
「たい……け……ん」
女性から祭りがあると教えられた睡蓮は首を傾げ、詳しく尋ねようとしたのだが……なぜか急速に襲い掛かって来た睡魔に抗えず、意識は深い闇に堕ちていった。
「……イ様……ウ……イ様……」
「あ……あえ?」
ぼそぼそと声が聞こえ、呂律が怪しい睡蓮が目覚めた。
「……え? ……え?」
睡蓮は酷く混乱した。
いつの間にか夜なのはいい。白い和服の寝間着を着せられているのもいい。窪んだ地にある祠の前に作られた、舞台のような場所で横たわっているのもまだいい。
しかしかがり火に照らされている、ふんどし姿の男達が、目だけ開いているお面を被り群がっているのはどういう訳か。
「ウスイ様……ウスイ様……」
「ウスイ様……」
更には、睡蓮と同じような着物姿の中年女性達が地面に跪いて、奇妙な呪文を唱えている。
「ひっ⁉」
「あら、起きたのね睡蓮ちゃん」
明かなカルトの儀式に怯えた睡蓮が悲鳴を漏らすと、彼女を村まで連れてきた女性が声をかける。
「おめでとう睡蓮ちゃん。貴方はウスイ様に選ばれたの」
「ウ、ウスイ様?」
「そう。この村の守り神様。ウスイ様のお導きで儀式をするのだけど、村に若い娘がいなかったから困ってたのよ。でも睡蓮ちゃんがいたのを思い出せて本当によかった」
場に相応しくない程、にこやかな顔の女性に睡蓮は恐怖を更に強める。
「ぎ、儀式?」
「ウスイ様の子を授かり、村を繁栄させるための儀式よ。最近は行われてなかったけど、ついにウスイ様からの御神託があったの。貴方のお父さんとお母さん、御神託がある前に亡くなられて本当に残念だわ。もう少し村から出るのを我慢すればよかったのに」
「……こ?」
「そう。子供」
血の気が引くとはこのことか。
睡蓮は女の言っていることが半分も理解できなかったが、その過程で自分がどうなるかは分かってしまい、顔が青ざめてしまう。
「睡蓮ちゃん、元気な赤ちゃんを産んでね」
「い、いやああ!」
決定的な一言が女から放たれ、お面で個性を消しているつもりの男達が睡蓮に近寄ろうとした。
奔る。走る。はしる。ハシル。
たかだか三百年の信仰、邪な神の儀式。その程度で調子に乗るな。
肉体に神が宿ると信じるなら。
あれはなるは、あれこそが。
現生人類二十万年の信仰が踏み入った至高の頂。天。ついに生み出された最高傑作。これ以上が存在しない進化の袋小路。
飛ぶ。跳ぶ。
地を蹴り、窪んだ地にいる者達の頭を飛び越える。
軽々と世界記録を更新する異次元の跳躍力。
こうなりたい。ああなりたい。理想。幻想。
人類の祈りの結晶が睡蓮の目の前に着地する。
「きれい……」
思わず睡蓮が呟く。
最早ミケランジェロやダ・ヴィンチがモデルに切望するどころの話ではない。
僅かに腕を広げて立つ肉体は、この村まで走り続けたことで最高潮に達しており、血管、筋の一つ一つが浮かび、体温の上昇で揺らめく陽炎と僅かに飛び散る汗が光で反射し、酷く幻想的な光景を作り出した。
それは血の如き月すら及ばぬ小さな太陽。溢れ出るエネルギーの塊。
しかもだ。走っている最中、暑いという理由で服を脱ぎ捨て、許された数少ない正装の一つ、ヒョウ柄のボクサーパンツだけを身に纏い、その異様な領域の肉体美を見せつけている。
「うぇーい。神様見てるー? なんか知らんけど先輩と村人の間に挟まちゃったー」
残念ながら神聖さすら宿る肉体と品性は一致しなかったらしい。
場違いなまでに下品なニヤニヤ顔と口調は、儀式全体を嘲っているようで、村人達の神経を逆撫でる。
「に、逃げて……」
「わーお。先輩ってば聖人。でもとりあえず百人? 全員ぶん殴って警察に突き出したら解決。もしくはウチの権力でごにょごにょ。簡単な話っしょ」
降臨したチャラ男、太一は自分の身を案じる睡蓮を庇うように背を向け村人達を捉える。
「っ!」
ここでようやく我に返った村人達が、無言のまま太一を舞台から引き摺り下ろすために群がる。
しかも先頭にいるのは、睡蓮を脅すため鎌を持っている男だ。
ギラリと刃物が光り、太一めがけて振り下ろされる。
調子に乗った。
ヒエラルキーを誤認した。
因習は続くという無根拠な自信。
薄い世界において、我々を阻める者などいないという傲慢。不遜。
「流石にいきなり鎌なら正当防衛っしょ」
因習村の全員を物理的に叩きのめす結論に至った、薄い世界における至高の手でその報いを受けよ。
「うぇーい」
「っ⁉」
頂点捕食者、チャラ男の拳が村人のお面を木っ端微塵に粉砕した。
この拳を受けて単なる村人が無事に済むはずがなく、悲鳴すら漏らさずに地面に倒れ伏す。
「三百年の伝統ある行事をよくもおおおおおおおおおおお!」
最早我慢ならんと村人の一人が怒り狂って叫ぶ。
愚かで醜悪。
頭にキテいるのは太一も同じだ。
天よ退け。地よ慄け。
因習、なにするものぞ。
因習、滅ぶべし。
「バーカ。こっちは紀元前から続いてる男の道理だぜ? 長さも格も勝負になってねえよ」
言葉通り格が違う存在が全てを圧倒した。
福郎鉄の掟。ヒロインのピンチと筋肉の登場は同じ話でするべし(生涯二回目の宣言)
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