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異世界派遣社員の憂鬱  作者: よぞら
惑の章
33/36

静寂

 伝説となっていた最古の旧式ライネの裏切りはと存在を喜び探し求めていたヴィーの奇行は激震をもたらした。

 特式のアーロンは砕けた。レイの本体を守ろうとした調律師とヒメは雪像となった。アルド公国で消失した調律師達は見つからない。

 ドロシーとレイモンドは無色透明に姿を変えて沈黙している。

 アルド公国とジュビア東方連邦国にはユキが降っていた。

 はらはらと降り注ぐ花弁雪。景色を真っ白に塗り替えた。

 雪は音を閉じ込める。あれから20日、静かな白い世界で一人祈るようにシドは身を縮めていた。


「……レイ。」


 始祖レイモンドは調律師の道標であった。特に旧式の調律師はレイモンドに転移されてレイモンドに依存していた。シドに説明を受け、他の調律師に教育を施された新式の調律師と違い神のような存在であった。

 旧式の調律師であり、現在最古となったシドは潰されそうになっていた。

 レイの転移装置に繋がっている機器はアクセス可能だが稼働するかはわからない。一応新式の調律師の帰還プログラムはインストールを続けている。終われば望む時間軸の世界に帰還するだろうか。

 統率者を失った調律師は混乱していた。

 レイが消えたことはもちろん、シドが業務を放棄していたことで統率する者がいないのだ。始祖を失い異常現象も消えて雪の降るジュビア東方連邦国とアルド公国の混乱は見るも無残なものである。

 コツコツとヒールの音がする。

 細く高いヒールが出す音は項垂れるシドの背後で止まった。


「統括、聞いてるかわからないけど一応報告するわね。」


 チルの男受けする綺麗な声が現状を報告する。

 各地の支部で結束する一部の調律師と始祖達がヨウとヴィーを迎え撃つ準備をしている。ドロシーとレイをクリスタルのようにしたヨウとヴィーは始祖の所へ来ると予測しての事だった。

 好戦的なコラリーを筆頭にヴィーの足取りを追いながら、来るべき日の為に迎撃態勢を整えているとの事だ。

 統括としての業務も責務も出来ないシドにはチルの報告も右から左に流れるだけだった。


「ねぇ統括。報酬が受け取れる可能性がある限り、私達は足掻き続けるわ。」


 それだけ言うとチルは再びヒールを鳴らしながら去っていった。

 現状の自分に情けないとも思えない程、シドは憔悴している。何かを聞くことも見ることも考えることも放棄していた。

 それどころかレイが沈黙してしてからの20日間、休息も睡眠も食事も取らずにいる。そろそろ何かしら不調が出てくる頃だ。

 チルが去ってからどれくらいの時間が流れただろうか。

 ひたり、ひたりと素足で歩く様な音が静かに近づき、さらりとストロベリーブロンズの髪が一房揺れて視界が塞がれる。


「だーれだ?」


 視界を塞ぐ白い手を外してゆっくりと振りかえればゆったりとした白いワンピースを来たメリがいた。15年前から凍結睡眠鏡コールドキャスケトに入っている筈の旧式の調律師。

 ここにいるはずのない存在にぼんやりと瞬きを繰り返す。


「来ちゃった♡」


 変らない笑顔で、変らない雰囲気でメリは小首を傾げてウィンクする。


「……なん…で?」


 未だに信じられない存在を確認するように手を伸ばして顔の輪郭をなぞる。冷えた指先に伝わる暖かい体温が幻覚でないことを裏付けた。


「アーシーちゃんにね頼んでおいたの。シドちゃんのピンチの時には起こしてって。」


 背後のメリは腕を伸ばして背中から包み込むように抱き着くと、シドと目を合わせたまま顔を近づける。シドの紫色の瞳とメリの薄桃色の瞳が視線を絡めた。


「超ピンチなんでしょう?」


 目の下にくっきりと浮いた濃い隈。げっそりとした青白い顔色。身体は怠くて思考がまとまらずに何もすることが出来ないシドは心身ともに不健康な状態である。

 アーシーはシドの状態をピンチだと判断し、頼み事通りにメリの凍結睡眠鏡コールドキャスケトを解いたのだ。


「……ピンチ、です。どうすれば良いのか分からない。」


 ポロリとシドの口から弱音と本音が零れ落ちた。


「だからね、あたしはシドちゃんを休ませるために起きたの。しっかり寝て、しっかり食べてすっきりしたら良い考えが浮かぶわよ。何も浮かばなかったらペルも起こしちゃえば良いわ。」


 数十名の旧式の調律師は眠っている。数十名の新式の調律師は諦めずにいる。

 まだ終わっていない。

 少なくとも、自身がこの世界に引きずり込んだ新式の調律師達を見捨てるわけにはいかないとシドの目に光が戻った。


「……メリ、1刻したら、起こしてください。」


 急激に眠気の襲ってきたシドはそれだけ言うと瞼を閉じた。ふっと身体から力が抜けて座っていた上半身が崩れ落ちる。

 メリはシドの頭を自身の膝に乗せると頭を撫でて、手を拾い上げて握ると唇を落とす。


「おやすみ、シドちゃん。自然に目覚めるまで寝てると良いわ。」


 起きたら慌ただしく根を詰めて働きだすだろう仕事中毒の上司を想い、メリは安眠を妨害することはなかった。

 目覚めたら一緒に食事をしよう。

 目覚めたら一緒にこれからの話をしよう。

 憂鬱な気持ちがリセット出来たら、一緒に頑張ればいい。



。+・゜・☆.。.+・゜melancholy゜・+.。.☆・゜・+。



 ぬるま湯に浸かるような微睡の中でふと意識が浮き上がった。

 フルーティーノートの香りが鼻腔を擽る。

 爽やかな香りが芯のある上品さを感じさせる中に混ざるオリエンタルな花の香りが大胆で官能的な印象を与えた。

 セクシーな魅力を持つ大人の女性を思わせる香り。

 この香りを知っている。

 髪を撫でる温かい手が気持ち良い。このまま再び寝てしまいたい。

 欲望に任せて意識を手放そうとしたとき現状を思い出して急激に覚醒する。瞼を開くと見知った天井とストロベリーブロンズが瞳に映った。


「おはよう、シドちゃん。よく寝てたわね。」


 長らく使用していなかった休眠用のベッドの上に寝せられ、横に座るメリが髪を撫でている。

 レイを失った傷心から呆然自失となり記憶が定かではないが違和感に視線を動かすと服が変わっていた。更に髪や体にはスッキリとした爽快感がある。

 メリの服装もゆったりとした白いワンピースから格闘ゲームのセクシー路線を担当する女性キャラクターが着るようなものへ変っていた。


「……メリ、私はどのくらい寝てました?そして寝ている間に何をしました?」

「丸一日寝ていたわ。お外じゃゆっくり休めないと思ってお風呂に入れてここに運んだの♡」


 予想を裏切らないメリの答えにシドは頭を抱えた。いくら20日程寝ていなかったとしても危機感がなさすぎる。好き勝手される前に目覚めろと自身に100回程説教をして詰った。

シドが頭を抱えている間に、退出したメリはトローリーを転がしながらやってきた。スパイシーな香りが室内に充満しサイドテーブルに食事が配膳される。


「はい、召し上がれ。腹が減っては戦も恋も出来ないわ。」


 唐揚げ定食を持ってくるあたり狡猾である。恨めし気にメリを見ながらシドは唐揚げを口に運んだのだった。白米を2回程おかわりして衣服を整えたシドは当たり前に用にメリに腕を組まれながら執務室へと連行される。


「はーい御入場♡」

「………メリ。」


 悪ふざけをしながら入室するメリをシドは名前を呼んで諫めた。

 各地から情報が集まるシドの執務室内にはチルをはじめとする数人の調律師が唖然とメリの姿を見ている。


「知らない顔ばっかりね。本当に新式は入れ替わりが激しいわ。」

「………メリ。」

「では現状確認と作戦会議を始めましょう。」

「メリっ。」


 止めるシドに構わずメリは各地の箱庭に直結する通信を繋いだ。

 機器の仕様自体はメリが凍結睡眠鏡コールドキャスケトに入る前から変わっておらず迷うことなく全ての始祖と繋いでしまった。

 次々と空中ディスプレイが浮かび上がり繋がった先からホログラムが現れた。


≪メリ!≫

「お久しぶりね。ガビ―。」

≪いつ起きたんだい?折角だから僕に会いに来てほしい。≫

「えー、どうしようかしら~♡」


 ラウの首に巻き付く黒蛇ガブリエルが久方ぶりに見るメリの姿に嬉々として話を弾ませる。


≪腑抜けたはらわたは戻ったみてぇだな。≫

≪幸薄い顔から哀愁が煮汁の如く染み出てるが、もう起き上がって問題ないのか。≫

「……イジメないでください。」


 ウィリアムとコラリーの揶揄いにシドは項垂れる。一応、上司である為調律師達は何も言わないが腹の中では同じようなことを思っているのだろう。 


「……皆さん、ヴィーの迎撃態勢を整えていると伺いましたが?」


 いたたまれない空気をごまかすように咳払いするとシドは通話の本題への進行を促した。


≪ええ、ヴィーの生存確認は嬉しかったけど残念だわ。≫


 悲しみに満ちた声でメルビンが告げた。

 ヴィーの存在を察知した時は始祖達は歓喜したがドロシーとレイモンドにしたことは容認できることではない。


≪これから奴がどうするか。十中八九始祖の所にくるだろう。しかし我々には止める術はない。貴様ら調律師に頼るほかないのさ。心苦しいがな。≫


 苦々しくコラリーが溜息を吐く。


『各アーティファクトにて足止めしたのち、攻撃性の高い能力を持つ調律師が総攻撃をかける。というのが現在遂行可能かつ有効打を期待できる主な作戦っすよ。』


 肩に乗るウィリアムを撫でながらニカが答えた。

 メルビンの所には白い花を模したアーティファクトのラッテンフェンガー、強制催眠を誘発する電磁神経刺激装置が置かれている。

 ウィリアムの所には青い花を模したアーティファクトのアシェンプテル、焼き尽くした対象の灰を被るほど強力な炎の攻撃を浴びせる装置が置かれている。

 コラリーの所には黄色い花を模したアーティファクトのロートケプヒェン、対象の血で赤く染まる程にレーザー光線が切り裂く装置が置かれている。

 ガブリエルの所には赤い花を模したアーティファクトのシャオム、触ると起爆し圧力波が体内の空気を潰す可燃性の泡を発生させる装置が置かれている。

 消滅した始祖の創り出したセキュリティ装置だが中々デンジャラスである。


『毒や狙撃のような遠距離攻撃を得意とする能力を持つ調律師とアーティファクト使い先制攻撃を仕掛けたのち、高火力の近距離攻撃に一気に積める。アーロンやヒメがやられた様子を見る限り数秒で決着をつけるしか勝ち目はないだろうね。』


 伝えられた作戦の詳細をメルビンの護衛である通称コンが補足する。


「私にできることはありますか?」

『今まで通り、各地の情報をまとめて適切な指揮をとってよ。統括がいないと情報が迷子で困っちゃう。』


 メリと存分に話して満足そうにするガブリエルを撫でながらラウが告げた。各地の情報をまとめて開示していたシドの業務が滞った事で今まで整頓されていた情報が乱雑になり混乱を招いていたことは事実。


『シド、始祖と融合した特式に有効打が期待できる兵器があれば提供してほしい。手持ちのアーティファクトと能力だけでは心許ない。』

「わかりました。終末日(アポカリプス)前のものから検討してみます。」


 コラリーの護衛であるアイラの要望に応え、その他にいくつかの報告事項を聞いたところで話がまとまり通信が終わった。

 なかなか好戦的である。アキシオンと対峙した時やヴィーの覚醒に打ち震えた始祖が起こした天変地異の時ように怯えて任務を続けられなくなった調律師は今のところいないようだ。


「さてと、あたしは古巣にでも潜って情報を集めるとしますか。引っ掻き回せる所は渦潮になるほど引っ掻き回しとくわ。」


 まるでショッピングにでも出かけるように浮かれた雰囲気を出すメリをシドは慌てて止める。


「待ってください。危険すぎます。許可できません。」


 メリの古巣はウォール諸島共和国。守護を引退してジュビア東方連邦国に来るまで海の魔女の異名を掲げていたのだ。

 始祖ガブリエルがいる。下手をするとヴィーと接触する可能性があるのだ。


「旧式の調律師はレイの下に平等よ。貴方は補佐役の統括という役職というだけで立場は同等。残念だけレイのいない今、どシドちゃんの命令を聞く義務も義理もないわ。」


 最もな意見にシドは言葉を押し込める。


「大人流のお願い事なら聞いてあげなくもないけど。」


 メリはリップ音を鳴らして口付けた己の人差し指をシドの唇に優しく押し付ける。


「じゃ、いってきまぁす♡」


 武器になりそうな細長いヒールを鳴らしながら、颯爽とメリは出て行ってしまった。咄嗟に掴もうと上げたシドの手は彼女に掠ることもなく空を切り、だらりと落ちる。


「嫌な女ね。敵が多そうだわ。」


 初めてメリに対面したチルはネイルの手入れをしながらそんな感想を述べる。自身の事を棚に上げたチルの発言に苦言を呈す者も残念ながら存在しないのだった。

メリ復活。

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